2015年03月08日

クリプトムネジアの恐怖・3

 そこで先の筒井康隆氏の文章だ。実はあの文章には先がある。

> SFをはじめて書くきみが、やっと見つけたアイデア――そんなものは、とっくに、どこかのプロ作家が考えだし、書いてしまっているに、きまっているのだ。しかも、ずっとおもしろく、ずっとうまい文章で!
> よほど、ほかにない新しい、しかもすばらしいアイデアでないかぎり、アイデアひとつで勝負するのは、危険なのである。
──筒井康隆『SF教室』

 アイデアひとつで勝負してはいけない、と筒井氏は警告する。大事なのはアイデアではなく、そのアイデアから君がどんなテーマを語るかだと。(長文になるので、詳しくは『SF教室』を読んでほしい)
 中学時代の僕は、この言葉にものすごく感化された。

 筒井氏の言葉は、作家にとって絶望ではなく希望である。誰が最初にそのアイデアを思いついたかは重要ではない。極端な話、自分で思いついたアイデアでなくてもかまわない。他の人が考えたアイデアであっても、自分なりにそのテーマに真剣に取り組み、結果的に違う作品になればいいのだ。
 ウェルズの『タイムマシン』を思い出してみればいい。現代のSF作家の中にも、作中にタイムマシンを登場させる人は大勢いる。でも、それはウェルズの盗作じゃない。ストーリーが違っていれば別の作品だ。
 さらにタイムマシン自体も、ウェルズが世界で最初に思いついたのではない。1887年に、スペインの作家エンリケ・ガスパール・イ・リンバウが書いた『時間遡行者』という小説が最初だと言われている(ウェルズの『タイムマシン』は1895年の作)。
 実はウェルズはタイムマシンというアイデアを何度も書き直している。1888年、アマチュア時代に書かれた初期作品「時の探検家たち」は、田舎の村に引っ越してきた変人科学者がひそかに作っていたのが、実はタイムマシンだった……という話。タイムマシンというアイデアを提示しただけで終わってしまい、なんともつまらない。
「これではいかん。やはりタイムマシンというものを出すなら、遠い未来、それこそ地球の終わりまで行くような壮大な話にしなくてはいけない」
 おそらくウェルズはそう反省したのだろう。こうして書き上がったのが、僕らの知る『タイムマシン』だ。
 ウェルズがリンバウの作品を読んでいたのかどうかは分からない。何にせよ、今ではリンバウの名は忘れられ、『タイムマシン』といえばウェルズということになっている。それだけ『タイムマシン』は優れた作品だったということだ。

 僕はよく小説を料理にたとえる。アイデアというのは食材である。食材が同じであっても、それをどう調理するかで、ぜんぜん別の料理になる。
『地球移動作戦』の元ネタが『妖星ゴラス』だというのは公言してるけど、『神は沈黙せず』や『去年はいい年になるだろう』や『UFOはもう来ない』にしても、似たようなアイデアの話はすでにいくらでもある。
 アイデアを思いついても、それだけで勝負してはいけない。そのアイデアがすでに誰かに書かれているという前提で、自分ならどう調理するか、どんなテーマを語るか、どうすれば「自分の小説」になるかを考えるのが大切だ。
 それを僕は筒井康隆氏に教わった。

「走馬灯」や「ウラシマの帰還」の問題は、「午後の恐竜」や「遙かなるケンタウロス」とアイデアが同じという点じゃなく、先行作品を超えるものになっていないってことなんである。
 一方、久野四郎氏の「勇者の賞品」は違う。「遙かなるケンタウロス」とアイデアは同じであっても、描き方がまったく異なる。
 太陽系からさほど遠くないところに、自然に恵まれた地球型の美しい惑星がある。しかし、宇宙船がその星に近づくことは禁じられている。というのも、何世紀も前、その惑星を目指して出発した植民宇宙船があったからだ。光速よりもずっと遅いスピードで、今もその星に向かっている。乗員は冷凍睡眠の状態にあり、すでに超光速航法が実用化していて、多くの惑星に人類が進出していることを知らない。そこで未来の人々は、乗員に真実を知らせないことに決め、その惑星を手つかずのまま残し、彼らの賞品とすることにした……という話。
 しかもこの話はそこで終わらない。最後の方は、乗員に真実を隠すのは正しいことなのかどうか、というディスカッションに発展するのだ。これは「遙かなるケンタウロス」のアイデアを発展させた、まったく別の作品だ。
 今では忘れられた作品だけど、僕は好き。どこかで復刻してくれないものか。

 だから「午後の恐竜」も、何かいい調理法を思いついたら、ぜんぜん違う話になるんじゃないかな……と、何十年も前から考えてるんだけど、その調理法をまだ思いつかない。
  
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Posted by 山本弘 at 20:00Comments(18)SF作家の日常

2015年03月08日

クリプトムネジアの恐怖・2

 では、栗本氏は「午後の恐竜」を読んだことがなく、まったく偶然に同じアイデアを思いついたのだろうか?
 どうもそうではないらしい。
 というのも、「走馬灯」が収録された短編集『さらしなにっき』(ハヤカワ文庫・1994)で、作者自身がこんな解説を書いているのだ。

> こりゃまた短い。こんな短いものを書いていた時代っていうのもあったんだなあ。
> これはまた凄い発想ですね。**が最後に見る走馬灯! いったいどこからこういうアイディアを考えつくのかね、栗本は? 最近あまりこういうショートショートっぽい発想というのは思いつかないような気がするのだが。
> これも小松さんのショートショートを思わせるものもあるし、星新一さんっぽくもありますが、確かなんとなくこれに雰囲気の似た話、というよりもこれを思いついたきっかけになった話は、確か小松さん──あるいは豊田さんだったのかな──だと思うんだけど短篇で、鉄腕アトムが出てきて主人公に話しかけたと思ったらうしろにゴジラが──フィクションと現実がごっちゃになっちゃう、という話があったような気がします。あいまいな話で申し訳ないが。(後略)

 それは小松左京氏の「新趣向」ですね。豊田有恒氏の名前を出しているのは、豊田氏の短編「二次元のスタジオ」(豊田氏の虫プロ時代の体験談をフィクション化した話だが、オチは明らかに「新趣向」にインスパイアされている)の記憶がごっちゃになってるのかもしれない。
 つまり栗本氏は、「新趣向」を明らかに読んでいるのに、その記憶がかなり曖昧なのである。
 それどころか、栗本氏は自分の書いた作品の記憶すら曖昧だ。同じ短編集に収録された「ウラシマの帰還」(SFマガジン83年7月号)という短編の解説にはこうある。

> いまとなってはちと古めかしい感のある設定だな(笑)と思って読み進んでいたら、なるほどそれがオチだったのですね(笑)いやー忘れてるもんだ。
> まあ「ワープ航法」なんて概念そのものがいまや古めかしいっちゃ古めかしいですが、しかしおわりまで読むとなかなか哀切な話ではあります。確か栗本はこれによく似た話をもうひとつ書いた記憶がある。ええっと、何だったかなあ。「最後の方程式」をカンチガイしてるんだろうか。

 そう、栗本氏は11年前に自分がどんな話を書いたかすら覚えていない! まあ、あれほど多作な人だと、いちいち何を書いたかなんて記憶していられないのだろう。
 ちなみにこの「ウラシマの帰還」、亜光速宇宙船で130年間の恒星間飛行を成し遂げた宇宙飛行士が、地球に帰ってみると、彼らが出発した後でワープ航法が発見されていて、自分たちがやってきたことが無駄な努力だったことを知る……という話。これまたA・E・ヴァン・ヴォクトの「遙かなるケンタウロス」(SFマガジン60年7月号)や、久野四郎「勇者の賞品」(SFマガジン69年7月号)という先行作がある。栗本氏の世代のSFファンなら60年代に〈SFマガジン〉を読んでいたはずなので、「遙かなるケンタウロス」や「勇者の賞品」を目にしていてもおかしくはない。

 つまり栗本氏は偶然に「午後の恐竜」と同じアイデアを思いついたのではなく、「午後の恐竜」を読んでいて、それを忘れていたのではないだろうか? ただアイデアだけを漠然と覚えていて、自分が思いついたアイデアだと錯覚したのでは?
「最近あまりこういうショートショートっぽい発想というのは思いつかないような気がするのだが」というのも、自分の発想ではないことに薄々気がついていたようにも読める。

 こういう現象には精神医学の世界でちゃんと名前がある。潜在記憶=クリプトムネジア(Cryptomnesia)という。自分が読んだ本や耳にした音楽のことを忘れてしまうが、まったく頭の中から消えてしまったわけではなく、記憶の底に残っているのだ。後でその記憶がよみがえった時に、それがどこから来たのか分からない。自分の発想であるかのように勘違いしたりする。
 クリプトムネジアが注目を集めたのは、いわゆる「前世の記憶」に関してだ。
 1969年、ジェーン・エヴァンスという30歳の主婦が、6つもの前世を思い出したという例がある。そのうちのひとつは、ローマ時代の女性「リヴォニア」としての人生だった。その内容はきわめて歴史的に正確で、ただの主婦が想像で語れるようなものではなかった。
 しかし、じきにその理由が判明した。1947年に書かれた『生きている森』というローマ時代が舞台の小説のストーリーが、ジェーン・エヴァンスの語った「前世」とそっくりであることが判明したのだ。ジェーンの話の中に登場した人物の何人かは、小説の中の架空の人物だった。つまりジェーンはずっと前に『生きている森』を読んだが、それを忘れていた。だが、そのストーリーは記憶の底に残っていた。それがよみがえった時に、「前世の記憶」と思ってしまったのだ。
 他にも同様の例はいくつもある。「前世の記憶」なるものの多くは、その人が小説か何かで読んだストーリーを思い出し、自分が体験したことのように錯覚しているのだ。

 これは小説家にとって恐ろしいことである。読んだけど忘れてる小説、観たはずなのに忘れている映画やドラマなんて、いくらでもある。それらの潜在記憶が何かの拍子にひょいとよみがえった時に、自分が思いついたアイデアだと錯覚してしまうことはありえる。その気がなくても「盗作」をしてしまうかもしれないのだ。
 以前、『魔境のシャナナ』というマンガの原作を書いた。人気が出なくて打ち切りを食らったが(笑)、実はかなり先のエピソードまでプロットを書いていた。
 連載が終わって2年ぐらいしてからだろうか。そのプロットを読み返していて、突然、そのエピソードのうちのひとつが、『うしおととら』の時逆(ときさか)の話にそっくりだということに気がついた。
 やばい。連載が打ち切られなかったら、このエピソードが日の目を見ていて、誰かが類似に気がつき、「『うしとら』のパクリだ!」と騒がれていたかもしれない。

 こうしたことは、作家をやっていたら、嫌でも起こり得る。『うしおととら』の場合、まだストーリーを覚えていたから自分で気がついたけど、完全に潜在記憶と化していたら、気がつくこともできない。
 じゃあ、どうすればいい?
(つづく)
 
  
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Posted by 山本弘 at 19:17Comments(3)SF作家の日常

2015年03月08日

クリプトムネジアの恐怖・1

 今回は、大半の人にとっては「恐怖」じゃないかもしれないけど、作家にとっては恐怖の現象を紹介したい。それは「クリプトムネジア」。

 まず、これを読んでいただきたい。ネットで検索していて、偶然ヒットした、2013年のニュースである。

栗本薫の短編小説「走馬灯」がイタリアにて映画化
http://sfwj50.jp/news/2013/07/somato-kurimotokaoru-movie-italia.html

 この記事、不自然だとは思われないだろうか?
 日本のSF作家の作品が映像化されたというのに、なぜか、かんじんの「走馬灯」の内容についてまったく言及がないのだ。
 まあ、イタリア人が知らなかったのはしかたない。しかし、ストーリーを書いてしまうと、日本のSFファンならみんなピンとくるだろう。

「これってまるっきり、星新一の『午後の恐竜』じゃん」と。

 ちなみに「走馬灯」は『S-Fマガジン』1988年2月号掲載作品。当時、僕はリアルタイムで読んで、唖然となったもんである。 無論、アイデアが同じであっても、ストーリーが違っていれば別の作品だが、「走馬灯」はそのアイデアが提示された時点で終わってしまうので、「午後の恐竜」に何も新しいものをつけ加えていないのである。
 原稿を渡された編集者も困惑したんじゃないかと思う。いや、当時存命だった星新一氏はどう思っただろう?

 さすがに『SFマガジン』誌上で意識的に星新一のパクリをやるとは思えない。おそらく栗本氏は意識して盗作をやったのではないと思う。
 これには二つの解釈がある。ひとつは、栗本氏は「午後の恐竜を読んだことがなく、まったく偶然に同じアイデアを思いついたのだという考え。

 実はアマチュア時代、1980年代初頭だったと思うが、こんなことがあった。あるイベントの直後、数人のSFファンが駄弁っていた時、一人が「今度こういう話を書こうと思ってるんだ」と言って、自分の思いついたアイデアを披露したのである。
 まわりにいた、僕も含む全員が、「それ、星新一の『午後の恐竜』だよ」と指摘したら、そいつは「えっ、もう書かれてたの?」と驚いていた。
 つまり星新一氏でなくても思いつくアイデアだということだ。

 以前、小説講座をやっている人から聞いたんだけど、作家志望のアマチュアの人にショートショートを書かせたら、「主人公が実は虫だった」というオチを書いてくる人がやたらにいるのだそうだ。主人公の一人称による描写で話が進み、最後に実は主人公がゴキブリだったとか、蚊だったとか判明するのだ。
 思いついた人は「斬新なオチだ」と思ってるかもしれないけど、そんなのは誰でも思いつく程度のものなんである。

> SFをはじめて書くきみが、やっと見つけたアイデア――そんなものは、とっくに、どこかのプロ作家が考えだし、書いてしまっているに、きまっているのだ。しかも、ずっとおもしろく、ずっとうまい文章で!
──筒井康隆『SF教室』

 筒井康隆氏の『SF教室』は、僕が中学の時に学校の図書室で借りてむさぼるように読んだ、いわば僕にとってのSFのバイブルである。この本で得た知識は多い。
 長らく絶版で入手困難だったが、昨年、『筒井康隆コレクションⅠ 48億の妄想』(出版芸術社)に収録されたので、また読めるようになった。高い本だが、おすすめしておく。

 子供向けの本とはいえ、筒井氏の筆はまったく容赦なく、SFや創作について、あけすけに本音を書きまくってる。そのかっこよさ、今読んでもしびれる。
 特に秀逸だと思うのが、上記の「SFをはじめて書くきみが」なのである。
 身も蓋もない話だが、真理だと思う。

 特に僕らの世代には、上には星新一という巨人がいた。
 星さんがありとあらゆるオチを書いてしまっているから、何か思いついてもたいてい、「ああ、それ星さんのショートショートにあったよね」ということになっちゃうのだ。
 だからこそ、筒井さんの言葉が身に染みるのである。
(つづく)
  
タグ :創作SF


Posted by 山本弘 at 16:49Comments(5)SF作家の日常

2015年03月08日

新刊『1時間の物語』



日本児童文学者協会著
タイムストーリー1時間の物語
偕成社 1296円+税

 時間をモチーフにして物語作りをした、「タイムストーリー」シリーズの全5巻が刊行されました。
 今回もスタイリッシュな装幀で、シャープな作りの本になっています。
 入選した公募の、6編の作品も入っています。
 また執筆者は、大人の本の人気作家も入っていて、バラエティに富んでいます。
 時間を有効に使った、おもしろいストーリーが満載です。ぜひお読みになってください。
 昨年、刊行した『迷宮が丘』シリーズ全10巻(偕成社)も、好評発売中です。

 あわせて、どうぞよろしくお願いいたします。
http://blog.goo.ne.jp/junko_blog/e/365da68ec09d1e8d9d9b60480396442e

 1時間の物語の収録作品と作者名

「その先にあるもの」 まはら三桃
「ゲテモノハンター」 廣嶋玲子
「魔の水曜日」 宮下恵茉
「運命の一時間」 佐藤まどか
「ぼくは脱出できたのか?」 山本弘


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 児童小説のアンソロジーです。『5分間の物語』『1時間の物語』『1日の物語』『3日間の物語』『1週間の物語』の5冊のシリーズで、僕が書いたのはそのうちの「1時間」をテーマにした話。20枚ぐらいの短い話なんで、さらっと読めます。

「山本弘が『時間』をテーマに書くのなら、やっぱり時間SFか」と思われるかもしれませんが、今回は非SFです。テレビ界の裏側を題材にした、ちょっと皮肉な話。
 僕の小説にしてはおとなしめな印象があるかもしれません。実は最初はSF書いたんですよ。かなりショッキングな内容のやつで、タイトルは「悪夢はまだ終わらない」。でも、過激すぎてボツくらっちゃいまして(笑)、急遽、まったく別の話を書いたんです。
 まあ、最近起きたある事件を連想させる部分があるうえ、子供が読んだらトラウマになりそうな怖い話だったんで、ボツになるのはなかば覚悟のうえ。でも通ってくれたら嬉しいなと思って提出したんですけどね。ダメでした。
 お行儀のいい話ばかりじゃなく、たまには子供に残酷な話や不道徳な話を読ませてもいいと思うんだけど……と、小学生の頃から筒井康隆作品を普通に読んでた僕としては思ってしまうんですが。

 あ、ボツになった「悪夢はまだ終わらない」。自分では気に入ってる話なんで、ぜひどこか別の媒体に発表したいですね。 
 
  
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Posted by 山本弘 at 14:23Comments(2)PR

2015年03月08日

80年代ホビーマンガの素晴らしき世界#2

山本弘のSF秘密基地LIVE#44
80年代ホビーマンガの素晴らしき世界#2

 今回のテーマは、ゲームやプラモやマイコンを題材にした奇想天外なマンガの数々!
『ゲームセンターあらし』『プラモ狂四郎』などのメジャーな作品から、少しマイナーな『3D甲子園 プラコン大作』『ディオラマ大作戦』、さらには誰も覚えていないような超マイナーな作品まで、80年代の子供たちを熱狂させた、想像力あふれるマンガの数々を紹介し、その魅力を語ろうという企画です。
 今回もB級アイテム・コレクターの鋼鉄サンボ氏とともに、濃くて熱くて懐かしいオタク・トークを繰り広げます。お楽しみに!

[出演] 山本弘 鋼鉄サンボ

[日時] 2015年3月27日(金) 開場・19:00 開始・19:30

[会場] なんば紅鶴
(大阪市中央区千日前2-3-9 レジャービル味園2F / Tel. 06-6643-5159)
南海なんば駅より南海通り東へ180m・駐車場有

[料金] 1500円
(店内でのご飲食には別途料金がかかります。入場時に別途ワンドリンクをご購入いただきますのでご了承ください)

 ご予約はこちらへ。
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=87417381
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 1月にやった「80年代ホビーマンガの素晴らしき世界」の第2弾です。前回は『ゲームセンターあらし』『マイコン電児ラン』『マイコンランデブー』などのビデオゲーム&マイコンマンガ、それに『プラモ狂四郎』を途中までやってたところで時間切れになっちゃったもんで、今回はプラモマンガを中心に紹介します。『狂四郎』も好きだったけど、『3D甲子園 プラコン大作』『ディオラマ大作戦』とかも面白いんで、ぜひ紹介したいです。

  


Posted by 山本弘 at 13:44Comments(0)マンガPR

2015年03月08日

イベント:「サブカル×宇宙」論

「サブカル×宇宙」論

 現代の天文学が明らかにしてきた宇宙の姿は、私たちの世界観にどのように影響しているのでしょうか。文化のさまざまな側面に、その影響があることは疑いようがありません。しかし、その現れ方は多種多様で、ひとくくりに語る事は不可能です。

 本イベントでは、特にサブカルに注目した時に、どのような形で宇宙がその姿を覗かせるのか、具体的な事例を取り上げながらゲストと共に論じていきます。特に80年代以降のアニメや漫画、ライトノベルなどのSF作品に注目します。

 その構造やパターンを明らかにすることで、太陽系外惑星における生命兆候探査など、今後の天文学におきるであろうエポックメイキングな発見が、私たちの文化にどのようなインパクトをもたらすのかについても、考えてみたいと思います。

登壇者
 福江 純
 山本 弘
 野尻 抱介

司会
 渡部 義弥

日時
 2015年3月19日(木) 19:00-22:00

会場
 King of Kings
 大阪府大阪市北区梅田1-3-1 大阪駅前第1ビル地下1階
 JR大阪駅徒歩5分・西梅田駅・北新地駅徒歩1分

定員
 30名

参加費
 4,000円(飲食費、飲み放題パーティーコース)

その他
 ビュッフェスタイルでの飲食を伴うイベントです。
 また、ニコニコ生放送によるネット中継を予定しています。

 ご予約、お問い合わせ、さらに詳しい情報はこちらまで
http://www.tenpla.net/osaka2015s/0319.shtml
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 今月はいつものLiveWireとは別に、こういうイベントをやります。SF作品をネタにして、宇宙や宇宙論を語ろうというものです。
 飲み放題のパーティ形式なんで、4000円は妥当なお値段だろうと思います。参加できなかった方のために、ニコ生の中継もあるそうなので、そちらもご覧ください。
 僕や野尻氏については今さら言わずもがなですが、大阪教育大学天文学研究室教授の福江純先生もSFファンで、『SFアニメを天文する』なんて本もあったりします。
 1988年に書かれた『降着円盤への招待』(講談社ブルーバックス)は、『サイバーナイト 漂流・銀河中心星域』を書く時にずいぶん参考にさせていただきました。もしかしたら『サイバーナイト』の話もできるかな?
  


Posted by 山本弘 at 13:34Comments(1)サイエンスSFPR