2012年09月27日

『TARI TARI』面白かった

 たまには気分を変えてアニメの話なんかも。
 今期のアニメで個人的にいちばん楽しめたのは『TARI TARI』である。

公式サイト
http://taritari.jp/index.html

 まったく何の予備知識もなしに第一話を見て、「えっ、何これ!? すげー面白え!」と、一発でハマってしまった。
 魔法とか宇宙人とかの突飛な設定があるわけではない。王道とも言うべきストレートな学園青春もの。にもかかわらず、毎回、夢中になって見ていた。
 最近のアニメの部活というと、『けいおん!』みたいにいつ活動してんのかよく分からんものが多いんだけど、この番組はバカ正直なぐらいまっすぐに合唱部(時々バドミントン部)を描いていて、逆に新鮮。
 何と言っても良かったのがシナリオ。第1話の「舌打ちしない」とか「バドミントンな」とか「お前ら、私のしもべな」とか、どうってことないちょっとした日常の台詞が、いちいちいいんである。これを見ると、他のアニメの台詞がいかに説明的でわざとらしいかがよく分かる。
 監督の橋本昌和がシリーズ構成やって、脚本書いて、1話と最終話ではコンテも切ってる。これまで注目したことなかったけど、かなり才能がある人のようだ。

 1話を見て、何話か使って部員を集めて、1クールの最後に合同発表会にのぞむのかと思いきや、2話で早々と済ませちゃったのには驚き。でもって、発表会の日に思いがけないアクシデントが起きて、その逆境を乗り越えて来夏と紗羽が歌いだし、そのままエンディングに突入するという構成の妙にしびれた。
 その後も、エピソードがだいたい2話ごとに完結する構成になってるもんで、2話ごとにクライマックスが来る。それも最終回並みの感動が。

 3人のヒロインの中で、和奏だけがなかなか歌わないという構成も上手い。声が高垣彩陽だから歌ったら上手いに決まってんだから。いつ歌ってくれるかとじらされてたんだけど、6話のラストでとうとう母の死のトラウマを乗り越えて歌い出すところが、やっぱり感動の嵐。

 9~10話のショウテンジャーの話も良かった。
 テレビの変身ヒーローへのオマージュという話はアニメでは珍しくないけど、最初はバイト代のためにヒーローショーを引き受けただけで、「適当でいいよ」とか言っていた紗羽たちが、ウィーンにひきずられてどんどん本気になっていく過程が上手い。志保さんと紗羽の母娘対決とかも爆笑。
 クライマックスでは本当に正義のヒーローになってしまう。『熱闘ヒーローガンバライジャー』の主題歌とともに、夕陽をバックに立ち上がるウィーンとか、大智の登場ポーズとか、爆笑しつつも、あまりのかっこよさに感激して、何度も繰り返し見てしまった。絵コンテ、岡村天斎か。さすがだ。

 あと、この手の学園もののアニメって、親とか教師とか、大人の存在がないがしろにされている例が多いんだけど(親がまったく登場しない作品もある)、この番組は大人たちもみんな印象的で、いいキャラばっかりなんだよねえ。志保さんとか、和奏のお父さんとか、高橋先生とか。
 特に教頭先生。「悪役っぽいけど実はいい人に違いない」と最初から思ってたけど、表のきびしい顔を保ちつつ、旧友の娘である和奏に貴重なアドバイスをする、そのツンデレっぷりにくらくら来ました。最後の方はすっかりいい人になっちゃってまあ……。

 まだ見てない人がいるかもしれないので、最終話については詳しく書かないでおく。
 意外にあっさり終わったな、という印象。でもやっぱり、教頭先生が登場するところは、伏線見え見えではあったけど感動した。「キターっ、教頭キターっ!」と、深夜にもかかわらずテレビの前でのたうち回ってましたよ。
 完成した歌「radiant melody」も良かったしね。
 なんか『まなびストレート!』の最終回を連想した。あれも好きなアニメだったけど。

 しかも!
 終了後に流れる挿入歌集CDのCM!

http://www.lantis.jp/release-item2.php?id=093d4748344a5ac86c30c7e9318d993c

 おおお、「リフレクティア」が! 「Amigo!Amigo!」が! 「goin' my way !!」が! 「熱闘ヒーローガンバライジャー」はフルと10話バージョンと両方入ってるのか! これは嬉しい! 「心の旋律(#6ED Ver.)」って、もしかして「録音スタート」「これから歌う歌は」ってところから入ってるのか?
 ちくしょー、ランティス商売上手いなあ。買うしかないじゃん。

 その他にも、今期の番組で面白かったのは『じょしらく』。
 原作を読んでたもんで、「こんな動きの少ないマンガ、どうやってアニメにするんだ? それに原作のストック少なすぎない?」と不安だったんだけど、蓋を開けてみたら、もう笑える笑える。水島監督さすがだ。
 月見の話とかクリスマスの話とかどれも面白かったんだけど、東京各所を探訪するシリーズも意外に楽しかった。ロフトプラスワンとか、実在の場所がばんばん実名で出てくるのがすごい。けっこう危険なネタにもチャレンジしてて、その危なさがまた笑える。

 あと、『ココロコネクト』も好きな作品。原作のファンなもんで、後藤龍善の声が藤原啓治で、稲葉んの声が沢城みゆきだと知った瞬間、「よっしゃ、これで勝てる!」とガッツポーズしたもんであります。
 原作に非常に忠実なアニメ化で、原作のあのシーンとかあのシーンとかが見事に映像化されていて大満足。特に10話の稲葉んがかわいくてかわいくて、もうどうしてくれよう(笑)。
 ただ、番組内容と関係ないところで起きた騒動のせいで、ネガティヴがイメージがついちゃったのが悲しい。作画スタッフや原作者には責任ないのにねえ。
 ちなみに最終話はこれから見ます。
  
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Posted by 山本弘 at 16:32Comments(14)アニメ

2012年09月27日

なぜ小説は問題にされないのか?

「じゃあ、中には通り魔や人殺しもいるのかしら?」淀美豆さんが気味悪そうに言います。
「そりゃあ当然、いるでしょう」私はタコ焼きパンをかじりながら解説しました。「今の日本では、年間千二百~千三百件の殺人事件が起きています。日本人の十万人に一人の割合で殺人犯が生まれているわけですね。一方、オタクは何十万人もいますから、確率からすると、オタクが人を殺す事件は、年に何件も起きていると推測されます」
「やだ、こわい」と奈々。「オタクってやっぱり危険なのね」
「……あの、私の解説を正しく理解してますか?」
「だって、何十万っていう犯罪者予備軍がいるわけでしょ?」
「やっぱり分かってませんね」
──『名被害者・一条(仮名)の事件簿』より

 ちょっと前に、こういうニュースがあった。

http://www.excite.co.jp/News/android/20120912/Exdroid_44591_0.html
>広島県の小6女児を連れ去った疑いで成城大学2年の小玉智裕容疑者(20)が逮捕された事件で、6日付の日刊スポーツが「小6女児監禁男はプリキュア好き」という見出しの記事を報じたことに、反発の声が高まっている。

>同記事は同級生の証言として「居合同好会の幹事を務めていて、学校にはほとんど来ていなかった。プリキュアが大好きで、趣味は、秋葉原のメイド喫茶通いと聞いた」というコメントを掲載。だが、居合同好会の件は見出しには使われず、プリキュア好きが強調された。

 それに関係して、ツイッターにこんなことを書いている人がいた。

生島 勘富 さんの「アニメが好きなことは、幼女に性犯罪を犯す必要条件になっている」について
http://togetter.com/li/368518

>幼女に対する犯罪を犯す人で、プリキュアなどのアニメを見てる割合がどれぐらいになるのか? その割合が一般成人と大きくズレがあったり、100%に近かったりしたら、アニメは必要条件と言えるかもしれない。 もちろん、十分条件ではない。.

>少なくとも私はプリキュアとか見ないし、見ない成人男性は多いはず。 統計をとったわけでも、統計を見たわけでもないけれど、そういう犯罪を犯す人は、相当高い確率で、そういうアニメが好きなんじゃないかな? つまり、必要条件になっていると思う。


 統計も何も調べずに個人的印象だけで論じてるのもダメダメだけど、そもそもこの人、「必要条件」の意味が根本的に分かっていない。
「pならばq」が成り立つ時に、「pはqであるための十分条件」「qはpであるための必要条件」と言うのである。
 たとえば「犬は哺乳類である」という場合、「哺乳類である」ことは「犬であること」の必要条件(哺乳類でなければ、犬ではない)なのだ。
 この人の主張の通り、「アニメを見ていることが幼女に対して犯罪を行なう必要条件」だと仮定するなら、「幼女に対する犯罪を行なう者はアニメを見ている」ということになる。
 論理的に対偶は真であるから、「アニメを見ていない者は幼女に対する犯罪を行なわない」ということになる。
 しかし、アニメがなかった時代にも幼女に対する強姦事件は数多くあった(それどころか、現代よりはるかに多かった)。よって、「アニメを見ていることが幼女に対して犯罪を行なう必要条件」というのは明白な間違いということになる。
 それにしても、いい年した大人が、こんな初歩の論理が理解できないというのは驚きだ。

 話は変わるが、4月22日に八王子で起きたバスジャック事件をご記憶だろうか?
 犯人の中学3年の少年は、山田悠介『スピン』を読んで参考にしたと報道された。ネットで知り合った6人の少年が6か所で同時にバスジャックを起こし、東京タワーを目指すという話だ。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120520/crm12052018010007-n1.htm

 その『スピン』、いちおう参考のために買って読んでみた。山田悠介の小説を読むのは『リアル鬼ごっこ』以来だ。
 おお、山田悠介、上手くなってるじゃん。少なくとも「ランニング状態で足を止めた」みたいなハチャメチャな文章はなくなってる。まあ、編集と校閲ががんばって直してるんだろうけど(笑)。
 ストーリー展開も、こんな簡単にバスジャックが成功するわけないだろという部分を除けば、まあまあ許容範囲かなという気がする。犯人の少年たちのバカさ加減にはいらいらするけど、そういうバカだからこそこういう事件を起こしたんだろうと納得できる。
 ところが。
 クライマックス、少年たちが目的地である東京タワーにたどり着いた後の展開でひっくり返った。
 偶然に事件に巻きこまれただけの人物の前に、事件を裏で操っていた黒幕が現われ、実はこういうことだったんだと背景をべらべら解説するのである。

 ねえよ!

 何で必要もないのに部外者に秘密洩らすんだよ!? しかも口封じのために殺すとかいうんじゃなく、放置するんである。
 事件の真相を知った男は、犯人の一味と間違われて警察に逮捕されるものの、すぐに容疑が晴れて釈放される……え? 何でお前、警察やマスコミに真相をぶちまけないの? つーか何で黒幕はこいつが秘密を絶対バラさないと確信してるの?
 ああ、山田悠介、何も変わってない。話のつじつまを合わせる気がまるでない。こんなものすごいイディオット・プロットを平然と書くとは。
 ちなみに、タイトルの『スピン』の意味は、最後まで読んでもまったく説明されてません(笑)。タイトル考えないでつけただろ。
 まあ、山田悠介の小説がやっぱりダメダメだというのは再確認できた。こんなもんを参考にした八王子の中学生も頭が悪すぎる。

 それよりも僕が気になることがある。
 犯人が『スピン』を参考にしたと報じられたにもかかわらず、この小説に対するバッシングがまったく起きなかったことだ。
 これがアニメやゲームだったらどうだろう? たちまち「アニオタが事件を起こした!」「ゲームの悪影響!」とかネットで騒がれて、週刊誌やワイドショーもバッシング報道に乗り出したんじゃないだろうか。実際、これまでそうしたことは何度もあった。

 2008年、土浦で起きた連続殺傷事件の金川真大容疑者は、ゲーム大会で準優勝したことがあると報じられた。(彼が準優勝したのは〈デッド・オア・アライブ〉の中のビーチバレーの大会だった)
 秋葉原で17人を殺傷した加藤智大容疑者が好きだった〈東方〉シリーズのことを、ZAKZAKは「美少女らがナイフや弾丸を敵に浴びせて倒すゲーム」と紹介した。
 埼玉県川口市で中学3年の少女が父親を殺害した事件では、少女の部屋からマンガ版の『ひぐらしのなく頃に』が押収され、事件との因果関係が騒がれた。(実はいっしょにミステリ小説も複数押収されていたのだが、そちらはまったく問題にされなかった)
 アメリカでは、2007年のバージニア工科大学乱射事件の直後、チョ・スンヒ容疑者がゲームに熱中していたのが原因だとしてゲームが叩かれた。(実際には、警察が彼の学生寮の部屋を捜索したところ、ゲーム機もゲームソフトも見つからなかった)

 なぜ『スピン』でそれが起きなかったのか?
 小説だったからだ──それ以外に考えようがない。川口市の事件でも、世間の注目は『ひぐらしのなく頃に』にのみ集まり、同時に押収されたミステリ小説の存在は無視された。
 ゲームやアニメやマンガは有害だが、小説は無害──そう考えている人間が世間には多いということだ。
 誤解を招かないように言っておくが、僕は『スピン』を絶版にしろとは言わない。どんなにひどい小説でも、言論出版の自由はある。(もちろん、ひどい小説を「ひどい」と批判する自由もある)
 小説の内容をヒントにしてどこかのバカが事件を起こしても、それは事件を起こした奴の責任であって、小説家の責任を問うべきではない。事件が起きるたびにいちいち糾弾されてたら、犯罪を題材にした小説なんか書けなくなってしまう。
 山田悠介だけではない。たとえ障子にちんちんで穴を開ける小説だろうと、知的障害者の女性を輪姦したうえに殺害する小説だろうと、出版の自由は保障されるべきである。

 僕が問題にするのは、なぜ小説では起きないバッシングが、アニメやゲームでは起きるのかということだ。
 どうも多くの人間には、異常な事件が起きると、犯人を自分とは違う人種だと決めつけて安心しようとする心理があるらしい。「あいつはアニメを見たからあんな事件を起こしたのだ。俺はそんなものは見ていない」と。先の生島勘富氏もその一人だ。
 異常な事件が起きるたびに、必ずと言っていいほど「犯人は〇〇人」というデマが流れるのも、同じ心理だろう。ちなみにこれは日本人特有の心理というわけではないようだ。バージニア工科大学乱射事件では、犯人が在米韓国人であったことから、韓国では「日本人犯人説」を唱える者がいたそうだ。
 すると小説が有害とみなされない理由も説明がつく。
 ゲームをしないしアニメもマンガも見ない古い人間でも、小説は読むのだろう。「犯人は小説の影響で犯罪に走った」ということになると、自分も困ったことになる。だから小説の影響など無いことにしたいのだ。
 だから、たとえ小説をヒントにした犯罪が実際に起きても、彼らはそれを都合よく無視するのだ。その一方、犯人がアニメを見ていたという報道があると、因果関係が不明なのに、「それ見ろ」「やっぱり有害だ」と騒ぎ立てるのだ。

 何と非論理的な。彼らの言動はまるでつじつまが合っていない。
 まるで山田悠介の小説だ。
  


Posted by 山本弘 at 15:29Comments(40)社会問題