2008年12月10日

毬江がテレビに出なかったわけ

『活字倶楽部』2008年秋号の有川浩ロングインタビューの中で、アニメ版『図書館戦争』のこんな裏話が披露されていた。

有川 (中略)例えばアニメで、小牧と毬江のエピソードが地上波で放送されなかったのは、毬江が聴覚障害者だという設定だったからなんです。毬江のエピソードはTVではできません、ということがアニメ化の大前提だったんです。それを了承してもらわないと『図書館戦争』はアニメ化できません、と真っ先に言われたことがとても衝撃的でした。(後略)


 やはり。原作では印象的なキャラクターである毬江がテレビに出てこなかったのは、そういう裏があるのではないかと思っていたのだが。
 ちなみに、DVDの3巻には毬江の登場するテレビ未放映話「恋ノ障害」が収録されているのだそうだ。
 これがアニメ版の毬江の設定。声は植田佳奈か。うーん、テレビで見たかった。

 原作を読まずにテレビ版しか見ていない人は、そもそもメディア良化委員会が何のためにどんな基準で本を狩っているのか、よく分からなかったのではないだろうか。単純に体制に批判的な本だけを弾圧していると思っていたのではないか。
 原作で重要な役割を果たすのが、『レインツリーの国』という小説である。主人公の笠原郁は高校時代、この本を書店で買おうとして、良化隊に取り上げられそうになった。そこを堂上に助けられたことが、彼女に図書隊への入隊を決意させるきっっかけになったのだ。
『レインツリーの国』は『図書館戦争』のスピンオフ作品として、作者自身によって執筆された。お読みになればお分かりだろうが、美しい恋愛小説である。しかし、ヒロインが聴覚障害者であり、「違反語」が使われているという理由で、『図書館戦争』の世界ではこの本が狩られているのである。

『図書館戦争』の世界は絵空事ではない。現実に起きていることだ。この話をリアリティがないと思うのは、出版界や放送界の実状を知らない人だろう。
『図書館戦争』の世界と違うのは、「違反語」リストを作り、それに従って言葉を狩っているのが、政府が作った良化委員会ではなく、出版界や放送界自身だということ。「メディア良化委員会」とは、実はメディアそのものなのである。
 僕自身の体験を書こう。
 2006年10月、 『TVブロス』のカンヌ映画祭についての記事の中で、ライターが露骨な差別表現を使ったという事件があった。ライターもライターだが、通してしまった編集者も不注意である。要するに差別問題に関する知識も関心も自覚もまるでなかったわけで、問題になるのは当たり前だ。
 ところがその一件で、大手出版社がいっせいに過剰反応した。それまでOKだった、どうということはない表現にまで、過敏にチェックが入るようになったのだ。
 そのとばっちりが僕にも来た。ちょうど『神は沈黙せず』の文庫版のゲラチェックをやっていたのだが、いったん戻したゲラに、校閲者による膨大な数のチェックが入って戻ってきたのである。どれも単行本ではまったく問題にならなかった箇所だ。修正しろという命令ではないが、あらためて表現に一考をお願いする……というのである。
 どんな表現にチェックが入ったか、実例を挙げよう。

>ネットに流れた情報だけを盲信した人々が
>精神病院に入院させられているとか
>地球が狂いはじめているのではないだろうか
>狂信的な熱情にかられて行動した
>たちまち悪臭漂うスラムと化した
>自分の中にも狂気がひそんでいる可能性
>強いボスに盲従する猿たち
>いみじくもドーキンスが言ったように、「盲目の時計職人(ブラインド・ウォッチメイカー)」なのだ。
>兄は狂っているのだろうか。
>よく発狂しなかったものだと
>悲しみのあまり狂乱したことも
>怒り狂った群集によって
>頭のおかしい人間が行なった未熟な犯行にすぎず
>ポルターガイストの荒れ狂う施設 !
>熱狂的な加古沢ファン
>精神錯乱が多発した
>ファンの狂騒に踊らされることは決してなかった
>狂気と正気の境界線をどこに置くか
>狂気に蝕まれている自分に言い聞かせた

 これでもチェック箇所のごく一部にすぎない。 つまり「狂」「盲」という字すべてにチェックが入っているのだ。たまらん。
 だいたい『ブラインド・ウォッチメイカー』を他にどう訳せと? つーか、「ブラインド」はOKで「盲目」はダメという根拠は何だ?
 いちばん笑ったのは、

>私はぽかんと口を開けた。盲点だった。

「盲点」にもチェックが!?(笑)そりゃ盲点だったわ。いやもうこれは床にひっくり返って笑ったよ。 のちに「七パーセントのテンムー」を書いた時に、ギャグのネタにさせていただいた。

>馬丁の娘
>老婆の横顔

 という部分にもチェックが入った。「馬丁」も差別語とは知らなかった。つーか、これをどう言い換えろというのだ?
 なぜ「老婆」が差別語認定されているのか、編集さんも首をひねっていた。おそらく、かつて「婆あ」という侮蔑的表現が問題になったことがあって、そこから拡大解釈して「婆」という漢字すべてを自粛することになったのではないかと想像するが、今となっては真相は分からない。

>電波系
>サイコキラー

 という単語にもチェックが入った。「サイコ」という言葉がまずいらしいのだ。冗談じゃない! ヒッチコックの映画はどうなるんだ!? だいたい、「サイコキラー」なんて言葉、日常的に使ってるだろ。

>かなり節操のない日本的キリスト教徒だったようだ

 という部分にもチェック。「『日本のキリスト教徒は節操がない』と誤読されるおそれがあるのでは?」というのである。いねーよ、そんなひねくれた誤読する奴。お前だけだよ。

>日本各地の福祉施設に収容された何千人もの子供たち

 という部分にもチェックが入った。「収容」という言葉がいかんので「預けられた」に改めろと指示された。なぜ? 分からん。
 さらに笑えたのが、アメリカ国内でイスラム原理主義者やキリスト教右翼によるテロが起きるというくだり。校正者の意見によれば、

「フィクションですが、偏見を助長するおそれがあるのでは?」

 アホかああああーっ!
 実在の集団による犯罪行為をフィクションの中で描いてはいかんというのなら、スパイ小説もポリティカル・フィクションも書けんようになるわーい!
 出版業界で生きる人間が、自分の首絞めてバラバラにして埋葬するようなことを言い出すんじゃねえええーっ!
 こんな箇所にもチェックが入った。

 あるいは、ネットでベストセラーになったコミック『サンバーン』の作者、三崎純へのインタビューという話もあった。参考のために読んでみた私は、すぐに編集者に電話をかけ、「この仕事は別の人に回して」と依頼した。身障者の少女をレイプし、いじめ抜いた末に殺害する主人公の姿と、それをギャグを交えてあっけらかんと描く作者の姿勢は、私には反吐が出そうなほど不快だった。紙の本が出版物の主流で、出版業界のモラルが守られていた時代には、とうてい陽の目を見なかった作品だ。こんなものを描く人物がいることにも、それを夢中になって読む大衆がいることにも、やりきれなさを覚えた。

 だからさ、主人公は差別意識に対する激しい怒りを表明してるんだよ? あんたちゃんと文章の意味、理解してる?
 25章のこんなくだりにもチェックが、

 テキサス州アマリロの市庁舎では、玄関ホールの天井から長さ五メートルもある巨大な足がぬっと突き出した。職員や市民を驚かせただけで、すぐに消えてしまったものの、監視カメラには人間の一〇倍ぐらいのサイズがある白い素足がはっきり映っていた。明らかに黒人の足ではないことから、白人優越主義者はまたもや「神は白人であるという証明だ」と主張した。
 ところがその四日後の夕刻、今度はニューメキシコ州フォート・サムナー郊外の住宅街に、巨大な裸の黒人が出現した。それは一〇人以上の目撃者たちの前で、身長一・二メートルから六メートルまで大きさを自由に変えたという。今度は黒人たちが「神はやっぱり黒人だった」と主張する番だった。

 どこがまずいと思います?
 なんと、「黒人」という単語すべてにチェックが入ってるのである! ええー、「黒人」もNG用語!? んなアホな!
『神は沈黙せず』をお読みになった方ならお分かりのように、この小説には僕自身の、身障者差別・人種差別・民族差別に対する強い嫌悪が随所に反映されている。
 差別問題を扱うのだから当然、差別的発言をする人物も出てくるわけだが、それにすべてチェックが入った。「朝鮮の手先」「あつらは犯罪者ばっかりだ」とかである。
 だからさ、この小説は差別を糾弾してる内容なのに、何でびくびして自粛しなきゃならんわけ? おかしいじゃん!

 最初は笑ってたが、だんだん腹が立ってきた。
 この校閲者、自分では何も考えてない。機械的に「狂」「盲」という字を検索して鉛筆でチェックを入れているだけである。ある表現が差別に当たるかどうか自分で判断することを放棄し、著者に全責任を押しつけている。それはつまり、「私は差別問題なんか分かりませーん」「責任とりたくありませーん」と宣言しているようなもんではないか。
 そういう意識こそ差別なんだと、どうして気づかん!?
 でもって、これまで小説の中で何度も差別問題を描いてきた僕が、何で今さら糾弾を恐れなくちゃなんないんですかい!?
 こわくないよ、そんなの。万が一、人権団体に糾弾されたって、これまで自分が書いてきたものをずらっと並べて、「あなたの方こそ不勉強です。これを読んでください。僕はこういう作家です」と、逆に教育してやるよ。

 こうした「違反語狩り」が本当に差別をなくす目的ならいいことだろう。だが、現実は正反対だ。違反語リストを作って自主規制をしている人たちは、単純に言葉の言い替えで済ませているだけで、差別問題の本質など考えようとはしない。それどころか、障害者の抱える問題をリアルに描く作品や、差別を批判する内容の作品すら規制しようとする。
 違反語狩りは差別問題への真摯な取り組みなどではなく、正反対である。現実に存在する問題から目をそむけ、口をつぐむことで、被差別者についての正しい理解が広まるのを妨げ、間接的に差別を助長しているのだ。

『別冊 図書館戦争I』には木島ジンという作家が登場する。彼は反社会的、暴力的な作品ばかりを書いているが、婉曲表現ばかりで違反語をひとつも使っていないため、メディア良化法では取り締まることができない。彼は良化法に対する批判として、意図的にそうした小説を書き、社会に挑戦しているのである。
 木島ジンというのは嫌な奴だと思う。しかし、言っていることは正論だ。違反語さえ使われていなければいいという問題ではない。それは『レインツリーの国』を読めばよく分かる。
『レインツリーの国』と木島ジンの作品は正反対だが、同じことを訴えている。前者は違反語を使ってはいる差別的ではなく、後者は違反語を使っていないが差別的である。
 ある表現が差別的かどうかは文脈から判断するしかない。単語だけ取り出しても意味がない。こんな単純なことを理解できない――いや、理解しようとしない人間が大勢いる。

 繰り返す。『図書館戦争』はリアルな話である。銃撃戦こそないものの、僕らはすでに『図書館戦争』の世界で生きているのだ。


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この記事へのコメント
「レインツリーの国」は小牧が毬江に勧めたことにより良化委員会に拘束されるきっかけになる本であって、少なくとも原作では検閲対象だとか、郁の高校時代のエピソードと関係しているという記述はなかったと思うのですが。
Posted by tui at 2008年12月11日 00:28
主人公笠原が入隊するきっかけになった本は別で、レインツリーの国は毬江と小牧関連の話で出てきた本だったかと
Posted by 通りすがり at 2008年12月11日 15:38
こんばんは、はじめまして。
私も図書館戦争が好きなのですが、アニメ版はあまり好きでは無いです。
銃撃戦を中心に作られた、派手な戦闘シーンばかりが印象に残っているような気がしますね。
ただ、郁が図書館隊に入ったきっかけは『乞食の老人』が登場するお話です。
『レインツリーの国』は、小牧教官が毬江ちゃんのために、選んだ本だったかな。

 言葉の差別用語については、私は一読者にすぎないので、あまり意識したことはありませんでした。
 今の時代でも、仕事をされている方にとっては、色々な弊害があるのですね。
Posted by EBS at 2008年12月11日 21:05
郁が高校時代に買おうとして取り上げられたのは「レインツリーの国」ではなく「大好きだった童話の、十年ぶりに出版された完結編」だったかと…。
Posted by 名無し at 2008年12月11日 22:12
 すみません、記憶で書いてたんで混乱してました。訂正させていただきます。
Posted by 山本弘山本弘 at 2008年12月12日 18:19
私にはそもそもなぜ差別的なものを載せたらいけないのかがわからないです。
Posted by K at 2008年12月14日 22:56
ちょっとよく解らないのですが、

>修正しろという命令ではないが、あらためて表現に一考をお願いする

という前提での『指摘』がどうして問題になるのでしょう?

書かれている文面だけから判断すると、アクシデントを受けて突然規制を強化することになったため、件の校閲者氏が怪しい表現を盲撃ちしただけのようにも見えます。
(というか、文責のない校閲者の仕事がある程度機械的になるのは仕方がないような……)
そもそもそんな規制をかけるのが間違っている、というのなら解らないでもないのですが、それなら尚更、校閲者だのメディアだのに責任を被せるのは問題を矮小化する行為であるように思います。

まあ、想像の話は置いておくとしても、「『図書館戦争』はリアルな話」と言うための根拠に、強制力の緩そうな校閲者の話を持ってくるのはちょっと弱いんじゃないでしょうか。
それとも門外漢だから知らないだけで、出版業界ではクレジットにも載らない校閲者の訂正が絶対的な権限を持つとか?
そうだとするなら、言葉狩り以上の問題であるような気がするのですが……
Posted by ぺんでゅらむ at 2008年12月18日 23:24
前回とは違い、今回は大枠で
山本氏の見解に同意します。
言葉狩りとは違いますが、神戸の独立UHF局である
サンテレビジョンで今春放送された
深夜枠のアニメ「シゴフミ」が「時事問題に配慮」した
極端な自主規制がなされ、
第3話では人に向けてボコスカ撃たれた訳でもない散弾銃を
画面から徹底的に排除するという意味不明な演出(怒)で
一部キャラクターの行動が不明瞭となり、
学校やネットでの虐めをテーマに扱った第6話は
それ自体が「不適切な内容である」として
カットされてしまいました。
また、BPOの視聴者意見で時折目に付くのが
ドラマなどでの何かしらの描写に対して
「言いたい事は分かるが宜しくない。」
という内容の発言です。ありていに言えば
作品としての必然や主張に関係なく、
自分にとってイヤな状況に対して
脊髄反射的な嫌悪感を優先しているわけで、
なんつーか、「考えるのがイヤ」なナマケモノさんは
なにも業界の人間だけという訳ではなさそうです。
Posted by 雷カノ at 2008年12月19日 21:54
すみません。以下のように訂正します;
×一部キャラクターの行動が不明瞭に…

○登場人物の置かれた状況がイマイチ伝わらなくなり、

ここ数年、書き込み後に修正できる掲示板を主に利用していたので
一発勝負的なコメントの書き込みはどうも不得手で
アラが出てしまいます。これでは山本氏のうっかりに
突っ込みを入れられないですね(^^;
大変失礼いたしました。
Posted by 雷カノ at 2008年12月20日 15:29
>ぺんでゅらむさん

 実際に出版の現場にいない人から見ると、「そんな要求なんか突っぱねりゃいいじゃん」と思われるかもしれません。ですが、小説家や編集者にとっては、校閲者との戦いというのは実に神経をすり減らすものなんですよ。
 いちいち「なぜこの表現でなくてはいけないのか」とか「この表現が差別表現ではない理由」を説明して、校閲者を納得させなくちゃならないんです。それもゲラのすべてのチェック箇所に関してです!
 編集者と電話で話しながら、「ここはどういう風に言い訳したらいいか」とか「ここは突っぱねましょう」とか「ここは変えたほうがいいかも」というようなことを相談するんですが、数箇所ならともかく、チェック箇所があまりにも多いと、この作業だけで精神的にくたくたになります。しまいに「もう勘弁して」と泣きたくなります。
 まあ、ベストセラーを出している大作家なら「俺がこの表現でOKだと言えばOKなんだ」と押し通すこともできるのかもしれませんが、僕はそんなに売れてませんので(笑)。

>(というか、文責のない校閲者の仕事がある程度機械的になるのは仕方がないような……)

「ある程度機械的」ならいいんですよ。でも、すべての「狂」「盲」という文字にチェックを入れるなんてのは、完全に機械的ではないですか。特定の文字を検索するだけなら今や機械でもできます。人間がやるのは鉛筆でゲラにチェック入れるだけ……つまり考える必要がないということです。
 文章の意味を理解した上で 「この表現は問題があるのでは?」と判断するのは、機械にはまだできないことです。だからこそ人間がやらねばならないのではないですか。それを「機械的」に済ましてしまうのなら、人間が校閲をやる意味があるんでしょうか?
 しかも、その「機械的な行為」によって入った膨大なチェックの99%以上は、結局は原稿のまま通ってしまいます。つまり作業は無駄に終わるのです。何という非効率でしょう。
 だいたい、少しぐらい差別的なニュアンスが残ったところで、最近では抗議なんかめったに来ません。 『TVブロス』事件のように、よほど無神経に言葉を使った場合だけです。
 ありもしない危険を恐れるあまり、無駄な行為に時間と労力を費やしているというナンセンス。
 こんなにも抗議を過剰に恐れる心理の裏側には、抗議をしてくる団体に対する差別意識(「奴らはこわい」)があるのではないかと、僕は疑っています。差別意識を持っていないのなら、抗議を恐れる必要なんかないんですから。
Posted by 山本弘山本弘 at 2009年02月07日 17:54
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