2012年07月18日

いじめ問題をめぐって(前)

 大津のいじめ自殺問題がらみで、こんなおぞましい発言をしている奴がいるというのを知った。

『オタクは数年後には犯罪者に成り下がるんだから自殺においこんでもいい』という大津いじめ自殺加害者擁護する者達
http://togetter.com/li/336774

 釣りじゃないかという意見もあるけど、たとえ釣りでもこんなことを書いていいわけがない。
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり」(『徒然草』)
 人間のクズのまねをして不快な差別発言をまき散らす奴は、人間のクズである。

 僕も小中高校といじめの対象で、自分の体験をこれまで何度も小説の中に反映させてきた。『サーラの冒険』のサーラ、『妖魔夜行』の摩耶、『神は沈黙せず』の優歌、「審判の日」の悟、「宇宙をぼくの手の上に」の祐一郎なんかがそうだ。最近では『妖魔夜行 闇への第一歩』で、ヒロインの亜季にこんなことを言わせている。

「何ででしょうね? あたし、いっつもターゲットになっちゃうんですよね……ははは」亜季は今にも泣きそうな声で、空ろに笑っていた。「カッターで脅されたり、おなか蹴られたり……クラスの中でのいじめもよくありましたよ。三階の窓から落とされそうになったことも……『殺される』って思ったこと、何度もありますよ。誰も助けてくれなくて……一時、登校拒否になりかけたりしてね。ははは……」

「ほら、人間の嫌なところ、いっぱい見ちゃってるから。人間やだなー、やめたいなー、ってずっと思ってたの。中学の頃は、よく校舎の三階の窓から下眺めて、ぼんやり考えてたよ。死んだら猫か何かに生まれ変われるかなー、って♪ ははは……」
「お前……それ、重いよ……」
「あと、こんな風にホームに立ってると、電車が近づいてきた時に、つい前に踏み出したくなったり。橋を渡ってる時も、つい手すり乗り越えたくなったりね。ははは……」

「分かりますよ! 分からないとでも思ってるんですか!? あたしもあなたと同じなんですから! 中学の三年間、アニメに出てくるようなかっこいい男の子が空から降ってきて、あたしをみじめな境遇から救ってくれるのを、どれだけ待ったことか! 待って、待って、待って……」
 亜季の言葉が数秒、途切れた。胸をえぐる哀しみに耐えるため、歯を食いしばらなくてはならなかったのだ。
「……ようやく分かったんです。そんなのは嘘だって。現実にはそんなことはないんだって――幸せは空から降ってこない。努力してつかみ取らなくちゃいけないんだって」

 だいたいこのへんの台詞は僕の実体験が元になってる。もちろん小説的に脚色はしているので、事実そのままではないが。
 あるよ、マジで。「殺される」「死ぬ」って思ったこと。
 亜季のように、校舎の三階から下を見下ろして、ここから飛び降りたらどうなるかと真剣に考えたことも、何度もある。

 いちばん恐ろしかったのは(『神は沈黙せず』でもちらっと書いたが)、中学校で階段を降りようとしていたら、後ろから背中を強く突かれたことだ。バランスを崩し、勢いで踊り場まで十数段を一気に駆け下りた。最後の数段はジャンプして着地し、手をついた。運動神経の鈍い僕が途中で転ばなかったのは奇跡と言っていい。転んでいたら大怪我はまぬがれなかっただろう。
 踊り場に手をついたまま、恐怖で震えている僕の横を、数人の同級生が何事もなかったかのように通り過ぎていった。誰が突いたのかは分からない。だが、他の者もその瞬間を目撃していたはずだ。なのに何も言わなかった。
 その時、思った。階段を転びそうになって駆け下りる僕の姿は、あいつらにとってはさぞ滑稽に見えたんだろうな、と。
 やはり『神は沈黙せず』の「廊下ですれ違いざまに蹴りを入れられた」とか、「宇宙をぼくの手の上に」の「上履きに水飴を入れられた」というのも、実際に僕が体験したことだ。
 その日は高校の文化祭で、校内で水飴が売られていた。僕が下履きで校舎の外に出ていたわずかの時間にやられた。仕掛けた側にしてみれば、上履きに水飴を入れるというのは、気の利いたいたずらでしかなかったのだろう。
 上履きの内側にこびりついてなかなか取れない水飴を洗い落とす作業が、どれほどみじめで悔しいか、想像もつかなかったのだろう。

 いじめる側といじめられる側の心理には、決定的な断絶が存在する。
 いじめる側はおそらく、それがたいしたことだとは認識していない。階段で背中を突くのも、上履きに水飴を入れるのも、ちょっとしたいたずらで、たいしたことだとは思っていない。もしかしたら、そんないたずらをやったことなんか、とっくに忘れているかもしれない。
 だから、実際はいじめていたのに、「いじめてなんかいなかった」と認識している奴もいるのだろう。罪を認識していない奴に、罪の意識が生まれるはずもない。
 だが、やられる側にとって、それは死を覚悟しなければならないほど重大なことなのだ。
 だから死ぬまで忘れない。死ぬまで許さない。

「いじめられてるのに、どうして学校や親に訴えないの?」

 いじめられた体験のない人は、そう疑問に思うかもしれない。
 お答えしよう。いじめられっ子は、どこかの時点で絶望してしまうのである。「大人に訴えてもどうにもならない」と。
 中学の時の僕の体験を書こう。
 授業の前の教室で、以前から僕をいじめていた奴が、僕をサンドバッグのように殴っていた。関西弁で言うところの「どつく」というやつで、顔に傷がついたりしない程度の打撃だ。奴にしてみれば本気ではなく、手加減していたのかもしれないが、やられている側はそんなことで感謝するわけがない。
 チャイムが鳴り、そいつは自分の席に戻ろうとした。僕はそいつの腰にしがみついた。そいつは僕を引き離そうと、またさんざんにどつき回した。それでも僕は放さなかった。
 すぐに教師が来る。僕が殴られている現場を目撃する。「何をやってる!?」と問い詰めてくるに違いない。そうなったら、これまでのことを洗いざらい教師にぶちまけよう──そう決心していた。
 僕にとって精いっぱいの勇気だった。
 教師が教室に入ってきた。だが、彼が僕らを見て発した言葉は、僕の予想していたものではなかった。

「いつまでふざけてるんや。さっさと席に着かんか」

 たったそれだけだった。教師はそれ以上、何の追及もせず、ごく普通に授業を開始した。
 僕は拍子抜けした。そして絶望した。
 僕が一方的に殴られている光景は、教師には「ふざけてる」としか見えなかったのだ。

 それ以来、いじめ行為を教師に訴えようとは思わなくなった。きっと他の教師も同じだろうと思ったのだ。目の前で決定的な現場を目撃していながら、それを認識できない人間に、言葉で「いじめられています」と訴えても、聞き入れてくれるはずがない、と。
 上履きに水飴をいれられた時は、さすがに教師にそのことを知らせ、こうした嫌がらせを頻繁に受けていると説明した。上履きという決定的な証拠があるのだから、僕の訴えを聞いてくれるはずと思ったのだ。
 しかし、教師は何ひとつリアクションを起こさなかった。何ひとつ。
 きっと、「ただの害のないいたずらだ」と判断したのだろう。

 だからこうしたいじめ事件の報道で、「なぜ大人に相談しなかった」と被害者を非難する声を聞くたび、被害者の心理になってこう思う。
「相談したって、どうせ聞く耳持たないんでしょ」「真剣に考えてなんかくれないんでしょ」と。


タグ :いじめ

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この記事へのコメント
フェブラリーから、最近は先生の推されていた詩羽のいる街を読まさせていただきました。
大津市のいじめ問題は大変興味深く追っておりました。
私も恥ずかしながらいじめられていた一人です。
当時を振り返ると、色々ありましたけれどやはり親や大人には自分から言う気にはなれませんでした。
先生のように抵抗をしたという事はありませんが、心の中では、いじめている側がこのまま駄目な大人になればいいと思いつつ、現状に甘んじていました。
途中、いじめていた人間から何故か友達になりたいという申し出があり、今までの態度を改めようという動きがありました。
しかし、結局は大きく変わることはありませんでした。
学校が変わる事でいじめている側の人間と離れ、完全にいじめからは解放されましたが、いじめていた人間が新しい”私”を引き連れ、自宅までおまえの代わりを見つけたと紹介しに来たときは、驚くとともに順調に駄目な人間になっていっていると喜んだものでした。
私から先生へ訴えることはしませんでしたが、3年間のうち先生が事態を把握していなかったとは考えられません。今も昔も事なかれ主義的なところは変わらないのかもしれませんね。
ただ、当時の事は進学にあたり、今までの自分を”少し”は変える出来事となりました。残念ながらメッキはしばらくしてはがれ、やはり自己を省みる必要のあった学生生活を送りましたけれど、独身ですが仕事で親孝行ができたと胸をなでおろせる人間にはなれたと思っております。
以上、とりとめの無い文で申し訳ありませんでした。
大津市の件については、いじめの部分はともかくとして実刑にあたる部分がある様に見受けられます。
必要な部分については、いじめとして片付けずきちんと刑罰を与えてほしいと願わずにはいられません。
Posted by uc0079 at 2012年07月18日 22:54
山本先生もいじめられっ子だったんですか・・・。私もです。今回の事件は身につまされましたねえ・・・。
Posted by 輜重兵 at 2012年07月19日 07:16
暴力や恐喝なのに「いじめ」と、窃盗なのに「万引き」と言い換えるのは、子どもというものは未熟で間違えるものであり、善悪の区別がきちんとついていないからだ、という人が大勢いるからだと思っております。
また一方に
「いや、連中は解ってやっている。悪いことだと知っててやっている」と考える人もいるのだと思っているのですが、

>>いじめる側はおそらく、それがたいしたことだとは認識していない。

というのは、まぁ前者ですよね。
ことの重大さが解っていない。
うーむ。
Posted by てんてけ at 2012年07月20日 00:43
>てんてけさん

 もちろん、悪いことだと分かっててやってるいじめもたくさんあるでしょう。
 ただ、多くの場合、最初は「ちょっとしたいたずら」「悪ふざけ」でスタートして、だんだん罪悪感が麻痺してきて、際限なくエスカレートしていくんだと思うんですよね。
 たとえば「プロレスごっこ」というやつ。
 同じぐらいの強さの奴が同意したうえで戦うのならゲームで済むんですが、実際は強い奴が弱い奴を無理に巻きこんで、技をかけて楽しむ遊びなんですよね。
 かけられた側は本当に痛くて痛くて、「痛い痛い」「もうやめて」と悲鳴をあげるんですが、当然のことながら、技をかけている側はぜんぜん痛くない。技をかけられている者の苦しみがまったく分からないんです。
 それを繰り返すうちに、だんだん、弱者が悲鳴を上げるのを聞くのが快感という、邪悪な人間になっていくんじゃないかな……と想像します。
Posted by 山本弘山本弘 at 2012年07月20日 12:19
「死にたくなったら本を読め」
なんてフレーズがありますが、ほんとそのとおりだと思います。本に限らず映画でもゲームでも、物語は人の生きる糧になる
私も中学・高校の時は人からいや~な目に遭ってましたが
『キャリー』や『デビルスピーク』などを観て、いじめっ子どもめイマニミテオレヨ! と胸の溜飲を下げ
『今夜はトーク・ハード』の、あのあまりにも有名な名言に救われたものです(なぜDVD化しない!)

そしてなによりも山本さんの本には助けられました
サーラや麻耶の境遇に感情移入し、科白に共感をおぼえ、逆境にもめげない生き方には励まされました
『新妖魔夜行』の亜季にも
あれから10年以上たって、いい歳にもかかわらず、まるで自分自身のようでした
もっとも敵であるバッドエンドのほうにも亜季と同じかそれ以上に暗い共感をおぼえていまいましたが・・・

今の10代や、昔10代だった読者のためにも
山本さんには新妖魔の続きを。亜季たちの物語を
早く、たくさん書いて欲しいです
Posted by 無名 at 2012年07月25日 06:46
親に言えないのは当然でしょう。自分の家という安全地帯に学校のケガレなんか持ち込んだら、安心できる場所が無くなってしまいます。
大人が「会社のトラブルを家にまで持ち帰りたくない」と思うのと一緒では。
Posted by 元被害者 at 2012年07月28日 23:17
此処はやはり、『少年法の完全廃止』と、
確実にいじめ事件の根絶を図るために、
『人道に対する罪』の刑法バージョンの導入が必要です。
人権擁護法などと言う法律もどきのにわかとは違い、
この『人道に対する罪』は戦争犯罪の訴追で効果を上げています。
"実績"が有るんですね。
容疑者を極刑に処す事も可能です。
導入されれば、歴史的瞬間になるでしょう。
なにしろ、戦時国際法やハーグ陸戦条約・ジュネーブ条約の捕虜取り扱い規定の考え方が、
日本国刑法に入る事になるのですから。
『少年法の完全廃止』と言うのは法の下の平等を確保するのと共に、
人類の歴史と身体構造の科学的根拠に基づいた、
『十三歳成年制』の導入の呼び水となるものです。
現行の少年法では逆送致の形で通常の裁判も可能ですが、
これでは甘すぎる訳です。
よって、完全廃止して、このトンデモ法律を廃する必要が有るんですね。
少年法は「公人は別」と言う考え方が盛り込まれた唯一の法律なので、
反対している連中はスキャンダルジャーナリズムないしは、
それに与同している奴らと考えるのが妥当ですね。
ともかく、きっちりといじめの実行犯達を裁き、
始末しないと、成人してからもっと極悪な事をやるでしよう。
『火は火花のうちに消せ』と言いますから、
いじめ事件の実行犯達を司法の手で始末する必要が有るんです。
Posted by 懐疑主義者 at 2012年08月06日 19:41
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