2011年07月29日

小松左京氏死去

 第一報を聞いたのは昨日の昼、編集者からの電話だった。慌ててネットで調べて事実だと知った。
 以前からお体が悪いらしいということは耳にしていたので、「ああ、やっぱり」という印象だ。
 人間が不老不死ではない以上、しかたのないこととはいえ、時代を担った偉大な人が次々に亡くなっていくのは悲しい。

 前に小松氏の短篇集『すぺるむ・さぴえんすの冒険』(福音館書店・2009年)のために書いた解説(以前にも一部をこのブログに載せたことがあるが)があるので、それを引用して弔辞に代えたい。
 この文章を書くために小松氏の作品リストを調べていて、短篇の本数を数えるのがやたらに大変だったのを記憶している。その作品のほとんどがデビューから20年以内に書かれていることと、自分も処女長編から20年経っていることに気づいて、あまりの差に愕然となったことも。
 なお、収録作品を選出したのは僕ではない。いや、いいセレクトだとは思うけど。
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解説 偉大なSFの巨人
                山本弘


 小松左京さんは間違いなく日本で最高のSF作家です。
 一九三一年生まれ。雑誌記者やラジオの漫才台本の作者などの職業を経て、一九六二年、『SFマガジン』一〇月号に掲載された「易仙逃里記」でプロ作家としてデビューされました。代表的な長編には、『日本アパッチ族』『エスパイ』『復活の日』『明日泥棒』『果しなき流れの果に』『見知らぬ明日』『継ぐのは誰か』『こちらニッポン…』『さよならジュピター』『首都消失』『虚無回廊』などがあります。一九七三年の『日本沈没』は大ベストセラーになり、二度も映画化されました。短篇はデビューから二〇年間に約二五〇本も発表されており、同じぐらいの数のショートショートもあります。
 その作品傾向もバラエティに富んでいます。現代日本を襲う異常事態を描いた『日本沈没』『首都消失』のような社会派SFや、『果しなき流れの果に』『さよならジュピター』『虚無回廊』のような壮大なスケールの本格SFがあるかと思えば、爆笑のドタバタ・コメディやパロディや社会風刺、ぞっとするホラーやサスペンス、軽いオチのついたショートショート、しんみりした人情話、子供向けのSF童話、大人向けのエロチックな小説……小松さんが書いていないジャンルを探す方が難しいぐらいです。しかも苦手なジャンルというものがないのか、どんな話もとても上手いのです。小説だけでなく、エッセイやノンフィクションもたくさん書かれています。
 僕の場合、小学校高学年の時に、父が買ってきた小説誌に載っていた、「子供たちの旅」や「模型の時代」といった短篇SFを読んだのが最初です。特に「模型の時代」は、人々がプラモデル作りに熱中している未来世界を描いたコメディで、子供心に「こんな面白いものを書く人がいるんだ」と感心したものです。それ以来、多くの作品を読んできて(それでも膨大な全作品の三分の一ぐらいでしかないのですが)、いろいろな影響を受けました。
 今では僕もSF作家です。しかし、最初の長編の出版から二〇年以上になるのに、作品の数でも質でも、この巨人の足元にも及びません。この先も当分、小松さんを上回るSF作家は現われないのではないかと思います。
 その小松さんの短篇の中から、ここに紹介するのはたった六作品です。本当はこの何倍もの数の傑作がひしめいているのですが、一冊の本に載せられる分量には限りがあるので、しかたありません。いわば“小松左京入門編”として、その才能の一端を味わっていただきたいと思います。
 各作品について解説していきましょう。

●「夜が明けたら」
 初出は『週刊小説』一九七四年一月四日号。
 小松さんにはホラー・タッチのSFが多いのですが、中でも特に秀逸なのがこれ。ある夜、平凡な家庭で起きた奇妙な停電を発端に、何が起きたのかがしだいに分かってくるにつれ、じわじわと恐怖が広がっていきます。
 幽霊も怪物も殺人鬼も出てこないし、血の一滴も流れませんが、そんなものなくても、十分すぎるほど恐ろしい話です。なぜこんなことになったのかという説明がまったくないのが、かえって不安をかきたてます。特に、静かだけれど息詰まるラストシーンは、一生忘れられないことでしょう。

●「お召し」
 初出は『SFマガジン』一九六四年一月号。
 SFには「突然、世界中からほとんどの人間が消えてしまう」という話がよくあります。僕も「審判の日」という話を書いていますし、小松さんにも長編『こちらニッポン…』や短篇「霧が晴れた時」があります。
 この「お召し」では、異星人か何かのしわざで、一二歳以上の人間がすべて消えてしまった世界での、子供たちによるサバイバルが描かれます。「夜が明けたら」と同じく、わけも分からずに異常な状況に投げこまれてしまうという、不条理と絶望感に満ちています。最後に語り手の少年が遺すメッセージが、せつない余韻を漂わせます。

●「すぺるむ・さぴえんすの冒険」
 初出は『野性時代』一九七七年二月号。
 こちらは本格SF。遠い未来、人類の運命を背負った一人の男の決断が描かれます。
「夜が明けたら」「お召し」などもそうですが、小松さんの作品には、神のような力を持つ高度な存在が人類に干渉してきたり、原因不明の大規模な異変が世界を襲うという話がよくあります。短篇だと「蟻の園」「人類裁判」「新趣向」「物体O」など。時間と空間を股にかける壮大な物語『果しなき流れの果に』などもそうですが、“宇宙規模の巨大な力vsちっぽけな人間”というテーマが、小松さんはお好きなようです。
 旧約聖書の「ノアの箱舟」の話では、堕落した人類を滅ぼすために神が世界に大洪水を起こし、神からのメッセージを受けたノアとその一家だけは、箱舟を作って洪水から逃れます。この「すぺるむ・さぴえんすの冒険」でも、主人公はノアと同じような状況に置かれるのですが、「私はノアほど素直じゃないし、ノア自身でもない」と言い放ちます。絶望の底にあってもなお、自分の責任と“地球ローカルのモラル”を貫こうとする主人公の行動が胸を打ちます。

●「牛の首」
 初出は『サンケイスポーツ』一九六五年二月八日号。
 元は作家仲間に伝わっていた話を、小松さんが小説にアレンジしたもの。今では多くの人に知られるようになった都市伝説ですが、世間に広まったのはこの作品がきっかけです。近年では、同じパターンの「地獄の牛鬼」「鮫島事件」という話も、ネット上で語られています。
 当然、本当にそんな話があるんだと信じてしまう人もいます。ネット上では、「ついに『牛の首』のルーツを見つけた!」とか「これこそ本物の『牛の首』だ!」というふれこみで、誰かの創作した物語を実話であるかのように語っている人が何人もいるのですが……うーん、正直言ってあまりこわくない(笑)。だいたい、気軽に他人に語れるようなものなら、すでに「牛の首」じゃないだろう、と思うんですが。

●「お糸」
 初出は『SFマガジン』一九七五年二月号。
 最初は「ああ、江戸時代を舞台にした時代小説なのか」と思って読みはじめると……あれれ? 何だかおかしなことになってきます。そう、ここはあなたが教科書で知っている江戸時代ではないのです。下手すればギャグになりかねない話なのに、リアルな描写を積み重ねることで、美しく味わいのある話に仕上がっています。
 それにしても、この世界の魅力的なことときたらどうでしょう。ヒロインのお糸のセリフではありませんが、なぜこんな世界であってはいけないのか、本当の歴史の方が間違っているんじゃないか、という気がしてくるではありませんか。
 別の歴史を描く話としては、他にも「地には平和を」という傑作があります。こちらは昭和二〇年に太平洋戦争が終わらず、本土決戦に突入した日本を描いた話です。

●「結晶星団」
 初出は『SFマガジン』一九七二年九月臨時増刊号。
 遠い未来、地球から一〇〇億光年も離れた遠い宇宙の一角を舞台に、一四個の恒星が結晶状に並んだ奇妙な星団の謎を探る力作です。表面的には本格SFですが、ストーリーはむしろホラー。古代文明の遺跡に残されたメッセージ、不吉な予言、よみがえる邪悪な存在といった、ホラーでおなじみのモチーフがちりばめられており、のちに日本でもメジャーになるクトゥルー神話を連想させます(まったくの偶然でしょうが、この作品が掲載された『SFマガジン』はクトゥルー神話特集でした)。
 しかし、単にホラーの舞台を宇宙に移し変えた話ではありません。ムム族やズス第六惑星人などのユニークな異星人たちや、ワープ装置や無機脳のような超未来のテクノロジーが登場し、驚きに満ちた物語が展開します。まさにSF本来の魅力にあふれた作品と言えるでしょう。

 どの作品についても言えるのは、三〇年以上前に書かれたというのに、ちっとも古くなっていないことです。傑作は時代を超えて面白いのです。
 くり返しますが、ここに収録された作品以外にも、小松さんには優れた短篇がたくさんあるのです。こわい話が好きな方には、「影が重なる時」「召集令状」「くだんのはは」「骨」あたりをおすすめしておきます。「すぺるむ・さぴえんすの冒険」が気に入った方なら、「神への長い道」「人類裁判」「袋小路」なども気に入ると思います。笑える話が読みたい方なら、「新趣向」「模型の時代」「タイム・ジャック」などがおすすめです。
 小松さんのSFを一作も読まずに一生を終えるのは、人生かなり損しています。

  
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2010年10月08日

『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』

 SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー第2弾。
 実は第1弾の宇宙開発SF傑作選と銘打たれた『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』が、ちょっと期待はずれだったんである。表題作は感動的なんだけど、他の作品が似たようなパラレルワールドもの(歴史が異なる世界での宇宙開発を描く)ばっかりだったもので、セレクトの偏りがおおいに不満だった。もう宇宙開発というテーマは、パラレルワールドやノスタルジーに逃避しなくちゃいけないほど行き詰まってんのかい、と(笑)。

 今回は大森望氏がセレクトした時間SF傑作選である。いや、これがなかなかいいセレクト。おおいに推薦させていただく。

 まず、何と言ってもいいのは表題作、F・M・バズビイ「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」。人生をバラバラの順序で生きる男の物語。中年から少年時代に戻ったり、はたまた老人になって臨終を体験したり、もう大変。
 こんな無茶な設定なのに、きちんと論理的に描ききって、最後に感動を持ってくる。こういうのを読むと「SFは筋の通ったホラ話だ」と思う。

 デヴィッド・I・マッスンの「旅人の憩い」は、南に行くほど時間が速くなる奇妙な世界を描く。『時の果てのフェブラリー』のヒントになった作品のひとつだけど、長らく入手困難だったので、この再録はありがたい。
 もっとも、論理的に突き詰めてみるとつじつまの合わない点が多い(1日の長さがどうなってるのか、とか)。それをつじつまを合わせたのが『時の果てのフェブラリー』であるわけだけど。

 奇想という点では、シオドア・スタージョンの「昨日は月曜日だった」も素晴らしい。とてつもないバカ話で、初めて読んだ時は「前、横、上」「そっち」のくだりで、ひっくり返って喜んだもんである。TVシリーズ『新トワイライト・ゾーン』の一編としてドラマ化されている。

 他にも、ボブ・ショウの「去りにし日々の光」、プリーストの「限りなき夏」、スチャリトクルの「しばし天の祝福より遠ざかり……」など、どれも傑作。
 実はラインナップを見た時に、ハインラインの「時の門」が入っていないのが不満だったんだけど、テッド・チャンの「商人と錬金術師の門」が入っていたので納得。どっちも循環型のタイムパラドックスものなんで、かぶるのを避けたのか。 しかもいい話なんだよ、これが。
 でも、これは「ハードSF」じゃないっすよ、大森さん(笑)。

 初訳作品もいくつか。
 H・ビーム・パイパー「いまひとたびの」は、1947年に書かれた「リプレイ」ものの元祖(たぶん)。少年時代に戻った主人公が父親と交わす時間に関する議論は、今となっては当たり前というか、いちいちこんなことを話すのは野暮ったいと感じるのだが、当時は斬新だったのかもしれない。
 ところで僕はパイパーの「オムニリンガル」という中篇(『SFマガジン』1968年12月号)がとても心に残っている。滅亡した古代火星文明の言語を解読しようとする言語学者の話。ロゼッタ・ストーンが無い状態で未知の言語をどうやって解読するかという難問に、感動的な回答を用意している。これもぜひ再録してほしい作品。つーか、もういっぺんクラシックSFアンソロジー作らせてよ、早川さん!

 リチャード・A・ルポフ「12:01PM」は、1973年に書かれた時間ループもの。 TVムービーにもなっている。
 大森氏は筒井康隆「しゃっくり」(1965年)の方が早いと書いているが、実はもっと早い作品がある。リチャード・R・スミス「倦怠の檻」だ。ジュディス・メリル編『宇宙の妖怪たち』(ハヤカワSFシリーズ)に収録されている。原著が出たのが1955年なんで、それ以前の作品のはず。
 火星人の財宝を奪い取った男が、無限に繰り返される10分間に閉じこめられる話。「エンドレス・エイト」の遠いご先祖様である。ひと夏や1日ではなく10分間では、まったく何もできないに等しく、まさに地獄。
 メリルのアンソロジーだから、たぶん欧米のSFファンならかなり読んでいるのではなかろうか。「12:01PM」の中に、「五分間の檻に閉じこめられたら、何もできない」というくだりがあるのは、ルポフが「倦怠の檻」を読んでいて、そのオマージュとしてこの作品を書いてるんじゃないかと思うのだ。
『恋はデジャ・ヴ』という映画が公開された時、ルポフはアイデア盗用で訴訟を起こそうとしたが、断念したという。まあ、「倦怠の檻」という先行作品がある以上、アイデアのオリジナリティは主張できないだろうな。

 収録作品中、いちばんがっくりきたのは、イアン・ワトスンの「夕方、はやく」。確かに奇想は奇想なんだけど、「ここがウィネトカなら、きみはジュディ」や「昨日は月曜日だった」と違って、この世界がどうなってんのかさっぱり分かんない(笑)。奇想だけじゃだめで、ちゃんと筋は通してほしい。だいたい、イアン・ワトスン作品が2本(1本は共作)も入ってるって変じゃない?
 ワトスンはいらんから、フリッツ・ライバーの「若くならない男」は入れてほしかったな。あれも初めて読んだ時、「1940年代にこんなすごい発想の小説が書かれてたのか!?」と仰天したもんである。

 これと、創元から出たロマンティック時間SF傑作選『時の娘』を合わせると、海外の時間SFの傑作短篇はかなり網羅されたと言える。



 あと、不満というと、やっぱり……

「たんぽぽ娘」だよねー(^^;)。

 何年も前から河出書房新社の〈奇想コレクション〉のラインナップに入っているのに、いっこうに出る気配がない。伊藤さん、お願いですから死ぬ前に『たんぽぽ娘』だけは出してください。みんな待ってるんだから。

  
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2010年04月18日

リチャード・マシスン『運命のボタン』

 2006年の『不思議の森のアリス』以来、久しぶりにマシスンの短編集が出た。何でも表題作「運命のボタン」が映画化され、日本でも公開されるかららしい。
 まあ、出版の経緯はどうでもいい。マシスンの短編ホラーの大ファンとしては、こうして本が出るだけで嬉しい。日本ではまだまだ一般の知名度が低いマシスンが、この機会に多くの人に注目されることを望む。

 まずは表題作。短くてストレート、ブラックなオチの一言が効いていて、星新一氏のショートショートのような味わいの一編。しかしこれ、どうやって長編映画に引き延ばすんだろう? 秘密組織の陰謀とかの話になったりしたら、すごく嫌だぞ。
 テレビの『新トワイライト・ゾーン』では結末が変えられていたのだが、実は僕はそっちのオチもけっこう好き。上手い考えオチになっているのだ。

「魔女戦線」は三十数年ぶりに再読。七人の美少女が超能力を使って敵の兵士を大量虐殺するという、ただそれだけの話。
 発表されたのは1951年。今ならこの設定でテレビアニメになりそうだ。もったいない。しかし、単純なだけにプリミティヴなパワーがある。

「チャンネル・ゼロ」はもう何回も読んだ作品。でもこれ、再録するほどの傑作かな? テレビがようやく家庭に普及しはじめたばかりの時代、テレビがまだ得体の知れないものだった頃だからこそ成立したホラーで、今となっては古い気がする。

「ショック・ウェーブ」は、のちにスティーヴン・キングが多用するようになる、無生物(この場合はパイプオルガン)が意志を持って人間に反抗するという話。考えてみれば、名作「激突!」もこのパターンの話だ。
 こういうのを見ると、やっぱりキングのルーツの1人がマシスンであることが分かる。

「戸口に立つ少女」は初訳。これは傑作! マシスンお得意の、日常の些細な場面からしだいに異常な状況へとシフトしてゆく話だ。「激突!」とか「奇妙な子供」とか「次元断層」とかね。
 この作品の場合、戸口に現われた見知らぬ幼い女の子が「おばちゃまの家の子と遊んでいいですか?」と訊ねてくるのが発端。この少女が毎日やってきて、徐々に主人公の家庭を侵略してゆく様がねちっこく描かれる。すげー怖い!
 ただ、マシスンはミもフタもないオチをつけてしまう悪い癖がある。この作品も最後の一言は要らなかったと思う。少女の正体が分からないままの方が不気味だったろう。

「二万フィートの悪夢」はあまりにも有名な話。有名すぎて、すでにいくつものアンソロジーに入っているから、今さら収録しなくても……と思うのは、僕がマニアだからか。確かにマシスン入門編としては絶対必要なんだけど。

 こういう日本で編まれた海外作家の短編集を読むたびに、「何であれが入ってないの?」と、編者に文句を言いたくなってしまう。この本も、埋もれた傑作SF「旅人」をぜひ入れてほしかった。あるいはホラーで統一するなら、「消えた少女」「死線」あたりを。
 まあ、贅沢な愚痴なんだけどね。



  
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2010年01月18日

【訃報】柴野拓美氏

 日本SF界の影の功労者と呼ぶべき柴野拓美(小隅黎)氏が、16日、肺炎のために亡くなられた。83歳。
 一昨年、自宅にインタビューにうかがった時には、もう目が悪くなっていたものの、喋り方ははっきりしていて、まだまだお元気のように見えたのだが。記憶もかなり確かで、貴重な逸話をたくさんうかがうことができた。
 この方がどれほど偉大な業績を残したか、昨年出した同人誌『僕らを育てたSFのすごい人 柴野拓美インタビュー』のまえがきから抜粋しよう。


 世の中にはすごい人がいる。
 たとえば手塚治虫や石ノ森章太郎なんていう人は、作品の点数だけ見ても目がくらむ。一生のうちによくぞこれだけの作品を、水準を維持して書き続けられたものだと、ため息が出る。
 SF界でも、たとえば小松左京とか筒井康隆とか星新一とかいった人たちは、膨大な数の作品を書いている。すべてが傑作ではないにしても、高い割合で傑作が含まれていることに驚く。まさに偉大。自分の書いてきた作品数と比べて、「この先、いくらあがいても、この人たちには絶対追いつけない」と、絶望に近い心境にかられる。
 作品以外でも、初期のSF界には偉大な業績を残した人がいる。
 それがこの柴野拓美氏だ。
 柴野氏は1926年、石川県生まれ。1957年、日本初のSF同人誌『宇宙塵』を主宰、その編集に携わった。驚くべきことにこの同人誌、57年5月の創刊号から72年12月の170号まで、途中で何回か抜けはあったものの、15年以上も、ほぼ毎月出ていたのである(現在では柴野氏は退かれ、発行ペースは落ちているものの、1~2年に一度は新しい号が出ている)。
 これだけでも信じられない話である。いったい今、月刊で同人誌を出せる人なんているだろうか?
 掲載作品も優れていた。小松左京、星新一、筒井康隆、平井和正、眉村卓、光瀬龍、豊田有恒、今日泊亜蘭、広瀬正、石原藤夫、半村良、山野浩一、横田順彌、梶尾真治、山田正紀、田中光二、夢枕獏……日本を代表するSF作家の多くが、アマチュア時代あるいは無名時代に、一度は『宇宙塵』に寄稿したことがあるのだ。『宇宙塵』に作品が掲載されたことがきっかけでプロデビューした人も何人もいる。他にも、野田昌宏、長谷邦夫、荒俣宏、辻真先、荒巻義雄、宮武一貴といったのちの有名人も、小説やエッセイや論文を寄稿している。
『宇宙塵』はプロへの登竜門であり、当時の日本のSFファンのサロンだった。柴野氏がいなかったら、『宇宙塵』が無かったら、日本SFの人材は今よりずっと貧しいものになっていただろう。
 柴野氏はまた、「小隅黎」というペンネームで、海外SFの翻訳も手がけている。ラリー・ニーヴン、ハル・クレメント、J・P・ホーガン、アンドレ・ノートン、E・E・スミス……その総数は50冊以上。他にもノンフィクション本の翻訳も何冊もある。
 古いアニメファンなら、「小隅黎」という名前に見覚えがあるのではないだろうか。『科学忍者隊ガッチャマン』『宇宙の騎士テッカマン』などのタツノコアニメで、SF考証を担当していたのも柴野氏なのである。
『エイトマン』の原作者である平井和正氏を『少年マガジン』に紹介したのも柴野氏である。また、筒井康隆、眉村卓、豊田有恒といった『宇宙塵』の作家たちは、『鉄腕アトム』『エイトマン』『スーパージェッター』などのSFアニメの脚本を書いていた。
 日本SF大会をはじめたのも柴野氏である。その中のディーラーズ・ルームでは、日本各地のSF同人サークルがテーブルを並べ、同人誌を売っていた(今も続いている)。
 その日本SF大会を模して開催されたのが、1972年から10回続いた日本漫画大会であり、その日本漫画大会に反発し、そこからディーラーズ・ルームだけを独立させるという発想で生まれたのが、75年から開催されたコミックマーケットである。ちなみに、コミックマーケットの生みの親の一人である故・米澤嘉博氏も、作品こそ発表していないが『宇宙塵』の同人であり、よくSF大会にも参加していた。生前、「コミケはSF大会から生まれた」と発言していたという。
 また日本SF大会では、70年代中頃から、ファンによるコスチュームショーが行われ、参加者がSF映画やアニメやファンタジー作品のコスチュームで会場内を歩き回るのも当たり前になっていた。それが日本におけるコスプレの起源である。
 あなたが今、コミケ会場でこれを読んでおられるのだとしたら、周囲を見回していただきたい。同人誌の即売、コスプレ、テレビアニメ、SF小説……柴野氏がいなかったら、これらはみんな存在しなかったか、まったく違った形になっていたかもしれないのだ。
 僕らが子供の頃に見たアニメやマンガ、若い頃に夢中になって読み漁ったSF小説、そして今も参加しているSF大会やコミケ……その多くに、柴野氏は間接的に関わっていたのだ。僕らが今ここにいるのは、柴野氏のおかげのようなものだ。
 SF界では知らぬ者のいない柴野氏だが、SF界を一歩離れると、知名度は低い。こんなすごい人なのに、世間に知られていないのが歯痒い。それがこの本を作ろうと考えたきっかけである。
 また、日本SFの創成期についても、知らない人が多いのではないかと思われる。特に50年代の空飛ぶ円盤ブームや、その中で生まれたUFO研究団体が『宇宙塵』誕生の母体であることは、広く認識されているとは言いがたい。
 バタフライ効果と言うべきか。もし1947年にケネス・アーノルドが空飛ぶ円盤を目撃しておらず、円盤ブームが起きなかったら、今の日本のSF・マンガ・アニメの状況は、ずいぶん違っていたはずである。
 僕らがなぜ今ここにいるのか。その意味を問い直すためにも、歴史を見直す必要があると思う。

* 文中では「空飛ぶ円盤」と書いたが、アーノルドが見た飛行物体は「円盤」ではなかったので、「UFO」と書いた方が良かったかもしれない。

 なお、『SFのすごい人』の中でも触れたのだが、『神は沈黙せず』に登場する超常現象研究家の大和田老人は、柴野氏をイメージして書いたことを明らかにしておく。大和田と同じく、いつもにこにこと笑顔を絶やさないが、曲がったことが嫌いで、怒ると怖い人だったそうである(僕は怒ったところは見たことはないが)。
 何にせよ、亡くなられる前にインタビューできたことは光栄だと思っている。

  
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2009年07月24日

「リトルガールふたたび」

『小説現代』8月号に僕の短篇が載った。「百年後の世界」というテーマで注文を受け、執筆したもの。

 タイトルは「リトルガールふたたび」

 古いSFファンならご存知だろうが、ブライアン・W・オールディスの「リトル・ボーイ再び」へのオマージュである。
「リトル・ボーイ再び」は1966年の作品。21世紀、原子力時代到来100周年を記念して、ショービジネス会社が広島にもう一度原爆を落とすというイベントを企画、日本人の反対を押し切って実行される……というコメディだ。
 日本では『SFマガジン』1970年2月号に掲載され、日本人読者の総スカンをくらった。広島と長崎の悲劇をギャグのネタにするとは何事か……と。当時、豊田有恒氏が激怒して、仕返しにプリンス・オブ・ウェールズをもういっぺん沈めるという「プリンス・オブ・ウェールズ再び」という作品を書いたりした。
 しかし僕は、「リトル・ボーイ再び」は書き方が不注意だっただけで、コンセプト自体は間違っていなかったと思うのだ。

「百年後の世界」というテーマをもらった時に最初に考えたのは、テクノロジーの進歩とか世界情勢の変化とかを題材にしても面白くない、ということだ。最も大きく変化するのは、人間の考え方だ。
 たとえば40年前の1969年頃、安保闘争なんてもんがあった。日本各地で学生がヘルメットをかぶりゲバ棒を持って、機動隊と乱闘を演じていた。今の若い連中には、日本にそんな時代があったなんて想像できないのではないか。「何でそんなもののために体を張って戦ってたの? バカじゃねーの?」と。
(僕自身、その頃はまだ子供だったのだが、なぜ上の世代がそんなことをやってるのか、さっぱり理解できなかった)
 あるいは60年代の映画やテレビドラマを見ると、登場人物がやたらにタバコを吸っているのが気になる。『怪奇大作戦』なんて、今見るとけっこうすごい煙の量で、ちょっと異様な感じがする。また彼らは「気ちがい」「めくら」といった言葉を平然と口にする。「セクハラ」や「ストーカー」という概念を知らない。
 実は僕らが今抱いている反戦、反核の思想でさえ、戦後ずっと続いてきたものではない。1960年代前半には、テレビでもマンガでも、旧日本軍兵士をヒーローにした作品がたくさんあった(小松左京原作の『宇宙人ピピ』の中に、当時の戦争ものブームを皮肉るエピソードがあったぐらいだ)。当時、原子力はまだ夢の新エネルギーだった。やはりテレビやマンガのSF作品の中では、原子力や核兵器が実に安直に使用されていた(バルタン星人に対して、市街地で核ミサイルが使用されたことを思い出してほしい)。今の作品では考えられないことである。
 日本人の核に対するタブーは、終戦直後はあまり強くなく、むしろ60年代以降に強くなったのだと思う。

 当然、逆もまた真だろう。40年前の日本人が今の日本を見たら、異様に思えるのではないか。社会情勢の変化、テクノロジーの進歩にも驚くだろうが、人々の考え方や常識があまりにも変化していることにとまどうのではないか。
 同様に、40年後の日本人の考え方や常識は、今の僕らからは想像もつかないような、おかしなものになっているはずなのだ。

 人間の考え方は時代によって変わる。今は非常識なことでも、数十年すれば当たり前になる。僕らから見ればそれは異常だが、その時代の人間にとっては常識なのだ。
 オールディスはそれを描こうとした。核に対する意識でさえ絶対不変なものではなく、21世紀になったらガラリと変わっているかもしれない、と考えたのだ。
 惜しむらくは彼に、日本人の側の視点が欠如していたことである。それで日本人を怒らせた。

「リトルガールふたたび」は、数十年後の日本が、とてつもなくバカな経緯で核武装するようになるという話。 変にリアリティがあると問題になりそうだから、逆に「そんなこと絶対あるわけがない!」と思えるシチュエーションを想定した。
 題材が題材だけに、各方面を怒らせないよう、ものすごく気をつかって書いた。その気になればギャグはいくらでも暴走させられたんだけど、「ここから先を書いたらまずい」と自粛した箇所がいくつもある。
 もしかしたら編集部に書き直しを要求されるかも……と予想していたのだが、ゲラを見てみると、ストーリーやテーマについては完全にスルーで、ちょっと拍子抜け。ただ、文章について「こうした方がいい」という細かい修正意見がいっぱい付いていて、これは大変にありがたかった。さすが歴史ある小説誌だと感心。

 ただ、雑誌に載ったものをあらためて読み返してみると……うーん、自分で思ってたほど面白くないな(^^;)。5段階評価で3ぐらいか。



【蛇足】
 ここから先は本当に蛇足である。賢明な読者なら自明のことだろうから、こんな説明なんぞ必要はないと思う。しかし中には、作中で書かれていることを僕が本気で信じていると誤解して文句をつけてくる人がいるかもしれないので、先回りして解説しておくことにする。

・この作品中で語られていることはすべて、独裁国家のプロパガンダである。
・教師が語っている歴史は、真実ではない。資料の断片を組み合わせ、事実を大幅に曲解して、国家にとって都合のいい歴史観を捏造している。
・教師が陰謀論を批判したり、「低IQ化スパイラル」の害を説いているのは、自分たちが教えられているのが真実の歴史だと子供たちに思わせるためのテクニックである。
・ブライアンW症候群なるものは(現実でも作中でも)存在しない。
・最後に登場する「閣下」について。当然、僕は別の姓を考えていたのだが、それではあまりにも元ネタが露骨すぎるので変更した。単なる作者のいたずらなので、深い意味はないし、理解できなくても支障はない。由来に気がついた人だけ笑っていただきたい。

  
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2009年07月24日

『サマーウォーズ』(ネタバレなし)

 細田守監督の新作『サマーウォーズ』の試写に行ってきた。

公式サイト

 設定を読んで、「なんか『ぼくらのウォーゲーム!』ぽい?」と思ったんだけど、実際に見てみたら……。

 びっくりするほど『ぼくらのウォーゲーム!』でした!(笑)

「ええっ、こんなとこまで!?」と驚くほどよく似てる。これはもう、細田監督自身の手による『ぼくらのウォーゲーム!』リメイクと考えていいと思う。
 知らない人は気にせずに楽しめるし、逆に僕みたいに『ぼくらのウォーゲーム!』にどっぷりはまった人間なら、「うわー、来た来た来たーっ!」「やっぱりそう来るよなーっ!」と盛り上がること間違いなし。

 まあ、明らかに「それは無理だろ」「そんなことありえないだろ」というツッコミどころもいくつかあるんだけど、話が面白いのと、演出の上手さで許せてしまう。中盤にある長い横パンのカットなど、さすが「レイアウトの鬼」だ、と嘆息。
『ぼくらのウォーゲーム!』の「衛星携帯ですよ!」みたいな、「そう来るか!」という仕掛けもいろいろ。特にポスターに大きく描かれている漁船が、何のために運ばれてきたかを知った時には爆笑した。
 ラストバトルも「さんざん盛り上げてきて決着はそれかよ!」「あれ伏線かよ!?」と大笑い。

 やっぱりいいのは、『ぼくらのウォーゲーム!』と同じく、日常がネットを通して地球の危機と直結してるという感覚なんだよね。 先端テクノロジーが可能にした「お茶の間ハルマゲドン」。
 現実世界の舞台は、冒頭を除くと、ほぼ長野の田舎の旧家に限定されている。世界を救うのが科学者や戦闘のプロなんかじゃなく、ただのおじさんやおばさんや少年少女たちだというのがいい。

 試写会は業界関係者で満席で、追加でイスを出さないと座れないほど。
 終了後、角川の編集者3人と、谷川流、乙一を交えて食事。
 乙一くんとは初対面。「『GOTH』や『ZOO』が好きです」と言うと、「『ジェライラの鎧』が好きでした」とか言われて、こちらも大感激。僕が最初に書いたソード・ワールド小説だよ。

  

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2009年04月21日

告知「山本弘×大森望 トークショー」

東京創元社の文庫創刊50周年記念企画>「特別対談〈SF編〉 山本 弘×大森 望トークショー」


  SF大好きな2人が選んだ創元SF文庫のベスト10などを中心に、SFの面白さを語ります。



【日時】 5月8日(金) 午後6時30分~午後8時(開場:午後6時)

【場所】 八重洲ブックセンター本店 8階ギャラリー

 *トークショー後、サイン会をおこないます。


募集要項
【募集人数】 80名(申込先着順) *定員に達ししだい締め切らせていただきます。
【参加費】 無料
【申込方法】 お電話
(03-3281-8201)でお申し込みいただくか、または、八重洲ブックセンター本店店頭で配布している申込書をご利用のうえ、1Fレファレンスコーナーへお持ちください。


【八重洲ブックセンター告知ページ】

http://www.yaesu-book.co.jp/events/index.html#yamamoto-ohmori
  
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2009年03月28日

『アイの物語』文庫版


 発売中。

この話を映画にするには
どうすればいいか、
ずっと考えている。

 という細田守さんの推薦文がいいです。 単行本が出た時、わざわざ愛読者カードに感想書いて送ってきてくださったんですよね、細田さん。
 豊崎由美さんの解説も熱いです。大感激です。

  

Posted by 山本弘 at 17:57Comments(0)TrackBack(0)SF

2008年09月23日

9月15日(祝)敬老の日、日本SF界の偉い人を訪問

 敬老の日。柴野拓美さんの家を訪問し、インタビューした。

 きっかけは、コミケ終了の打ち上げの席。と学会のIPPANくんが、「会長、誰か対談してみたい方いませんか?」と訊ねてきたのである。僕は即座に「柴野拓美さん」と答えた。
 意外だったのが、けっこうマニアであるはずのIPPANくんが、柴野さんを知らなかったこと。

「ええー、小隅黎だよ!? 『ガッチャマン』や『テッカマン』で毎回、OPに〈SF考証 小隅黎〉って出てたでしょ? 『宇宙エース』の頃からタツノコ作品と関わってたんだよ?
 日本初のUFO団体『日本空飛ぶ円盤研究会』の主要メンバーだったんだよ? 高梨純一さんも荒井欣一さんも亡くなった今、日本のUFO界の創世記を知る数少ない証人なんだよ?
 それにもちろん、日本初のSF同人誌『宇宙塵』を主催してた人だよ。星新一、小松左京、光瀬龍、豊田有恒、平井和正、山野浩一、眉村卓、田中光二、山田正紀、梶尾真治といった日本SF作家の多くが『宇宙塵』からデビューしてるんだよ!
 つまり柴野さんという人は、SF、アニメ、UFOの3つの分野でものすごく重要な人なんだよ! 知ってなきゃおかしいでしょうか!」

 と、熱弁をふるう。
 するとIPPANくんも興味を持った。相談の結果、柴野さんの業績を紹介する同人誌を創ることになった。この人のやってきたことを今の世代のマニアたちにぜひ伝えなくてはならないと思ったのである。
 柴野さんに連絡したところ、快諾をいただき、インタビューが実現した。

 さらに補足しておこう。
 柴野さんの肩書きは「SF作家」だが、作品数はそんなに多くない。むしろ作家活動以外の部分で、SF界、オタク界にとてつもない影響を与えているのだ。
 上述の同人誌、『宇宙塵』。これ、1957年から1972年まで、ほぼ毎月発行されていたのである。(現在でもペースは落ちたが発行は続いている)
 毎月ですよ、毎月!
 今、同人誌をやってる人たちは、このペースを聞いただけで「信じられない!」と思うに違いない。当時の人たちの情熱のすごさ!
 その掲載作品もレベルが高かった。星新一「ボッコちゃん」「おーい、でてこい」、小松左京「地には平和を」、今日泊亜蘭『刈得ざる種(光の塔)』、広瀬正『マイナス0(マイナス・ゼロ)』、筒井康隆『幻想の未来』、石原藤夫「高速道路(ハイウェイ惑星)」、豊田有恒『地球の汚名』、梶尾真治「美亜へ贈る真珠」「地球はプレインヨーグルト」、田中光二「幻覚の地平線」、山田正紀「襲撃のメロディ」、梅原克哉『二重ラセンの悪魔』、遠藤慎一(藤崎慎吾)「レフト・アローン」……これらの作品は、最初は『宇宙塵』に掲載され、そこから商業誌に転載されたり商業出版されたりしたのである。
 『宇宙塵』がなければ今の日本SF界もなかったと言える。

 日本SF大会というものがはじまったのも、元は柴野さんの提案がきっかけだという。
 その日本SF大会を模倣したのが「日本漫画大会」で、これがコミックマーケットの前身とされている。つまり柴野さんがいなければコミケというものも生まれなかったかもしれない。
 あと、今では当たり前になったコスプレというものも、起源はSF大会のマスカレード(コスチュームショー)だろう。これも柴野さんがアメリカSF大会から持ち帰ったノウハウのひとつとされている。
 他にも柴野さんには、翻訳家としての著作もたくさんある。僕も大好きなJ・P・ホーガンの『断絶への航海』『未来からのホットライン』や、2002年から改訳版が出たE・E・スミスの『レンズマン』シリーズなんかも「小隅黎」名義の訳である。ノンフィクションではジョン・マックフィー『原爆は誰でも作れる』が僕の愛読書。


 さあ、この人がどれほど重要なポジションにいたか、ご理解いただけただろうか。

 さて、今年82歳の柴野さん。近年、病気で目が悪くなって字が読めなくなっている。僕の小説も読んでいないそうで、しきりに恐縮しておられた。
 耳もちょっと遠いのだが、補聴器のおかげで、ほとんど支障なく会話できた。
 言葉はとてもしっかりしておられた。IPPANくんが「これならテープ起こしがしやすい」と感心していたほど。ちょくちょく、固有名詞が出てこなかったり、SF大会をやった年が思い出せなかったりという程度(僕だって、何年に何CONなんて覚えてません)。
 いずれ内容は同人誌にまとめる予定なんで詳しくは書かないけど、印象に残った話をいくつか。

 柴野さんは、タツノコプロでSF考証を担当していた。宇宙エースの必殺技・プラチナ光線というのを考えたのも柴野さん。
 また、『マッハGOGOGO』のマッハ号のA~Gのボタンが何の略なのかも、柴野さんと広瀬正氏がいっしょに考えたのだそうだ。道理で。「ギズモ」なんて名前は当時の日本人のセンスじゃなかなか出てこないわ。

 マンガ原作者を探していた『少年マガジン』編集者に、平井和正氏を紹介したのも柴野さん。つまり柴野さんがいなかったら『エイトマン』も生まれなかったのだ。
 その『エイトマン』誕生前のエピソード。ある時、柴野さんの職場に平井氏が困って電話で泣きついてきたという。

「柴野さん、助けてください。このままじゃあのマンガ、『東京鉄仮面』というタイトルに決まってしまいそうなんです!」

『東京鉄仮面』!(笑) あかんわ、それは。絶対あかんわ。
 幸い、『8マン』というタイトルになった(命名者は加納一朗氏らしい)わけだが、『東京鉄仮面』じゃ絶対にヒットしなかっただろうなあ。 

  
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Posted by 山本弘 at 16:30Comments(0)TrackBack(0)SF

2008年09月13日

8月24日(日)怪獣と『マップス』とニセ科学

 SF大会2日目。この日の出演企画は3つ。おかげで娘の相手をほとんどしてやれなかった。すまん、娘よ。(でも、ずっとキッズルームで遊んでて、退屈はしなかったみたい)
 ちなみに、娘の1日目のコスプレはメイドさんだったが、2日目のコスプレは、妻がこの日のために仕上げた『しゅごキャラ!』のあむちゃんである。
 お前はいい親を持って幸せだな。

●「『MM9』の世界を語る!」

 開田裕治さんとの対談。創元社の人が録音してたから、いずれ何かに使うかも。
「僕らが子供の頃は、ミニチュアを吊るすピアノ線が見えてても、『見えなかったことにしてあげよう』と思って許してあげてたんだから!」
「『恐竜100万年』は子供心にも科学的に間違ってると分かって見てた」
「スピルバーグの『宇宙戦争』は怪獣映画だ」
「ハリウッド版『GODZILLA』がダメだったのは、自分たちの住む街が破壊されるというのはどういうことかを、アメリカ人が実感できなかったから。しかし、アメリカ人は9.11を体験して、ようやく都市が破壊される恐ろしさを知った。『宇宙戦争』『クローバーフィールド』には9.11の記憶が反映されている」
「一方、初代『ゴジラ』には東京大空襲の記憶が反映されていたが、最近では逆に日本人の記憶が薄れ、都市破壊の恐怖を理解できなくなっているのではないか。怪獣はビルさえ壊せばいいってもんではない」
 などなど、これまでいろんなところで語ってきたことの繰り返しだったんだけど、それなりに盛り上がったとは思う。話を合わせてくださった開田さんに感謝。
 最も力説したのは、

「怪獣は死に様がかっこよくなくてはいけない」
「ゴメスは死ぬ時の尻尾の動きがかっこいい!」

 わざわざDVD持ってって、「ゴメスを倒せ」の一場面、流しました。あの、ドスーンとひっくり返った後、尻尾が空中で揺れる動きがいいんだわー。しびれるわー。
 もちろん『MM9』続編の宣伝もした。
 実はあのラストの後では何を書いても蛇足だろうと思って、続編は書かないつもりでいたんだけど、唐突にアイデアを思いついちゃったもんで、書くしかなくなったんだよね。
 
 開田さんは『MM9』の表紙イラストの完成までの過程を紹介。「そうやって描いてたんだ!?」と感心しました。

●「マップス・シェアードワールド小説集」

 出席する予定じゃなかったんだけど、僕もシェアードワールド2巻に参加してる関係で、急遽出席。他の出席者は、長谷川裕一さん、秋津透さん、中里融司さん、葛西信哉さんら。
 裏話もいろいろ。ネクシート号の操縦方法、最初は「胸」だったんだけど、編集さんに「それだけはやめてくれ」と言われて膝小僧になったんだそうな。そりゃ止めるわなあ(笑)。でも「膝はかえってエロい」と好評。
 他にも、昔の単行本の誤植「究極の道化者」をめぐる話題いろいろ。すみません、文庫版から入ったもんで、ついていけません。
 2巻目の執筆陣や作品の内容については、まだ秘密にしておいてくれと言われてるんだけど……でも、正直言って、秘密にする意味がよく分からん。今からぶち上げて話題を盛り上げた方が良くない?
 最後に質問コーナーがあったんで、僕から長谷川さんに質問。
「超機動グラジオンとヘクススキー教授の身長は何メートルですか?」
 小説書いててこれが困ったんだよね。グラジオンはゲンとの対比から身長30~40メートル、ヘクススキー教授はリプリム号や戦闘機との対比から、もう少し小さいんじゃないかと思ったんだけど……。
 長谷川さんの返答は「パトレイバー以上、コンバトラー以下」(だったっけ?)というアバウトなもの。まあ、エヴァンゲリオンも「40メートル以上、200メートル以下」ですしね。
 あっ、しまった。「『大外伝』は長谷川さんの中ではオフィシャルなんですか?」と訊ねるの忘れた。

●「“ニ”はニセ科学の“ニ”」

 菊池誠さんの企画。堺三保さんと出演。
 やっぱり、これまで語ってきたことの繰り返しみたいになっちゃって、あんまり新味がなかったかなと反省している。KEKで見つけた反相対論本とかも、話のタネに持って行ったりしたのだが。

 5日間で出演企画5つ。おかげで他の企画をほとんど回れませんでした。

  
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Posted by 山本弘 at 20:41Comments(4)TrackBack(0)SF