2010年10月29日

『逃げゆく物語の話』




大森望・編
ゼロ年代日本SFベスト集成〈F〉 逃げゆく物語の話』
創元SF文庫 1000円+税 発売中

「西暦2000年を境に日本SFは不死鳥のように復活し新たな春を迎えた。新しい動きや時代の空気を実感していただければさいわいです。本巻には、現代を舞台にした“すこし・ふしぎ”系の物語を軸に、幻想小説や寓話系のものも含め、時間を扱ったSFや、世界の成り立ちをめぐる奇想小説を収録しました。現代SFの豊かな広がりと多様性を示す12編をお楽しみください。」
──大森望

【収録作品】
恩田陸「夕飯は七時」
三崎亜記「彼女の痕跡展」
乙一「陽だまりの詩」
古橋秀之「ある日、爆弾がおちてきて」
森岡浩之「光の王」
山本弘「闇が落ちる前に、もう一度」
冲方丁「マルドゥック・スクランブル“-200”」
石黒達昌「冬至草」
津原泰水「延長コード」
北野勇作「第二箱船荘の悲劇」
小林泰三「予め決定されている明日」
牧野修「逃げゆく物語の話」

 編者である大森氏の言葉通り、日本のSFは「冬の時代」と呼ばれた90年代の沈滞を吹き飛ばし、この10年で急激な発展を遂げています。多くの新人作家が登場する一方、作品の質も向上、多くの傑作が生まれています。これはその現代日本を代表するSF作家の短篇を集めたアンソロジーです。
 おかしな超能力を持つ子供たちが巻き起こすドタバタ(恩田陸「夕飯は七時」)、人類が滅亡に瀕した未来を舞台にしたオーソドックスなロボットもの(乙一「陽だまりの詩」)、空から落ちてきた女の子の形をした爆弾とのデート(古橋秀之「ある日、爆弾がおちてきて」)、ボイルドとウフコックのコンビが活躍する『マルドゥック・スクランブル』の前日譚(冲方丁「マルドゥック・スクランブル“-200”」)、太平洋戦争中に北海道で発見された奇妙な性質を持つ植物の記録(石黒達昌「冬至草」)などなど、コメディありアクションあり泣かせる話あり、個性あふれる作品がいろいろ。巻末の大森氏による解説「ゼロ年代日本SF概況」も参考になります。

 上巻の『ゼロ年代日本SFベスト集成〈S〉 ぼくの、マシン』も同時刊行。こちらも傑作ぞろいです。

野尻抱介「大風呂敷と蜘蛛の糸」
小川一水「幸せになる箱庭」
上遠野浩平「鉄仮面をめぐる論議」
田中啓文「嘔吐した宇宙飛行士」
菅浩江「五人姉妹」
上田早夕里「魚舟・獣舟」
桜庭一樹「A」
飛浩隆「ラギッド・ガール」
円城塔「Yedo」
伊藤計劃+新間大悟「A.T.D Automatic Death■ EPISODE:0 NO DISTANCE, BUT INTERFACE」
神林長平「ぼくの、マシン」

 2冊合わせると、日本SFの現在が概観できます。SF初心者の方にもおすすめです。

  
タグ :SF


Posted by 山本弘 at 16:35Comments(5)PR

2010年10月26日

何を許して、何を許してはいけないか

 昨日の記事の中でちょっと説明不足の点があったのを補足。
 こういう問題で難しいのは、言論の自由との兼ね合いである。
 9年前に『トンデモ本の世界R』(太田出版)でも書いたが、僕は差別問題に関するマスコミの表現自主規制、いわゆる「差別語狩り」には反対の立場である(というか、「差別語狩り」を支持している作家など、たぶん一人もいないと思う)。
 なぜなら、それは差別をなくすことにはつながらず、むしろ問題から目をそらせているだけだからだ。これは僕だけの考えではない。部落解放同盟中央本部も、1975年、マスコミの自主規制に対して、「逆に問題の解決をおくらせるもの」「臭いものにフタという考えにほかならない」として、はっきり反対する声明を出している。
 些細なことでも「差別だ差別だ」と過敏に騒ぎ立てるのは、言論の自由を阻害することになるうえ、逆に被差別者への嫌悪をかきたてることになりかねない。
 だから、言論を抑圧して良いのは、本当にひどい差別発言であることが明白な例に限定すべきである。
 では、何を許して、何を許すべきではないのか。僕の指針はこうだ。

・悪いことや間違ったことをした者を非難するのはOK。
・何も悪いことをしていない者を非難するのはダメ。

 見ての通り、当たり前すぎるほど当たり前のことである。
 たとえば精神障害者が殺人を犯した場合、犯人に対する怒りを表明するのはかまわない。しかし、精神障害者全体を非難してはいけない。前にも書いたように、精神障害者のほとんどは罪など犯していないからだ。
 これは「在日外国人」「被差別部落出身者」「ゲームマニア」などの場合も同じ。罪を犯した者だけを非難せよ。同じグループに属する、罪のない大多数の者に攻撃の矛先を向けるな。
 罪のない者を攻撃するのは悪だ。
 もちろん、処女でない女性を「中古」「ビッチ」と罵るのも悪。なぜなら、処女でないことは何も悪いことではないからだ。

 じゃあ、罪を犯した者に対しては何を言ってもいいのか……というと、それも違う。
 たとえば、人を5人殺した犯人を非難するのに、「あいつは10人殺した」と言ってはダメ。それはウソだからだ。

・事実を元に批判するのはOK。
・事実ではないことを元に批判してはダメ。

 前の『アイマス2』問題と同じである。現実と妄想の区別をつけよう、ということなのだ。
 たとえば「精神障害者は犯罪者予備軍」というのは事実ではない。だから、そんなことを主張してはいけない。

 ネットでよく見かける「韓国は世界一のレイプ大国」という話もウソ。統計によれば、人口当たりのレイプ率が最も高いのは南アフリカ。韓国は16位で、アメリカよりずっと低く、スペインやフランスと同程度である。

http://www.nationmaster.com/graph/cri_rap_percap-crime-rapes-per-capita

 この場合、「南アフリカは世界一のレイプ大国」と言ってもかまわない。統計という証拠があるからだ。しかし、「韓国は世界一のレイプ大国」というのはデマであり、それを吹聴するのは悪質な差別である。だからダメ。韓国を批判してもいいが、それはあくまで事実に基づくべきである。

 僕は中国という国が嫌いである。しかし、2年前の神州7号騒ぎの際には、「宇宙遊泳の映像は捏造だ」と主張する連中を徹底的に批判した。なぜなら、あの宇宙遊泳の映像には捏造の証拠など何も映っていなかったからだ。

 犯してもいない罪を人になすりつけてはいけない――これも当たり前のことだろう。「奴らを貶めるためならウソをついてもいい」という考え方は、断じて正義ではない。悪である。
 悪はじゃんじゃん糾弾すべし。ただし、自分が悪になってしまっては本末転倒である。常にフェアであることを心がけるべきだろう。
  
タグ :差別問題


Posted by 山本弘 at 18:20Comments(36)社会問題

2010年10月25日

「精神障害者は犯罪者予備軍」のウソ

 今回はひどく不快な話題を書かせていただく。

 10月中旬のこと、mixiの「統合失調症」コミュが猛烈な荒らしに遭った。精神障害者を罵倒する差別主義者たちが乗りこんできたのだ。
 最初に現われたのは「チョン」というハンドルネームの人物で、統合失調症患者は人を殺すからみんなどこかの島にでも閉じこめておけ、などという暴言を吐いた。それに同調し、彼の同類(複アカではなく、実際に何人もいるようだ)の「流産婦人科かりあげ」「暗黒猫」「ダルマZ武号」といった連中が次々に現われた。
 このコミュに差別主義者が乗りこんでくることは、前からたびたびあった。今回もすぐに退散するかと思って傍観していたのだが、どんどんひどくなる一方だった。このコミュは管理人が長期間不在で、彼らの発言を削除することもアクセスブロックすることもできない状態が続いていた。それをいいことに、彼らはコミュに所属する統合失調症の人たちを罵倒し、からかいまくった。
「チョン」は調子に乗って「精神障害者は犯罪者予備軍」などというコミュを作った。そのトップ文にはこんなことが書かれている。

> 精神障害者は人権の名の下に国から保護を受けた上、殺しのライセンスを与えられたバーサーカーです。
>このようなキチガイが首輪も付けずに街中を歩いているのは異常なのです。
>偽りの善にだまされず、ダメなものはダメ、危険なものは危険と声を大にして言える世の中にしましょう。

 この連中の日記も読んでみたが、どれもこれもひどい代物だった。反社会的なことやおぞましいことが毎日のように書かれているのだ。障害者差別だけでなく、事故や犯罪の被害者を嘲笑したり、児童虐待事件をジョークのネタにしたり……飼っている猫を虐待していることを楽しそうに日記に書いている者もいた。
 いったいどっちが「異常」なのやら。
 さすがに堪忍袋の緒が切れて、僕は「チョン」「流産婦人科かりあげ」「暗黒猫」「ダルマZ武号」の4人を利用規約違反でmixi運営事務局に通報した。(差別発言はmixiの利用規約第14条3項で禁じられている)
 僕は言論の自由を最大限に擁護する者だが、それにも限度というものがある。「他人を中傷する自由」「差別を助長する自由」まで認めてはいけない。
 よく「荒らしはスルー」と言われるが、その方針が常に正しいわけではないということは、今回の件であらためて実感した。こういう連中は何もしなければどんどん増長する。積極的に通報しなくてはだめなのだ。
 現在、「統合失調症」コミュは新管理人が就任し、差別発言が消され、ほぼ常態に復帰している。しかし、「精神障害者は犯罪者予備軍」コミュはまだ削除されていない。彼らは依然としてコミュや日記で危険な発言を続けている。
 mixiの運営は腰が重いのだが、それでも差別や中傷が明白であり、多くの人から通報を受けたら、断固たる処置を取る。実際、ひどい内容のコミュが強制削除を食らった例が何度もあるのを、僕は見ている。これをお読みの方の中で賛同される方がおられるなら、ぜひ通報にご協力いただきたい。

 いい機会なので、「精神障害者は犯罪者予備軍」というのがどれほど事実に反しているかを説明しておこう。
 平成17年のデータによれば、日本の在宅精神障害者の数は、267万5000人。その内訳は、「統合失調症、統合失調型障害及び妄想性障害」が55万8100人(20.7%)、「気分〔感情〕障害(躁うつ病を含む)」が89万6200人(33.3%)、「神経症性障害、ストレス関連性障害及び身体関連性障害」が57万9600人(21.5%)……という比率である。

障害者白書 平成21年版
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h21hakusho/zenbun/zuhyo/zuhyo2_07.html

 同じ年の日本の人口は1億2776万人なので、在宅精神障害者は日本の人口の約2%を占めていることになる。(入院している患者については、犯罪にはまず関われないだろうから無視してよかろう)
 ただし、この数字はあくまで認知数であり、実数ではない。
 たとえば成人の統合失調症の発症率は0.8~1%とされており、日本には80~100万人の統合失調症の人がいると推測されている。発症しているにもかかわらず、まだ病院に行っていないので、統計に現われていない人数が多いのだ。実際、上のグラフで、統合失調症の人の数がたった6年で10万人も増えているのは、実数ではなく認知数が急増していることを意味している。
 これだけ見ても「統合失調症患者はどこかの島に閉じこめておけ」というのが、いかに愚かな発言であるかが分かるだろう。こんなに大勢を閉じこめられる島がどこにある? 予算が年間何兆円必要だ?

 犯罪白書によれば、同じ年、一般刑法犯検挙人員ののうち「精神障害者」または「精神障害の疑いのある者」の数は2411人。うち殺人罪は121人(未遂も含む)。

犯罪白書 平成18年版
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/52/nfm/n_52_2_3_4_1_0.html

 つまり、平成17年に刑法犯で検挙された精神障害者は、単純計算で1100人に1人(0.09%)。殺人を犯した精神障害者は2万2000人に1人(0.0045%)。
 一方、一般刑法犯検挙人員は全体で38万6955人。うち殺人は1338人。すなわち、平成17年に刑法犯で検挙された日本人は約330人に1人(0.3%)。うち殺人犯は9万5000人に1人(0.001%)。
 つまり刑法犯全体で見ると、精神障害者の犯罪率は日本人の平均の1/3以下なのだ。特に刑法犯の大半を占める「窃盗・横領・詐欺」の比率が極端に低い。「精神障害者はめったに人からものを盗まない」と言えそうだ。「傷害・暴行」「強姦・強制わいせつ」も平均より低い。
 ただし殺人と放火だけは比率が高い。殺人に関しては、精神障害者の犯罪率は日本人の平均の4.5倍多い。
 しかし、日本人の平均が0.001%であるのに対し、0.0045%という殺人者の比率からは、「精神障害者は犯罪者予備軍」とはとても呼べないだろう。精神障害者の圧倒的多数は、人を殺したりはしないのだから。
 それでもなお、「日本人の平均より4.5倍も殺人率が高いというのは不安だ」という人のために、こういうデータはいかがだろうか。世界各国の人口あたりの殺人率である。

http://www.nationmaster.com/graph/cri_mur_percap-crime-murders-per-capita

「日本人の平均の4.5倍」という数字は、ポルトガルやルーマニアに近く、アメリカやインドより低い。日本の精神障害者が人を殺す率より、平均的アメリカ人が人を殺す率の方が高いのだ。だからと言って「アメリカ人は犯罪者予備軍」などと言う者はいまい。

 さらに、この0.0045%というのは、多く見積もった数字である。
 第一に、先にも述べたように、統計で把握されていない精神障害者がかなりいるから、母数は267万人より多い。
 また「精神障害の疑いのある者」というのが問題である。これは「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」第24条(「警察官は、職務を執行するに当たり、異常な挙動その他周囲の事情から判断して、精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認められる者を発見したときは、直ちに、その旨を、もよりの保健所長を経て都道府県知事に通報しなければならない」)に基づき、警察官が「精神障害者かも」と思って通報したものであり、本物の精神障害かどうかは不明なのだ。
 実際、同じ年のデータを見ると、心神喪失者または心神耗弱者と認められたのは、殺人犯121人のうちの103人である。

犯罪白書 平成18年版
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/52/nfm/n_52_2_3_4_2_1.html

 また、精神障害者の犯罪でも「通行人を無差別に殺傷」というものは全体の一部であり、多くは健常者の犯罪と同じく、顔見知りの人物が被害者だという。
 ただ、実際に危険な精神障害者がおり、悲惨な事件が年に何件も起きているのは確かである。マスコミはそれをセンセーショナルに報じる。それで「精神障害者は危険」というイメージが作られてゆく。
 そうした一部の危険な患者は隔離しなければならないのは当然である。しかし、精神障害者全体を危険視するのは間違いなのだ。繰り返すが、精神障害者のほとんどは人を殺したりなどしないのである。
 統合失調症に関して言うなら、「統合失調症」コミュを見れば分かるが、病気に苦しみながらも健常者と同じように働いている人がかなりいる。ただ、世間の偏見の目があるため、自分が統合失調症であることをカムアウトできない人も多い。調子が悪くて働けない時には「怠けている」と誤解を受けることもよくあるようだ。
 確かに言えるのは、彼らのほとんどは、彼らを罵倒し嘲笑する差別主義者たちより、はるかに善良であり理性的だということだ。
 ちなみに精神障害者の健常者に対する暴力よりも、健常者の精神障害者に対する暴力の方が多いと言われている。

精神障害者より恐ろしいのは、普通の人々と麻薬
http://ep.blog12.fc2.com/blog-entry-1499.html

 当然だろう。絶対数で言えば、凶暴な精神障害者より凶暴な健常者の方がずっと多いだろうから。
  
タグ :精神病


Posted by 山本弘 at 17:38Comments(45)社会問題

2010年10月08日

『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』

 SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー第2弾。
 実は第1弾の宇宙開発SF傑作選と銘打たれた『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』が、ちょっと期待はずれだったんである。表題作は感動的なんだけど、他の作品が似たようなパラレルワールドもの(歴史が異なる世界での宇宙開発を描く)ばっかりだったもので、セレクトの偏りがおおいに不満だった。もう宇宙開発というテーマは、パラレルワールドやノスタルジーに逃避しなくちゃいけないほど行き詰まってんのかい、と(笑)。

 今回は大森望氏がセレクトした時間SF傑作選である。いや、これがなかなかいいセレクト。おおいに推薦させていただく。

 まず、何と言ってもいいのは表題作、F・M・バズビイ「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」。人生をバラバラの順序で生きる男の物語。中年から少年時代に戻ったり、はたまた老人になって臨終を体験したり、もう大変。
 こんな無茶な設定なのに、きちんと論理的に描ききって、最後に感動を持ってくる。こういうのを読むと「SFは筋の通ったホラ話だ」と思う。

 デヴィッド・I・マッスンの「旅人の憩い」は、南に行くほど時間が速くなる奇妙な世界を描く。『時の果てのフェブラリー』のヒントになった作品のひとつだけど、長らく入手困難だったので、この再録はありがたい。
 もっとも、論理的に突き詰めてみるとつじつまの合わない点が多い(1日の長さがどうなってるのか、とか)。それをつじつまを合わせたのが『時の果てのフェブラリー』であるわけだけど。

 奇想という点では、シオドア・スタージョンの「昨日は月曜日だった」も素晴らしい。とてつもないバカ話で、初めて読んだ時は「前、横、上」「そっち」のくだりで、ひっくり返って喜んだもんである。TVシリーズ『新トワイライト・ゾーン』の一編としてドラマ化されている。

 他にも、ボブ・ショウの「去りにし日々の光」、プリーストの「限りなき夏」、スチャリトクルの「しばし天の祝福より遠ざかり……」など、どれも傑作。
 実はラインナップを見た時に、ハインラインの「時の門」が入っていないのが不満だったんだけど、テッド・チャンの「商人と錬金術師の門」が入っていたので納得。どっちも循環型のタイムパラドックスものなんで、かぶるのを避けたのか。 しかもいい話なんだよ、これが。
 でも、これは「ハードSF」じゃないっすよ、大森さん(笑)。

 初訳作品もいくつか。
 H・ビーム・パイパー「いまひとたびの」は、1947年に書かれた「リプレイ」ものの元祖(たぶん)。少年時代に戻った主人公が父親と交わす時間に関する議論は、今となっては当たり前というか、いちいちこんなことを話すのは野暮ったいと感じるのだが、当時は斬新だったのかもしれない。
 ところで僕はパイパーの「オムニリンガル」という中篇(『SFマガジン』1968年12月号)がとても心に残っている。滅亡した古代火星文明の言語を解読しようとする言語学者の話。ロゼッタ・ストーンが無い状態で未知の言語をどうやって解読するかという難問に、感動的な回答を用意している。これもぜひ再録してほしい作品。つーか、もういっぺんクラシックSFアンソロジー作らせてよ、早川さん!

 リチャード・A・ルポフ「12:01PM」は、1973年に書かれた時間ループもの。 TVムービーにもなっている。
 大森氏は筒井康隆「しゃっくり」(1965年)の方が早いと書いているが、実はもっと早い作品がある。リチャード・R・スミス「倦怠の檻」だ。ジュディス・メリル編『宇宙の妖怪たち』(ハヤカワSFシリーズ)に収録されている。原著が出たのが1955年なんで、それ以前の作品のはず。
 火星人の財宝を奪い取った男が、無限に繰り返される10分間に閉じこめられる話。「エンドレス・エイト」の遠いご先祖様である。ひと夏や1日ではなく10分間では、まったく何もできないに等しく、まさに地獄。
 メリルのアンソロジーだから、たぶん欧米のSFファンならかなり読んでいるのではなかろうか。「12:01PM」の中に、「五分間の檻に閉じこめられたら、何もできない」というくだりがあるのは、ルポフが「倦怠の檻」を読んでいて、そのオマージュとしてこの作品を書いてるんじゃないかと思うのだ。
『恋はデジャ・ヴ』という映画が公開された時、ルポフはアイデア盗用で訴訟を起こそうとしたが、断念したという。まあ、「倦怠の檻」という先行作品がある以上、アイデアのオリジナリティは主張できないだろうな。

 収録作品中、いちばんがっくりきたのは、イアン・ワトスンの「夕方、はやく」。確かに奇想は奇想なんだけど、「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」や「昨日は月曜日だった」と違って、この世界がどうなってんのかさっぱり分かんない(笑)。奇想だけじゃだめで、ちゃんと筋は通してほしい。だいたい、イアン・ワトスン作品が2本(1本は共作)も入ってるって変じゃない?
 ワトスンはいらんから、フリッツ・ライバーの「若くならない男」は入れてほしかったな。あれも初めて読んだ時、「1940年代にこんなすごい発想の小説が書かれてたのか!?」と仰天したもんである。

 これと、創元から出たロマンティック時間SF傑作選『時の娘』を合わせると、海外の時間SFの傑作短篇はかなり網羅されたと言える。



 あと、不満というと、やっぱり……

「たんぽぽ娘」だよねー(^^;)。

 何年も前から河出書房新社の〈奇想コレクション〉のラインナップに入っているのに、いっこうに出る気配がない。伊藤さん、お願いですから死ぬ前に『たんぽぽ娘』だけは出してください。みんな待ってるんだから。
  
タグ :SF


Posted by 山本弘 at 18:27Comments(5)SF

2010年10月07日

「可能性を生み出しただけでアウト」問題つづき

 前回の記事に関するコメントや、ネット上での反響を(すべてではないが)ざっと見たのだが、やはり僕の言っていることを理解していない人が多いと感じた。
 確認する意味で僕の前回の文章の一部を引用する。


>1.律子、亜美、あずさ、伊織の4人はNPC扱いでプロデュースできない。
>2.ライバルとしてイケメン男性ユニットが登場。

> いや、こりゃダメだ。そんなに熱心な『アイマス』ファンではない僕でも、「そらあかんわ」と思うよ。特に1。普通、新作は前作より機能がアップしてるもんなのに、前作よりキャラクターを削ってどうする。律子や伊織のファンは泣くだろ。
> こういうファンの想いを踏みにじる決定を下せる人間がいるというのは、信じがたいことである。
> 2もダメだ。そんな新要素、ファンの誰も望んでないだろう。女性層を開拓したかったのかもしれないが、それなら別のゲームを作ればいいではないか。
> さらに1と2の合わせ技で、「何で律子や亜美やあずさや伊織をリストラして、代わりにこんな連中を入れるんだ!?」と、ファンの怒りが爆発するのは必至。そんな当然のことも予想できなかった制作者たちは、いくら非難を浴びてもしかたなかろう。

 僕ははっきりこう書いている。
 にもかかわらず「キャラクターが削られたことの方が問題だろ」とか「男性キャラを出したのは間違いだ」とか言われても、「はい、そうですね。僕もそう書きましたが?」としか言いようがない。

 僕が言っているのは「事実と妄想の区別をつけろ」ということである。
 この問題に関して、事実と妄想の線引きは簡単である。

A.『アイマス2』にはライバルとして男性ユニットが登場する。
――これは事実。

B.アイドルが男性ユニットの誰かとくっついてエッチなことをする。
――これは妄想。

 ほら、区別は簡単でしょ?
 そもそも「可能性を生み出した」という表現が変である。公式にはBが現実になる「可能性」なんてものはゼロである。
 もちろん同人誌などの二次創作でBが描かれることはあるだろうが、それはあくまでファンの妄想にすぎない。
 僕が言いたいのはこういうこと。

 事実を元にして批判するのはいいが、事実でないことを元にして批判してはいけない。

 男性ユニットが登場するのが嫌なら、「そんなものは望んでいない」と言えばいいだけのことである。僕もそれについてはまったく同感だから「(ゲームの制作者が)批判されて当然だ」と書いた。
 しかし、「アイドルが男とくっつく可能性がある」などという、事実に反したことを元に批判するのは間違っている。

 簡単なことでしょ?
 どこか間違ってますか?

 多くの人の反応を読んで痛感したのは、この問題について、創作を生業とする者とそうでない者の温度差である。
 たとえば僕が書いた小説を元に、誰かがエロ同人誌を作り、本編中ではありえないカップリングによるSEXシーンを描いたとする(これは仮定ではなく、実際にあった)。
 その内容に腹を立てた人が、「お前がこんな可能性を生み出したのが悪い!」と僕に噛みついてきたら、それはとてつもなく不条理だ。そんな抗議は同人誌を作った奴に言え、と言いたい。
 今回すでに、男性ユニットがアイドルとHしているコラージュが出回っている。それは確かにひどいと思う。しかし、その怒りをバンナムにぶつけるのは間違っている。怒りはそんなコラージュを作った奴に向けるのが筋ではないのか?

 やはりみんな「可能性を生み出しただけでアウト」という言葉が自分に向けられた場合の恐ろしさを想像できないのだろう。
 そんな言葉が自分に向けられると夢にも思っていないから、平気で使えるのだろう。
 だから前回、表現規制問題を例に挙げ、それが敵方からあなたに向けられたらどうしますか、と説いたのだが……そういう意図も理解してもらえなかったようだ。

 もうひとつ、「わざわざ公式で男性キャラを出すまでもなく、すでに『アイマス』のエロ同人誌なんて山ほどあるんじゃないの?」と書いたことに対して、「あれは女同士だからいいんだ」みたいな反論があった。
 でも、女同士のSEXやマスターベーションを描くことだって、キャラクターを穢していることには変わりないでしょ?
 すでに自分たちがキャラクターを穢しまくっているのに(あるいはそうした同人誌が氾濫している状況を許容しているのに)、男とのSEXを妄想しただけで「許さん!」となっちゃうのは、ぜんぜん理屈に合ってないと思うんだけど。

 あと、これも不思議なんだけど……

 誰も武田さんについて触れようとしないのね?

 ちなみに僕はプレイしながら「あー、武田さんと涼がムニャムニャするエロ同人誌出そうだなー」とにやにやしてたもんである。
 たとえそんな同人誌なんかなくても、「可能性」ならあるわけだし。

 どうです、『アイマス』ファンのみなさん。武田蒼一というイケメン男性が登場するというだけで、『アイドルマスターDS』はアウトですか?
 それとも男同士だからセーフ?
(「武田さんはそんなことしない!」というのはなしね。あくまで「可能性」だから)

 平野綾問題についても補足しておく。
 確かに声優も一種のアイドルだから、アイドルとしてのイメージを守ることは大切だろう。
 でも、idol(偶像)というのはまさに偶像であって、事実ではないんだということを認識していなくてはいけない。

・サンタクロースはいない。
・『川口浩探検隊』はヤラセ。
・Mr.マリックの超魔術はトリック。
・プロレスはシナリオのあるショー。

 こうしたことを知ったうえで楽しむ分にはいいだろう。無邪気な子供がサンタクロースを信じているのも、べつにかまわない。
 しかし、いい年した大人が川口浩探検隊を実話だと信じてたり、プロレスにシナリオがあると知らされて怒り狂ったりするのは、あまりにも痛すぎるのではなかろうか。
 アイドルだってそうだ。男とくっつかず、いつまでたっても処女のアイドルなんて、それこそ『アイドルマスター』の中にしか存在しない。それを認識すべきではないのか。
 現実世界において、「アイドルはいつか色褪せる」というのは、「人間はいつか死ぬ」というのと同じで、避けられない定めなのだと思う。
 がっかりするのはしかたない。腹も立つだろう。
 でも「殺す」と言うのはやりすぎ。それは犯罪である。
 ファンならばむしろ、平野綾の幸せを祈るべきなのではないかな?

 最後に、僕が処女厨を批判したことに対する批判について、お答えしておく。
 非処女を「中古」と罵倒することは、(ナギのように非実在のキャラクターだけではなく)世に実在する多くの女性を傷つけることである。それは立派なヘイトスピーチである。
 日本では未だにヘイトスピーチは法律違反ではない。言論の自由の範囲内とみなされている。だから彼らの言論を取り締まれない。
 しかし、その「言論の自由」の中には当然、「差別主義者のことを『大嫌いだ』と言う自由」も含まれるのである。僕はその自由を行使しているだけだ。
  


Posted by 山本弘 at 16:59Comments(60)社会問題