2013年11月13日

「インディアナポリス」問題:部落解放同盟の見解

 最後に、『差別用語の基礎知識'99』に収録された、「差別語問題についてのわれわれの見解」という文章を紹介しておこう。これは部落解放同盟中央本部が1975年9月に発表したものである。
 実はこの当時、日本共産党と部落解放同盟は「差別語」の扱いをめぐって対立していたらしい。
 この年の6月9日の『赤旗』は、マスコミ各社が「禁句集」「言い換え集」を作って差別語の使用を禁じているのは、部落解放同盟の糾弾のせいであると主張。それに対し、部落解放同盟は「わが同盟は被差別部落にかかわる差別語以外、糾弾したことはない」と反論している。

> われわれもまた、テレビ各局のおこなっている、このような、コッケイな「内部規制」には反対である。テレビ各局のおこなっている「内部規制」は、差別を生み出す社会そのものを問わず、ことばだけに問題をすりかえることである。そしてそれは、逆に問題の解決をおくらせるものである。なぜなら、この態度は、臭いものにフタという考えにほかならないからである。しかも、たとえば、タレントに十分納得させて、いいかえさせるのではなく、とにかく、いいかえろという強圧的であるところに重大な問題がある。

 また、「人権をふみにじり、差別し、差別を拡大させる文章や、文学作品も、世論でほうむらねばならない」と書いた後に、島崎藤村の『破戒』を例に挙げ、こう述べている。

> 差別助長の文学は、本来、人間の自由を求める、文学の行為そのものにも反しているからである。ただし、作品の一部分で、たとえ差別語を用いても、その作品全体が、真の自由を求めるものならば、われわれはそれを糾弾しないし、糾弾したこともない。
> 周知のとおり、『破戒』初版本は、「穢多」という差別語を用いている。しかしわれわれは、解説で、読者の十分な理解を求めることを条件に、出版に賛成している。各出版社の発行している文庫本や日本文学全集や、島崎藤村全集を参照すれば、ただちに了解のいくところである。
> したがって、歴史書や研究書においても、われわれは同様の態度をとってきた。ところが一部に、引用する古文書のなかの、「穢多」「非人」という文字すら、伏字にする動きのあることは、歴史学の専門家のなかにあっても、部落差別のなんたるかを知っていない人がいかに多いかを示していて、寒心にたえないところである。

 つまり差別語が使われていても、本全体として差別に反対する内容であれば出版に賛成するよ、というのが部落解放同盟のスタンスなのである。

> われわれは、「穢多」「非人」がいかに非人間的名称であり、差別語であろうと、それが用いられていた歴史的事実を消しさることはできないと考える。また消しさる意志もない。被差別部落への差別が、完全になくなるような時代がきても、このコトバを消しさってはならない。歴史的事実として、歴史書や辞書などに、厳然とのこすべきである(いわんや、今日の歴史書や辞書などから抹殺するなど論外である)。このことは、差別を根絶していくために、あるいは差別がよみがえらないためにも必要である。なぜなら、数百年の差別の事実、あるいは、差別根絶のための、苦難にみちた闘争が、このコトバには、こめられているからだ。

 被差別部落以外の差別問題についても触れている。

> したがって、ことばのいいかえでは問題は解決しない。「きちがい」を「精神障害者」、「びっこ」を「身体障害者」とか「肢体不自由者」とかよびかえても、「余計者」「厄介者」待遇が変らねば、いささかも事態は変らないことは、いうまでもない。とくに「めくら」を「盲人」におきかえたのは、全くの同義語を大和ことばから、漢語におきかえたにすぎない。マスコミや、テレビ局の、この種のいいかえは詐術に近く、差別語追求を、こうしたいいかえ、おきかえで満足していてはならない。
>「めくら」「びっこ」というコトバが、差別を生むのではなく、「めくら」「びっこ」が人権をうばわれ、差別される存在として、この社会におかれていることによって、これらのコトバが差別の色あいを持つのだということを、明確にしなければならないだろう。

 これは1975年に書かれた文章だが、今では「盲人」という言葉も自粛して、「目の不自由な人」と書くことが多い。現代小説ならまだしも、時代小説を書いてる人は困るだろうなあ。
 似たような言葉として、「土人」を言い換えた「原住民」を、さらに「先住民」に言い換えるという例がある。僕の場合、「インディアン」の場合とはちがい、「原住民」を「先住民」に変えても何の支障もないので、訂正要求には応じることにしている。でも、いつも疑問には思っている。

「原住民」と「先住民」の違いっていったい何?
 どう見ても意味は同じだよね?
 それなのに一方がNGワードに指定されてるってどういうこと?
 禁止語リストを作った人、そしてそれを守ってる人、ちゃんと自分の頭で考えてますか?

 最後にこの声明は、10項目の「基本的立場」を表明する。長くなるので、そのうちの2項目だけを紹介しよう。

>③ 現在、マスコミ・テレビ局ですすめられている、禁句集、いいかえ集などの内部規制は、差別の本質に迫ることなく、コトバだけをいじることによって問題を矮小化し、支配者の言論・表現の自由抑圧に手をかすものであって、われわれは断じて反対である。

>⑧ 差別語や、差別的比喩に対し、われわれは糾弾・抗議をおこなう。ただし、差別語が用いられたから糾弾するというのではなく、文脈全体のなかでその前後関係をよくみて、差別を助長するか、否か、その与える影響というものを判断しておこなうという、従来の方針を堅持する。

 この「差別語問題についてのわれわれの見解」の中に、マスコミの「差別語狩り」への反論が言い尽くされているのではあるまいか。



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この記事へのコメント
 一度に6記事!記録更新ですね。
Posted by toorisugari at 2013年11月13日 18:21
>「差別語問題についてのわれわれの見解」という文章を紹介しておこう。これは部落解放同盟中央本部が1975年9月に発表したものである。 

既に70年代に答えは出ているし、良いこと言っているじゃないですか。
マスコミはなぜ勘違いしちゃったんだろう。
ちなみに日本以外の国ではどうなっているんでしょうかね?
日本と同じ過ちをおかしている国の方が多いのだろうか?
Posted by 匿名 at 2013年11月13日 22:00
 ごめんなさい、間違ったことをコメントしてしまいました。

>一度に6記事!記録更新ですね。

>>2013年04月20日 デマがいっぱい(最後に)
http://hirorin.otaden.jp/e273766.html#comments
>>山本さんブログ史上、最多の記事更新ですね!

 4月20日内の更新記事数は10、「デマがいっぱい」のタイトルでは12記事で、既に更新なされていましたね。
 確認がいい加減で、まことに申し訳ありませんでした。
Posted by toorisugari at 2013年11月14日 20:13
色々鬱積するものがあったのかなとw

禁止語を設定して片っ端から潰していく方針というのは、結局のところ商品の量産とコストダウンを実現させる為の要請という気もしますが。
しょうもない抗議に関わる手間を先んじて潰すという意味では正しいリスクマネジメントなのかもしれません。
本質が無視されてしまうのは情けない話ですが。
Posted by 矢麻乃空彦 at 2013年11月14日 22:37
お久しぶりです。

このネタは纏めて書きますが、本とTVでは差別語に抗議を受けた場合のリスクの量的差異はあると思います。
抗議電話が多いと最悪スポンサーが降りてしまうというリスクを背負っているTV番組の場合、どうしても慎重にならざるを得ない点はあるのでは無いかと思います。
仮に内容を検証「差別ではない」と後で認められても、文字通り「後の祭り」になってしまいますし。

>世の中には『ガールズ&パンツァー』や『艦隊これくしょん』を不快に思う人間だっているんだから(バカバカしい話だけど事実)。
90年代半ばにあった所謂「架空(妄想?)戦記ブーム」を知っているミリオタ(の端くれ)としては、一概にバカバカしいとも言えないんですよね。
「ガルパン」等は、明らかにああならないように配慮している様ですが、またぞろ「こうすれば勝てた」とか「日本は嵌められた」的な方向に話が行く様では、好ましいとは言えないのでは。
Posted by nns at 2013年11月21日 09:25
済みません。最近この記事関連で気になった事があるので、追記させて頂きます。

11/21に放送された「コッペリオン」というアニメで登場した凶暴な性格の姉妹が、凶悪犯罪者の遺伝子を元に作られたデザインベビー?であるという設定が出てきましたが、これは「犯罪者の子は犯罪者(になり易い)」という差別表現にはならないのでしょうか?
劇中彼女らが凶行に走る理由らしき物は出てきており、その行動原理がまだ全て説明されていないので、最終的な結論は下せないのですが、この番組自体結構トンデモな展開が多いもので。
Posted by nns at 2013年11月23日 16:04
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