2014年06月20日

フィクションにおける嘘はどこまで許される?(前編)

『美味しんぼ』問題に関連して。

 僕が今、ハマってるマンガに、森薫『乙嫁語り』がある。
 前から存在は知ってたけど、読んだことがなかった。少し前に、ある番組で紹介されていて興味を持ったもんで、本屋に行って買ってきた。


 とてつもないマンガだな、おい!
 服や絨毯などの細かい柄をすべて手描きしているのもすごいけど、僕が衝撃を受けたのは第一話で、ヒロインのアミルが馬を駆りながらウサギを射るシーン。驚異的なデッサン力、素晴らしい躍動感。これには恐れ入った。マンガの、それも絵だけで息を呑むなんて、いったい何年ぶりの体験だろうか。
 家に持ち帰ったら、妻も録画していた同じ番組を観ていて、
「何も言わんでも、あんたが買(こ)うてきてくれるんとちゃうかなー、と思てたわ」
 うむ、以心伝心!

 妻の感想は「すごく分かりやすい」「すらすら読める」。それは分かる。19世紀の中央アジアという、日本人になじみの薄い設定、それに絵の情報量の多さにもかかわらず、読んでいて「ここはどうなってるんだろう」と詰まるところがない。リーダビリティが高いのだ。
 たとえば士郎正宗とかもすごく絵は上手いんだけど、アクション・シーンでコマとコマの間が抜けてるもんで、何が起きてるか分からなくて悩むことがちょくちょくある。そういうところがない。
 最初、女性キャラの顔が似てるもんで、「これ描き分けられるのかなあ」「誰が誰か分からなくなって混乱しないか」と心配したんだけど、それもなかった。
 画力、プラス、分かりやすさ。これは驚異だ。
「これはプロの仕事やねえ。趣味でマンガ描いてる人間には真似できひんよ」と妻は言う。でも、そうなんだろうか。これって究極の趣味のマンガじゃないんだろうか。あの服の柄だけ見ても、好きでないと描けないと思うんだけど。

 ……とまあ、ここまではほのぼのした話題だったんだけど。

 ある人から、『乙嫁語り』には批判の声があると聞かされた。歴史に詳しい人たちの間では、あのマンガの評判は芳しくない、「歴史的に間違いだらけだ」というのだ。

 はあ?

 いや、あのマンガって、最初に「19世紀 中央アジア」ってナレーションされてるよね?
 僕はあのアバウトなナレーションで、作者が「歴史的に正確に描くつもりはありません」と宣言していると解釈したんだけどな。中央アジアったってむちゃくちゃ広いし、19世紀ったって100年もあるのだから。
「19世紀 中央アジア」というのは、正確な時代や場所を特定しない、つまりファンタジーですよという意思表示だと思うのだが、なぜそれを読み取ってあげないのだろうか。

 だいたい、「歴史的に間違いだらけ」なんてことを言い出したら、時代劇マンガやテレビ時代劇は全滅ではないか。江戸時代なのに既婚女性が誰もお歯黒つけてない時点で、みんなアウトだ。侍が髷を結ってない、それどころか現代の若者みたいな髪型してるキャラがぞろぞろ出てきて、現代人と同じ口調で話す。戦国時代の武将が乗っている馬がサラブレッドだったり。
 しかし、日本史の専門家が『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』や『遠山の金さん』や『一休さん』を非難してるという話は聞いたことがない。たぶん『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』とかも、歴史に詳しい人が見たら、間違ってるところは絶対にあると思う。でも、それに腹を立てる人はいない。
 テレビ番組やマンガだけじゃない。ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」とかも、時代考証的にはまったくデタラメである。
 なのになぜ、『乙嫁語り』が非難の対象になるのだろうか?

 時代物に限ったことじゃない。
『ゼロ・グラビティ』はすごく面白いSF映画だったが、あの映画の科学的間違いを批判する声があると知って不思議に思った。
 もちろん『ゼロ・グラビティ』にも間違っている点はいくつもある。しかし、もっと大きな科学的間違いのあるSF映画なんてゴロゴロしてるのに、なぜよりにもよって『ゼロ・グラビティ』が批判の的になるのだ? 『アルマゲドン』なんかその100倍ぐらい批判されなきゃおかしいはずなのに。
 知り合いのお医者さんの話によると、手塚治虫の『ブラック・ジャック』は割と医者の間の評判がいいらしい。さすがにロボトミーを扱った時は抗議がきたけど、人間を鳥に改造したり、宇宙人の手術をしたりといった突拍子もない話は、医学的にありえなくても、お医者さん的にはOKらしいのだ。
 どうやら荒唐無稽な作品は許容されるが、リアル(に見える)作品ほど「許せない!」と腹を立てる人が出てくるらしい。
 テレビ時代劇の場合、あれはもう日本人にとってスタンダードになっちゃってて、今さら「間違ってる」などと批判するのは野暮である……という認識が浸透してるんだと思う。

 僕が好きなマンガ、徳光康之『濃爆おたく先生』(講談社)にこんなシーンがある。
 巨大人型兵器という設定の不合理性を列挙し、『ガンダム』を「SF失格」と主張するSFマニアの千巣負湾打(せんすおぶわんだ)。それに対して、主人公の暴尾亜空(あばおあくう)がこう反論する。

「なるほど、キサマの言うことは正しい。
 では、今の話と「一年戦争」の他のSF的不合理を改め、
 小説か漫画、アニメなりで作り直したとして、
 そこに、
 そこにワンダーはあるのかい。
(中略)
 いいかッ、キサマが語っているのはSF考証であって、
 SFそのものではない!
 そこにワンダーはかけらもない!
 極論すればSFとはワンダーであり、ワンダーとはおもしろいデタラメだ!
 その「1」のデタラメをデタラメでなくワンダーと感じさせるための「99」のSF考証が確かに必要だッ!
 だがッ、その逆では決してない!」


 僕はこの考えに同意する。というのも、僕自身が「面白いデタラメ」をコンセプトにした作品ばかり書いてるからだ。『時の果てのフェブラリー』も『神は沈黙せず』も『地球移動作戦』も『MM9』もみんなそう。
 もうじき単行本になる『プロジェクトぴあの』もそうだ。『地球移動作戦』の前日談で、ピアノ・ドライブの発明者、結城ぴあのの物語。アイドルにしてマッドサイエンティスト。ありえねーよ!(笑)でも面白いよ。
 今書いてる『BISビブリオバトル部』は、SFではなく現実寄りの話ではあるけど、それでも監修していただいている立命館大学の谷口忠大先生(ビブリオバトルの考案者)に「こんな頭のいい高校生いませんよ」と言われてしまった。分かってますから! フィクションですから!

 だいたいフィクションが学問的に完璧に正しくなくてはいけないっていうんなら、そもそもSFなんか書けない。「光より速い宇宙船」が出てくるだけでアウトだ。タイムマシンも巨大怪獣も超能力も日本沈没もみんな大嘘だ。
 もちろん作者は、その大嘘を、さもありえるかのように、もっともらしく語らなきゃいけない。そして読者の側も、嘘を嘘と知りつつ楽しむスキルを要求される。面白い嘘なら「騙されてあげよう」と思う。
 ジェイムズ・P・ホーガンの『星を継ぐもの』とかも、あのラストの謎解きは明らかに科学的に間違っている。でも、それまでの物語が知的でエキサイティングだったから許せるのだ。「間違ってるけど、この結末は面白いからOKだ」と。
 優れた作品に対して、「科学的に間違ってるから許せない」とか「歴史的に間違ってるから許せない」とかケチをつける人は、フィクションを楽しむスキルに欠けてるんじゃないかと思うんである。科学考証とか歴史考証というのは、話をリアルに見せて面白くするための要素にすぎない。
『ゼロ・グラビティ』が面白かったのは、可能な限り科学的に正しく宇宙を描写することで、ヒロインの置かれた状況が絶望的なことを印象づけていたからだ。科学的に穴だらけの話だったら、安直な展開がいくらでもありえるわけだから、あれほどの緊張感は生まれなかっただろう。時代物の考証だって、正確に時代を再現することでリアリティが増して面白くなるのなら、いくらでもやればいいと思う。
 逆に言えば、作者が「事実じゃないけど、こっちの方が面白い」と考えたのなら、科学的・歴史的に間違ったことをやってもいいはずなのだ。
 フィクションにとって重要なのは、「面白いか面白くないか」だ。

 あっ、言うまでもないけど、「面白いデタラメ」でないとダメだからね? つまらないデタラメは、ただのデタラメ。つまらないデタラメを書いておいて「フィクションですから」と開き直られては困る。


同じカテゴリー(作家の日常)の記事画像
『ビーバップ!ハイヒール』出演裏話
「思考盗聴」「集団ストーカー被害」を訴える人たち
星雲賞受賞の言葉
60歳になっての雑感
「太陽を創った男」の思い出
この夏の総決算・その2
同じカテゴリー(作家の日常)の記事
 緊急!また@ichinoseyayoiがデマをばらまいています!・3 (2018-04-07 12:54)
 緊急!また@ichinoseyayoiがデマをばらまいています!・2 (2018-04-07 12:02)
 緊急!また@ichinoseyayoiがデマをばらまいています!・1 (2018-04-07 10:40)
 『ビーバップ!ハイヒール』出演裏話 (2017-09-06 21:41)
 盗作されました〔その後〕 (2017-06-17 18:30)
 盗作されました〔7〕 (2017-06-06 15:30)

この記事へのコメント
あー、いますね。そういう野暮な人たち。私も見たことありますよ。しかもかなり程度の低いのを。
「ワンピース」でロケットマンという海列車が出てきた時に、「宇宙に行くロケットも無いのにロケットマンなんて名前が付くのはおかしい。尾田は歴史をわかってない」と言ってたのが。
ロケットという言葉がそもそも火矢やのろしを意味する言葉だという事を知らないのもアレですが、そもそもワンピースの世界と現実の歴史を……。
こいつは程度が低かったんですが、知識はあってもこういう野暮な事をするのはいるんですね。
Posted by ドードー at 2014年06月20日 19:17
フィクションの嘘を批判する輩の何が嫌って、「知ってるの俺だけ」と言わんばかりの態度ですね。以前、大河ドラマの近藤勇と坂本龍馬が出会うシーンを、そんな史実はないと新聞の紙面を使ってケチつけてる人がいまして。おいおい。大河ドラマの視聴者がそれぐらい知らない訳ないだろと。皆分かってて楽しんでるんだよと。
Posted by T.Y at 2014年06月20日 21:21
『濃爆おたく先生』私も大好きでした。本当に生き生きと楽しそうにオタクライフをエンジョイする暴尾亜空が、羨ましかったです。
ガンダムの世界に、勝手に自分で妄想した人物を登場させて、一喜一憂するシーンには爆笑しました。
Posted by ハル at 2014年06月20日 22:40
時代劇の鍔鳴り問題を思いだしました。
実際に刀を納める時に音がすることはないそうです。
音がしたらそれは刀身を止める部品にぐらつきがあるときでしてかなり問題有り。
でも音を消したら視聴者からかっこ良くないと抗議がきたそうです。

あと司馬遼太郎先生の「光明が辻」の文庫本の解説の中で。
小説の中に山内一豊の妻、千代が一豊の為に隠し持っていたお金を持ちだして名馬を買う話があります。
まあ割りと有名な逸話です。
解説者が司馬先生に「本当ですかね?」と聞いた所。
「あり得ないと思います。 コレほどの大金を隠し持つことはまず無いでしょう」のあとに。
「でもこの方が面白いでしょう」と答えてました。

まあ確かに部下もおり、他にもいくつも戦にでており金は幾らでもかかるという状況で。
「何時か必要になるから」という理由でお金を貯めていたというのは変なのですが。
Posted by TK at 2014年06月21日 00:38
 森薫さん、『シャーリー』や『エマ』も好きです!デッサンの緻密さという意味では、井上雄彦さんや三浦健太郎さん・冨樫義博さん(但し時々)等々の方々も大好物ですが、やはり自然に見えるのがいいですよね。

>女性キャラの顔が似てるもんで、「これ描き分けられるのかなあ」「誰が誰か分からなくなって混乱しないか」と心配したんだけど

 キャラの描き分け問題、凄くよく分かります。髪型や目の色以外の違いが分からないキャラ、とか…(性格の違いで分けられるのかもしれませんが)

 あと、フィクションの間違いについての問題ですが、最近有名なものに『艦これ』の、とあるキャラの弓矢の構え方が違う!というのがありました。躍動感があるからって片足上げて矢を撃てるか!という。
 人によって、冷めて作品を楽しめなくなってしまう「素に戻る」要素というものがありそうです。
Posted by toorisugari at 2014年06月21日 01:22
つまらないデタラメも特には必要ですよ
ハッピーエンドなんて最たるものです
Posted by あ at 2014年06月21日 14:26
 自分も、同級生やら会社の上司やらで、フィクションやその類を低く見る人間がおりましたが。彼らが言う言葉は決まって、

「嘘だから」
「本当っぽくないから」

 こういう共通項がありました。
(で、スポーツ至上主義な体育会系の上司は「スポーツは結末が決まってないしわからないから面白い。最初から結末や展開が決まりきっているフィクションはつまらない、あんなもの時間の無駄でしかない」と言いやがってました)

 なんかほんと、フィクションやそれらのファンを蔑む人間って、「現実を見ろ」「現実はこれこれこうだ」と言いますが。
 現実に満足し、それを完全に不満なく受け入れられる人間ばかりじゃない……って事くらいわからんのか。現実何て退屈で、つらく、苦しい事が無限に続くクソゲーみたいなもの。
 だからこそ、想像の世界で有りえぬ事を楽しみ、そして現実に立ち向かう心の力を蓄えたい。
 そういう想いすら否定するのか……と、むかっ腹が立ちます。
 デタラメな嘘でもいいじゃないか。それが面白いものなら!
 時には、そのデタラメで、だけと最高に面白い嘘が、現実すらも凌駕するんだから!

>逆に言えば、作者が「事実じゃないけど、こっちの方が面白い」と考えたのなら、科学的・歴史的に間違ったことをやってもいいはずなのだ。
>フィクションにとって重要なのは、「面白いか面白くないか」だ。

 自分も、この一文に賛成です。
 ところで、山本さんに伺いたいことが。

:山本さんにとって、「面白い」とは何か?

 なぜこんな抽象的な事を聞きたいかと申しますと、荒木飛呂彦「超偏愛!映画の掟」の文中にて、「面白いって何だ?」という一説がありまして。

 マンガ家を目指してた荒木氏が、「面白い漫画ってなんだろう?」「そもそも『面白い』って何だ?」と考えて、好悪や流行などといった要素を切り離し、時代の価値観に左右されぬ「『面白いもの」には、時代の価値観に左右されない、不変の法則があるに違いない、と考察。
 自身の好きな映画を研究材料に選び、面白さとは何かと調べたその結果。
 荒木氏にとって『面白い』と思う映画には、少なからずサスペンスの要素がある、という結論に(逆に、サスペンス要素が無い、または少ない映画は、イマイチだと)。
 そしてここから、自身なりに研究した結果。サスペンスの重要性と奥深さにたどりついた、との事。

 これは、あくまで荒木氏にとっての定義であり、すべての人間や作家諸氏にとって当てはまるものではないでしょうが。
 それでも、「面白いとは何か?」という疑問とその答えを、こうやって追求し、その答えを導き出した点に関し、「なるほどなあ」と関心し、納得したものです。
 おそらく「面白いモノ」の定義は、人によって異なりますし、作家諸氏もその定義や創作物への反映の仕方もまた異なるものでしょうが。
 山本氏にとっての「面白いとは何か?」あるいは「『面白い』の定義」を、よろしければ伺いたいと思いまして。

 稚拙ですが、自分にとっての「面白いモノ」の定義は、
「物語として、納得がいく」
 ……といったところでしょうか。
 自分も色々と過去に数多くの作品を視聴し読了して来ましたが、ただキャラクターが騒いでるだけでも、お約束の展開でも、作画や文章がイマイチでも、「なんとなく納得」できた作品は、駄作であっても面白い……と感じたものです。
 この定義、まだあやふやで怪しくて、定義としては成立できてないのですが。
 
 というわけで、もしよろしければ、教えていただければと思います。
Posted by 塩田多弾砲 at 2014年06月23日 02:06
>TKさん

 ああ、「鍔鳴り問題」は昔からちょくちょく話題になりますよね。
 僕が少し前にネットで見て、「あっ、なるほど」と思ったのは、メガネスーパーの人の意見で、「マンガとかでキャラクターがメガネを押さえるたびに『カチャ』という音がするのが許せない」というもの。
 確かに『ログ・ホライズン』とか見てると、メガネのキャラクター(主人公のシロエを含め、何人もいます)がメガネの位置を直すたびに、小さく「カチャ」という音が入るんですよ。すごく小さい音なんだけど、気がつくと気になってしまう。
 もちろん、実際にはメガネをずらしたぐらいで音なんかしないんですが、ついつい音を入れたくなるんでしょうね。宇宙空間の戦闘で爆発音がするようなもので。
Posted by 山本弘山本弘 at 2014年06月23日 19:03
>塩田多弾砲さん

 ぶっちゃけたことを言えば、「面白い」というのは「自分にとって面白い」という意味しかありませんね。
 優れた作品を「つまらない」と言う人は必ずいますし、どうしようもなくひどい作品を「面白い」と絶賛する人もいます。
 ある作品を見て、すべての人間が「面白い」と思うことなんてありえないんです。問題は、「面白い」と思う人の割合が多いかどうかです。
 だから僕の場合、「自分にとって面白いもの」を全力で提示することにしています。それをいっしょになって「面白い」と思ってくれる読者が多く現われることに期待する。それしかありません。

 ネットで自分の作品のレビューを読むと、読んでくれた人はかなりパーセンテージが「面白い」と思ってくれてるみたいで、ほっとしています。ただ、読んでくれない人が多いのが悩みです。
Posted by 山本弘山本弘 at 2014年06月23日 19:08
歴史小説はSFやアニメなんかと比較にならないくらい
フィクションと現実を混同している人が多いジャンルであります(笑)。
余計な事ですが司馬さんの小説を歴史的事実と誤認している人が
「マンガばかり読んでると現実とマンガの区別がつかないようになる」と主張してて苦笑することも度々です。
多分こんな状況もあって野暮なツッコミをする人間が歴史モノでは多いのかな、と。
フィクションと現実を混同する人間にも野暮なツッコミをする人間にも私が思うことは一緒で
「事実を知る楽しみが目的ならドラマや小説や漫画じゃなく教科書とか資料とか研究書を読んだほうがいいんじゃないのかな?」
です。
Posted by あのつ at 2014年06月23日 19:40
記事にもあったように1世紀いえば長い年月で、人々の生活習慣など大きく変わるものですからね

年表を調べてみたら20世紀初頭の我が国はといえば、日清戦争後の三国干渉により反露感情が高まっていて、臥薪嘗胆をキャッチフレーズに対露戦争に備えていた頃でした。女工哀史が発表されるよりも更に20年以上前の話
20世紀最後の年である2000年には、BSデジタル放送を開始していたそうです
日露戦争してた頃の日本は当たり前ですが、BSデジタル放送なんてしてませんよねw

日本生まれ日本育ちの人すら日露戦争、大正デモクラシー、昭和大恐慌、第二次大戦期、終戦直後の焼け野原、高度成長期、バブル期、失われた10年の全ての時代の風俗に加え、各地方ごとの独特の習慣や名産品等についても熟知している人なんてほとんどいないと思います
まして乙嫁語りをリアリティがないと批判していた人が、19世紀の中央アジアについてどれほど知っていたかとなると甚だ疑問です

日本の風俗史に詳しくない人でも、モンペ姿女性が休みの日はディスコに行くのが趣味だったり、好きな音楽がロックだったりしたら違和感バリバリですが
乙嫁語りにそのレベルの考証ミスがあったとしたら、批判者も鬼の首とったように指摘してるはずですからね
Posted by キャラメイクっていつも名前で迷う at 2014年06月23日 20:44
 昔、大河ドラマ「花の乱」で、市川森一先生が、中世史の権威である今谷明先生に、森侍者(一休さんの愛人)と、日野富子の入れ替わりというアイデアを話した時、今谷先生が
「記録にないからといって、なかったとはいえない」と言われたという話があります。
 水戸黄門に突っ込む人はいなくても、考証をかなり本格的にしている(その上でウソをついている)大河ドラマをしたり顔で批判する人は多いですよね。
 私の好きな時代劇でいえば、「斬り抜ける」という作品では「刀は2人も斬ると血脂がついて斬れなくなる」という設定になっていて、主人公は刀が切れなくなると敵の刀を奪ったり、予め竹を切っておいて相手を刺し殺す、という描写をやっていました。でも、じゃあ地味な作品かというと、それを逆手に使って、多数の相手をいかに倒すか(場合によってはどう逃げるか)を考えるというサスペンスがすごく面白い作品でした。
 行ってみればその作品空間での物理法則みたいなもので、その設定を使い倒してみせればふつう面白くなるもんなんじゃないかと思います。
Posted by 土左衛門 at 2014年06月23日 23:13
>僕の場合、「自分にとって面白いもの」を全力で提示することにしています。それをいっしょになって「面白い」と思ってくれる読者が多く現われることに期待する。それしかありません。

 私も、クリエイターの端くれとして似たような考えを持っていたので、この御言葉には励まされます。勿論、期待して待っているだけというわけにはいきませんが…

 そして申し訳ありません、一番肝心なことを質問し忘れるとは、私って、ほんとバカでした。
 真奈美さんとの仄々以心伝心なご様子は分かりました。では、美月さんは読まれましたか?ご感想は如何でしたか!?
 …毎度馬鹿なコメントを失礼…
Posted by toorisugari at 2014年06月24日 00:44
そういえばプロレスにもこういうアホらしい議論がありましたねえ…。
フィクションを叩いている人たちは、要するに虚構と現実の区別がついていないんですよね。
リアリスト気取りほど現実を見ていないものです。

>塩田多弾砲さん

そういう人たちには八百長とか接待プレーという言葉を教えて差し上げましょう(笑)
スポーツだって実力差が大きければ結果なんて大体見えますし、大番狂わせもめったに起きないからこそそう言われるわけで。
やってみなければわからないのは、実力が近い場合だけなんですけどね。
大体スポーツ自体、特に観戦は相当に非生産的で無為で無駄な行為なのですから、どうか御気になさらず。
Posted by がどー at 2014年06月24日 23:35
>山本弘様

 お答えいただきありがとうございました。
 人により、「面白さ」の基準も違うし、判断材料も違う。
 全ての人が面白い……と思う事などありえない。

 同じ人物でも。年齢や教育、成長などによって「前は面白かった(面白くなかった)けど、今はそうでもない」と感想が変わる事がありますし。確かにすべての人間に対する、不変の「面白さ」を定義するなどという事は、まず不可能。

 当たり前の事だと、改めて実感しましたが。
 となると、作り手側としては「自分が面白いと思った対象を、とことん学び研究し、そこから得た面白さを他者へと伝える」
……というスキル。それが面白いものを作るために必要、と言えそうです。

 いや、どうも昨今のアニメやらマンガやらラノベや映画などを見るたび。
 人気作で、様々なところで「面白い」と言われているのに、自分にはどっか引っかからない、面白いと思えない……という事がけっこうあり、「自分が面白さがわからないのか? だから面白いと思えないのか?」「それとも、面白くないものを面白いと世間では言ってるだけなのか?」と、ちょっと疑問に思ってしまったところがあるので、ついぞこんな事を質問させていただいた次第なのです。

 物語の構成とか技術論などの書籍を読んでも、どうもぴんと来なかったとこがあったのですが、なんだか理解できかけた気がします。改めまして、ありがとうございました。


 うーむ、以前に行われた、山本氏の小説教室。
 ほんとにどっかで書籍化しないかと、激しく切望です。
Posted by 塩田多弾砲 at 2014年06月25日 02:46
>toorisugariさん

アニメ「艦これ」公式サイトの加賀さんイラストの弓矢の構えですが。
何故か曲げた親指の爪の部分に矢が載っているので。
引ける云々以前に落っこちます。
それと親指が二回、曲がっているように見えるのですけど。
一度矢の上で曲げた親指が矢の下に潜り込んでいるので。

同じキャラのゲームの公式サイトのイラストはちゃんと構えてますね。
Posted by TK at 2014年06月28日 14:13
 いつも興味深く拝見させております。今回はじめてコメントさせていただきます。

>歴史に詳しい人たちの間では、あのマンガの評判は芳しくない、「歴史的に間違いだらけだ」というのだ。

 森薫さんの描かれていたヴィクトリア朝メイドさんマンガ『エマ』が原因だと思います。
 このマンガ、「歴史研究家に『突っ込めるところが何もない』と言われた」などという伝説があるほど、ヴィクトリア朝の時代考証がしっかりとなされておりました。
 それで、歴史好きのマンガ読みに、『森薫さん=正しい考証にこだわる』という公式、というか『信用』が成り立ってしまったのでしょうね。

 かくいう私も歴史好きではありますが、物語も美女も美少女も大好きですので、何の問題ありませんでした(笑)

 趣味や嗜好は個人の自由ですから、「『歴史的に間違いだらけ』だから許せん」ももちろん「アリ」だし、それはそれで尊重すべきと思います。
(その価値観をこちらに押し付けてくる場合は、また別の問題になると思いますが)

 ただ…マンガに限らず、物事は「重箱の隅をつつく減点主義」よりも、「良いところを探し出す加点主義」のほうが、見方が広がりますし人生を楽しめますね。

 先生のおっしゃる『どうしようもなくひどい作品を「面白い」と絶賛する人』は、ある意味『先生以上に作品を貪欲に楽しみ、美点を見出した幸せな人』と言えなくもありませんね(笑)

 最後に、一言。徳光康之『濃爆おたく先生』の熱い妄想、「ドムを創った男たち」はオフィシャル設定です!!…自分のアタマの中では、ですが(笑)
Posted by 警部 at 2014年07月06日 16:50
>ガドー様

>そういう人たちには八百長とか接待プレーという言葉を教えて差し上げましょう(笑)

 いやあ、そいつらは

「それは別! スポーツと言うものは健全であり神聖な物! そんなのとスポーツを一緒にするな」
「むしろ、そんな屁理屈をこねるお前の方がどうかしている。これだからオタクは……」

 みたいな事を言って、自分の主張を変えないような人間でしたので(笑)。

 自分の小学校5~6年時の担任教師が、まさにこういう奴でした。
 子供は外を駆けまわれ、屋内で本を読んでいるような奴はろくでもないし、将来ろくな人間にならない。そうならないために、スポーツをやれ。しないお前は異常者だ。みんなやっているんだし、お前もやれ……というような思想を押し付け、断ると異常者扱い。
 自分も当然異常者扱いされ、卒業するまでその態度は変えず、でした。
 
 ずっと前に勤めてた会社の上司も、似たような考えの持ち主でしたね。
 フィクションは結末が~と言ってたのもそいつなんですが、とかく声が大きくややワンマン。ビジネスマンはスポーツを観戦しろ、プレイもすればなお良い。スポーツこそが人間にとって重要であり、それをしないから社会がおかしくなる……と、ゲーム脳の森教授をより感情的にしたような人でした(それでいて自分は論理的と思い込んでいる節があり)。
 
 自分も中学時に柔道部であり、スポーツの持つ良さを否定はしないのですが。
 それでも、これらの「スポーツ原理主義者」とでもいうような、一方的かつ、「自分と異なる存在や思想や方法に対する無知・無理解」、「自身の狭量な点を認めず、スポーツに熟知している自分はリアリストと思い込んでいる」
 こういう人たちの存在には、いまだにむかっ腹が立ちます。

 自分の「好き」こそ至高。でも、他者の「好き」は否定。理解できないし、しようともしない。
 自分の周囲のスポーツ好きは、こういう人間ばかりでした。

 ある意味不運でしたが、「自分は絶対にそうならないようにしよう」という反面教師にはなりましたね。
 そんな狭量な奴らが、「フィクションは現実逃避、もっと現実を見ろ」などと言うのは、滑稽以外の何物でもなし、です。
Posted by 塩田多弾砲 at 2014年07月11日 22:38
「銀河英雄伝説」関連で、覚えがあるのですが。
「こんな事は不可能だ」とか言ってる方々の論拠が、実際は、その脳内で捏造したものだったりするのですよね。

自由惑星同盟の人口増加率が、十数万人から始めた建国から、少なくとも二千万人前後は総人口が居たであろうダゴン星域会戦の頃まで見ても、とんでもないから、有り得ないとか。
辻褄を合わせるなら、帝国からこっそり大勢攫ってきたのだろう、とかw
リベリアの事例を指摘してやったら、黙りました。

イゼルローン要塞で生態系を構築することは困難である、完全な閉鎖系ではあり得ないから、設定が破綻しているとか。
実際に行われたバイオスフィアの失敗をドヤ顔で持ち出しましてね。
そもそも、イゼルローン要塞が閉鎖系であるとは、どこにも書かれていないのですが。
尚且つ、半径30kmの人口惑星は、その外殻の厚さを3kmと仮定するとして、その中身は、途轍もないキャパシティを持ちます。
そして、炭素クリスタルの様な超素材が実用化され、エネルギー源としては例えば核融合が有り、半永久的に「アルテミスの首飾り」を稼働させ得る太陽光発電システムが有り、そして「長征一万光年」で見られるように、エネルギー源と食料の自立補給を行っての長期間の恒星間移動が実行された史実が有る世界である、よって、かつて失敗したバイオスフィアと同列に語れる訳がない、とか。
戦艦ユリシーズの逸話の様に、宇宙構築物の中の循環系が実用化されている世界なのだ、とか。
色々並べ立てても、分かろうとしませんでね。

どうも、遥か未来のSF世界であっても、その技術的限界は、現実の現在に準じなければ、リアリティが無い、と考えていたようで。


お前は、何が楽しくてスペオペを読むのか、とw
Posted by ポポイ at 2014年07月13日 22:42
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。