2012年10月28日

ライトノベルについていろいろと(後)

 次は「ライトノベルの源流を探る」。
 先に挙げたラノベの表面的なフォーマット──「表紙が女の子でカラー口絵があって本文イラストがある文庫本」の元祖が、創元推理文庫の『火星シリーズ』だというのは、みんな笑うけど、でもそうでしょ?

 創元がこうしたスタイルで当てたもんで、対抗して早川が創刊したのがハヤカワSF文庫。今は違うけど、昔のハヤカワSF文庫はみんなカラー口絵があって本文イラストがあった。表紙も女性キャラが描かれていることが多かった。ジェイムズ・H・シュミッツの『悪鬼の種族』なんて表紙買いしちゃったし。

 ムーアの『大宇宙の魔女』も、あの表紙じゃなかったら手に取らなかっただろう。

 他にも『砂の惑星』の石森章太郎、『ジェイムスン教授』シリーズの藤子不二雄、『テクニカラー・タイムマシン』のモンキー・パンチなど、当時の人気マンガ家を起用していた。

 だから高千穂遙氏がソノラマ文庫の『クラッシャー・ジョウ』のイラストレーターとして安彦良和氏を指名したのも、そうしたことがヒントになってたんじゃないかと思うんである。

 イラストじゃなくて内容に目を向けるなら、大森望氏の主張する「ライトノベルの源流は平井和正『超革命的中学生集団』」という説には賛成。確かにあれより過去には遡れない。『超革中』は従来の児童小説とは完全に一線を画した画期的な作品だったと思う。

 ちなみに、これも知らない人が多いようだけど、『超革中』は2003年に『超人騎士団リーパーズ』とタイトルを変えて、青い鳥文庫fシリーズから新版が出ている。

 他にも、辻真先『キリコ&薩次』のシリーズはいかに先進的だったかとか、新井素子『いつか猫になる日まで』(壮大な宇宙戦争とヒロインの恋が同時進行で描かれる)は今でいうセカイ系のはしりなのかとか、笹本祐一『妖精作戦』がのちのSF作家たちにどれほど大きな影響を与えたか……といった話も熱く語った。
 これらの作品も今、復刊されてるんで読めます。久しぶりに読んだ『仮題・中学殺人事件』は、トリックが分かっててもやっぱり面白かった。
 ちなみに有川浩『レインツリーの国』は『妖精作戦』へのオマージュ。だから創元SF文庫版『妖精作戦』の1巻は有川さんが解説を書いている


 その後は、90年代から現代までのいろんなライトノベルを紹介。有名な作品を今さら取り上げるのも芸がないので、知名度じゃなく、あくまで僕の思い入れを基準にセレクトした。
 90年代の作品では、『バーンストーマー』『星虫』『宇宙豪快ダイザッパー』『風の白猿神』『電脳天使』『タイム・リープ』『ロケットガール』『ブラックロッド』など……『風の白猿神』は今でもちょくちょく語り草になってますな。
 21世紀に入ってからでは、『紫色のクオリア』『ヴィークルエンド』『パララバ』『アンチマジカル』『邪神大沼』『“菜々子さん”の戯曲』『超妹大戦シスマゲドン』『千の剣の舞う空に』『消閑の挑戦者』『声で魅せてよベイビー』などなど。
 中でもどうしても取り上げたかったのは、桜庭一樹さんの『竹田くんの恋人』。純粋に作品として見ると、明らかに失敗作なんだけど、クライマックス、ゲームの世界からやってきた女の子が、ついに探し当てた自分のプレイヤーに告白するくだりが、もうボロボロ泣けちゃって……個人的に忘れがたい作品である。
 あと三雲岳斗氏による『絶対可憐チルドレン』のノヴェライズは、原作ファンには絶対おすすめ。スケールが大きいうえに、原作の設定を緻密に織りこんでいて、ファン・サービスもたっぷり。『チルドレン』の劇場版作るんだったらこういう話にすべき!
 他にも、タイトルを見ただけで笑っちゃう作品とか、設定がトンデモない作品もいろいろ紹介。『名門校の女子生徒会長がアブドゥル=アルハザードのネクロノミコンを読んだら』『魔王が家賃を払ってくれない』『ウルトラマン妹』『うちのメイドは不定形』『パンツブレイカー』『奥の細道オブ・ザ・デッド』『寄生彼女サナ』『五年二組の吸血鬼』などなど……トンデモない設定でもつまらないかというと、決してそんなことはない。問題はその設定をうまく使いこなしているかどうか。特に『うちのメイドは不定形』はおすすめ。
 あっ、もちろん『ココロコネクト』『這いよれ!ニャル子さん』『ベン・トー』『文学少女』『俺の妹がこんなに可愛い』などのメジャーな作品もいろいろ取り上げましたよ。
『俺の妹』は次が最終巻だけど、どう決着つけるのかなあ。さすがに桐乃エンドだけはないだろうと思ってたんだけど、最新刊の最後のページの桐乃の宣言で分からなくなった。ありうるのか、桐乃エンド!? もうドキドキですよ。

 結論としては、

 ライトノベルには「遠慮」がない。

 普通、「半径2メートル以内のパンツを消す能力」なんて、思いついても小説に書こうとは思わない(笑)。それを書いちゃうのがライトノベルだ。アイデアだけじゃない。「こんな変なキャラクターを出したらバカにされるんじゃないか」とか「こんな荒唐無稽な設定を受け入れてもらうには、日常に密着したリアルな部分をみっちり書かないといけないんじゃないか」とか「こんなに会話ばっかりでストーリーが進まない小説なんて許されるのか」といった遠慮をしないのである。
 そうした自由奔放さこそ、ライトノベルの魅力だし、一方で、ライトノベルを生理的に受け付けない人がいる原因でもあるのではないかと思う。
 ライトノベルは長所と欠点が表裏一体なのだ。



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この記事へのコメント
>ライトノベルには「遠慮」がない

 なんだか、「SFはホラ話である」という言葉に通じるものがありますね。
「ベン・トー」の「半額弁当を本気の殴り合いで取り合う」って、実に馬鹿馬鹿しい(褒め言葉)アイデアは、まず普通の文芸じゃ取り上げられないでしょうし。
 
 しかし、いくら馬鹿馬鹿しくとも、それを物語としてまとめあげ、作品として出してしまう。確かにこれは、ラノベ以外では見られないです。

 ただ、このエントリを読んでみたら。戦後日本のマンガやアニメやゲームにも、同じような奔放なところがあったからこそ、ここまで発展したのでは……と、ちょっと思ってしまいました。


>先に挙げたラノベの表面的なフォーマット──「表紙が女の子でカラー口絵があって本文イラストがある文庫本」の元祖が、創元推理文庫の『火星シリーズ』だというのは、みんな笑うけど、でもそうでしょ?

 あー、なるほど。
 これは納得。美女(美少女)が挿絵に描かれてると、確かにわくわくしますが。元祖はそこからだったですか。
 
 ちなみに自分、リン・カーター「レムリアン・サーガ」の一巻「ゾンガーと魔導師の王」の表紙にて。スミア姫の胸がはだけてるのを見て萌えた覚えがあります(当時小学生)。武部本一郎氏のスミア姫、今見てもすごく美人ですし。
 えちぃ表紙や挿絵なのは、この頃から始まってたんですねえ。
Posted by 塩田多弾砲 at 2012年10月28日 17:54
私は最近仕事の関係で色々とラノベを読まなくてはならないのですが
どうも苦痛でならないんですよね・・・


その昔、角川スニーカーと富士見ファンタジア二強時代に高校生だった私は
漁るように読みふけったものなんですが・・・
これが年を取ったという事なのでしょうか

スレイヤーズ!なんかは今読み返しても
全く苦痛じゃないどころか、ついつい読みふけってしまうんですけどね


関係ありませんが、MM9シリーズ読破しました
BARうさぎの穴の面々は出てこないんですか?(笑)
Posted by 二月 at 2012年10月28日 19:55
なるほど!自分はラノベをあまり読んだことが無いのですが、俄然興味が湧いてきました。紹介されている中から読んでみようと思います。他に「これはっ!」という作品はございますか?
Posted by 考える屍 at 2012年10月28日 23:25
こういう分野だと輝いてますね!
Posted by あああ at 2012年10月29日 00:21
初めまして。何回か参加している、くり金時と申します。今回の「トンデモナイト」の、感想を一言。「紹介された本、全部読みたい。」社会人なので、中々時間が取れないんですが。(ラノベでもSFでも、一冊読むとなると、それなりに時間を取りますので。)それにしても、ラノベも年間約1000冊ですか。私の小学時代にこんなのがあれば、絶対ハマっていたでしょうに。ただ、「街の本屋」が減っているので、機会を逃すと、買えなくなるのが、ちょっと。(ネットでも試し読み出来るけど、実物を見ないと、買う気がね。)
Posted by くり金時 at 2012年10月29日 03:43
ラノベの源流としては山川惣治の絵物語が一つとしてあるんじゃないですかね?
Posted by 都山 at 2012年10月29日 18:36
>ライトノベルには「遠慮」がない。

 誤解があるかもしれませんが賛同します。
 どういう方向であれはっちゃけてない虚構には
価値がないと思いますので。
 まあその方向性のニーズを統合すると10%の
累積で結局いまの市場規模は必要になるだろうな
とも思いますが。
Posted by S.K at 2012年10月29日 21:52
>ライトノベルには「遠慮」がない。

 かつてSFを評して『お行儀の悪い文学』と言ったようですが、今そういう役割を担っているのがライトノベル、ということでしょうか。理屈と膏薬はどこにでもつく、とばかりにジャンル越境してゆく、おそらくは科学に由来するある種の野蛮さは頼もしくもあり、恐ろしくもあったことでしょう。
 「超革中」や「ウルフランド」を書いていた頃の平井和正にも、確かにそんな勢いがありましたね・・・流石に直撃世代ではなく、古本屋で発掘して衝撃を受けた口ですが(^^;・・・何人いるんだ、あの人。
 「スレイヤーズ!」に遭遇した頃は、新井素子等、自身のSFに対する固定観念を揺さぶってくれるものを求めていたらしく、ヴォンダ・マッキンタイアの「星の海のミッキー【原題“barbary”】」が思い出深い作品です。少女小説のようなタイトルに訝りつつも見覚えのある著者名を信じて手に取り、精緻な宇宙ステーションの描写に唸ったものです。猫SFでもあり、アイリッシュ系作家らしい移民物としても読める佳作ですが、斉藤友子さんの可愛らしいイラストに彩られた本作も、今にして思えばラノベの定義を満たしていますね(^^。
Posted by 魔道化マミった at 2012年10月30日 23:07
ライトノベルの源流ということでしたら、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズや、南洋一郎翻案(翻訳ではない)のルパンシリーズはどうでしょう。
Posted by davs at 2012年10月31日 08:25
 初めてコメントさせて頂きます。
 ラノベの定義に着手されているのでしょうか?たいへん興味深いです。

 むかし野田元帥が「スターログ」で紹介していた米の猥雑なSF雑誌の表紙なんてのも源流なんでしょうね。読者の厨二的部分を刺激する点で(笑)
 絵はなんであれ手にとって読むきっかけになれば親切なんではないでしょうか。ハヤカワももっとガツガツジャケ買い表紙を推し進めればいいのに。
 ちなみにわたしも小六で「ダーティーペア」ジャケ買いしましたっけ。最近は「アリスとの決別」でした。
Posted by ながと at 2012年10月31日 23:26
水野良氏が「ロードス」を書き直す(かも)という話を聞いているのですが、出渕裕氏のディードリット(長耳エルフ)がどうなるかが、気になりまくっています。
あの「スレイヤーズ」でも最近イラストが変わったみたいので。
Posted by anon at 2012年11月01日 11:03
もうライトノベルのことを語るなら、
絶対に欠かせない作品がひとつ・・。

「神明解ろーどぐらす」は超絶に面白い
MF文庫の最高傑作ですよ!!!

特に最終巻は、あの辛口のアマゾンレビューでも
十二件すべてが最高点を挙げていますから・・・・。

あっ!それとコメントされてる方の中に「少年向け」と「青少年向け」の区別がついていらっしゃらない方がいるようで・・。
Posted by ドリーミング☆ガール at 2012年11月03日 00:20
超革命的中学生集団。なつかしいです。
クラッシャージョウとか読みだしたころに
買った覚えがあります。
なかでも「カリフラワー」という表現が
当時わらってしまったwちぢんじゃってw
タイムマシンもえらく簡単に発明されていたりw

このブログも毎回たのしく読ませていただいてます。
ひっかかることもある報道やコメントなどの中で
ちょっと調べればわかることが書かれていて、
調べる手間がはぶけてます。(いいのか?)

これからも楽しませていただきたいです。
執筆、講演などお忙しいでしょうが、がんばってください。
Posted by 気狂い帽子屋 at 2012年11月03日 22:47
>davsさん

>ライトノベルの源流ということでしたら、江戸川乱歩の少年探偵団シリーズや、南洋一郎翻案(翻訳ではない)のルパンシリーズはどうでしょう。

 今回の企画の中でも喋ったんですが、昔の児童向け娯楽小説と現代のライトノベルの決定的な違いは「キャラクター性」です。
 僕は昔の児童向け小説もいろいろ読んでます。山田風太郎の少年向けミステリとか、都筑道夫の『妖怪紳士』なんか、今読んでもけっこう面白いです。
 ただ、どれもキャラクターが平板なんです。『少年探偵団』シリーズにしても、明智小五郎や小林少年には強烈な個性がない。ストーリーに合わせて動いているだけで、自己主張がないように見えます。ライトノベルは逆で、とにかくキャラクターの個性を売りにしています。
 そこが昔と今との大きな違いです。その橋渡しをしたのが、平井和正氏や辻真先氏あたりではないかと思うのです。
Posted by 山本弘山本弘 at 2012年11月04日 13:50
>昔の児童向け娯楽小説と現代のライトノベルの決定的な違いは「キャラクター性」です。
納得です。

関連の無い話を書くことをお許しください。
山本先生が『トンデモ本? 違う、SFだ!』で紹介されていた。野尻抱介さんの『ふわふわの泉』がハヤカワ文庫で復刊されていたので、買いました。古書店でも見つからず、半分読むのをあきらめていたのでうれしい限りです。
Posted by davs at 2012年11月04日 22:02
こんにちは。以前、小林信彦氏のエッセイで「弟(注:イラストレーターである泰彦氏)から『ウチの娘に読ませるような、いわゆる児童文学でないエンターテインメントでいい小説ないかね?』と相談を持ちかけられ、その時思いついたのが山本先生も『トワイライトTV』で触れておられた『オヨヨ大統領』シリーズ(朝日ソノラマから出て、その後大人向きとなった)というのはファンならよく知っている話ですし、小林氏の私小説『袋小路の休日』(同年代の福島正実氏早逝を知らされるところから始まる)所収の『隅の老人』という短編には、もうすでに戦前から児童文学とは一線を画した、娯楽読物(+その頃はアニメとTVがなかったので、映画などのビジュアル)を組み合わせて当時としては最高の発行部数を誇った『譚海』という雑誌があった…などのエピソードを思い出しました。ルーツを探ればまだまだありそうな気がしますがこのへんで…。
Posted by Just Passing at 2012年11月05日 15:45
>山本弘様

>今回の企画の中でも喋ったんですが、昔の児童向け娯楽小説と現代のライトノベルの決定的な違いは「キャラクター性」です

 蔵書を引っ掻き回したら、講談社「少年倶楽部文庫」レーベルの、野村胡堂「地底の都」、南洋一郎「緑の無人島」が出てきました。
 昔、寝る前に父が枕もとで章ごとに読み聞かせしてくれてたのですが、子供心に面白かった事を覚えています。

 で、読み返してみたら。仰る事に納得しました。
 確かにストーリー自体は今も面白いのですが、登場キャラクターたちが、どうも物足りないというか、強烈な「個性」「特徴」に欠けているような印象を受けました。
 いや、性格も個性も描かれてはいるのですけど、それらが「薄い」と感じたんですね。様々な物語で良く目にする、典型的なキャラといった感じで。

 そういえば、復刻版で全巻読破した「少年ケニア」と「少年王者」も、どっかそういうとこがあったような。村上ワタルと牧村真吾。どちらも、ジャングルで活躍する理由も、性格も、いろいろ異なるのではありますが。
 両者、正義感の強い、逞しい少年……という点では共通するものの、並べたら、明確な「違い」がいささかわからなかった覚えがあります。物語自体は、今読んでもとても面白いんですけど。

 あえて無色透明なキャラ付をして、細かい点は読者たる少年たちに想像させ、補完させる余地を持たせてたのかもしれませんが。今の目でみたら、「キャラクター性」という点で物足りないと感じるのも確かではありますね。

 
Posted by 塩田多弾砲 at 2012年11月09日 23:54
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