2015年01月21日

平井チルドレンに残された大きな宿題

 前にこのブログで、平井和正・桑田次郎『エリート』のすごさについて語った。

http://hirorin.otaden.jp/e271.html

 平井・桑田コンビは、『8マン』や『超犬リープ』でも有名だが、僕が好きな作品のひとつは、『デスハンター』である。〈週刊ぼくらマガジン〉に1969年から70年にかけて連載された長編だ。(のちに平井氏自身の手によって、『死霊狩り ゾンビー・ハンター』と改名されて小説化される)


 デスとは、宇宙からやって来た緑色の不定形生命体。それに憑依された人間は、姿形は変わらないが、不死身の肉体と怪力を有するようになる。
 カーレーサーの田村俊夫は、シャドウと名乗る謎の人物に勧誘され、カリブ海の孤島で苛酷なサバイバル試験を受ける。多くの犠牲者が出る中、生き延びた俊夫、アラブゲリラのリュシール、中国の秘密工作員・林石隆らは、デスハンターに任命される。その使命は、人間社会にまぎれこんだデスを見つけ出し、抹殺すること……。
 とまあ、これだけならよくある話だが、『デスハンター』のすごさは、人間の側の愚かさや残酷さが、これでもかというほどしつこく描写されること。確かにデスも危険だが、作中での死者の多くは、人間同士の殺し合いによるものなのだ。
 後半、人間の愚行をさんざん見せつけられた俊夫は、ついに人類を見限ってデスとなり、人類を糾弾する側に回る。

「人類こそ本当に荒々しく邪悪な生物だっ。
 人類の敵は決して宇宙人なんかじゃない……
 人類の本当の敵とはほかならぬ人類なのだっ。
 地球人類こそ宇宙に住む本当の意味の化物なんだ」

 ラスト近く、俊夫は「宇宙救済協会」という新興宗教団体を旗揚げし、「不死身の肉体が得られる」という謳い文句で、多くの信者を集める。その目的は、全人類をデスと同化させること。すべての人間がデスになれば、人間同士が殺し合う時代は終わり、素晴らしい世界が生まれるだろう……。
 このあたりの展開は、のちに平井氏自身が宗教団体GLAにのめりこみ、教祖のゴーストライターまで務めた事実を連想させ、未来を予見していたように読めてしまう。

 マンガだけではない。平井氏は小説の中でもしばしば、愚かな人類に対する怒りをストレートに読者にぶつけてきた。
 僕が印象に残っているのは「ロボットは泣かない」という短編。初出は〈SFマガジン〉1963年8月号の「機械が支配する!」というロボット特集号。アシモフ「われ思う、ゆえに…」、ブラッドベリ「長かりし年月」、バウチャー「Q・U・R」、レム「君は生きているか?」などと並んで掲載されている。僕は高校時代に〈SFマガジン〉のバックナンバーで読んだ。
 主人公は中古の女性型アンドロイドを格安で手に入れる。彼女は前の持ち主にひどい虐待を受け、脚の部品が壊れてびっこを引いていた。主人公は彼女をかわいそうに思うのだが、彼の周囲の人間、友人や妻や子供までも、ロボットを露骨に蔑視し、アンドロイドをかばう主人公を白眼視する。しかし、アンドロイドは決して人間を恨まず、ただひたすら迫害に耐え忍ぶ……。
 この話に結末はない。何ら問題が解決されず、救いもないまま、絶望のうちに終わってしまう。

 人類は凶暴で下等な生物──それが平井氏の初期作品を貫くテーマだ。もちろん人間の愚かさや残酷さを描いた小説なんて、SFでなくてもたくさんあったが、平井氏のすごさは、一部の人間の悪行ではなく、人類という種族全体をまるごと否定したことだ。
 それらの作品は“人類ダメ小説”と呼ばれる。
(もちろん、そうした考えも平井氏が世界で初めて思いついたわけではない。たとえば『デスハンター』の中には、明らかにハミルトンの「反対進化」をヒントにしたくだりがある)
 人類の愚かさを浮かび上がらせるために、平井氏は人類よりも高潔な存在を設定する。アンドロイドや宇宙生命体、あるいは狼を。 ヒット作となった『ウルフガイ』シリーズなども、主人公を狼男に設定し、狼を高潔な生物として描いていた。
 もちろん、狼が人間よりも誇り高いというのは、あくまでフィクション、人間の勝手な思いこみである。グループSNEが結成された直後、みんなで動物園の見学に行ったことがあるのだが、檻の中でグデ~ッとなっていて、人間が近づくと嬉しそうに尻尾を振る狼を見て、「狼の誇りはどうした!?」「犬神明を見習え!」と、みんなでツッコんだものである。

(もちろん、平井氏はシリアスな作品ばかり書いてきたわけじゃないこともつけ加えておく。『超革命的中学生集団』は、まさにライトノベルの元祖と呼べるハチャハチャでパワフルな話で、僕は大好きだった。「星新一の内的宇宙」というショートショートもお気に入りである)

 僕らの世代のSFファン・SF作家の多くは、若い頃に読んだ平井氏の“人類ダメ小説”に影響を受けている。
 僕の作品で言うなら、『神は沈黙せず』や『アイの物語』や『UFOはもう来ない』などに出てくる「人類は知的生物としては重大な欠陥がある」とか「人類は実は知的生物じゃない」というビジョンは、やはり平井作品の強い影響下にある。 と言うより、たぶん平井作品を読んでいなかったら、決して書かれなかった作品だと思う。
 やはり平井ファンであることを公言している新井素子さんの初期作品、『いつか猫になる日まで』や『宇宙魚顛末記』とかも、人類はちっぽけでいつ滅びてもおかしくないんだという、ある種ニヒルな考えがベースになっているが、あれなんかも平井氏の“人類ダメ小説”の影響ではないかと思える。
 新井作品の中でいちばん平井っぽいと思うのは『……絶句』。狼ではなくライオンを高潔な存在として描き、人間と対比させていた。

 確かに、“人類ダメ” という認識は刺激的で、腑に落ちるものである。若い頃にハマってしまうのも当然だ。しかし、落とし穴もある。

“人類ダメ”で止まってしまって、その先に進まないのだ。

 人類がダメってことは、『エリート』のアルゴールが言うように、人類を滅ぼせばいいのか? でも、「人類は滅びました。終わり」というのも、結末として安直すぎないか?
 あるいは『デスハンター』の俊夫が言うように、全人類がデスになったら、本当に理想の世界が来るのか? 僕には信じられない。たとえ最終的にそうなるにしても、その過程でおそらく、すさまじい規模の混乱と殺戮が繰り広げられるに違いない。それはダメな人類がやってきたこととどう違う?

 それに「人類なんてダメだよ」と言うのは簡単だけど、そう言う自分自身も人類の一員だという事実を忘れてはいけない。
“人類ダメ”というのは、決して大衆を見下すエリート思想じゃない。自分自身のダメさをも見つめることなのだ。 ダメな人類である自分がそんなに賢明であるわけないと認識することなのだ。
 じゃあ、どうすればいいんだ?
 自分も含めた人類がダメなら、いったいどこに希望がある?

「ロボットは泣かない」が尻切れトンボで終わっていることが象徴するように、平井氏はこの問題に対する明確で現実的な回答を出せなかったんじゃないかと思う。
 その後、新興宗教にハマったりしたのも、自分が提示した“人類ダメ”思想に追い詰められて、脱出口を求めた結果だったのかも……という気もする。ダメな人類を天使様が導いてくださるのではないか、と思ったのかもしれない。
 もちろん僕は(おそらく多くの平井ファンも)、そんなところに本当の救いなんてないと分かっていた。
 だって宗教なんて、ダメな人類が思いついたもののひとつにすぎないじゃないか。宗教が原因でどれほど多くの争いが起き、血が流されてきたことか。(今もまさに、そうしたことが起きている)
 平井氏はなぜ、人類の所業の中で、宗教だけはダメじゃないと思ってしまったのか。それは僕には理解できないことである。

 だから70年代後半以降の平井作品には失望したものの、それでも平井氏の初期作品が(マンガ原作も含めて)素晴らしいものだったことは間違いないし、僕らの世代が大きな影響を受けたことは否定できない。
 作家・平井和正は本当に偉大な人だった。
 僕ら平井チルドレンにとっては、いわば平井氏の提示した“人類ダメ”という概念がスタート地点であって、それをどう克服するかが課題だった。
“人類ダメ”を否定するんじゃない。“人類ダメ”であることを認めたうえで、それを超える回答を提示するのだ。

 新井さんの『ひとめあなたに』はまさにそうした作品だと思う。地球滅亡を前にした人々のドラマを通じて、人間の醜さや欠陥を描きながらも、最後はやはり「生まれてきて良かった」という結論に到達する。
 僕の場合は『神は沈黙せず』がそれで、人間は神と対話することさえできないちっぽけな存在にすぎないけれど、それでも正しく生きてゆくべきだと書いた。『アイの物語』では、人類はダメであっても、人類の生み出した人工知性は我々よりも賢明な存在になり、ヒトが到達できなかった高みを目指すことにした。

 そう、認めよう。人類はダメだ。まともな知的生物なんかじゃない。
 それは今、世界で起きていることを見れば分かる。

「真の知性体は罪もない一般市民の上に爆弾を落としたりはしない。指導者のそんな命令に従いはしないし、そもそもそんな命令を出す者を指導者に選んだりはしない。協調の可能性があるというのに争いを選択したりはしない。自分と考えが異なるというだけで弾圧したりはしない。ボディ・カラーや出身地が異なるというだけで嫌悪したりはしない。無実の者を監禁して虐待したりはしない。子供を殺すことを正義と呼びはしない」
──『アイの物語』

「なぜ地球人は、人間どうしにくみあい、殺しあうのか。つみもない子どもまでまきぞえにしてしまっても平気なほど、戦争がすきなのか。人をにくみ、殺しあうことがすきなのか。地球人のひとりとしてこたえてみよ!」
──『エリート』

 半世紀前にアルゴールの(そして平井氏の)突きつけた問いは、どれだけ時が経とうと、決して色褪せない。
 言ってみれば、僕らは平井氏の残した大きな宿題に、懸命に取り組んでいるのだ。これまでも、これからも。


タグ :SFマンガ

同じカテゴリー(マンガ)の記事画像
初めてマンガの中でコミケを描いた作品は?
「80年代ホビーマンガの素晴らしき世界」
女ターザン・コミック始動!
同じカテゴリー(マンガ)の記事
 80年代ホビーマンガの素晴らしき世界#2 (2015-03-08 13:44)
 初めてマンガの中でコミケを描いた作品は? (2015-01-21 17:08)
 「80年代ホビーマンガの素晴らしき世界」 (2015-01-20 18:45)
 アングレーム国際漫画祭で何が起きたか (2014-02-04 16:11)
 『ヒーローズ・カムバック』 (2013-05-24 17:29)
 『21エモン』に解説書きました (2010-09-06 19:02)

この記事へのコメント
 思うに、ノストラダムスの1999年人類滅亡の予言があれほど取り上げられたのも。
 仰る「人類ダメ」を認識した人たちが、それに飛びついてしまったから……なのでは。

 自分は、平井氏の作品が出たより少し後の世代なので、それほど親しんでいるわけではないのですが。
 それでも、後に読んだ書籍や作品などで「なんでこの作者(平井氏)は、人間の事をダメ扱いするんだろう」と不思議に思っていました。
「サイボーグ・ブルース」とかそうでしたが、池上版「スパイダーマン」なんかは、これでもかと人間社会の無情さ、非情さを突き付けており、初見時には東映版と異なる内容に戸惑った覚えがあります。

>確かに、“人類ダメ” という認識は刺激的で、腑に落ちるものである。若い頃にハマってしまうのも当然だ。しかし、落とし穴もある。

>“人類ダメ”で止まってしまって、その先に進まないのだ。

 あれこれ「ダメ」と否定する事で、物事が全て理解できた……と錯覚に陥っちゃうし、そこから「自分はものを人より理解できてるエリートだ。他の奴らと違う」という優越感も抱いてしまいますしね。
 自分も、学生時代に似たような思想に陥ってた時期があります。
 周囲の同級生や教師、TVで流れる軽薄短慮な番組や、悲惨で不条理なニュースなどを見て。人間って、なんて愚かなんだ。こんな奴らなど、滅びちまえばいい……と。
 
 今にして思えば、周囲の人間や社会の「嫌な部分」。それらに嫌悪してただけで、要は周りが気に入らないから不満を持ってただけの、幼稚な感情だったんですね。
 
 本当に重要なのは、「人間ダメ」のその後なのに、ダメという事ばかりに夢中になり、その後にどうすればいいかまで考えが至らず。当時を思い出すと、恥ずかしい事この上ないです。
 
 あと、この手の「人類ダメ」的な論で、必ず出てきてはうんざりするのが「人類のダメさをあれこれ言うが、言ってる自分(たち)は別」というような連中。

「人間は愚かな存在。それゆえに滅びるべき」
「けど、自分は別。なぜなら自分は愚かじゃないから」
 ↑こういう意思が感じられ、すごく不愉快です。

 でも、人間は少しづつではあっても「進歩」はしている。
 それはほんのちょっぴりではあるし、小さくても人の善意も、希望も、全くないわけではない。
 時間をかけて、少しづつ良き方向に進んでいくしかないんじゃないかと。
Posted by 塩田多弾砲 at 2015年01月21日 17:55
 ヤバいと思ったのは人狼天使あたり。
なんで犬神明が神様の使いになっちゃうんだよ。
 深夜プラスワンで内藤陳さんとはじめて会った時にその話に触れると、「アイツは読者を裏切った。」との一言。
なにか触れちゃいけないような印象を受け、平井さんの話題を振る事はしなかったけど、陳さんとお会いできたのも平井さんのおかげですね。
 それからもたまに平井さんの新作を読む機会が有りましたが、、、、(お察しください)
だけど、僕も平井チルドレンの一人です。
平井和正さん安らかにお眠りください。
Posted by JetSin at 2015年01月21日 18:26
私も平井和正の愛読者でした。ウルフガイシリーズは青春時代のバイブルです。青年・少年両方の犬神明に感情移入して、熱読したものです。
平井和正氏は出版社との衝突が多くて、仁義を守らない人間とは妥協できない人だったみたいですね。

ところで人類ダメ小説ですが、青年版の犬神明は人類への糾弾者から、人類の一員になっていますよね?
彼が狼男としての超人能力を失ってどん底に追い込まれた時に、手を差し伸べたのは平凡な市井の人々でした。彼は超人の視点から人間を見下していた傲慢を自覚します。そして、彼は一匹狼の孤独からも解放されるのです。
「人間なんて、所詮…」と世の中を斜めに見ていた当時の私は、このエピソードに目からウロコが落ちました。

平井和正氏の作品には若者の人生観に影響を及ぼす多大な力がありました。
今の中高生にもぜひ読んでもらいたいな。ライトノベルのおもしろさとは、また別の“世界"が待っています。
Posted by ハル at 2015年01月21日 21:08
平井和正作品との出会いは中学の頃でした。ほぼ同じ頃に大藪春彦との出会いもあり、このお二方の作品は私に大きな影響を与えています。と書くと、どんな性格してるんだと思われるかもしれませんが。
さて、まだ子供だった私にとって平井氏の「人類ダメ小説」は強烈でした。ウルフガイシリーズは途中まで全部読んでいたんですが、宗教色が強くなってきたあたりからだんだん読まなくなりました。
初期の作品は(全部読んだわけではありませんが)鮮烈な印象が残っています。平井氏自ら「エイトマンへのレクイエム」と言っていたサイボーグブルースも衝撃的でした。
今回、今も持っている角川文庫版の死霊狩りを見返してみたら、最終巻のあとがきで作者自身が「人類ダメ小説の終わり」と書いていました。読み返してみると、すでに宗教に足を踏み入れているかのような内容でした。
これ以上書いてもとりとめのない事を綴るだけになりそうなので、この辺でやめておきます。
amazonあたりで平井和正の初期作品を探して、久しぶりに読み直してみようかな。
Posted by カルスト at 2015年01月21日 23:31
僕は中学生の頃に一連の作品を読んで、抜け出すのに10年くらいかかりました。まったく、今考えると若気の至り、馬鹿馬鹿しいだけですが。

人類害悪論ってのは僕は百害あって一利なしと今は思っています。むしろ、人類が生き残ることができたのは、我々の祖先が他者と分かち合いが可能になったから、そういった人々の多くが生き残ることができたのではないか、と現在は考えられつつあるそうです。地球環境って激変するし、非常に過酷であった、ことからのようです。

多くの子供がが惑わされることのないよう、おっさんとしては切に願うばかりです。
Posted by yamsan at 2015年01月22日 17:25
山本先生、はじめまして。
非常に読みごたえのある、素晴らしい記事ありがとうございます。
個人的な意見ですが、平井先生は、
あくまでフィクション中で解決可能な課題を設定し
それに向かって物語を進めていく・・・
そういったタイプのエンターテインメント作家ではなかったかと思います。

みなが心の奥底に漠然と抱えていたものをえぐりだし
ひたすら突き詰めているようでした。
平井先生が、追求し描いたテーマは結局、
正解もなければ、結論も見出し得ないものだったでしょう。
後年ああいう風な変遷があったのも
ある意味必然だったのかもしれません。

良しにつけ悪しきにつけ、その時の感情なり思想なり精神状態などが
非常にストレートに反映される作家で、
だからこそ、一部の人を熱狂させ大きな影響を与えたのだと思います。

角川版幻魔大戦の世界も結局、
自分が信じた宗教への失望を反映するかのようでした。
理想に燃え、人類の精神的連帯や神の存在や救世主を信じつつも、
主人公逃亡のあげく、エゴと愚かさで内部分裂し、
奇跡もおこらず、最後に世界は破滅していくといった展開でした。
直接的には完結していませんが・・・

平井先生、今までありがとうございました。
Posted by あきら at 2015年01月23日 13:58
「デスハンター」読みました。アラブゲリラのリュシールのモデルは当時有名だったパレスチナ人民解放戦線の女性コマンドのライラ・カリドがモデルと思われますが(「死霊狩り」ではライラ・アミンとまんまになっています)、桑田先生の絵ではどう見てもアラブのテロリストには見えないな~と思いました(笑)。

個人的にはこの後のストーリーが気になるので8マンのその後を描いた『8マン インフィニティ』みたいに続篇が読みたいな~と思っているのですが。まあ『8マン インフィニティ』には別人ですが林 石隆とリュシール出ていますが(笑)。
Posted by ジャラル at 2015年01月25日 23:18
 小松左京氏につづき、平井和正氏、誰しも死ぬときは来るものと、実感させられる訃報でした。平井氏、後書きもセットで読むものだと教えてくれた作家でもありました。
 
Posted by 理力不足 at 2015年02月01日 11:16
宗教なんてなくせよ!
それに、人類は愚かだから滅ぼす?
でもその中には何の罪もない者も大勢いるんだから、結局お前も同じことやってるじゃん!

某小説の超越者みたいに、全人類の脳を改造して
闘争本能を取り除くと同時に、高いモラルを植え付ければいいだろ。
それで永遠の平和を築き上げれば良いよ。

なんで、おぞましい行為だと拒否するのか俺には理解できないな。
Posted by 正論王 at 2015年02月01日 17:35
 平井氏とは関係ありませんが、なぜ抑圧的な「宗教」が選択されているのかについて。
『公研』対話 イスラム国 (ISIS) 躍進の構造と力 with 池内恵
http://cruel.org/other/koukenikeuchiisis.html
そうなんですよ。だから、世界的にそれがないと言われた時に、これはある種のアンチ・システム運動になってしまっているのだと思うんです。要するに今の国際秩序も国内についてもルールをよく知らないのだけど、「現状はダメだ」と言ってしまう次元の反発です。単純にむしゃくしゃしたからやったみたいな話になっている。これは中東地域だけに条件があるのではなく普遍的な現象になっているのではないか。イスラーム教徒以外にもそういう現象が見られると思います。むしゃくしゃした人たちがネトウヨ、ネトサヨになって、それが実際にいろいろな現象となって現れているのだと思うんですね。ネトウヨは、しょせんそれぞれの国で「俺の国はすごい」とか言っているだけですが、それがイスラーム世界でそれが展開すると話が国を越えて、大問題になってしまうところがある。ですから、世界中のあらゆる社会において非常に浅いアンチ・システム運動がいろいろなかたちで表出しているのではないか。
Posted by 一読者 at 2015年02月05日 15:30
漫画ですが、藤子・F・不二雄による「ドラえもん のび太と鉄人兵団」のラストが、(完全ではないにしろ)一定の答えになりうると思っています。ラストで老科学者が「わしの作ったアムとイムはいい子なのだが・・・(中略)競争心を植え付けたのが良くなかったのか・・・(中略)競争心は他者より優れた者でいようとする心で、上手く働けば、よりよく物事を発展させていく・・・(中略)しかし、一歩間違うと、他者を押しのけても自己の利益を第一としてしまう・・・(後略)」といって結局は自分の作ったロボット(=地球侵略ロボの大本)の競争心を除去して、歴史が切り替わることにより侵略ロボットは消滅します。つまり発展と平穏は緊張関係になりうる、ということだと思います。そしてこれは恐らくホモ・サピエンスでも同じでしょう(江戸時代は鎖国により基本的には発展より平和を選んだ、とも解釈できます)。究極的には、老子が説いたように「小国寡民」というのが落としどころなのかも知れません。
Posted by 修羅の国より at 2015年02月12日 22:39
> もちろん人間の愚かさや残酷さを描いた小説なんて、SFでなくてもたくさんあったが、平井氏のすごさは、
> 一部の人間の悪行ではなく、人類という種族全体をまるごと否定したことだ。
> (もちろん、そうした考えも平井氏が世界で初めて思いついたわけではない。たとえば『デスハンター』の中には、明らかにハミルトンの「反対進化」をヒントにしたくだりがある)

> 半世紀前にアルゴールの(そして平井氏の)突きつけた問いは、どれだけ時が経とうと、決して色褪せない。

「人類という種族全体をまるごと否定した」ということなら、
「半世紀前」どころか、二世紀半以上前の、ジョナサン・スウィフトの「ガリヴァー旅行記」の「第四篇 フウイヌム国渡航記」を忘れてはなりません。

>“人類ダメ”を否定するんじゃない。“人類ダメ”であることを認めたうえで、それを超える回答を提示するのだ。

これについても、
「人間はどうあるべきか」などと声高に主張するのではなく、
ガリバーがフウイヌム国を追放された後の出来事を通して、
"我々"(の ほとんど)は、ヤフーにはないなにかを持っている、ということを、
読者自身に気付かせるようにしているあたりが、ジョナサン・スウィフトの「すごさ」だと思います。
Posted by kirin at 2015年02月19日 12:36
はじめまして。デスハンターで検索してきました。
私も平井チルドレンの一人で幼少時「エイトマン」(アニメ)にハマり、小学高学年で「デスハンター」にハマりました。
高校では「死霊狩り」「悪徳学園」収録「サイボーグブルース」の短偏ともいうべき「エスパー お蘭」が特に好きでして。
平井ワールドから抜け出せない人生を歩んでおります。

人類ダメ小説の極み「デスハンター」で
「シャドウ。何という男だ。こいつは人類を守ろうとして人類を滅ぼそうとしているのではないのか。人類の本当の敵はシャドウではないのか。」
と言う林石隆のセリフが印象的です。
現実とマッチしていますんで。

戦争って、どっちも悪いですよね。
両方とも正義の戦いと言いながら、お互いに堂々と人殺しをやってるんですから。
しかも戦闘機乗りなら敵を一機でも多く撃墜すれば「撃墜王」と称賛されます。人殺しをすれば誉められます。
特攻をやれば「名誉の戦死」ですよ。
これってジハードの自爆テロと何の違いがあります?
これが人間、人類、ホモサピエンス。
地球を支配している知的生命体の現状ですよ。
Posted by わい at 2016年01月21日 00:14
ずっととても不思議に思ってきたこと。

なぜ幻魔大戦を読んでる人が宗教にはまっていくのか。

作品の中で繰り返し宗教では救われないということを言葉や出来事の中で語られているのに。

当時平井氏と話す機会があり直接伺いました。
、宗教団体には決して近いづかないように、そこに救いはありませんよと。

地球樹の女神以降、氏の作品は宗教的世界観を離れ個の神話的世界の物語へとシフトしていきます。

そして昔からのファンにとってはなかなか読み続けるのが困難な、どこにたどり着くのかさっぱりわからない作品が圧倒的ボリュームで押し寄せてきます。

しかしそれらを読み続けたさきに提示される、最後の作品、トルテックの思いもかけぬ完結にただ放心し感動しました。

長い長い旅のすえにたどり着いた場所、そこまでたどり着けた読者はいったい何人くらいいるのだろう。

あまりに勘違いな過小評価され過ぎな作家平井和正に花束を。
Posted by 風の丘の住人 at 2016年01月27日 13:08
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。