2016年11月18日

『この世界の片隅に』

>「ああ、そうだ。理屈じゃ分かるんだよ。人の死を悼むべきだっていうのは。でも、無理だ。人は数字には感情移入できないものなんだ。“二七四〇”なんて数字にはな──たとえそれが人の命の数であっても。
> 大和に限ったことじゃない。東京大空襲で一〇万人が死んだとか、広島と長崎に落とされた原爆で二〇万人以上が死んだとか、ホロコーストで六〇〇万人以上のユダヤ人が死んだとか、僕らは知識としては知ってる。確かにものすごい数字だ。惨劇だ。でも、いくら大きくても、数字じゃ人の心は動かされない。人が衝撃を受けたり恐怖したり涙を流したりするのは、大量虐殺やそのデータに対してじゃない。『アンネの日記』や『はだしのゲン』や『火垂るの墓』のような、個人のミニマムな視点の物語だ」

(中略)

>「お前はノンフィクションを何よりも重視すべきだと思ってる。もちろん事実を多くの人に正しく伝えることは大切だ。でも、それだけじゃだめなんだ。事実の羅列だけじゃ、人の心は動かせない。そうだろ? 戦争の悲惨さを理解するには、史実が語っている衝撃の大きさを、胸に感情として刻みこむことが大切なんじゃないか? 犠牲者数とかのデータとしてじゃなく、感情として。
 それにはドラマが必要なんだ。心を揺さぶるドラマがな」
──『BISビブリオバトル部 幽霊なんて怖くない』より

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「反戦作品は『戦争反対!』と大声で叫ぶべきじゃない」というのが僕の持論である。
 なぜなら、戦争体験をリアルに描くだけで、十分に「反戦」になるはずだからだ。それ以上のメッセージは蛇足だ。

 戦争というと、僕らは空中戦、海戦、戦車戦などの派手な場面を思い浮かべてしまう。しかし、実際の戦争では、戦場で兵士が戦っている時間はごくわずかだ。ほとんどの時間、戦う以外のことをやっていた。塹壕を掘ったり、飯を食ったり、野戦病院で治療を受けたり、次の命令が来るのを待つ間、戦友と無駄話をしたり……。
 また、太平洋戦争の場合、戦没者の半数以上は、戦闘ではなく、飢餓や病気で死んでいたと言われている。
 そしてもちろん、戦場の兵士よりも、後方にいた非戦闘員の方がはるかに多い。彼らもまた「戦争体験者」なのだ。

 僕はリアルじゃない戦争映画──娯楽のための戦争映画はあっていいと思っている。『青島要塞爆撃命令』とか大好きだし。 もちろん『ガルパン』とかも。
 でも、そうした派手な娯楽映画のイメージで戦争を理解するのは間違いだ。武器を手に敵と戦うことは、「戦争」という巨大な現象のごくごく一部にすぎないのだから。
「戦争体験者」のほとんどが、実際に武器を手に戦った人ではなく、ごく普通の一般人なのだから。

 僕のもうひとつの持論は、
「どんなに栄養のある料理でも、不味ければ誰も食べない」
 というものだ。

 娯楽性とテーマ性(この場合は「戦争」)は、相反するものではない。それどころか、多くの人に知ってほしいシリアスなテーマが秘められている作品こそ、面白いものでなくてはならないと思う。
 作り手がどんな重いメッセージをこめていても、その作品自体が面白くなかったら意味がない。つまらなくて誰も観ないのでは、メッセージは伝わらない──当たり前のことだけど。

『この世界の片隅に』が素晴らしいのは、「面白い」ということだ。

 昭和19年、軍港の町・呉に嫁いできた18歳の女性・すずさん。絵を描くのが趣味。いつもぼーっとしていて、ドジで、危なっかしい。でも陽気で働き者。戦争の影響でしだいに生活が苦しくなっていく中で、けなげに生き続ける。
 もちろん悲惨なシーン、泣かせるシーンはあるんだけど、感動の押し売りをしてこない。笑いもあるし、ほんわかと暖かくなるシーンもある。
 この物語には、歴史上の著名な人物なんて、1人も出てこない。すずさんはただの主婦にすぎず、歴史の流れに流されてゆくだけ。英雄でも悪人でもない、どこにでもいる善良な女性の人生が、ユーモアを交えて、淡々と描かれてゆく。
 特にいいのは、軍艦の絵を描いていたら、間諜(スパイ)と間違えられて憲兵に吊し上げられるというくだり。他の作品ならシリアスな場面になるはずなのに、それをギャグにしてしまうのには恐れ入った。
 戦時中にも、ごく普通の日常は続いていた。そこには苦労もあったけれど、愛があり、笑いがあり、ささやかな幸せがあった。
 その日常が、少しずつ、少しずつ歪んでゆく。
 特に後半、運命の日──昭和20年8月6日に向けて時間が進んでゆくあたりは、もう観ながら苦しくて苦しくてしかたがなかった。

 この作品の特徴は、あくまでこの時代を生きたすずさんの視点から描かれていること。この手の作品にありがちな反戦キャラクター──後世の人間の視点から、当時の日本を批判する奴がいないこと。
 だってそんなメッセージ、必要ないから。
 何の罪もない人間のささやかな幸せが壊されることの残酷さ。それを描くだけで、十分すぎるほど強烈なメッセージだから。

 監督の片渕須直氏は、あの残酷描写満載のバイオレンス・アニメ『BLACK LAGOON』を作った人。でも、この作品では、残酷描写を封印している。
 主要登場人物の何人かは死ぬのだが(誰が死ぬかはネタバレになるので書かない)、どれも間接的に、あるいは伝聞で描かれているだけ。死の瞬間を見せない。
 そういう意味では、子連れでも安心して見に行ける映画である。
 言ってみれば、誰でも入りやすいように、間口が広く作られている。

 だが、直接描写されていなくても、十分すぎるほど残酷だ。
 たとえば原爆投下のシーン。その破壊力をストレートに描かない。呉の人たちが最初、遠くの閃光にだけ気がついて、「雷?」とかのんきなことを言っている、その怖さ。その瞬間、すでに広島では何千という人が死んでいるというのに。
 あと、映画の終わり近く、生き残ってすずさんと再会したある人物が、自分の腕を見せるシーン。作中では何の説明もないし、すずさんも意味を理解していないのだけど、観客としては何が起きたか分かってしまうわけで、衝撃で思わず胸が詰まった。
 
 大阪のテアトル梅田で鑑賞。朝一番で行ったんだけど、開館前からすでに劇場の前には行列が。僕が入った時点では空席が10席ぐらいしかなく、それもすぐに埋まって、立ち見が出ていた。観客は年配の人が多い印象だった。
 EDクレジットの最後にずらりと並ぶ3374人の名前。パイロットフィルム製作のための費用を集めるクラウドファンディングに協力した人たちだ。僕もその一人。片渕須直氏が新しい映画を作ると知り、きっと傑作に違いないと確信して協力させていただいた。それは十分すぎるほど報われた。
 スクリーンで自分の名前を探したけど、多すぎて見つけられなかった(笑)。後でパンフレット見たらちゃんと載ってました。

 上映終了後、自然に客席から拍手が起きた。僕も拍手していた。後でツイッターで見ると、他にも拍手の起きた劇場はいくつもあったらしい。
 これは拍手に値する作品だから。

 なるべく予備知識なしに、白紙で観たかったので、原作を読むのは封印してたんだけど、映画館から出て即座に隣のジュンク堂書店に行き、原作全3巻を買った。
 映画のストーリーがきわめて原作に忠実であることが分かった。ただ、リンさんがらみのエピソードがごっそり省略されていたのが残念。まあ、上映時間の関係でしかたがないんだけど(今でさえ129分あるから、これ以上長くできない)。
 そのへんは原作を読んで補完すべきだろう。メモ帳の一部が四角く切り取られてたのはそういう意味だったのか。なるほど。

追記:
 町山智浩氏による解説。ネタバレを避けつつ、注目すべきポイントを的確に指摘している。

町山智浩 『この世界の片隅に』徹底解説
http://miyearnzzlabo.com/archives/40487

 この解説読むまで、「悲しくてやりきれない」という歌にこういう背景があったことをすっかり忘れてた。いろいろ意味深だなあ。
  


Posted by 山本弘 at 20:22Comments(20)アニメ映画最近観た映画・DVD

2016年10月12日

映画『聲の形』

 公開直後に観てきました。

 これは声を大にして言いたい。「この作品は純粋にアニメ映画として評価してほしい」と。
 変な色眼鏡で観ないでほしいし、ましてや観もしないで悪評立てないでほしい。

 とにかく出来がいいんだよ!
『けいおん!』『たまこまーけっと』『中二病でも恋がしたい!』『響け! ユーフォニアム 』などを手がけてきた山田尚子の、現時点での最高到達点と呼びたい作品。
 全編、人と人の心理的距離を、画面上の距離で表現するという手法が駆使されていて感心する。観てて今この二人がどれぐらい心理的に近づいているか、あるいは離れているかが、サブリミナル的に観客に理解されるようになっているのだ。
 だから、その距離を無視して強引に接近してくる植野や永束の不快感が、ストレートな不快表現を用いることなく印象づけられる。特に、将也の自転車の荷台に乗ってくる植野! 顔も声もかわいいのに、すっごく不快なの!
 永束の場合も、悪い奴ではないんだけど、他人との正しい距離が理解できないせいでみんなから嫌われてるんだというのが、やはり説明なしでもよく分かる。つーか、こいつ、昔の自分を見るようですごく痛いんですけど(笑)。
 将也と結絃の傘越しの会話(この時点では、結絃は将也のことを許していない)とかも、傘が「心の壁」を表現している。
 あと、二人の人物が向かい合って話しているシーンでも、心がつながっていないと、一人称視点で相手の首から下しか描かない。相手の顔をまともに見ていないわけである。わざわざキャラクターの表情を描くまでもなく、心理が伝わるのだ。
 原作でも、将也が他人を拒絶している状態を、相手の顔の上に×を描いて表現していたけど、この映画でも同様に、キャラクターの心理を、台詞による説明や表情でストレートに描くんじゃなく、演出(特にレイアウト)で表現してるんである。
 なぜかというと、もちろん、主要キャラクターである硝子が言葉が不自由だから、台詞に頼ることなく心情を表現することに重点を置いているからだろう。
 個人的にすごく印象に残ったのは、硝子がベッドの上で足をばたばたさせるシーン。足しか描いてないのに、彼女の心理が伝わってきて、すごくかわいくて笑っちゃうの! 何この高等テクニック(笑)。

 他にも、「さすが京アニ」と感心するカットが多数。最初の方の、将也がただ歩くシーンの短いカットでも、「うわっ、すげっ」と驚いたし。
 何度も出てくる水中シーンなんかも、『Free!』のノウハウの蓄積を感じさせた。
 リアルな設定の作品だが、おそらく実写化したってこれほど面白くはなるまい。アニメならではの快感である。

 あと、硝子役の早見沙織さんの演技にも拍手を送りたい。難しい役なのに、よくぞこなした。かなり練習したんだろうなあ。

 無論、100点満点とは言わない。全体に話が偶然に頼りすぎているのが気になる。知っている人間と街でばったり出会うことが多いのだ。
 特に後半、将也が入院するくだり(ネタバレになるので理由は書かない)は、かなり展開に無理があって、このへんはもっと自然な展開はなかったのかなあと思ったりもする。
 でも、その後のクライマックス、学園祭のシーンが、やっぱり快感なんである。

「いじめ」や「身障者差別」を扱った物語だが、そうした限られた側面だけを見ないでほしい。どうか物語全体を見てほしい。
 小学校時代、いじめを受けていた少女と、その家族。いじめの加害者側から被害者側に転落した少年と、その家族。今もいじめを受けている者。かつて自分がやったいじめを反省していない者。いじめの自覚がない者。そんな過去があったことを知らない者……それぞれの視点で描かれる。
 どの視点が正しいか、ということはない。原作者も監督も、安直な結論を出してはいない。将也が結論めいたことを口にしたら、あっさり否定されたりする。
 現実に存在する問題に、安直な結論を出してはいけないからだ。

 個人的には、悪役である植野が罰せられていないことに、逆にリアリティを覚えた。
 彼女が何らかの罰を受けていたら、勧善懲悪の物語にはなってはいただろうが、リアルな話にはならなかっただろうから。

  


2016年10月07日

そろそろ『シン・ゴジラ』の感想を書く

 もうかなりの人が観ただろうから、ネタバレを恐れずに『シン・ゴジラ』の感想を書いてもいいかと思う。
 もっとも、主なところはすでに多くの人が指摘しているのだが……。

 まず、過去作品へのオマージュ。
『ゴジラ』(84)をはじめ、『日本の一番長い日』や『エヴァンゲリオン』、『ナウシカ』の巨神兵などとの類似については、すでに多くの人が語っているけど、意外に『ゴジラ対ヘドラ』の名を挙げる人が少ないように思った。
 だって、第一形態、第二形態、第三形態……と姿を変えて上陸してくるって、明らかにヘドラがヒントでしょ?
 だから、ゴジラがさらに進化して飛行能力を有するようになるかも……という説明で、戦慄したんである。「今度のゴジラ、飛ぶの!?」と。
 だって、蒲田くんからの劇的な変態を見せられたら、もう一段階の変態ぐらいはアリだと思っちゃうよ。まあ、大半の観客はそこまで行くとは思ってなかっただろうけど、『ゴジラ対ヘドラ』を知ってる人間にとっては、ゴジラが飛ぶというのは、冗談抜きで、十分にありえることに思えたのだ。特撮ファンだけに通じるミスディレクションかも。
 まあ、さすがに空を飛ばれたら、もう手の打ちようが何もなくなっちゃうからね。

 あと、攻撃を受けるたびにそれに反応して強くなる怪獣というと、『ウルトラマン』のザラガスが有名だけど、僕はむしろ『ウルトラマンマックス』のイフを連想した。あの「何をやっても無駄」「世界はもう終わりかもしれない」という絶望感は、『シン・ゴジラ』に通じるものがあると思う。

 僕が感心したのは、これまでの怪獣映画のどれよりも、自衛隊の兵器が正しく運用されていたこと。
 僕も『MM9-invasion-』を書いた時に、東京のど真ん中にいきなり宇宙怪獣が出現したら、自衛隊はどう対応するかを考えた。まず戦車は出せなかった。あの短時間で地上部隊は展開できないから。だから航空戦力中心。
 この映画でも、最初にゴジラに立ち向かうのはアパッチ。30ミリチェーンガンとかヘルファイア対戦車ミサイルとか70ミリロケット弾だとかを撃ちまくる。
 これまでの怪獣映画って、戦車や自衛艦が怪獣に近づきすぎてやられるシーンがよくあって、「そんなに近づいちゃだめだろ」っていつもツッコんでた。この映画ではゴジラの尻尾に叩き落とされないよう(この時点ではまだ、ビームを吐くことは分かっていない)、ヘリは十分に距離を置いて攻撃していて、「ああ、そうそう、これが正しいんだよね」とうなずいてた。
 個人的にすごく嬉しかったのは、二度目の上陸の時に登場したMLRS(多連装ロケットシステム)! 『MM9-invasion-』でも怪獣にとどめを刺すために出したけど、たぶん今の陸自の兵器の中で最強。怪獣の動きが鈍ったところで、遠距離からM31を撃ちこむというのは、まったく正しい運用だ。
 まあ、それでも倒せないのがゴジラなんだけど。

 もうひとつ、僕がこれまでの怪獣映画で、ずっと不満に感じてた点がある。
 それは人間ドラマの部分が、怪獣の大暴れするシーン(以下、便宜上、「怪獣ドラマ」と呼称する)と関係ないことが多いということ。

『地球最大の決戦』のサルノ王女暗殺計画とか。
『宇宙大怪獣ドゴラ』の宝石強盗団とか。
 それ怪獣の話と関係ないだろ! というストーリーがよくあったわけですよ。
『ガメラ対バルゴン』のニューギニアのくだりとかも、無意味に長いよね。

 怪獣ものじゃないけど、『日本沈没』(2006)の、これから死を覚悟の任務に向かおうとする草彅剛と柴咲コウのラブシーンも、むちゃくちゃ長かった。もう観てていらいらして、「お前、さっさと死んでこい!」と言いたくなるぐらい(笑)。
 だって『日本沈没』で観客が見たいのはスペクタクルでしょ? ラブシーンが見たいなら他の映画でもいくらでもあるじゃない。なんで『日本沈没』でそんなところに尺取らなくちゃいけないの。自分たちが何の映画を作ってるのか分かってないの?

 しかも日本の映画だからこれぐらいで済んでるんであって、海外の昔の怪獣映画はもっとひどい。『原始怪獣ドラゴドン』なんて、尺の大半が単なる西部劇だ(笑)。

 最初から最後までずっと怪獣を暴れさせ続けるのは、予算がかかりすぎるし、観客もダレる。だから、「人間ドラマ」で尺を埋める。そこまではいい
 でも、その埋め方がまずいと、怪獣ドラマと人間ドラマが乖離してしまう。
 とは言っても、怪獣が現われたら普通、一般人は逃げちゃうからね。「怪獣ドラマ」と「人間ドラマ」は両立させるのが難しい。
『クローバーフィールド』や『グエムル』では、怪獣がいる場所に愛する人が取り残されていて、それを助けるために一般人が怪獣に接近するという構成になっていた。でも、そんな手は何度も使えない。

『MM9』では、「怪獣対策を練るチーム」という設定にして、登場人物たちが怪獣とからむ必然性を作った。
 読んだ方ならお分かりだろうけど、『MM9』の中での気特対の日常描写は、ほんとに必要最小限。たとえば、さくらがプライベートで何やってるかなんて、まったく描かれていない。これ以上削ったらスカスカになるというところまで削ってある。
 何でかというと理由は簡単。怪獣ものの主役は怪獣だから。怪獣と関係のない日常描写は、『MM9』の本質からはずれる。 だからなるべく描かない。
 怪獣ものにおける「人間ドラマ」というのは、あくまでフレーバー、料理で言うなら隠し味のスパイスでなくてはいけない。それがなかったらつまらないけど、ありすぎると邪魔になる。

 たとえば『MM9-invasion-』のヒメと一騎のラブコメ展開にしても、ちゃんと分析していただければ、すべて、スカイツリーと雷門でのバトル、皇居でのリターンマッチを盛り上げるためのお膳立てであることが分かるはず。怪獣もののメインはあくまで怪獣の大暴れのシーンであって、「人間ドラマ」はそれに奉仕するためにあるんである。
 もちろん僕は怪獣映画に「人間ドラマ」は不要だとは思っていない。料理を美味しくするためのスパイスは必要だから。
 でも、塩を入れるべき料理に砂糖を入れるような、「スパイスの入れ間違い」は勘弁してほしい。
 あと、スパイスを料理の本命の食材だと思いこむのも勘弁してほしい。

 そのへんを誤解したのがドラマ版の『MM9』。スパイスが美味しいからといって、スパイスだけで料理を作ろうとした。そりゃあ美味しくなるわけがないよ。

『シン・ゴジラ』のいいところは、ゴジラの大暴れとその対策だけに絞りこんだこと。
「映画には人間ドラマがなくてはならない」というのは錯覚だ。いや、人間ドラマがある映画ももちろんあっていいけど、そんなもん無くていい映画もある。
 男女の愛とか、親子の愛とか、犯罪とか、社会批判とか、そんなものはこの映画に要らない。無駄な尺を取るだけだ。主役はゴジラ。それ以外の要素、つまり「人間ドラマ」はフレーバー。そう割り切って作られている。
 樋口真嗣監督は、『日本沈没』や『MM9』だけでなく、『ローレライ』や『進撃の巨人』など、同じ失敗を繰り返してきた人だ(上からの要望を断れない人だと言われてる)。今回の成功は、やはり脚本と総監督を手がけた庵野秀明氏の功績だろうと思う。

 だから「この映画には人間ドラマがない」という批判に対しては、こう開き直るべきだと思う。

「それがどうしたの? だってげんに怪獣映画として面白いでしょ?」

 あと、もうひとつ。切実なお願い。これは『シン・ゴジラ』に限ったことじゃないけど、作品に余計な意味を読み取らないでほしい。製作者が意図していなかったり、あるいはわざわざ排除した要素を、勝手につけ加えないでほしい。

シンゴジラで民衆がコールをするシーンは「ゴジラを倒せ」か「ゴジラを守れ」かどっちなのか!その真相は意外にも?
http://togetter.com/li/1033468

 ↑これなんかまさにそれ。
 庵野総監督はこの映画を、右にも左にも偏向しないように配慮して作っている。露骨なイデオロギーなんか入れたら作品がつまらなくなると分かっているからだ。
 なのに、何でわざわざ偏向した意味をつけ加えなきゃいかんのだ。
 つーか、怪獣映画をそんな観方して面白いの?
 素直に「怪獣ドラマ」を楽しめ。頼むから。
 
  


Posted by 山本弘 at 21:42Comments(18)特撮映画最近観た映画・DVD

2014年11月25日

『楽園追放-Expelled from Paradise-』

 先日、梅田ブルク7で観てきた。

http://rakuen-tsuiho.com/

 いやー、面白かった!
 監督・水島精二、脚本・虚淵玄だから、ハズレではないだろうと思ってたけど、期待以上の面白さだった。
 どのへんがいいのか、詳しく紹介するとネタバレになるから曖昧に書くけど、とにかくSFがよく分かってるんである。

 肉体を捨てて電脳空間で生きている人類、AIの進化、外宇宙への進出などなど、古今東西のいろんなSFの要素をうまくまとめ、きっちりとオリジナリティあふれるSF作品に仕上げている。基本設定を聞いて僕が最初に連想したのは『地球移動作戦』の劇中劇『セカンド・アース』だけど、実際に観てみたら、むしろ『アイの物語』が混じってるかも? と感じた。
『翠星のガルガンティア』でも思ったが、SFガジェットを表面的に使っているだけではなく、その扱い方が手馴れているのだ。「SFが好きなんだなあ」というのがよく分かるんである。
 設定や展開もよく考え抜かれていて、ツッコミどころがほとんどない。なぜヒロインが大人の女性ではなく少女の姿なのかということまで、きっちり説明されてるのには参った。今の日本のアニメでは、そこはお約束としてスルーされるところなのに。
 観てて気になったのは、L1やL3はラグランジュ安定点じゃないってことぐらいか。(まあ、それを言ったらファースト『ガンダム』もおかしいんだけどね)
 特にラスト近く、ディンゴがフロンティアセッターに投げかける言葉は、SF者なら感動すること間違いなし。うんうん、そうだよなあ。

 かと言って、非SFファンは置いてけぼりかというと、そんなこともない。難しいのは導入部分だけ。美少女アンジェラ(声・釘宮理恵)がロボットに乗ってバトルを繰り広げるアクション&萌えアニメとしても、素直に楽しめるんである。
 特にクライマックスのバトルが大迫力。絶望的な状況からの逆転。圧倒的な戦力差のある敵に、機体性能の差+策略で立ち向かうというシチュエーションが燃える。
 あと、メカデザインがいい。主役メカであるアーハンもかっこいいんだけど、フロンティアセッターの操る古くさい作業用ロボットのデザインが、すごくもっともらしくて感心する。

 あと、些細なことなんだけど、最初のシーンに出てくる軽薄なナンパ男の声が古谷徹だとか、クライマックスに出てくるチョイ役の三人の女性キャラの声が林原めぐみと高山みなみと三石琴乃だとか、変なところが豪華。
 いやあ、下手な俳優とか起用するより、こういうサービスの方がよっぽど嬉しいよね。

 世間では、虚淵脚本だというだけで、『まどか☆マギカ』みたいな鬱展開だと思いこんでる人も多いみたいだけど、そんなことはない。ラストには大きなカタルシスがあるし、希望を感じさせる話になっている。 幸せな気分で映画館を出られるので、ご安心を。
 僕はてっきり『まどマギ』が人気が出たから虚淵氏に脚本の依頼が行ったもんだと勘違いしてたんだけど、実は『まどマギ』の放映前からあった企画だそうだ。

 もうひとつ僕が勘違いしていたこと。
 フルCGアニメなのにキャラクターの表情がものすごくセルアニメ的で自然なので、かなり手描きの絵が混じってるんだと思っていた。特に戦闘中にアンジェラが絶叫するカットとかは、表情がCGだとは思えなかったのだ。しかし、プログラムを読むと、手描きの部分はほとんどないらしい。
 うーむ、セルルックCGってここまで来てたのか。『SHIROBAKO』で、いずれ手描きのアニメはなくなるかも……と言ってたけど、こんなの見せつけられたら納得するなあ。
 もちろん、手描きアニメを手がけてきた監督や演出家の経験の集積があるからこそ、CGを使いこなせるんだろうけど。

 人類の未来だけじゃなく、アニメの未来も見せてくれた。

 しかし、この映画、上映館数が少ないんだよね。大阪では1館だけ、東京でも2館というのは、なんとももったいない。
  
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2014年10月06日

映画『赤×ピンク』



>東京・六本木、廃校になった小学校で毎夜繰り広げられる非合法の格闘技ショー“ガールズブラッド"。
>ここは、思い思いの衣装でコスプレした女達が肌をむき出しにぶつかり合う会員制の地下ファイトクラブ。
>性同一性障害に悩む空手家・皐月は、ある日ガールズブラッドにやって来た美しい人妻、千夏と恋に落ちる。
>だが、幸せな日々を過ごす2人の前に千夏のDV夫が凶暴な仲間たちと共に現れ、千夏を強引に連れ戻そうと画策、
>ガールズブラッドの存亡の危機にまで発展する。
>皐月は千夏とガールズブラッドを取り戻すため、仲間と共に立ち向かうのだが…。

 今年の2月に公開された映画。劇場では観そこねたんたけど、この間、角川の人からDVD-BOXをいただいたんで観ることができました。ありがとうございます。
『戦隊』シリーズ、『ライダー』シリーズ、それに『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』などを手がけてきた坂本浩一監督だから、アクション・シーンがよくできてるであろうことは最初から疑ってなかったんだけど、アクション以外の部分はどうなんだろうなあ……と思いながら見てみた。
 うん、いいじゃない。

 要約すると、『ロッキー』+『カリフォルニア・ドールズ』。 もちろん『ファイト・クラブ』も入ってるけど。
 もうね、最初から最後までバトルばっかり! リングの上だけじゃなく、屋外や室内でのバトルもいろいろあって飽きさせない。

 でもって、バトルの合間にはエロ!

 シャワーシーンとかレズシーンとか何度も何度も出てくるの。主演の芳賀優里亜(『仮面ライダー555』の園田真理)なんか、登場していきなり脱いでるうえに、おっぱいだけじゃなくヘアまで堂々と見せてレズシーンを熱演してますよ。
 もうね、どんだけサービス精神旺盛な映画だよと。
(ちなみに僕が観たのはディレクターズ・カット版。劇場公開版だと少し削られてたみたい)

 とまあ、こう書いていくとアンディ・シダリスかフレッド・オーレン・レイ作品みたいなものを連想されるかもしれないが(笑)、 さすが坂本監督、アクションがスピーディで見ごたえがある。短いカット割りと緩急の使い分けでかっこよく見せるのは、やはり長年積み重ねてきたノウハウだろうな。
 でもって、女優さんたちがみんな体張ってんだわ。主役の芳賀優里亜と多田あさみの対決もすごいけど、水崎綾女(『ゴーバスターズ』のエスケイプ)とかもいい動きするんだよ。最後のハイキックなんて、ため息出るよ。みんなこの映画のために、かなり練習したんだろうな。その裏の苦労を想像すると頭が下がる。

 ああ、そうか。これ、僕が好きな「バカなことに全力を傾ける話」なんだ。
 舞台となる〈ガールズブラッド〉も、何でこんな危険なことをお前ら進んでやってるんだよと、冷静に考えるとツッコミたくなるし、この映画自体、「女の子がエロいことしながら戦ったら面白いんじゃね?」という、あからさまな下心で作られてるのが見え見えなんだけど、それを単なる下心で終わらせず、全力で大真面目にやってるところに感心するのだ。

 ストーリー的には、クライマックスの展開が明らかに無理があって、もうちょっと工夫が欲しいなとは思ったんだけど(原作は読んでないけど、このへんは映画オリジナルらしい)、観てて燃えることは確か。
 やっぱり「拳と拳で分かり合う」というのをやりたかったんだろうな。

 というわけで、「美女が戦うエロい映画」を求めている人には、絶対おすすめ。
  


Posted by 山本弘 at 12:14Comments(4)最近観た映画・DVD

2014年10月06日

人形劇版『伊賀の影丸』



 横山光輝の名作『伊賀の影丸』が、1963~1964年、人形劇としてテレビで放映されていたのをご存知だろうか。
 今なら雑誌連載の人気マンガはアニメになることがよくあるが、1963年というのは『鉄腕アトム』や『エイトマン』が放映開始された年。まだ「人気があるからアニメ化」という発想は一般的ではなく、むしろ実写ドラマや人形劇になる例が多かった。(『鉄腕アトム』もアニメ版の前に、実写ドラマ版や人形劇版があった)
 だから当時の子供たちに大人気だった『伊賀の影丸』も、人形劇になった。そのうち10話分のフィルムが奇跡的に残っていて、このたびソフト化されたのである。
 僕はぎりぎり本放送を観ていた世代なんだけど、幼かったので、内容についての記憶がほとんどない。「影~」「はっ!」「影~」「はっ!」という主題歌だけは覚えてたんだけど。
 だもんで、はたして今観て面白いのかどうか、自信がまったく持てなかった。買ったのはいいけど、しょぼかったどうしよう……と、ドキドキしてたんである。

 しかし、観てみたらほっとした。
 面白いわ、これ!
 人形劇であることが、途中からぜんぜん気にならなくなってくるのだ。

 今回、ソフト化されたのは第2部、原作の「由比正雪」編を30分×10話に映像化したもの。鈴ヶ森の刑場で処刑されたと思われていた由比正雪が実は生きていたことが判明。服部半蔵から密命を受けた影丸ら伊賀忍者たちが、東海道を西に向かう正雪一味を追跡する……というストーリー。
 かなり自由に脚色されており、オリジナル・キャラクターが何人も出てくるし、原作にないエピソードも挿入される。 しかし、水増し感はまったくない。毎回、展開が速く、30分の中に何回もバトルが出てきて、飽きさせないのだ。
 特に上手いと思ったのは、盲目の美少年忍者・左近丸をクローズアップしてること。目が見えないので敵忍者の幻術にかからない。原作では途中であっさり死ぬのだが(『影丸』では毎回、影丸以外の忍者はほぼ全員死ぬ)、この人形劇版では最初から最後まで活躍。生き別れの妹が隠れキリシタンで、しかも由比正雪に味方していて……というドラマが展開する。これはテレビ化するにあたって納得できる範囲のアレンジだろう。
 かと言ってそのへんの人間関係がストーリー展開を阻害するわけでもなく、適度なスパイスになっている。

 人形劇で戦闘シーンというと、普通に撮ったら、ただ単に人形がぶつかり合っているだけのつまらないものになってしまうだろうけど、短いカットの組み合わせで、いろいろ工夫が凝らされている。
 たとえば第1話で、正雪の部下の金井半兵衛が、関所の役人3人を一瞬で斬り殺すシーンが秀逸。斬る瞬間を見せることなく、半兵衛の強さを印象づける。うむ、これはかっこいい。
 人形は下から操るギニョール方式なんだけど、戦闘シーンでは、テグスで吊られてびゅんびゅんと飛ぶ。
 忍者ものの定番、手裏剣が樹にタタタッと刺さるシーンも何回も出てくる。おそらく手裏剣にテグスがついていて、あらかじめ樹に刺しておいたおいたのを、テグスを勢いよく引いて抜き取り、それをフィルムの逆回転で見せてるんだと思う。
 原作に出てくる忍法は、弥九郎の影ぬい、太郎坊の分身の術、獅子丸の獣を操る術などは、ほぼ忠実に再現されている(太郎坊はこのために同じ人形を何体も作っている)。一方、左近丸のくも糸わたり、鏡月の水鏡などは、人形劇で再現するのは無理があったらしく、省略されたり、別の術に変えられている。藤太の糸うらないがカルタ(タロット)うらないに変えられているのも、テレビでは糸が見えにくいからだろう。
 さて、影丸と言えばもちろん、忍法・木の葉隠れ。第4話で披露するんだけど、これがなんとアニメ合成! 渦を巻く木の葉がアニメで描かれているのだ。これには感心した。この時代にこんなこと、やってたんだ。

 製作したのは、この翌年、『ひょっこりひょうたん島』を手がける人形劇団ひとみ座。
 演出は長浜忠夫。
 そう、あの長浜忠夫!
 この頃、人形劇の演出をやってたんである。
 ちなみに、ひとみ座でこの『伊賀の影丸』を製作した藤岡豊氏が、この翌年に東京ムービーを設立。長浜氏も藤岡氏の人脈で、アニメ演出の道に転進したのである。

 影丸の声は藤田淑子。ただ最初、藤田淑子だと分からなかった。僕らが知ってるジェリーや一休さんの声より、さらに幼い声だったから。
 調べてみたら、この年、藤田淑子13歳! 中学生で声優やってたんだ!? どうもこの『伊賀の影丸』で認められて、翌年『トムとジェリー』に起用されたらしい。
 いろいろとアニメ界に影響与えてたんだな、『伊賀の影丸』。

 声優と言えば、OPの「声の出演」には若山弦蔵や愛川欽也の名もクレジットされている。しかし、いくら聴いても若山弦蔵の声で喋ってるキャラクターがいない。
 その一方、アンナという女性キャラの声はどう聴いても小原乃梨子なんだけど、OPにクレジットされていない。
 これは推測だけど、このOPクレジット、第一部のそれを流用してるんじゃないだろうか? 第二部になって出演者が変わったのに、そのままになってるのでは?
 白黒の『鉄腕アトム』とかを見れば分かるけど、この頃の子供向け番組は、その回のスタッフ・キャスト名は、EDにテロップで表示されるのが普通だった。もちろんそれは本放送時のみで、再放送やソフトではテロップなしの映像だけが流れる。この『伊賀の影丸』でもそうである。
 資料が散逸していると、映像は残っていても、演出家や脚本家や出演声優の名前が分からないという例がざらにあるのだ。

 何にせよ、こういう「子供向けヒーロー番組のオーパーツ」みたい作品を見ることができたのは嬉しい。
  


Posted by 山本弘 at 11:58Comments(2)最近観た映画・DVD