2016年10月12日

弱者が常に正しいわけじゃない

 前の記事からの続き。
 なぜ僕がこの映画を純粋にアニメ映画として観てほしいかというと、2013年、原作の最初の読み切り版が『別冊少年マガジン』に載った時、Toggeterでこういう意見を目にしたからである。

求めていたのは和解ではなく拒絶~普通学校で虐められた聴覚障害者が読んだ聲の形~
http://togetter.com/li/459715

 僕もあの読み切り版の結末については不満があった。展開が唐突すぎて、安直に感じられたからだ。(そのへんは連載版や、今回の映画版でかなり改善されている)
 しかし、このマンガに不満を持つ人たちの意見を読んで、愕然となった。

>いっそ転校したあと、クラス全員がバス事故で死ぬくらいでないと納得行かない部分はあるよねw

>@kurage313 @ChromeTzahal もしくは少女がイジメのエスカレートで殺されるも、隠蔽されてしまう。残された両親はある男に依頼する。ってノリでクラス全員射殺されて「いじめ問題は日本において~」ってナレーションが流れてだな

>結局のところ、ひどい健常者と良い子な障害者という構図はお腹いっぱいなんですよ!ギャングスタみたいに惨殺するろうとかが俺はもっと見たいんです!です!

>唐突に宇宙からの怪音波が地球上に流れて、クラスメイト全員憤死してヒロインだけが生き残り、補聴器捨てられたおかげだ、主人公君ありがとう…ってラストがよかたよ

>おい、早くコラでコブラが現れていじめっ子やクソの担任をサイコガンでぶちのめす奴はよ


 いやいやいや、そりゃだめだろ!
 ギャグ作品ならともかく、あのリアルな世界観の話に、そんな現実離れした結末つけたら、話が台無しになっちゃうだろ!
 あの結末に不満があるのは分かる。でも、出てきた代案がどれも原作以上に現実離れしたものばかりってどういうこと? それこそまさに現実逃避じゃないの?
 僕はその時、思ったんである。「ああ、素人は創作という行為をこんなに安直に考えているのか」と。
 ストーリーのつじつまとか世界観とかテーマ性とかはどうでもよくて、とりあえず自分の個人的なうさが晴らせたら満足なのか。
 でも、そんなのは創作じゃないんだよ。

 あと、なぜか硝子を無抵抗で心優しいだけの天使のようなヒロインだと思いこんでいる人が多いのが不思議。
 硝子が将也に飛びかかって、取っ組み合いのすごい喧嘩をするシーンが、記憶から飛んでるんだろうか? 僕はあのシーンがいちばん印象に残ったんだけど。
 言葉が不自由なせいで、うまく自分の意思を表現できなかった硝子だけど、実は内に激情を秘めていたことが分かる──まさに「障碍者も普通の人間だ」ということが示された場面だったから。

 今回の映画でも、こんな意見を目にした。

『聲の形』はいじめっこ向け感動ポルノなのか
http://togetter.com/li/1027520

>「聲の形」観た。これは悪質な加害者救済物語。周囲にさまざまなクズを配置することによって相対的に主人公がマシにみえるようにしてるし、主人公を筆頭にさまざまなクズひとりひとりが最終的に救われる構図だし、聴覚障碍者の子はそのためだけに存在している。物語の道具であり健常者の道具でしかない

 同様のことを書いている人は多い。いじめの加害者である主人公が救われるのが許せない、というのだ。
 ……あのですね。
 僕も子供時代にいじめられてた一人だから言わせてもらうけど、そういう言い方はものすごく危険だよ?
 もちろん、自分をいじめた人間を「許さない」と思う心理は理解できる。僕もそうだから。
 でも、この場合は違う。主人公の将也は確かに最初は硝子をいじめていた。でも、その後でいじめられる側に転落した。そして自分のやったことを反省する一方、自殺を考えるところまで追い詰められてしまった。
 つまり、この物語を否定する人たちは、いじめに遭って自殺寸前まで追い詰められた少年を、「許してはいけない」「救われてはいけない」と主張しているわけである。
 それ、まさに「いじめ」じゃないの?

 他にもこの人、こんなことも書いている。

>あとこれ「君の名は。」もそうだったんだけど、ヒロインが内股。いらっとする。べつに内股の女にいらっとするってわけじゃない。ヒロインを内股にする男の作者の女性観に超絶いらっとするんだよねー。

『聲の形』は原作者も脚本家も監督も女性です!
 内股の女性の絵を見ただけで、「作者は男性」と思ってしまうのって、それこそ性差別意識じゃないのか?

 僕は前にこういう文章を書いた。

いじめ問題:やっぱりこんな事件が起きていた
http://hirorin.otaden.jp/e244973.html

世の中にはこんなにも異常者が多い、という話
http://hirorin.otaden.jp/e247570.html

 繰り返すが、僕はいじめ被害者である。
 だからこそ言うが、いじめ被害者たちの主張が常に正しいわけじゃない。
 理想を言えば、いじめなんてものが根絶されることがいちばんいい。いきなり根絶は無理にしても、少しでも被害者を減らすべく努力するべきなのだ。
 しかし、世の中には、いじめ加害者や事件の関係者を殺していいとか、事件と無関係な人に冤罪を着せ、いくら迷惑かけてもかまわないとか思っている人間がいる。被害を少なくするどころか、かえって被害を拡大しようと願っている。
 僕はそんな考えを絶対に容認しない。
 はっきり言うが、そんな思想は「悪」だ。 自分がいじめられていたからって、悪に加担してはいけない。

 ちなみに、『僕の光輝く世界』の第1話は、2012年のこの一件をヒントにしている。
 主人公をいじめ被害者と設定したうえで、いじめを憎む世間の人々の歪んだ正義が暴走し、悲劇を生む様を描いた。
 そんなことが起きてほしくないから。


https://www.amazon.co.jp/dp/4062188465   


Posted by 山本弘 at 19:25Comments(12)社会問題アニメ

2016年10月12日

映画『聲の形』

 公開直後に観てきました。

 これは声を大にして言いたい。「この作品は純粋にアニメ映画として評価してほしい」と。
 変な色眼鏡で観ないでほしいし、ましてや観もしないで悪評立てないでほしい。

 とにかく出来がいいんだよ!
『けいおん!』『たまこまーけっと』『中二病でも恋がしたい!』『響け! ユーフォニアム 』などを手がけてきた山田尚子の、現時点での最高到達点と呼びたい作品。
 全編、人と人の心理的距離を、画面上の距離で表現するという手法が駆使されていて感心する。観てて今この二人がどれぐらい心理的に近づいているか、あるいは離れているかが、サブリミナル的に観客に理解されるようになっているのだ。
 だから、その距離を無視して強引に接近してくる植野や永束の不快感が、ストレートな不快表現を用いることなく印象づけられる。特に、将也の自転車の荷台に乗ってくる植野! 顔も声もかわいいのに、すっごく不快なの!
 永束の場合も、悪い奴ではないんだけど、他人との正しい距離が理解できないせいでみんなから嫌われてるんだというのが、やはり説明なしでもよく分かる。つーか、こいつ、昔の自分を見るようですごく痛いんですけど(笑)。
 将也と結絃の傘越しの会話(この時点では、結絃は将也のことを許していない)とかも、傘が「心の壁」を表現している。
 あと、二人の人物が向かい合って話しているシーンでも、心がつながっていないと、一人称視点で相手の首から下しか描かない。相手の顔をまともに見ていないわけである。わざわざキャラクターの表情を描くまでもなく、心理が伝わるのだ。
 原作でも、将也が他人を拒絶している状態を、相手の顔の上に×を描いて表現していたけど、この映画でも同様に、キャラクターの心理を、台詞による説明や表情でストレートに描くんじゃなく、演出(特にレイアウト)で表現してるんである。
 なぜかというと、もちろん、主要キャラクターである硝子が言葉が不自由だから、台詞に頼ることなく心情を表現することに重点を置いているからだろう。
 個人的にすごく印象に残ったのは、硝子がベッドの上で足をばたばたさせるシーン。足しか描いてないのに、彼女の心理が伝わってきて、すごくかわいくて笑っちゃうの! 何この高等テクニック(笑)。

 他にも、「さすが京アニ」と感心するカットが多数。最初の方の、将也がただ歩くシーンの短いカットでも、「うわっ、すげっ」と驚いたし。
 何度も出てくる水中シーンなんかも、『Free!』のノウハウの蓄積を感じさせた。
 リアルな設定の作品だが、おそらく実写化したってこれほど面白くはなるまい。アニメならではの快感である。

 あと、硝子役の早見沙織さんの演技にも拍手を送りたい。難しい役なのに、よくぞこなした。かなり練習したんだろうなあ。

 無論、100点満点とは言わない。全体に話が偶然に頼りすぎているのが気になる。知っている人間と街でばったり出会うことが多いのだ。
 特に後半、将也が入院するくだり(ネタバレになるので理由は書かない)は、かなり展開に無理があって、このへんはもっと自然な展開はなかったのかなあと思ったりもする。
 でも、その後のクライマックス、学園祭のシーンが、やっぱり快感なんである。

「いじめ」や「身障者差別」を扱った物語だが、そうした限られた側面だけを見ないでほしい。どうか物語全体を見てほしい。
 小学校時代、いじめを受けていた少女と、その家族。いじめの加害者側から被害者側に転落した少年と、その家族。今もいじめを受けている者。かつて自分がやったいじめを反省していない者。いじめの自覚がない者。そんな過去があったことを知らない者……それぞれの視点で描かれる。
 どの視点が正しいか、ということはない。原作者も監督も、安直な結論を出してはいない。将也が結論めいたことを口にしたら、あっさり否定されたりする。
 現実に存在する問題に、安直な結論を出してはいけないからだ。

 個人的には、悪役である植野が罰せられていないことに、逆にリアリティを覚えた。
 彼女が何らかの罰を受けていたら、勧善懲悪の物語にはなってはいただろうが、リアルな話にはならなかっただろうから。

  


2016年10月07日

そろそろ『シン・ゴジラ』の感想を書く

 もうかなりの人が観ただろうから、ネタバレを恐れずに『シン・ゴジラ』の感想を書いてもいいかと思う。
 もっとも、主なところはすでに多くの人が指摘しているのだが……。

 まず、過去作品へのオマージュ。
『ゴジラ』(84)をはじめ、『日本の一番長い日』や『エヴァンゲリオン』、『ナウシカ』の巨神兵などとの類似については、すでに多くの人が語っているけど、意外に『ゴジラ対ヘドラ』の名を挙げる人が少ないように思った。
 だって、第一形態、第二形態、第三形態……と姿を変えて上陸してくるって、明らかにヘドラがヒントでしょ?
 だから、ゴジラがさらに進化して飛行能力を有するようになるかも……という説明で、戦慄したんである。「今度のゴジラ、飛ぶの!?」と。
 だって、蒲田くんからの劇的な変態を見せられたら、もう一段階の変態ぐらいはアリだと思っちゃうよ。まあ、大半の観客はそこまで行くとは思ってなかっただろうけど、『ゴジラ対ヘドラ』を知ってる人間にとっては、ゴジラが飛ぶというのは、冗談抜きで、十分にありえることに思えたのだ。特撮ファンだけに通じるミスディレクションかも。
 まあ、さすがに空を飛ばれたら、もう手の打ちようが何もなくなっちゃうからね。

 あと、攻撃を受けるたびにそれに反応して強くなる怪獣というと、『ウルトラマン』のザラガスが有名だけど、僕はむしろ『ウルトラマンマックス』のイフを連想した。あの「何をやっても無駄」「世界はもう終わりかもしれない」という絶望感は、『シン・ゴジラ』に通じるものがあると思う。

 僕が感心したのは、これまでの怪獣映画のどれよりも、自衛隊の兵器が正しく運用されていたこと。
 僕も『MM9-invasion-』を書いた時に、東京のど真ん中にいきなり宇宙怪獣が出現したら、自衛隊はどう対応するかを考えた。まず戦車は出せなかった。あの短時間で地上部隊は展開できないから。だから航空戦力中心。
 この映画でも、最初にゴジラに立ち向かうのはアパッチ。30ミリチェーンガンとかヘルファイア対戦車ミサイルとか70ミリロケット弾だとかを撃ちまくる。
 これまでの怪獣映画って、戦車や自衛艦が怪獣に近づきすぎてやられるシーンがよくあって、「そんなに近づいちゃだめだろ」っていつもツッコんでた。この映画ではゴジラの尻尾に叩き落とされないよう(この時点ではまだ、ビームを吐くことは分かっていない)、ヘリは十分に距離を置いて攻撃していて、「ああ、そうそう、これが正しいんだよね」とうなずいてた。
 個人的にすごく嬉しかったのは、二度目の上陸の時に登場したMLRS(多連装ロケットシステム)! 『MM9-invasion-』でも怪獣にとどめを刺すために出したけど、たぶん今の陸自の兵器の中で最強。怪獣の動きが鈍ったところで、遠距離からM31を撃ちこむというのは、まったく正しい運用だ。
 まあ、それでも倒せないのがゴジラなんだけど。

 もうひとつ、僕がこれまでの怪獣映画で、ずっと不満に感じてた点がある。
 それは人間ドラマの部分が、怪獣の大暴れするシーン(以下、便宜上、「怪獣ドラマ」と呼称する)と関係ないことが多いということ。

『地球最大の決戦』のサルノ王女暗殺計画とか。
『宇宙大怪獣ドゴラ』の宝石強盗団とか。
 それ怪獣の話と関係ないだろ! というストーリーがよくあったわけですよ。
『ガメラ対バルゴン』のニューギニアのくだりとかも、無意味に長いよね。

 怪獣ものじゃないけど、『日本沈没』(2006)の、これから死を覚悟の任務に向かおうとする草彅剛と柴咲コウのラブシーンも、むちゃくちゃ長かった。もう観てていらいらして、「お前、さっさと死んでこい!」と言いたくなるぐらい(笑)。
 だって『日本沈没』で観客が見たいのはスペクタクルでしょ? ラブシーンが見たいなら他の映画でもいくらでもあるじゃない。なんで『日本沈没』でそんなところに尺取らなくちゃいけないの。自分たちが何の映画を作ってるのか分かってないの?

 しかも日本の映画だからこれぐらいで済んでるんであって、海外の昔の怪獣映画はもっとひどい。『原始怪獣ドラゴドン』なんて、尺の大半が単なる西部劇だ(笑)。

 最初から最後までずっと怪獣を暴れさせ続けるのは、予算がかかりすぎるし、観客もダレる。だから、「人間ドラマ」で尺を埋める。そこまではいい
 でも、その埋め方がまずいと、怪獣ドラマと人間ドラマが乖離してしまう。
 とは言っても、怪獣が現われたら普通、一般人は逃げちゃうからね。「怪獣ドラマ」と「人間ドラマ」は両立させるのが難しい。
『クローバーフィールド』や『グエムル』では、怪獣がいる場所に愛する人が取り残されていて、それを助けるために一般人が怪獣に接近するという構成になっていた。でも、そんな手は何度も使えない。

『MM9』では、「怪獣対策を練るチーム」という設定にして、登場人物たちが怪獣とからむ必然性を作った。
 読んだ方ならお分かりだろうけど、『MM9』の中での気特対の日常描写は、ほんとに必要最小限。たとえば、さくらがプライベートで何やってるかなんて、まったく描かれていない。これ以上削ったらスカスカになるというところまで削ってある。
 何でかというと理由は簡単。怪獣ものの主役は怪獣だから。怪獣と関係のない日常描写は、『MM9』の本質からはずれる。 だからなるべく描かない。
 怪獣ものにおける「人間ドラマ」というのは、あくまでフレーバー、料理で言うなら隠し味のスパイスでなくてはいけない。それがなかったらつまらないけど、ありすぎると邪魔になる。

 たとえば『MM9-invasion-』のヒメと一騎のラブコメ展開にしても、ちゃんと分析していただければ、すべて、スカイツリーと雷門でのバトル、皇居でのリターンマッチを盛り上げるためのお膳立てであることが分かるはず。怪獣もののメインはあくまで怪獣の大暴れのシーンであって、「人間ドラマ」はそれに奉仕するためにあるんである。
 もちろん僕は怪獣映画に「人間ドラマ」は不要だとは思っていない。料理を美味しくするためのスパイスは必要だから。
 でも、塩を入れるべき料理に砂糖を入れるような、「スパイスの入れ間違い」は勘弁してほしい。
 あと、スパイスを料理の本命の食材だと思いこむのも勘弁してほしい。

 そのへんを誤解したのがドラマ版の『MM9』。スパイスが美味しいからといって、スパイスだけで料理を作ろうとした。そりゃあ美味しくなるわけがないよ。

『シン・ゴジラ』のいいところは、ゴジラの大暴れとその対策だけに絞りこんだこと。
「映画には人間ドラマがなくてはならない」というのは錯覚だ。いや、人間ドラマがある映画ももちろんあっていいけど、そんなもん無くていい映画もある。
 男女の愛とか、親子の愛とか、犯罪とか、社会批判とか、そんなものはこの映画に要らない。無駄な尺を取るだけだ。主役はゴジラ。それ以外の要素、つまり「人間ドラマ」はフレーバー。そう割り切って作られている。
 樋口真嗣監督は、『日本沈没』や『MM9』だけでなく、『ローレライ』や『進撃の巨人』など、同じ失敗を繰り返してきた人だ(上からの要望を断れない人だと言われてる)。今回の成功は、やはり脚本と総監督を手がけた庵野秀明氏の功績だろうと思う。

 だから「この映画には人間ドラマがない」という批判に対しては、こう開き直るべきだと思う。

「それがどうしたの? だってげんに怪獣映画として面白いでしょ?」

 あと、もうひとつ。切実なお願い。これは『シン・ゴジラ』に限ったことじゃないけど、作品に余計な意味を読み取らないでほしい。製作者が意図していなかったり、あるいはわざわざ排除した要素を、勝手につけ加えないでほしい。

シンゴジラで民衆がコールをするシーンは「ゴジラを倒せ」か「ゴジラを守れ」かどっちなのか!その真相は意外にも?
http://togetter.com/li/1033468

 ↑これなんかまさにそれ。
 庵野総監督はこの映画を、右にも左にも偏向しないように配慮して作っている。露骨なイデオロギーなんか入れたら作品がつまらなくなると分かっているからだ。
 なのに、何でわざわざ偏向した意味をつけ加えなきゃいかんのだ。
 つーか、怪獣映画をそんな観方して面白いの?
 素直に「怪獣ドラマ」を楽しめ。頼むから。
 
  


Posted by 山本弘 at 21:42Comments(17)特撮映画最近観た映画・DVD

2016年10月07日

僕たちの好きだった80年代アニメ Part3

山本弘のSF秘密基地LIVE#62
僕たちの好きだった80年代アニメ Part3

 1980年代──アニメがまだセルに描かれていた時代。でもストーリーや表現の面では、急速に新しい波が押し寄せ、激動の時期を迎えていました。
 山本弘と鋼鉄サンボ、いい歳してアニメが大好きな二人が、あの時代を振り返り、様々な作品の思い出話や裏話、マニアックなトリビアを熱く語りまくるという連続企画。
 前回は1983年まででしたが、いよいよOVAも台頭してきて、いっそう混迷の度を深めます。どんな話題が飛び出すのか、あなたも懐かしさと恥ずかしさをこめて振り返ってみませんか?


[出演] 山本弘 鋼鉄サンボ

[日時] 2016年10月28日(金) 開場・19:00 開始・19:30

[会場] なんば紅鶴(大阪市中央区千日前2-3-9 レジャービル味園2F)(地図)南海なんば駅より南海通り東へ180m・駐車場有

[料金] 1500円  
(店内でのご飲食には別途料金がかかります。入場時に別途ワンドリンクをご購入いただきますのでご了承ください)

予約申し込みはこちらへ
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=108065145


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 いつもの企画です。これまで2回やったのに、まだ1983年までしか進んでいないんですよね。とにかく話すことが多すぎて……。
 ちなみに83年は最初のOVA『ダロス』が発売された年で、翌84年からどどっとOVAが増えてきます。『バース』『街角のメルヘン』『魔法の天使クリィミーマミ 永遠のワンスモア』がこの年。
 84年の劇場アニメでは『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』『風の谷のナウシカ』『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』『SF新世紀レンズマン』『少年ケニヤ』。
 TVアニメでは『重戦機エルガイム』『機甲界ガリアン』『巨神ゴーグ』『超力ロボ ガラット』『ビデオ戦士レザリオン』『ゴッドマジンガー』『超時空騎団サザンクロス』『星銃士ビスマルク』『夢戦士ウィングマン』『北斗の拳』『魔法の妖精ペルシャ』『とんがり帽子のメモル』『名探偵ホームズ』……うわー、なんかほとんど観てる(笑)。特に、あまり語られることのない『レザリオン』や『メモル』あたりを、熱く語ってみたいと思ってます。
 うーん、このペースだと、完結するまであと3回か4回は必要かな……。
  
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Posted by 山本弘 at 17:33Comments(3)PRアニメ

2016年10月07日

ホームページのURLが変わりました

 長らく利用してきたニフティの@homepage(アット・ホ ームページ)が11月10日でサービス終了するのに伴い、ホームページを移転いたしました。
 ブックマークされている方は変更をお願いします。

http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/

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Posted by 山本弘 at 17:05Comments(2)PR