2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・1

 先日、このブログのコメント欄に、こんな書きこみがあった。

http://hirorin.otaden.jp/e437829.html


山本さん、ツイッターで「僕はいじめ被害者だから、いじめる側の心理はわからないし、わかりたくもない」と言ってましたよね?
では、私が教えてあげましょう。あなたが「と学会」でやってた事、それ自体が「いじめ」です。

「こいつ、こんな変な本を書いてるんだぜ!」「こんな変な説を唱えてるんだぜ!」と、わざわざ商業出版本やイベントであげつらってましたよね。
単に書き手の無知や間違いを指摘したいだけなら、本人に直接言うなり手紙やメールを出すなりすれば済む事。
なのにあなたはそうせず、不特定多数が読む本で「バカらしい」「アホかほんま?」「無知としか言いようが無い」って何回書きましたっけ?

それどころか、大賞をくれた事を本心から感謝して礼状をくれた三上晃さんのことも、その文面を晒しものにして更なる笑いものにしてましたよね。

断わっておきますが、私もいじめの被害にあった事はあります。重度知能障害者の妹をネタにされてね。
靴にガムを入れられるなんて生易しいぐらいのいじめにあいました。
とはいえ、私は山本さんと違って諦めたりせず、罵倒を録音したり証拠を揃えたりしてマスコミに送りつけ、いじめっ子をきっちり叩き潰しましたけど。

そんな私から見て、あなたがと学会でやってきた事は、立派に「いじめ」です。
相手に反撃できないところから、仲間内で「あいつ変なこと言ってるぜ!みんなも見ろよ、面白いぜ!」と騒ぐのは、普通にいじめですな。
それをネタに本を出して金稼ぎに利用してた分、下手ないじめっ子よりタチが悪いです。
相手から直接金を奪ってない分、カツアゲをするいじめっ子よりはマシですけど。

「違う、僕がやったのはいじめじゃない」なんて言っても無駄ですよ、いじめっ子は皆そう言い訳するものですからね。

いじめってものは、「自分達と違うものを排除したい」「群れで生きていく以上、弱い者は邪魔になる」という本能から来るものです。
いじめは正当なものでも不当なものでもありません。
いつでもどこでも誰でも、加害者にも被害者にもなり得るものに過ぎないのです。
山本さんだって私だって、いつまた被害者になるかも、逆に加害者になるかもわからないのです。

いい加減に「自分はいじめの被害者」といつまでも言い続けるのはおやめになる事です。
あなただって、似たような事をやってたんですから。

 ちょっと前にもツイッターで同じようなことを言っている人を見かけた。どうも、僕やと学会について同様のイメージを抱いている人は多いらしい。いい機会なので、そういう人たちにまとめて反論しておきたい。

 実は、「弱い者いじめはよくない」という批判は、1995年、最初の『トンデモ本の世界』を出した時からすでにあった。それに対し、僕は翌年(今から20年も前である)の『トンデモ本の逆襲』のあとがきで、こう反論している。


 第一に、トンデモの勢力は決して「弱い者」などではない。『トンデモ本の世界』でも紹介したように、宇野正美、深野一幸、五島勉といった人たちの本は、いずれも大手の出版社から発売され、何万部、時には何十万部も売れているのだ。すなわち、「世界はユダヤ秘密結社に支配されている」とか、「太陽は熱くない」とか、「一九九九年に人類は滅びる」などと信じる人が、現代の日本に、何万、何十万という単位で存在しているということなのである。
 物理を知らない素人が「相対性理論は間違っている」と主張する本が、何万部も売れている。それに対し、まともな物理学者が相対性理論の正しい解説書を書いても、その五分の一も売れるか怪しい。万葉集は朝鮮語で読めるとか、日本人の先祖はユダヤ人だといった本もよく売れるが、まともな言語学や歴史学の本がそんなに売れることはない。常識的な説よりも、奇説を唱える本のほうがよく売れる傾向がある。多くの大衆は明らかにトンデモ本のほうを支持しているのだ。
 いったいどっちが「弱い者」なのか?
 無論、小さな出版社から細々と本を出している人もいる。しかし、彼らも決して孤立しているわけではない。その思想は多くの場合、長い歴史を持つほかのトンデモ思想と密接に関連しており、いわば大きなトンデモ勢力の裾野に位置しているのである。
 第二に、我々はこうした本を弾圧しようなどと思っているのではない。憎んでいるのなら、こんなに情熱をこめて本を収集できるわけがない。むしろ逆で、こうした奇妙な本を愛し、その奇想を楽しんでいる。そして、この楽しさをもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているのだ。世の中には、学校では教えてくれないこと、教科書や百科事典には救っていないことがたくさんある。大きな影響力を持ちながら、これまで注目されたことのなかったそうしたサブカルチャーにスポットを当て、その面白さを天下に知らしめたい──それが本書の意図である。

 ちなみに『トンデモ本の世界』で取り上げた本の著者には、他にも矢追純一、関英雄、竹内久美子、糸川英夫、あすかあきお、ドクター中松、大槻義彦などの有名人がいる。宇野正美氏のユダヤ陰謀本や川尻徹氏のノストラダムス本が、よく売れていて版を重ねていたのも事実だ。まして、古代帝國軍総統・万師露観氏など、誰がどう見ても「弱い者」ではあるまい。
 abさんがこうしたメジャーな人たちをみんな無視し、僕がいじめたという「弱い者」として、三上晃氏の名前しか挙げていないのは興味深い。五島勉氏や矢追純一氏らの名前を挙げたら、自らの論旨が崩壊してしまうことに気づいているのだろう。
 基本的な知識を解説しておく。本が出版された時に著者に入る印税は、定価×発行部数の10%が普通。つまり1000円の本が増刷を重ねて10万部出版されれば、著者には1000万円が支払われるわけである。(厳密には源泉徴収されるので、これよりも少し少ない)
 五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』の公称発行部数は250万部、初版の定価は680円だったから、五島氏はこの1冊で約1億7000万円の収入を得たはずである。その後も『大予言』シリーズの続編やタイトルに『ノストラダムス』と書いている本を14冊も出していて、発行部数の総計は600万部を超えている。
 abさんは僕を「それをネタに本を出して金稼ぎに利用してた分、下手ないじめっ子よりタチが悪いです」と非難する。しかし、トンデモ本の著者たちがデタラメな内容の本を書いて大金を稼いでいることについては、なぜか目をそむけている。

「でも三上晃氏が弱者なのは事実だろう!?」と反論されるかもしれない。確かにその通り。しかし、僕らが弱者だけを狙って批判していたわけではないのも、明白な事実だ。
 僕は『トンデモ本』シリーズで取り上げる際、相手が有名人だろうと無名の人だろうと、金持ちだろうと貧乏だろうと区別しなかった。無名の人だから手を抜くなんてことはしたくなかった。
 また、abさんは僕がこういうことを書いていることは知らなかったようだ。『トンデモ本の逆襲』の「長いあとがき」である。(『逆襲』は読まなかったのかな?)


 どうか誤解なさらないように、催は三上氏が嫌いなわけではありません。それどころか、文章からにじみ出るお人柄にとても好感を抱いています。まだお会いしたことはありませんが、きっといい人に違いないと確信しています。実際、三上氏に会った人は口を揃えて「いい人だ」と言っておられます。
 三上氏を取材したある方の話によれば、三上氏はと学会が送った「日本トンデモ本大賞」の賞状をとても大事にされており、嬉しそうに見せびらかしておられたとのこと。お送りした甲斐があったと、僕は心の底から喜んでいます。
 ただ、「いい人」=「正しい人」とは限らないところが、世の中の悲しいところであり、面白いところでもあります。
 いくら三上氏がいい人であっても、「太陽黒点は大森林地帯だ」とか「原発から来た電気は放射能を帯びている」とかいう説に対しては、僕は「そりゃ違うよね」と言わざるを得ないのです。なぜなら、ここで「そのとおりです」と言ってしまったら、嘘をつくことになってしまうからです。三上氏がどれほど真剣に研究しようと、後援会のみなさんがいかに三上氏を崇拝しようと、太陽が熱いという事実は動かせないのです。
 三上氏の誤りを指摘することが三上氏に対する侮辱になるというのなら、「現代の天文学はすべて間違っている」と主張することは、まじめに研究している世界中の天文学者に対する侮辱になるということもお忘れなく。

 また、僕がトンデモさんたちに対してどんな感情を抱いているかも示しておく。『トンデモ本の世界V』(2007)のあとがきである。

 普通の人とトンデモさんの間に明確な境界線があるわけではない。人は誰でも(僕やあなたも)、根拠のないトンデモ説にハマってしまう可能性がある。僕自身、本やネットで勉強するうちに、これまで自分が信じていたことが間違いだと知らされて驚いた経験が何回もある。おそらくあなたも、気がつかないうちに、トンデモ説のひとつやふたつは信じてしまっているはずだ。
 言うならば、僕らはみなトンデモさん予備軍なのである。

 トンデモ本研究というのは、単に間違っている人を笑い飛ばすものではないと、僕は思っている。トンデモさんたちを自分とは違う人間だと思ってはいけない。自分も彼らと同じ人間であり、いつ同じような間違いを犯すかもしれないと常に警戒しなくてはいけない。
 他の人の間違いを参考にして、他山の石とすべきなのだ。

  
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2016年11月18日

『この世界の片隅に』

>「ああ、そうだ。理屈じゃ分かるんだよ。人の死を悼むべきだっていうのは。でも、無理だ。人は数字には感情移入できないものなんだ。“二七四〇”なんて数字にはな──たとえそれが人の命の数であっても。
> 大和に限ったことじゃない。東京大空襲で一〇万人が死んだとか、広島と長崎に落とされた原爆で二〇万人以上が死んだとか、ホロコーストで六〇〇万人以上のユダヤ人が死んだとか、僕らは知識としては知ってる。確かにものすごい数字だ。惨劇だ。でも、いくら大きくても、数字じゃ人の心は動かされない。人が衝撃を受けたり恐怖したり涙を流したりするのは、大量虐殺やそのデータに対してじゃない。『アンネの日記』や『はだしのゲン』や『火垂るの墓』のような、個人のミニマムな視点の物語だ」

(中略)

>「お前はノンフィクションを何よりも重視すべきだと思ってる。もちろん事実を多くの人に正しく伝えることは大切だ。でも、それだけじゃだめなんだ。事実の羅列だけじゃ、人の心は動かせない。そうだろ? 戦争の悲惨さを理解するには、史実が語っている衝撃の大きさを、胸に感情として刻みこむことが大切なんじゃないか? 犠牲者数とかのデータとしてじゃなく、感情として。
 それにはドラマが必要なんだ。心を揺さぶるドラマがな」
──『BISビブリオバトル部 幽霊なんて怖くない』より

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「反戦作品は『戦争反対!』と大声で叫ぶべきじゃない」というのが僕の持論である。
 なぜなら、戦争体験をリアルに描くだけで、十分に「反戦」になるはずだからだ。それ以上のメッセージは蛇足だ。

 戦争というと、僕らは空中戦、海戦、戦車戦などの派手な場面を思い浮かべてしまう。しかし、実際の戦争では、戦場で兵士が戦っている時間はごくわずかだ。ほとんどの時間、戦う以外のことをやっていた。塹壕を掘ったり、飯を食ったり、野戦病院で治療を受けたり、次の命令が来るのを待つ間、戦友と無駄話をしたり……。
 また、太平洋戦争の場合、戦没者の半数以上は、戦闘ではなく、飢餓や病気で死んでいたと言われている。
 そしてもちろん、戦場の兵士よりも、後方にいた非戦闘員の方がはるかに多い。彼らもまた「戦争体験者」なのだ。

 僕はリアルじゃない戦争映画──娯楽のための戦争映画はあっていいと思っている。『青島要塞爆撃命令』とか大好きだし。 もちろん『ガルパン』とかも。
 でも、そうした派手な娯楽映画のイメージで戦争を理解するのは間違いだ。武器を手に敵と戦うことは、「戦争」という巨大な現象のごくごく一部にすぎないのだから。
「戦争体験者」のほとんどが、実際に武器を手に戦った人ではなく、ごく普通の一般人なのだから。

 僕のもうひとつの持論は、
「どんなに栄養のある料理でも、不味ければ誰も食べない」
 というものだ。

 娯楽性とテーマ性(この場合は「戦争」)は、相反するものではない。それどころか、多くの人に知ってほしいシリアスなテーマが秘められている作品こそ、面白いものでなくてはならないと思う。
 作り手がどんな重いメッセージをこめていても、その作品自体が面白くなかったら意味がない。つまらなくて誰も観ないのでは、メッセージは伝わらない──当たり前のことだけど。

『この世界の片隅に』が素晴らしいのは、「面白い」ということだ。

 昭和19年、軍港の町・呉に嫁いできた18歳の女性・すずさん。絵を描くのが趣味。いつもぼーっとしていて、ドジで、危なっかしい。でも陽気で働き者。戦争の影響でしだいに生活が苦しくなっていく中で、けなげに生き続ける。
 もちろん悲惨なシーン、泣かせるシーンはあるんだけど、感動の押し売りをしてこない。笑いもあるし、ほんわかと暖かくなるシーンもある。
 この物語には、歴史上の著名な人物なんて、1人も出てこない。すずさんはただの主婦にすぎず、歴史の流れに流されてゆくだけ。英雄でも悪人でもない、どこにでもいる善良な女性の人生が、ユーモアを交えて、淡々と描かれてゆく。
 特にいいのは、軍艦の絵を描いていたら、間諜(スパイ)と間違えられて憲兵に吊し上げられるというくだり。他の作品ならシリアスな場面になるはずなのに、それをギャグにしてしまうのには恐れ入った。
 戦時中にも、ごく普通の日常は続いていた。そこには苦労もあったけれど、愛があり、笑いがあり、ささやかな幸せがあった。
 その日常が、少しずつ、少しずつ歪んでゆく。
 特に後半、運命の日──昭和20年8月6日に向けて時間が進んでゆくあたりは、もう観ながら苦しくて苦しくてしかたがなかった。

 この作品の特徴は、あくまでこの時代を生きたすずさんの視点から描かれていること。この手の作品にありがちな反戦キャラクター──後世の人間の視点から、当時の日本を批判する奴がいないこと。
 だってそんなメッセージ、必要ないから。
 何の罪もない人間のささやかな幸せが壊されることの残酷さ。それを描くだけで、十分すぎるほど強烈なメッセージだから。

 監督の片渕須直氏は、あの残酷描写満載のバイオレンス・アニメ『BLACK LAGOON』を作った人。でも、この作品では、残酷描写を封印している。
 主要登場人物の何人かは死ぬのだが(誰が死ぬかはネタバレになるので書かない)、どれも間接的に、あるいは伝聞で描かれているだけ。死の瞬間を見せない。
 そういう意味では、子連れでも安心して見に行ける映画である。
 言ってみれば、誰でも入りやすいように、間口が広く作られている。

 だが、直接描写されていなくても、十分すぎるほど残酷だ。
 たとえば原爆投下のシーン。その破壊力をストレートに描かない。呉の人たちが最初、遠くの閃光にだけ気がついて、「雷?」とかのんきなことを言っている、その怖さ。その瞬間、すでに広島では何千という人が死んでいるというのに。
 あと、映画の終わり近く、生き残ってすずさんと再会したある人物が、自分の腕を見せるシーン。作中では何の説明もないし、すずさんも意味を理解していないのだけど、観客としては何が起きたか分かってしまうわけで、衝撃で思わず胸が詰まった。
 
 大阪のテアトル梅田で鑑賞。朝一番で行ったんだけど、開館前からすでに劇場の前には行列が。僕が入った時点では空席が10席ぐらいしかなく、それもすぐに埋まって、立ち見が出ていた。観客は年配の人が多い印象だった。
 EDクレジットの最後にずらりと並ぶ3374人の名前。パイロットフィルム製作のための費用を集めるクラウドファンディングに協力した人たちだ。僕もその一人。片渕須直氏が新しい映画を作ると知り、きっと傑作に違いないと確信して協力させていただいた。それは十分すぎるほど報われた。
 スクリーンで自分の名前を探したけど、多すぎて見つけられなかった(笑)。後でパンフレット見たらちゃんと載ってました。

 上映終了後、自然に客席から拍手が起きた。僕も拍手していた。後でツイッターで見ると、他にも拍手の起きた劇場はいくつもあったらしい。
 これは拍手に値する作品だから。

 なるべく予備知識なしに、白紙で観たかったので、原作を読むのは封印してたんだけど、映画館から出て即座に隣のジュンク堂書店に行き、原作全3巻を買った。
 映画のストーリーがきわめて原作に忠実であることが分かった。ただ、リンさんがらみのエピソードがごっそり省略されていたのが残念。まあ、上映時間の関係でしかたがないんだけど(今でさえ129分あるから、これ以上長くできない)。
 そのへんは原作を読んで補完すべきだろう。メモ帳の一部が四角く切り取られてたのはそういう意味だったのか。なるほど。

追記:
 町山智浩氏による解説。ネタバレを避けつつ、注目すべきポイントを的確に指摘している。

町山智浩 『この世界の片隅に』徹底解説
http://miyearnzzlabo.com/archives/40487

 この解説読むまで、「悲しくてやりきれない」という歌にこういう背景があったことをすっかり忘れてた。いろいろ意味深だなあ。
  


2016年11月18日

僕たちの好きだった80年代アニメ Part.4

山本弘のSF秘密基地LIVE#63
僕たちの好きだった80年代アニメ Part.4

 1980年代──アニメがまだセルに描かれていた時代。でもストーリーや表現の面では、急速に新しい波が押し寄せ、激動の時期を迎えていました。
 山本弘と鋼鉄サンボ、いい歳してアニメが大好きな二人が、あの時代を振り返り、様々な作品の思い出話や裏話、マニアックなトリビアを熱く語りまくるという連続企画。時代は1985年に突入。OVAも爆発的に増加。いよいよあの作品やあの作品も登場します。あなたも懐かしさと恥ずかしさをこめて振り返ってみませんか?


[出演] 山本弘、鋼鉄サンボ

[日時] 2016年11月25日(金) 開場・19:00 開始・19:30

[会場] なんば紅鶴(大阪市中央区千日前2-3-9 レジャービル味園2F)南海なんば駅より南海通り東へ180m・駐車場有

[料金] 1500円  
(店内でのご飲食には別途料金がかかります。入場時に別途ワンドリンクをご購入いただきますのでご了承ください。

 詳しい情報、およびご予約はこちらへ。
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=109171105

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 このシリーズ、もう3回やったんですが、ようやく1985年にまで到達しました。まだ半分か!?(笑) あと3回ぐらいはやらなくちゃいけないみたいです。
 でもね、自分で言うのもなんだけど、こうやって昔のアニメの話をするのってすごく面白い! 劇場アニメ、TVアニメ、OVAを各年ごとに振り返ってゆくんですが、「そうそう、この年にこれが公開されたんだよね」とか「あったあったこんなビデオ!」とか、懐かしさでいっぱいです。『軽井沢シンドローム』の最初のやつは、シャワーシーンになると実写になるんだけど、不評だったので後で全部アニメになったバージョンが出たとか(笑)、こんな話なんかいくらでもできます。
 だいたいほとんど打ち合わせせずにアドリブで話すんですか、今回は話しているうち、僕も鋼鉄サンボくんも『マジカルエミ』のファンだったことが判明。
「何も起きない話がいいよねー」
 と、意見が一致しました。
 知らない人は信じられないかもしれないけど、『マジカルエミ』はたまに大きな事件が何も起きない日常描写だけの回があって、それが下手にドラマのある回より面白いんですよ。普通に日常描写だけで30分、退屈させずに見せちゃう。後で出たOVA『蝉時雨』もやっぱり何も起きない話で、「これが『エミ』だよね!」と大満足でした。

 あとね、この時代でいちばん日本のアニメ界に最も衝撃を与えた作品は『トランスフォーマー』じゃないかという気がします。
 だって『エルガイム』とか『Zガンダム』とか『ボトムズ』とかが当たってた頃ですよ? 巨大ロボというのは人が操縦する兵器で、ロボットアニメはシリアスな戦争ものが常識だった時代(『超力ロボ ガラット』なんてギャグ作品もあったけど、いまいち受けなかった)に、いきなり口をもごもご動かして喋るロボットがアメリカからやってきた衝撃ときたら!(笑) カルチャーショックでした。
 当時、ハマりましたよ、『トランスフォーマー』。同人誌出しちゃったぐらいで。デタラメな話ばっかりだったんだけど、逆に「アニメってこんな自由で良かったんだ!」と思い知らされた気がします。TFがなかったら、のちの勇者シリーズとかもなかっただろうし。ロボットアニメの流れを劇的に変えたという気がします。
 さあ、次はいよいよ『ポップチェイサー』あたりが出るかな……。
  


Posted by 山本弘 at 20:00Comments(1)PRアニメテレビ番組

2016年10月12日

弱者が常に正しいわけじゃない

 前の記事からの続き。
 なぜ僕がこの映画を純粋にアニメ映画として観てほしいかというと、2013年、原作の最初の読み切り版が『別冊少年マガジン』に載った時、Toggeterでこういう意見を目にしたからである。

求めていたのは和解ではなく拒絶~普通学校で虐められた聴覚障害者が読んだ聲の形~
http://togetter.com/li/459715

 僕もあの読み切り版の結末については不満があった。展開が唐突すぎて、安直に感じられたからだ。(そのへんは連載版や、今回の映画版でかなり改善されている)
 しかし、このマンガに不満を持つ人たちの意見を読んで、愕然となった。

>いっそ転校したあと、クラス全員がバス事故で死ぬくらいでないと納得行かない部分はあるよねw

>@kurage313 @ChromeTzahal もしくは少女がイジメのエスカレートで殺されるも、隠蔽されてしまう。残された両親はある男に依頼する。ってノリでクラス全員射殺されて「いじめ問題は日本において~」ってナレーションが流れてだな

>結局のところ、ひどい健常者と良い子な障害者という構図はお腹いっぱいなんですよ!ギャングスタみたいに惨殺するろうとかが俺はもっと見たいんです!です!

>唐突に宇宙からの怪音波が地球上に流れて、クラスメイト全員憤死してヒロインだけが生き残り、補聴器捨てられたおかげだ、主人公君ありがとう…ってラストがよかたよ

>おい、早くコラでコブラが現れていじめっ子やクソの担任をサイコガンでぶちのめす奴はよ


 いやいやいや、そりゃだめだろ!
 ギャグ作品ならともかく、あのリアルな世界観の話に、そんな現実離れした結末つけたら、話が台無しになっちゃうだろ!
 あの結末に不満があるのは分かる。でも、出てきた代案がどれも原作以上に現実離れしたものばかりってどういうこと? それこそまさに現実逃避じゃないの?
 僕はその時、思ったんである。「ああ、素人は創作という行為をこんなに安直に考えているのか」と。
 ストーリーのつじつまとか世界観とかテーマ性とかはどうでもよくて、とりあえず自分の個人的なうさが晴らせたら満足なのか。
 でも、そんなのは創作じゃないんだよ。

 あと、なぜか硝子を無抵抗で心優しいだけの天使のようなヒロインだと思いこんでいる人が多いのが不思議。
 硝子が将也に飛びかかって、取っ組み合いのすごい喧嘩をするシーンが、記憶から飛んでるんだろうか? 僕はあのシーンがいちばん印象に残ったんだけど。
 言葉が不自由なせいで、うまく自分の意思を表現できなかった硝子だけど、実は内に激情を秘めていたことが分かる──まさに「障碍者も普通の人間だ」ということが示された場面だったから。

 今回の映画でも、こんな意見を目にした。

『聲の形』はいじめっこ向け感動ポルノなのか
http://togetter.com/li/1027520

>「聲の形」観た。これは悪質な加害者救済物語。周囲にさまざまなクズを配置することによって相対的に主人公がマシにみえるようにしてるし、主人公を筆頭にさまざまなクズひとりひとりが最終的に救われる構図だし、聴覚障碍者の子はそのためだけに存在している。物語の道具であり健常者の道具でしかない

 同様のことを書いている人は多い。いじめの加害者である主人公が救われるのが許せない、というのだ。
 ……あのですね。
 僕も子供時代にいじめられてた一人だから言わせてもらうけど、そういう言い方はものすごく危険だよ?
 もちろん、自分をいじめた人間を「許さない」と思う心理は理解できる。僕もそうだから。
 でも、この場合は違う。主人公の将也は確かに最初は硝子をいじめていた。でも、その後でいじめられる側に転落した。そして自分のやったことを反省する一方、自殺を考えるところまで追い詰められてしまった。
 つまり、この物語を否定する人たちは、いじめに遭って自殺寸前まで追い詰められた少年を、「許してはいけない」「救われてはいけない」と主張しているわけである。
 それ、まさに「いじめ」じゃないの?

 他にもこの人、こんなことも書いている。

>あとこれ「君の名は。」もそうだったんだけど、ヒロインが内股。いらっとする。べつに内股の女にいらっとするってわけじゃない。ヒロインを内股にする男の作者の女性観に超絶いらっとするんだよねー。

『聲の形』は原作者も脚本家も監督も女性です!
 内股の女性の絵を見ただけで、「作者は男性」と思ってしまうのって、それこそ性差別意識じゃないのか?

 僕は前にこういう文章を書いた。

いじめ問題:やっぱりこんな事件が起きていた
http://hirorin.otaden.jp/e244973.html

世の中にはこんなにも異常者が多い、という話
http://hirorin.otaden.jp/e247570.html

 繰り返すが、僕はいじめ被害者である。
 だからこそ言うが、いじめ被害者たちの主張が常に正しいわけじゃない。
 理想を言えば、いじめなんてものが根絶されることがいちばんいい。いきなり根絶は無理にしても、少しでも被害者を減らすべく努力するべきなのだ。
 しかし、世の中には、いじめ加害者や事件の関係者を殺していいとか、事件と無関係な人に冤罪を着せ、いくら迷惑かけてもかまわないとか思っている人間がいる。被害を少なくするどころか、かえって被害を拡大しようと願っている。
 僕はそんな考えを絶対に容認しない。
 はっきり言うが、そんな思想は「悪」だ。 自分がいじめられていたからって、悪に加担してはいけない。

 ちなみに、『僕の光輝く世界』の第1話は、2012年のこの一件をヒントにしている。
 主人公をいじめ被害者と設定したうえで、いじめを憎む世間の人々の歪んだ正義が暴走し、悲劇を生む様を描いた。
 そんなことが起きてほしくないから。


https://www.amazon.co.jp/dp/4062188465   


Posted by 山本弘 at 19:25Comments(12)社会問題アニメ

2016年10月12日

映画『聲の形』

 公開直後に観てきました。

 これは声を大にして言いたい。「この作品は純粋にアニメ映画として評価してほしい」と。
 変な色眼鏡で観ないでほしいし、ましてや観もしないで悪評立てないでほしい。

 とにかく出来がいいんだよ!
『けいおん!』『たまこまーけっと』『中二病でも恋がしたい!』『響け! ユーフォニアム 』などを手がけてきた山田尚子の、現時点での最高到達点と呼びたい作品。
 全編、人と人の心理的距離を、画面上の距離で表現するという手法が駆使されていて感心する。観てて今この二人がどれぐらい心理的に近づいているか、あるいは離れているかが、サブリミナル的に観客に理解されるようになっているのだ。
 だから、その距離を無視して強引に接近してくる植野や永束の不快感が、ストレートな不快表現を用いることなく印象づけられる。特に、将也の自転車の荷台に乗ってくる植野! 顔も声もかわいいのに、すっごく不快なの!
 永束の場合も、悪い奴ではないんだけど、他人との正しい距離が理解できないせいでみんなから嫌われてるんだというのが、やはり説明なしでもよく分かる。つーか、こいつ、昔の自分を見るようですごく痛いんですけど(笑)。
 将也と結絃の傘越しの会話(この時点では、結絃は将也のことを許していない)とかも、傘が「心の壁」を表現している。
 あと、二人の人物が向かい合って話しているシーンでも、心がつながっていないと、一人称視点で相手の首から下しか描かない。相手の顔をまともに見ていないわけである。わざわざキャラクターの表情を描くまでもなく、心理が伝わるのだ。
 原作でも、将也が他人を拒絶している状態を、相手の顔の上に×を描いて表現していたけど、この映画でも同様に、キャラクターの心理を、台詞による説明や表情でストレートに描くんじゃなく、演出(特にレイアウト)で表現してるんである。
 なぜかというと、もちろん、主要キャラクターである硝子が言葉が不自由だから、台詞に頼ることなく心情を表現することに重点を置いているからだろう。
 個人的にすごく印象に残ったのは、硝子がベッドの上で足をばたばたさせるシーン。足しか描いてないのに、彼女の心理が伝わってきて、すごくかわいくて笑っちゃうの! 何この高等テクニック(笑)。

 他にも、「さすが京アニ」と感心するカットが多数。最初の方の、将也がただ歩くシーンの短いカットでも、「うわっ、すげっ」と驚いたし。
 何度も出てくる水中シーンなんかも、『Free!』のノウハウの蓄積を感じさせた。
 リアルな設定の作品だが、おそらく実写化したってこれほど面白くはなるまい。アニメならではの快感である。

 あと、硝子役の早見沙織さんの演技にも拍手を送りたい。難しい役なのに、よくぞこなした。かなり練習したんだろうなあ。

 無論、100点満点とは言わない。全体に話が偶然に頼りすぎているのが気になる。知っている人間と街でばったり出会うことが多いのだ。
 特に後半、将也が入院するくだり(ネタバレになるので理由は書かない)は、かなり展開に無理があって、このへんはもっと自然な展開はなかったのかなあと思ったりもする。
 でも、その後のクライマックス、学園祭のシーンが、やっぱり快感なんである。

「いじめ」や「身障者差別」を扱った物語だが、そうした限られた側面だけを見ないでほしい。どうか物語全体を見てほしい。
 小学校時代、いじめを受けていた少女と、その家族。いじめの加害者側から被害者側に転落した少年と、その家族。今もいじめを受けている者。かつて自分がやったいじめを反省していない者。いじめの自覚がない者。そんな過去があったことを知らない者……それぞれの視点で描かれる。
 どの視点が正しいか、ということはない。原作者も監督も、安直な結論を出してはいない。将也が結論めいたことを口にしたら、あっさり否定されたりする。
 現実に存在する問題に、安直な結論を出してはいけないからだ。

 個人的には、悪役である植野が罰せられていないことに、逆にリアリティを覚えた。
 彼女が何らかの罰を受けていたら、勧善懲悪の物語にはなってはいただろうが、リアルな話にはならなかっただろうから。

  


2016年10月07日

そろそろ『シン・ゴジラ』の感想を書く

 もうかなりの人が観ただろうから、ネタバレを恐れずに『シン・ゴジラ』の感想を書いてもいいかと思う。
 もっとも、主なところはすでに多くの人が指摘しているのだが……。

 まず、過去作品へのオマージュ。
『ゴジラ』(84)をはじめ、『日本の一番長い日』や『エヴァンゲリオン』、『ナウシカ』の巨神兵などとの類似については、すでに多くの人が語っているけど、意外に『ゴジラ対ヘドラ』の名を挙げる人が少ないように思った。
 だって、第一形態、第二形態、第三形態……と姿を変えて上陸してくるって、明らかにヘドラがヒントでしょ?
 だから、ゴジラがさらに進化して飛行能力を有するようになるかも……という説明で、戦慄したんである。「今度のゴジラ、飛ぶの!?」と。
 だって、蒲田くんからの劇的な変態を見せられたら、もう一段階の変態ぐらいはアリだと思っちゃうよ。まあ、大半の観客はそこまで行くとは思ってなかっただろうけど、『ゴジラ対ヘドラ』を知ってる人間にとっては、ゴジラが飛ぶというのは、冗談抜きで、十分にありえることに思えたのだ。特撮ファンだけに通じるミスディレクションかも。
 まあ、さすがに空を飛ばれたら、もう手の打ちようが何もなくなっちゃうからね。

 あと、攻撃を受けるたびにそれに反応して強くなる怪獣というと、『ウルトラマン』のザラガスが有名だけど、僕はむしろ『ウルトラマンマックス』のイフを連想した。あの「何をやっても無駄」「世界はもう終わりかもしれない」という絶望感は、『シン・ゴジラ』に通じるものがあると思う。

 僕が感心したのは、これまでの怪獣映画のどれよりも、自衛隊の兵器が正しく運用されていたこと。
 僕も『MM9-invasion-』を書いた時に、東京のど真ん中にいきなり宇宙怪獣が出現したら、自衛隊はどう対応するかを考えた。まず戦車は出せなかった。あの短時間で地上部隊は展開できないから。だから航空戦力中心。
 この映画でも、最初にゴジラに立ち向かうのはアパッチ。30ミリチェーンガンとかヘルファイア対戦車ミサイルとか70ミリロケット弾だとかを撃ちまくる。
 これまでの怪獣映画って、戦車や自衛艦が怪獣に近づきすぎてやられるシーンがよくあって、「そんなに近づいちゃだめだろ」っていつもツッコんでた。この映画ではゴジラの尻尾に叩き落とされないよう(この時点ではまだ、ビームを吐くことは分かっていない)、ヘリは十分に距離を置いて攻撃していて、「ああ、そうそう、これが正しいんだよね」とうなずいてた。
 個人的にすごく嬉しかったのは、二度目の上陸の時に登場したMLRS(多連装ロケットシステム)! 『MM9-invasion-』でも怪獣にとどめを刺すために出したけど、たぶん今の陸自の兵器の中で最強。怪獣の動きが鈍ったところで、遠距離からM31を撃ちこむというのは、まったく正しい運用だ。
 まあ、それでも倒せないのがゴジラなんだけど。

 もうひとつ、僕がこれまでの怪獣映画で、ずっと不満に感じてた点がある。
 それは人間ドラマの部分が、怪獣の大暴れするシーン(以下、便宜上、「怪獣ドラマ」と呼称する)と関係ないことが多いということ。

『地球最大の決戦』のサルノ王女暗殺計画とか。
『宇宙大怪獣ドゴラ』の宝石強盗団とか。
 それ怪獣の話と関係ないだろ! というストーリーがよくあったわけですよ。
『ガメラ対バルゴン』のニューギニアのくだりとかも、無意味に長いよね。

 怪獣ものじゃないけど、『日本沈没』(2006)の、これから死を覚悟の任務に向かおうとする草彅剛と柴咲コウのラブシーンも、むちゃくちゃ長かった。もう観てていらいらして、「お前、さっさと死んでこい!」と言いたくなるぐらい(笑)。
 だって『日本沈没』で観客が見たいのはスペクタクルでしょ? ラブシーンが見たいなら他の映画でもいくらでもあるじゃない。なんで『日本沈没』でそんなところに尺取らなくちゃいけないの。自分たちが何の映画を作ってるのか分かってないの?

 しかも日本の映画だからこれぐらいで済んでるんであって、海外の昔の怪獣映画はもっとひどい。『原始怪獣ドラゴドン』なんて、尺の大半が単なる西部劇だ(笑)。

 最初から最後までずっと怪獣を暴れさせ続けるのは、予算がかかりすぎるし、観客もダレる。だから、「人間ドラマ」で尺を埋める。そこまではいい
 でも、その埋め方がまずいと、怪獣ドラマと人間ドラマが乖離してしまう。
 とは言っても、怪獣が現われたら普通、一般人は逃げちゃうからね。「怪獣ドラマ」と「人間ドラマ」は両立させるのが難しい。
『クローバーフィールド』や『グエムル』では、怪獣がいる場所に愛する人が取り残されていて、それを助けるために一般人が怪獣に接近するという構成になっていた。でも、そんな手は何度も使えない。

『MM9』では、「怪獣対策を練るチーム」という設定にして、登場人物たちが怪獣とからむ必然性を作った。
 読んだ方ならお分かりだろうけど、『MM9』の中での気特対の日常描写は、ほんとに必要最小限。たとえば、さくらがプライベートで何やってるかなんて、まったく描かれていない。これ以上削ったらスカスカになるというところまで削ってある。
 何でかというと理由は簡単。怪獣ものの主役は怪獣だから。怪獣と関係のない日常描写は、『MM9』の本質からはずれる。 だからなるべく描かない。
 怪獣ものにおける「人間ドラマ」というのは、あくまでフレーバー、料理で言うなら隠し味のスパイスでなくてはいけない。それがなかったらつまらないけど、ありすぎると邪魔になる。

 たとえば『MM9-invasion-』のヒメと一騎のラブコメ展開にしても、ちゃんと分析していただければ、すべて、スカイツリーと雷門でのバトル、皇居でのリターンマッチを盛り上げるためのお膳立てであることが分かるはず。怪獣もののメインはあくまで怪獣の大暴れのシーンであって、「人間ドラマ」はそれに奉仕するためにあるんである。
 もちろん僕は怪獣映画に「人間ドラマ」は不要だとは思っていない。料理を美味しくするためのスパイスは必要だから。
 でも、塩を入れるべき料理に砂糖を入れるような、「スパイスの入れ間違い」は勘弁してほしい。
 あと、スパイスを料理の本命の食材だと思いこむのも勘弁してほしい。

 そのへんを誤解したのがドラマ版の『MM9』。スパイスが美味しいからといって、スパイスだけで料理を作ろうとした。そりゃあ美味しくなるわけがないよ。

『シン・ゴジラ』のいいところは、ゴジラの大暴れとその対策だけに絞りこんだこと。
「映画には人間ドラマがなくてはならない」というのは錯覚だ。いや、人間ドラマがある映画ももちろんあっていいけど、そんなもん無くていい映画もある。
 男女の愛とか、親子の愛とか、犯罪とか、社会批判とか、そんなものはこの映画に要らない。無駄な尺を取るだけだ。主役はゴジラ。それ以外の要素、つまり「人間ドラマ」はフレーバー。そう割り切って作られている。
 樋口真嗣監督は、『日本沈没』や『MM9』だけでなく、『ローレライ』や『進撃の巨人』など、同じ失敗を繰り返してきた人だ(上からの要望を断れない人だと言われてる)。今回の成功は、やはり脚本と総監督を手がけた庵野秀明氏の功績だろうと思う。

 だから「この映画には人間ドラマがない」という批判に対しては、こう開き直るべきだと思う。

「それがどうしたの? だってげんに怪獣映画として面白いでしょ?」

 あと、もうひとつ。切実なお願い。これは『シン・ゴジラ』に限ったことじゃないけど、作品に余計な意味を読み取らないでほしい。製作者が意図していなかったり、あるいはわざわざ排除した要素を、勝手につけ加えないでほしい。

シンゴジラで民衆がコールをするシーンは「ゴジラを倒せ」か「ゴジラを守れ」かどっちなのか!その真相は意外にも?
http://togetter.com/li/1033468

 ↑これなんかまさにそれ。
 庵野総監督はこの映画を、右にも左にも偏向しないように配慮して作っている。露骨なイデオロギーなんか入れたら作品がつまらなくなると分かっているからだ。
 なのに、何でわざわざ偏向した意味をつけ加えなきゃいかんのだ。
 つーか、怪獣映画をそんな観方して面白いの?
 素直に「怪獣ドラマ」を楽しめ。頼むから。
 
  


Posted by 山本弘 at 21:42Comments(15)特撮映画最近観た映画・DVD

2016年10月07日

僕たちの好きだった80年代アニメ Part3

山本弘のSF秘密基地LIVE#62
僕たちの好きだった80年代アニメ Part3

 1980年代──アニメがまだセルに描かれていた時代。でもストーリーや表現の面では、急速に新しい波が押し寄せ、激動の時期を迎えていました。
 山本弘と鋼鉄サンボ、いい歳してアニメが大好きな二人が、あの時代を振り返り、様々な作品の思い出話や裏話、マニアックなトリビアを熱く語りまくるという連続企画。
 前回は1983年まででしたが、いよいよOVAも台頭してきて、いっそう混迷の度を深めます。どんな話題が飛び出すのか、あなたも懐かしさと恥ずかしさをこめて振り返ってみませんか?


[出演] 山本弘 鋼鉄サンボ

[日時] 2016年10月28日(金) 開場・19:00 開始・19:30

[会場] なんば紅鶴(大阪市中央区千日前2-3-9 レジャービル味園2F)(地図)南海なんば駅より南海通り東へ180m・駐車場有

[料金] 1500円  
(店内でのご飲食には別途料金がかかります。入場時に別途ワンドリンクをご購入いただきますのでご了承ください)

予約申し込みはこちらへ
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=108065145


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 いつもの企画です。これまで2回やったのに、まだ1983年までしか進んでいないんですよね。とにかく話すことが多すぎて……。
 ちなみに83年は最初のOVA『ダロス』が発売された年で、翌84年からどどっとOVAが増えてきます。『バース』『街角のメルヘン』『魔法の天使クリィミーマミ 永遠のワンスモア』がこの年。
 84年の劇場アニメでは『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』『風の谷のナウシカ』『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『SF新世紀レンズマン』『少年ケニヤ』。
 TVアニメでは『重戦機エルガイム』『機甲界ガリアン』『巨神ゴーグ』『超力ロボ ガラット』『ビデオ戦士レザリオン』『ゴッドマジンガー』『超時空騎団サザンクロス』『星銃士ビスマルク』『夢戦士ウィングマン』『北斗の拳』『魔法の妖精ペルシャ』『とんがり帽子のメモル』『名探偵ホームズ』……うわー、なんかほとんど観てる(笑)。特に、あまり語られることのない『レザリオン』や『メモル』あたりを、熱く語ってみたいと思ってます。
 うーん、このペースだと、完結するまであと3回か4回は必要かな……。
  
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Posted by 山本弘 at 17:33Comments(3)PRアニメ

2016年10月07日

ホームページのURLが変わりました

 長らく利用してきたニフティの@homepage(アット・ホ ームページ)が11月10日でサービス終了するのに伴い、ホームページを移転いたしました。
 ブックマークされている方は変更をお願いします。

http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/

 現在のおすすめの記事はこのあたりです。

BISビブリオバトル部 解説
http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/bibliobatllebu01.html

BISビブリオバトル部 翼を持つ少女 
登場作品リンク集
http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/bibliobatllebu02.html

BISビブリオバトル部
BB部の本棚
http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/bibliobatllebu03.html

BISビブリオバトル部
埋火家のSFコレクション
http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/bibliobatllebu04.html
  


Posted by 山本弘 at 17:05Comments(2)PR

2016年09月14日

星新一『きまぐれ星からの伝言』

 こちらの本も紹介しておきますね。

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星新一『きまぐれ星からの伝言』(徳間書店)
徳間書店 1944円


 誰もが楽しめる小説を書き続け、その発想力がいまだ読者に生きつづけている作家・星新一。今年2016年は、1926年9月6日に誕生した彼の生誕90年にあたる。
 SF作家としてデビューした星新一作品は、かつてはシャレた大人の読み物とされたが、いつしか小中学校の教科書や児童書として多用され、子供たちのための小説の面白さの入門篇ともなっている。
 しかし、科学技術が進化し、SF的な発想が一般化した今だからこそ分かる星新一のすごさ。
 本書は「生誕90年記念」と銘打ち、これまで書籍未収録であったものを多く集め、さまざまな角度から「星新一」というワン・アンド・オンリーな作家をクローズアップしていきます。
 単行本未収録エッセイをはじめ、初収録となる対談やインタビュー、若き日の翻訳や講演録に、埋もれた傑作小説をセレクト。アンケート回答、にSF雑誌・同人誌に星新一が寄せたお便り、日本SF大会へのメッセージなどのレアトラックから、最前線で活躍中の15人の作家たちによる、星新一名作群への書き下ろし解説(長谷敏司・酉島伝法・牧野修・飛浩隆・谷甲州・恩田陸・宮内悠介・森岡浩之・藤崎慎吾・小川一水・新井素子・山本弘・北野勇作・池澤春菜・藤井太洋)まで。
 星新一のファンならかならず楽しめる1冊です。
http://www.tokuma.jp/topicsinfo?tid=11126
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 僕も『進化した猿たち』の解説を書かせていただいてます。星氏が収集した膨大な量の外国の1コマ・マンガを紹介した本。
 なぜこの本を選んだかというと、僕自身が大好きな本だったこともありますが、「ボッコちゃん」「おーい でてこーい」『声の網』などの有名な作品はきっと誰か他の方が取り上げるだろうと予想したからです。それに1コマ・マンガの収集という趣味も、星氏を語るうえで避けて通れないものだと思いますし。

 再録された作品は、有名な作品を避け、知名度はやや低いけども面白いものが選ばれています。特に僕が気に入ったのは「ミドンさん」。これはすっかり忘れてましたが、確かに面白い。名前以外は何も分からない人物の正体を探る物語で、小松左京「牛の首」を思わせます。でも、すごく上手いし、雰囲気がこれぞまさに星作品という感じなんですよ。
 他にもブラッドベリ作品の翻訳や、インタビュー、座談会、同人誌やSF大会のプログラムブックに載った文章まで紹介されています。
 そうそう、僕の「スタンピード!」や新井素子さんの「あたしの中の……」が佳作になった第一回奇想天外SF新人賞の選考座談会も収録されています。いやー、恥ずかしい(笑)。1978年2月号だから21歳の時だよなあ……。

   
タグ :SF星新一


Posted by 山本弘 at 18:05Comments(1)SFPR最近読んだ本

2016年09月14日

小飼弾の論弾「SF作家 山本弘氏:疑似科学から懐かしのSFまで」

 先のシンポジウムと同じ9月26日の夜、ニコ生にも出演します。

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http://live.nicovideo.jp/watch/lv275020777

小飼弾の論弾 9/26 ゲスト対談:SF作家 山本弘氏:疑似科学から懐かしのSFまで

2016/09/26(月) 開場:19:57 開演:20:00

ブロガー・小飼弾が、プログラマー脳で今時のニュースを一刀両断する! プログラマー/書評家/ブロガーの小飼弾が帰ってきた

社会問題から科学、IT、書評まで、四方八方に語り散らかす120分
小飼弾のプログラマー脳で今時の社会問題を一刀両断、科学・ITの­理系ネタも満載です。

今回は、『MM9』や『アイの物語』などの作品で知られるSF作家 山本弘氏との対談です。
緻密な設定と魅力的なキャラクターが織りなす作品はどうやって生まれるのでしょう。
疑似科学ビジネス批判から、懐かしのSFまで、ディープな話題をお届けします。

【出演者】
○小飼 弾(コガイ ダン)
投資家、プログラマー、ブロガー。株式会社オン・ザ・エッヂ(後のライブドア、現在の­株式会社データホテル)の取締役最高技術責任者(CTO)を務め、同社の上場に貢献。­著書に『弾言』、『「中卒」でもわかる科学入門』、『未来予測を嗤え!』など。
○山路 達也(ヤマジ タツヤ)
編集者/ライター。著作は『アップル、グーグルが神になる日』(共著)、『Googl­eの72時間』(共著)、『弾言』(共著)など。
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 というものです。約2時間、ぶっ続けで話します。同日のシンポジウムの続きで、『アイの物語』などの話もしますし、ASIOSがらみの疑似科学批判の話もします。
 有料ですが、見ていただけるとありがたいです。

  


Posted by 山本弘 at 17:22Comments(0)サイエンスSFPR