2016年09月14日

「SFバカの人生総決算・それでもSFが好っきゃねん!」Part2

 仕事が多忙のため、しばらく管理をさぼっていてすみません。
 今月は後半にどどっとイベントが重なります。

 まず最初は9月18日に神戸の三ノ宮で開催されるイベント「読まなきゃ!in KOBE」。作家の福田和代さん、初野晴さんらとビブリオバトルをやったり、初野さんの講演やサイン会も開かれるんですが……。

http://www.fukudakazuyo.com/yomanakya/biblio2016/index.html

 ごめんなさい。事前申し込みが必要だということを、ころっと失念していました。申し込み期間、すでに終わっています。本当にごめんなさい。

 次は毎月恒例のこれ。
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山本弘のSF秘密基地LIVE#61

SFバカの人生総決算・それでもSFが好っきゃねん!

「多々良島ふたたび」の星雲賞日本短編部門受賞を記念し、SFひとすじに歩んできた作家・山本弘の半生を振り返ろうという企画の続編です。
 前回はSFの魅力に目覚めた幼児期から、本格的にSFを読みまくるようになった高校時代までの思い出でしたが、後半はいよいよ20代に突入。〈奇想天外〉新人賞佳作入選、スランプに苦しんだ時期、同人作家活動、〈ファンロード〉の投稿常連といったアマチュア時代を経て、グループSNE入社、処女長編出版、ゲームのシナリオやリプレイを書きまくっていた時代、そして結婚と、怒涛の80年代~90年代を語ります。あの時代を知っているオールド・ファンにも、昔を知らない若い方にも、興味深い話が満載です!
 なお、終了後に山本弘のサイン本の販売を予定しています。既刊本にもサインいたしますので、どうぞお持ち寄りください。

[出演] 山本弘

[日時] 2016年9月23日(金) 開場・19:00 開始・19:30

[会場] なんば紅鶴(大阪市中央区千日前2-3-9 レジャービル味園2F)南海なんば駅より南海通り東へ180m・駐車場有

[料金] 1500円  
(店内でのご飲食には別途料金がかかります。入場時に別途ワンドリンクをご購入いただきますのでご了承ください)

 詳しい情報、ご予約はこちらへ

http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=106635157
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 いつもと違い、月末ではなく23日なのでお間違えなきよう。
 先月の話は、生い立ちからはじまり、1970年代後半、〈問題小説〉新人賞や〈ネオ・ヌル〉入会あたりの話までしたところでタイムアップ。〈奇想天外〉新人賞の話や、80年代にいっぱい作ってた同人誌の話、最初のゲームブック、グループSNE入社、プロ作家としてデビューした当時の話などを語る予定です。どこまで語れるかな? なんとか結婚まではたどりつきたいですが。
 ちなみにこのイベントのために、80年代に寄稿してたり自分で作ってたりした同人誌、大量に発掘しました。SF同人誌、ゲーム同人誌はもちろん、『トランスフォーマー』の同人誌とかも(笑)。「この頃、こんなの書いてたんだ!」と、自分でも驚くような記事がいろいろ。かなり濃い話になるのは間違いありません。お楽しみに。
  


Posted by 山本弘 at 13:13Comments(0)PR作家の日常

2016年08月06日

「SFバカの人生総決算・それでもSFが好っきゃねん!」

山本弘のSF秘密基地LIVE#60
SFバカの人生総決算・それでもSFが好っきゃねん!

 怪獣愛がぎっしり詰まった小説「多々良島ふたたび」(早川書房『多々良島ふたたび:ウルトラ怪獣アンソロジー』に収録)が第47回星雲賞日本短編部門を受賞! それを記念し、SFひとすじに歩んできた作家・山本弘の半生を振り返ろうという企画です。
 幼い頃に観ていてSFマインドに目覚めた番組、初めて映画館に観に行った怪獣映画、初めて読んだ活字SF、ノートに鉛筆で怪獣小説を書きはじめた小学生時代、初めて読んだ『SFマガジン』、がむしゃらにSFを読みまくった高校時代、新人賞投稿、スランプ、同人作家時代、処女長編出版、ゲームのシナリオやリプレイを書いていた時代……そして今は何を書いていて、これから何を書くつもりなのか。あの時代を知っているオールド・ファンにも、昔を知らない若い方にも、きっと興味深い話が満載です。
 トーク終了後、山本弘の著作の販売もいたします。

[出演] 山本弘

[日時] 2016年8月26日(金) 開場・19:00 開始・19:30

[会場] なんば紅鶴(大阪市中央区千日前2-3-9 レジャービル味園2F)南海なんば駅より南海通り東へ180m・駐車場有

[料金] 1500円  
(店内でのご飲食には別途料金がかかります。入場時に別途ワンドリンクをご購入いただきますのでご了承ください)

 詳しい情報、ご予約はこちらへ
http://boutreview.shop-pro.jp/?pid=103888198
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 星雲賞獲った記念に、急遽、こういうイベントをやることになりました。先月に続き、「僕たちの好きだった80年代アニメ」(これも実はけっこう好評なんですが)はお休みです。申し訳ありません。
 原点を語ろうとすると、やっぱり怪獣の話が多くなるかなあ……という気がします。「多々良島ふたたび」のあとがきでも書いたけど、子供の頃に夢中になっていたもので原稿料を貰い、そのうえ賞もいただけたんですから、やっぱりこれまでやってきたことは間違いじゃないと思いますね。
 子供の頃の特撮体験とか、グループSNE時代の話とかは、これまで断片的には語ってきたんだけど、こんな風にまとめて語るのは初めてかもしれませんね。小学生時代に書いてた小説とか、同人誌に書いてた頃のことは初めてかも?
 とにかく盛りだくさんの内容になると思います。お楽しみに。

  


Posted by 山本弘 at 19:44Comments(0)PR作家の日常

2016年07月17日

星雲賞受賞の言葉

『多々良島ふたたび: ウルトラ怪獣アンソロジー』(早川書房)に収録された短編「多々良島ふたたび」が、同書に収録の田中啓文氏の「怪獣ルクスビグラの足型を取った男」とともに、星雲賞日本短編部門を受賞しました。



 先週土曜日に鳥羽のSF大会会場まで行ってきて、星雲賞いただいてきました。
 その時の受賞の言葉。録音してたわけじゃなく、記憶で書いてますんで、間違ってたらご容赦。

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 最初に業務連絡を。実は今夜は、泊まっていけません。明日、プライベートな事情があるもので、今日は夕食が終わったらすぐに大阪に帰らなくてはいけないんです。ですから、僕に何かご用のある方は、早めに言っていただけるとありがたいです。
 あと、前回、『去年はいい年になるだろう』で星雲賞をいただいた時は、前の客席に妻と娘が来てたんですけど、今日は来てません。ですから今、写真を撮ってる方々、その写真を後でネットにアップしていただけるとありがたいです。妻と娘に「ほら、これが受賞風景だよ」と見せられますので(笑)。

 さて、このウルトラ怪獣アンソロジーという企画が来た時に、僕が最初に予想したのが、『SF作家はひねくれてる人が多い』ということです。たぶん、まともなウルトラマンは誰も書かないだろう。みんな変なウルトラマンを書いてくるに違いない。
 だったら逆に、原作に忠実なサイドストーリーを書いたら、目立つんじゃないか──そう計算して書いたら、見事に図に当たりまして、星雲賞をいただけることになりました。ありがとうございます。

 実は僕はもう何年も前から、出版社の人と会うごとに言ってたんですよね。「なぜ円谷プロに話をつけて、『ウルトラ』シリーズのアンソロジーを出さないのか」と。だって、僕らの世代の作家って、『ウルトラ』で育った人はたくさんいるわけですよ。「書かないか」って持ちかけたら、みんな乗ってくるはずなんですよね。
 でも、その構想がなかなか実現しないなあ……と思ってたら、それがようやく現実になった。だから喜んで書かせていただきました。

 ただね、考えてみたら、他にもいろんなアンソロジー作れるはずなんですよね。
 たとえば、今年は『ゴジラ』の新作が公開されますから、東宝の許可取って、いろんな作家に声かけて、『ゴジラ』アンソロジー作ったらいいんじゃないか。ゴジラ小説を書きたい人っていっぱいいると思うんですよ。僕も書きたいし。実は中学の頃からずっと、『ゴジラ対ヘドラ』のノヴェライズ書きたくてしかたないんですよ。
 あるいは東映に話つけて『仮面ライダー』のアンソロジー作るとか。あるいは特撮に限ったことじゃない。サンライズに話つけて『ガンダム』のアンソロジー企画するとか。書きたい作家、絶対いっぱいいるはずなんですよ。
 ここにいる出版社の方々、何でそういう企画を出さないんですか? 出してくださいよ。
 僕も『怪獣文藝の逆襲』とかに寄稿してますけど、まだまだ怪獣小説書きたい。また声がかかったら書かせていただきます。

 あっ、ちなみにですね、これはまだここだけの秘密にしておいてほしいんですけど、実は来年、●●●●さんの方で、『●●●』の小説を出させていただくことになってます。期待しててください。

 活字と映像って、べつべつのものじゃないと思うんですよね。僕ら現代の作家は、小さい頃からいろんな映像作品に接してきて、それに影響を受けて育ってきた。映像的な面白さというものを作品の中に取り入れてるんです。
 一方、活字から映像作品が受ける影響というものも、もちろんあるでしょう。活字と映像というのは、フィードバックを形成して進化してきたと思うんです。

 僕が怪獣ものを書くのは、自分を育ててくれた映像の世界へのご恩返しの意味もあります。これからもこうした小説はどんどん書いていきたいと思っています。
 どうもありがとうございました。
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 終わってから気がついたんだけど、
「『ガルパン』のアンソロジー企画したら、書きたい作家はいっぱいいますよ!」
 とも言っておくべきだったかなと(笑)。
  


Posted by 山本弘 at 17:12Comments(4)特撮PR作家の日常

2016年07月01日

60歳になっての雑感

 少し前、「ハヤカワ・SF・シリーズ総解説」の原稿を書く関係で、昔のSFを何冊か読み返した。

 そのうちの1冊がロバート・シェクリイの短編集『宇宙のかけら』。僕としては、収録作の中の「千日手」と「ポテンシャル」が気に入っていたから買ったのだが、今回、読み返していて、「炭鉱者の饗宴」という作品が妙に気になった。
 金星の砂漠地帯で金鉱を探す男の物語。1959年に書かれた話だから、金星は大気が呼吸可能、人間が生身で生きられる環境で、原住生物もいる。しかし主人公は乗ってきた地上車のタイヤがパンクしてしまい、途中から砂漠を徒歩で進まねばならなくなる。
 彼は携帯テレビ電話を持っていて、いつでも文明社会と連絡が取れる。しかも、この世界には瞬間移送システムもある。生物だけは送れないが、電話で注文すれば、水だろうと食料だろうと道具だろうと、すぐにロボットが届けてくれるのだ。
 金さえあれば。
 主人公は金鉱探しに財産のすべてを注ぎこみ、今は一文無しである。だから車のスペアタイヤも、食料も水も買えない。金鉱を見つけずに帰っても破滅が待つだけ。だから何としてでも金鉱を見つけなくてはならないのだ。地層の特徴からすると、この先には必ず金鉱があるはずだと信じて進み続ける。

 思ったのが、これってまさに現代社会そのものだな、ということ。
 携帯電話が普及しているのもそうだが、こちらから店に買いに行かなくても、欲しいものがあれば何でも届けてくれるというのが、まさに現代じゃないか。そう、何でも手に入るのだ!
 金さえあれば。
 ものはある。食料も余っている。でも、金がないので手に入らず、砂漠でもないのに野垂れ死にしてゆく人がいる。それが現代。

 僕の信念は「小説家とは金鉱掘りである」というものだ。
「ここに金鉱があるはずだ」という当たりをつけて探しに行く。ちょこっとだけ金は見つかるが、大当たりとはいかない。しかたなく、そのわずかな金で食いつなぐ。そして新しい金鉱を探す。今度こそすごい鉱脈を掘り当てて、大金持ちになってみせるという夢を抱いて……。
 でも、なかなか鉱脈は見つからない。

 さて、なぜ今回、「炭鉱者の饗宴」が気になったかというと──

 この前、60になったんですよ、60に!

 気が遠くなりそうな数字だよ、60。

 何よりショックだったのは、映画館に行ったら、シニア料金で入れたこと。普通料金より700円も安いの。
 でも安いからって嬉しい気がしない。シニア料金というものはずっと前から知っていたけど、自分がそれで映画を観るようになるなんて、遠い先のことだと思っていた。突然、「僕はもうシニアなんだ!」と実感して、感慨とかいう以前に、軽く絶望を覚えた。

 自分はSF作家として新米だと、ずっと感じていた。僕より上には小松さんと筒井さんとか星さんとか、すごいベテランがいっぱいいて、足元にも及ばないと思っていたから。
 ところが気がつくと、もう僕より上の人がかなり少なくなってきている。 僕もそろそろSF界の長老グループに入りかけているではないか。

「おお! だったらそろそろ、威張ってもいいんじゃないか?」

 と浮かれかけて、はたと気がついた。僕が小松さんや筒井さんとは決定的に違う点があるということに。
 長編処女作『ラプラスの魔』を発表したのは1988年。それから28年も作家を続けてきた。
 でも、28年間に一度も大きな鉱脈を掘り当ててない。いや、『MM9』は鉱脈かなと思ったことはあったんだけど(苦笑)。
 それでも、次こそは鉱脈に当たると信じて書き続けてきた。
 でも、当たらない。
 他人に恨みをぶつけることもできない。ヒットが出ないのは僕自身のせいなんだから。

 現状維持ならまだいい。近年は出版不況で、どこの出版社も本の初版部数を絞っている。毎年毎年じりじりと減ってきて、僕がデビューした当時の1/2とか1/3ぐらいになっている。
 つまり、同じペースで本を出し続けていても、収入が半分とか1/3とかになっているのだ。そりゃきついわけだ。

 同業者のツイッターとかを読んでいると、しばしば心配になる。あれ? この人、もうずいぶん長く本出してないけど、食べていけてるのかなと。
 そして思い出す。そういう人たちはたいてい、他に職業を持っている兼業作家か、夫婦共働きか、独身だということに。
 僕みたいに既婚者の専業作家は、実は少数派だ。

 家族を養うって、かなり重たいことなんである。
 うちは娘が一人だけど、学費やら何やらで、年に100万円以上は軽く吹っ飛ぶ。独身者に比べて、経済的に大きなハンデがあるのだ。娘が社会に出て、自分で稼ぎはじめるまで、まだ何年もかかる。
 だから僕は書き続けるしかない。 本を出さないと、妻や娘を養っていけない。でも、同じペースで書き続けていても、収入はじりじり減る一方。今度こそ一発当てたいとあせる。でも、やっぱり当たらない……。
 これはね、心理的につらい。
 つらくてもやめるわけにはいかないってことが、さらにつらい。
「炭鉱者の饗宴」の主人公の心境がすごくよく分かる。

 実は今年の4月から6月ぐらいにかけて、けっこう経済的にきつかった。
 どうにか所得税は確定申告で還付金が出たけど、市民税・府民税、国定資産税、国民年金、国民健康保険とかで、ごっそり取られた。娘の大学の学費もあった。そのうえ、病気になって入院したし、冷蔵庫が壊れて買い直さなくてはならなかった。何でそんなに出費が連続するんだ!

 自信を失い、夜中に思わず妻に弱音を吐いてしまった。もうだめかもしれない。今はまだどうにか食いつないでるけど、いずれ君らを路頭に迷わせるかもしれないと。

 そしたら──

 数日後、妻が札束の入った封筒を差し出したのである。貯めていたへそくりだという。

「はい、大事に使ってね」

 と笑顔で言う妻。
 僕はむちゃくちゃに感動してしまった。何だよ、お前! 山内一豊の妻か!?

 誕生日にはケーキを買ってくれた。今年は「60」というローソクのついたケーキだ。妻と娘が「ハッピーバースデー・ディア・パパ♪」とデュエットし、「60歳おめでとう!」と言ってくれた。


 涙が出そうだった。
 経済的に苦しくなってるからって何だ。僕のことを愛してくれている妻と娘がいるというだけで、十分すぎるほど幸せじゃないか。
 くじけかけてたのがバカみたいだった。この2人のために、もっともっとがんばらなくちゃと思った。

 そりゃあ、依然としてつらいですけどね。
 でも、もう後ろは向かないよ。



 カクヨムに投稿しはじめたのも、ちょっとでも知名度が上がることを何かやろうと思ったから。
 1人でも2人でもいいから、僕の本を買ってくれる人を増やしたい。この業界で生き残って、家族を養ってゆくために。
  
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Posted by 山本弘 at 18:37Comments(25)作家の日常

2016年07月01日

「太陽を創った男」の思い出

 前回も書いたように、カクヨムに投稿をはじめている。

https://kakuyomu.jp/users/hirorin015/works

 30年以上前のアマチュア時代に書いた「砂の魔王」や「星の舟」、割と新しい「悪夢はまだ終わらない」まで、いろんな原稿をアップしてるけど、この中でいちばん古いのは、「太陽を創った男」。
 これにはいろんな思い出がこもっている。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054881150667

 僕は高校3年の時、〈問題小説〉という雑誌の新人賞に応募した。 タイトルは「シルフィラ症候群」。宇宙から飛来したウイルスによって、女性が片っ端から美女に変身してゆくというホラー調の侵略SF。
 何でそんな話を考えたかというと、〈SFマガジン〉のバックナンバーで読んだジョン・ブラナーの「思考の谺」という中編にハマっていたんである。ストーリー自体はB級なんだけど、終始、ロンドンの一角を舞台にしていながら、背景に壮大な宇宙の広がりがあるという構成にしびれてしまった。そこで同じような話を書いてみたのだ。
 なぜ〈問題小説〉新人賞を狙ったかというと、審査員の一人が、僕が敬愛する筒井康隆氏だったからである。
 この作品は最終選考まで残り、筒井さんに推していただいたのだが、受賞には至らなかった。でも、自分の作品が初めて認められた、プロのSF作家という憧れの職業に近づけたという事実に、有頂天になった。

 そして1975年、神戸で開かれた日本SF大会「SHINCON」。

http://www.page.sannet.ne.jp/toshi_o/sonota/sfcon_chap3_1.htm


 その会場で初めて筒井さん本人にお会いでき、「シルフィラ症候群」を推していただいた礼を言った。すると筒井さんが言ってくださった。

「あれ、〈NULL〉に載せてみない?」

〈NULL〉はかつて筒井さんの一家が作っていた同人誌。いったんは休刊したのだが、70年代になって、有志の手により、「ネオ・ヌル」という同人サークルとして復活。〈NULL〉も復刊していた。当時、同人誌といえばまだガリ版刷りが当たり前だった時代に、活版や写植で印刷されており、紙質も高級で、すごくリッチな印象があった。
 僕は筒井さんの勧めで「ネオ・ヌル」に入会。そして〈NULL〉復刊6号に、「シルフィラ症候群」が掲載された。
 同人誌とはいえ、自分の作品が印刷物になって大勢の人に読まれるのは、生まれて初めての経験だった。ええもう、当時はかなり天狗になってましたよ(笑)。

 ちなみに、その「シルフィラ症候群」、先日、久しぶりに読み返してみたんだけど……うーん、これはひどい(笑)。稚拙なんてもんじゃない。今読むととんでもなくへた。まさに「若気の至り」。まあ、まだ18歳だったからしょうがないけど。

「ネオ・ヌル」には、すでにプロデビューしていた堀晃氏やかんべむさし氏だけでなく、多くのアマチュア作家が集まっていた。デビュー前の夢枕獏氏も、タイポグラフィック小説「カエルの死」を載せていて、これはすごく面白かった。
 この同人誌の最大のウリは、筒井さんによるショートショート選評。会員から送られてくる何百本ものショートショートを筒井さんがすべて読み、その中から優れたものだけを選んで〈NULL〉に載せていたのである。だからもう、みんな切磋琢磨して競い合っていた。すごい熱さだった。

 僕も2本のショートショートを書いた。そのうちの1本が筒井さんに評価され、〈NULL〉復刊7号に掲載された。
 それがこの「太陽を創った男」。書いたのは1976年。つまり僕が20歳の時。
 ちなみに、種々の事情により、〈NULL〉はこの号で再び休刊した。

 作中に出てくるブラックホールに関するうんちくは、当時の愛読書だった佐藤文隆・松田卓也『相対論的宇宙論』(講談社ブルーバックス・1974)を参考にした。ちなみに僕がこれを買ったのは、イラストが松本零士だったからという不純な動機だったりする(笑)。でも、すごく勉強になったエキサイティングな本だった。

『プロジェクトぴあの』の中に、周防義昭教授と会見したぴあのが、彼の著書『失われた宇宙論』について熱く語るシーンがある。

>「だって、オルバースのパラドックスとか定常宇宙論なら、他にもいろんな本に載ってますけど、ブランス‐ディッケの理論やアルベン‐クラインの物質‐反物質宇宙論について解説した本なんて、他になかったんですよ。ホイルのC場とかリットルトン‐ボンディの帯電宇宙論とかも、あの本で知りました。あと、何といっても、ミスナーのミックスマスター宇宙論! あれ、面白いですよね。宇宙が三軸不等の振動してるなんて、すごくユニークな発想で」
(中略)
>「私、あの本を読んで感じたんです。宇宙論学者って、この世でいちばん柔軟な考え方をする人たちなんだなって。だって、いつも宇宙のスケールで考えていて、エキサイティングな説を次々に提唱するじゃないですか。どれもこれもユニークで、間違ってたのがもったいないくらい」

 これは『相対論的宇宙論』がヒント。ぴあのの台詞はほとんど全部、当時『相対論的宇宙論』を読んだ僕の感想なのである。
 ちなみに、このシーンでのぴあのは20歳。僕が「太陽を創った男」を書いたのと同じ歳だ。

 その後、「太陽を創った男」は〈奇想天外〉誌1977年8月号に転載され、さらに「シルフィラ症候群」とともに 『ネオ・ヌルの時代PART3』(中公文庫・1985)というアンソロジーに収録された。
『ネオ・ヌルの時代』では、生まれて初めて印税というものも貰った。よく覚えていないが20万円ぐらいだっただろうか。僕はそれで生まれて初めてワープロを買った。それまでは原稿用紙に手書きしていたのだ。
〈NULL〉の休刊号には、筒井氏の総評も載っていた。筒井氏は常連投稿者の中から十数人を選んで賞を贈った。僕も特別賞を貰った。この文章は『ネオ・ヌルの時代PART3』にも再録されている。


〈真城・西・山本の三氏は、あとは書き馴れることによって充分プロになり得る人たちである〉

 もうね、この言葉にどんだけ勇気づけられたか!
 まあ、この後、処女長編『ラプラスの魔』を出すまでに、さらに11年かかるわけだけど。

 ちなみに〈NULL〉に投稿していたアマチュア作家の中には、のちに商業誌に作品が載った人も何人もいるが、最終的にプロとして生き残れたのは、僕と夢枕獏氏だけである。
 やっぱり、筒井さんに「充分プロになり得る」と言われたからこそ、夢をあきらめずにがんばってこれたんだと思う。
 そういう意味でも、「シルフィラ症候群」と「太陽を創った男」は、僕にとって人生の重要な節目となった作品なのである。

 なお、マイクロ・ブラックホールを使って太陽を創るというアイデアは、のちにPCエンジンのゲーム『サイバーナイト』(トンキンハウス/グループSNE)のシナリオに流用している。 小説版の『サイバーナイト』にも出てくる「トミマツ=サトウ型ブラックホール」という概念も、『相対論的宇宙論』で知った。

  


Posted by 山本弘 at 17:37Comments(3)作家の日常

2016年07月01日

そんなのはビブリオバトルじゃありません

 先日、「ビブリオバトル春のワークショップ」というイベントに行って、Bibliobattle of the Year2016優秀賞というものをいただいてきたのであります。

http://www.bibliobattle.jp/workshop2016
http://www.bibliobattle.jp/bibliobattle-of-the-year/2016/award

 場所は三重県伊勢市の皇學館大学 というところ。深い森の中にあって、「神社!?」と言いたくなるような佇まい。こんな大学があるんだなあ。

 さて、会場では日本各地で行われている様々なビブリオバトルの活動もいろいろと聞いた。かなり普及してきているようで、喜ばしい。
 でも、喜んでばかりもいられない。ビブリオバトル人口が増えるにつれ、問題点も出てきているようだ。
 会場では、『読書とコミュニケーション ビブリオバトル実践集』という本も買ってきた。



 ビブリオバトルの公式ルールというのは本当にきわめて単純なもので、難しいことなんか何もない。誰でもすぐできる。
 ……そのはずなんだけど、やっぱりこういう教師に指導するためのテキストが必要らしい。
 この本の第一章にはこうある。


> その一方で、ビブリオバトルを導入した学校の児童・生徒たちから、ビブリオバトル普及委員会に不満の声が寄せられることもあります。理由は明白で、不満の声が上がる事例は「教員が課題図書を決める」「発表のための下書き原稿を書かせる」「さらに添削する」「その原稿に従った発表の練習をさせる」「先生が優秀者を決める」「あるいはチャンプ本を決めない」などなど、ビブリオバトルと称して、「ビブリオバトルらしきもの」が行なわれているケースがほとんどなのです。

 そう、こういう問題点はよく耳にする。そして、それはビブリオバトル普及委員会の責任ではまったくない。だって、これってみんなルール違反だもの。

 たとえば「教員が課題図書を決める」。これがまずだめ。
 公式ルールの一行目にちゃんと書いてある。「発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる」と。 「他人が推薦したものでもかまわないが,必ず発表者自身が選ぶこと」という項もある。
 つまり発表者自身が面白いと思って選んだ本でないといけないのだ。教師が「この本を紹介しなさい」と決めるなんてもってのほか。
 だってビブリオバトルというのは、面白い本を紹介し合うものなんだから。自分が面白いと思わなかった本を他人に勧めるなんて、根本的に間違ってる。
 つーか、面白いと思わなかった本を「面白い」と言って他人に読ませようとするのは、はっきり言って「嘘つき」だから。そんなのを教育者が教えちゃだめでしょ。

「発表のための下書き原稿を書かせる」というのも絶対ダメ。
 ツイッターでビブリオバトル関連の発言を読んでいたら、教師から無理にビブリオバトルをやらされてるらしく、「明日までに1600字書かなくちゃいけない」みたいなことを嘆いている人がいて、ほんとに気の毒になる。

 それ、単なる読書感想文ですから!

 子供は読書感想文って嫌いでしょ? 僕も嫌いだったよ。あんなもんで子供は本好きになんかならないよ。
 それをなぜ生徒にやらせようとするの? ビブリオバトルは読書感想文とは違うんだよ!
 どうも生徒がちゃんと喋れるかどうか心配して、あらかじめ原稿を書かせるらしい。でも、それ、根本的に間違ってるよ。常識で考えて分かるでしょ? 本の感想でも何でもそうだけど、思ったことをただ喋るのと、それをわざわざ文字にするのと、どっちが大変か。わざわざハードル上げてどうすんだ。
 さらに言うと、「原則レジュメやプレゼン資料の配布等はせず,できるだけライブ感をもって発表する」というルールもある。そう、大切なのはライブ感。用意してきた原稿を読み上げるんじゃだめなんだよ。
 このルールなんかまさに、ビブリオバトルの「読書感想文」化を防止するためのもののはずなんだけど。
 まあ、どうしてもアドリブで話せないという人が、あらかじめ原稿作って練習するのはかまわないけど、それはあくまで自分の意思でやるべきこと。教師がそれを強制しちゃだめだよねえ。

 他にも公式ルールには、「チャンプ本は参加者全員の投票で民主的に決定され,教員や司会者,審査員といった少数権力者により決定されてはならない」という項もある。
 つまり「先生が優秀者を決める」なんてのは完璧にルール違反!
 なんで教育者たるものが、そんなひどいルール違反を堂々とやるわけ? おかしいでしょ? 大人ならルール守れよ。

 他にもよく耳にする話では、「バトル」という言葉に難色を示す人がいるらしい。子供に「バトル」をやらせるなんてけしからん。子供にはただ本の発表だけやらせればいい。チャンプ本なんか決めなくていいじゃないか……というのだ。
 だから、それもうビブリオバトルでも何でもありませんから!

 なぜこんなルール違反の「ビブリオバトルらしきもの」が横行するかというと、根本的にビブリオバトルの意義を取り違えてるんだと思う。
 どうも「プレゼンの腕を磨くためのもの」と誤解してる人が多いらしい。
 だから、学生に表面だけきちんとしたプレゼンをさせることにこだわって、下書き原稿を書かせたり、本人が好きでもない本を紹介させたりするんだろう。まったく本末転倒だ。

 喋り方が少しぐらい下手でも、本が面白ければ勝つこともあるのがビブリオバトル。
 逆に、プレゼンだけは上手くても、「明らかにこいつ、この本が好きじゃないな」と分かるようなのはダメなんだよ。


>「ならバトルである必要ないでしょ?」
>「本を紹介するのに、それが適した手法だからだ──これが単に、本の内容を発表して、それを聞くだけの会だったらどうだ? みんな、あんなに集まるか?」
> 想像してみました。確かにそんな退屈そうな会、参加したいと思う人は少ないでしょう。
>「“バトル”と名がつくから、普段は本に興味のない者も、期待して集まってくる。最後に投票しなくちゃいけないから、聴講参加者は身を入れて発表を聞く。発表参加者は自分の推薦する本をいかにアピールすればいいかと工夫する。だからどっちも真剣になる。最終的にチャンプ本が決まるが、それは結果にすぎない。本に関する情報を交換する。面白い本を互いに薦め合い、発見し合う――それがビブリオバトルの目的だ。

『翼を持つ少女』の中で僕はこう書いたんだけど、もしかしたら『翼を持つ少女』を読んでない教師が多いのかもね。
 というわけで、全国の教職員のみなさん、ビブリオバトルをはじめる前に、まず『BISビブリオバトル部』を読みましょう(笑)。Bibliobattle of the Year2016優秀賞ですよ!
  

Posted by 山本弘 at 17:09Comments(6)作家の日常ビブリオバトル

2016年06月06日

カクヨムに投稿をはじめました

 小説投稿サイト「カクヨム」に投稿をはじめました。

https://kakuyomu.jp/users/hirorin015/works

 以前から自分の小説の知名度の低さが気になってたんですよね。これまでに出したどの小説も、読んだ人はたいてい面白いと言ってくださるんですが、そもそも手に取ってもらえないのが問題。そこで、ちょっとした話題作りを考えました。
 書いたもののボツになった原稿、ずいぶん前に雑誌に載ったまま単行本に収録されていない原稿、同人誌で書いた原稿などを、これから仕事の合間にいろいろアップしていこうと思ってます。
 気が向けば新作なども。

 すでに多くの方に読んでいただき、高い評価をいただいています。反応がダイレクトに返ってくるのが、投稿サイトの醍醐味ですね。

 個人的にいちばん悩んでるのは、なんといっても〈地球最強姉妹キャンディ〉! この知名度の低さは何なんだと(笑)。今、第3作『宇宙人の宝を探せ!』を書いてて、前の2作には文庫化の話もあるんですが、このまま出版しても話題になりそうにない。 そこで、ちょっとでも多くの人に知っていただこうと、番外編の原稿を載せることにしました。
 第3作の原稿もここで発表しちゃおうかと思ってます。 児童小説を連載させてくれる媒体がないので。
 

  


Posted by 山本弘 at 17:57Comments(11)PR作家の日常

2016年04月15日

退院しました

 今月はイベントの告知が遅くなって申し訳ありません。
 実は今月の3日から入院してたんですよね。退院したのはつい昨日です。
 数年前から身体がふらつき、時には道で転んだりしました。それも何度も。特に階段の上り下りが怖くて、手すりを持ちながら、びくびくして上るようになってました。
 また、もの忘れが多くなって、特に会話中や執筆中などに、人名などの固有名詞が出てこないことがよくあったんです。
 転びやすいのは事故に直結しますし、記憶に障害が出るのは作家にとって致命的です。そこで病院に行って、MRIなどで検査をしてもらいました。
 結果は「正常圧水頭症」の疑いが濃いとのこと。脳内の髄液の量が通常より多くなり、脳を圧迫する病気です。放置しておくと認知症に似た症状を呈します。

水頭症と正常圧水頭症
「認知症だから」とあきらめるその前に・・・治療で改善できる認知症iNPH
(誤解を招かないよう、必ずリンク先をお読みいただくようお願いします)

 先月、検査のために短期間、入院しました。脳内の髄液は脊髄を通って腰まで流れているので、試しに背中に針を刺し、脊髄から髄液を抜いてみました。すると症状の改善が見られたので、正式に正常圧水頭症と診断されました。
 幸い、この病気は「治る認知症」と呼ばれています。簡単な手術で完治するからです。
 その方法はL-Pシャントと呼ばれるもので、脊髄にカテーテルを埋めこみ、髄液を常に腹腔内に少しずつ流すことで、圧力を一定に保ちます。
 圧力が下がりすぎるのも問題なので、小さな弁で圧力を調整できるようになっています。いったん埋めこんだ後は、調整には手術は必要なく、外部から磁石を使って操作するのだとか。すごいですね、現代の科学。

 今月3日から入院、5日に手術しました。腹と背中を少し切ったのですが、手術の直後は手術跡がかなり痛んで、上半身を起こすのにも苦労しました。
 咳をするたびに腹筋が刺されるように痛むのにも参りました。咳って実は腹筋を使ってたんだと初めて気づきました。
 しばらくは頭もぼうっとしていました(圧力が急に下がったからかもしれません)。やはり、咳をするたびに頭に響きました。
 幸い、どちらの症状も数日で急速に軽減していきました。
 12日も入院していましたが、退屈はしませんでした。もちろん病室で電話を使うのは厳禁ですが、スマホでツイッターはできました(今月3日から13日朝までのツイッターやmixiでの僕の発言は、みんな病室から発信したものです)。本もたっぷり持って行きましたし、もちろんテレビも観られました。ベッドの上で、ポメラで原稿も書きました。
 そうそう、モバマスもやってましたよ(笑)。おりしもシンデレラガール総選挙の真っ最中。もちろん結城晴に投票券を注ぎこみまくってました。晴、かっこいいよ、晴。
 あと、最近の病院食は味にも気を遣ってるんだそうで、まったく不味くはなかったですね。さすがに1週間も経つと妻の料理が恋しくなってきましたが。

 一昨日、抜糸。昨日、退院できることになりました。
 現在、まだ少し腹の痛みはありますが、普通に生活できるレベルです。頭もまだほんの少しだけ重い印象がありますが、それも少しずつ良くなっていて、今は意識しなければ気づかないほどです。
 あと、歩行がすごく楽になってます。歩く時の姿勢からして根本的に違ってるんです。前は猫背でよたよた歩いてたんですが、今は背筋をしゃんと伸ばしてまっすぐ歩くことが、意識せずに自然にできるようになっています。階段の上り下りも不安はまったくありません。本当に劇的な変化です。これだけでもかなり嬉しいです。
 僕と同じような症状の方、もしかしたら正常圧水頭症かもしれないので、一度病院で診てもらうといいですよ。治りますから。

 というわけで、今やまったく健康に問題ありません。ご心配なく。
 退院した昨日から、さっそく仕事場に復帰しています。バリバリ書いて、仕事の遅れを取り戻さなくてはいけませんから。
  
タグ :日常入院


Posted by 山本弘 at 22:07Comments(9)日常作家の日常

2015年11月23日

それは僕が書いたんじゃありません

 僕に関するデマが流れることは前から何度もあったんだけど、先月、またデマが流れた。
 このブログを僕が匿名で書いたというのである。

王様は裸だ! と叫ぶ勇気 ~伊藤計劃『ハーモニー』の崩壊~

 読んでみて、なるほど、いかにも僕が書きそうな文章だなと思った(笑)。
 この人などもそう考えているらしい。

『ハーモニー』『虐殺器官』を批判する匿名記事を読んでいて気づいたこと

 なんかいかにも推理っぽいことを書いてるけど、まったく見当はずれの迷推理。僕はこんなブログ書きません。

 第一に、僕はそもそも『ハーモニー』も『虐殺器官』も読んでない。
 なぜ読んでないかというと、僕は天邪鬼なもんで、まわりが「すごい」とか「傑作だ」と盛り上がってると、逆に読む気をなくすんである(笑)。ダン・シモンズの『ハイペリオン』を読んでないのもそう。評判になればなるほど読みたくなくなる。それよりも、あまり注目されないけど自分なりに面白いと思う本を見つけるのが好きなのだ。アーネスト・クライン『ゲームウォーズ』みたいに。

ビブリオバトル・チャンプ本『ゲームウォーズ』

 第二に、この人とは意見が違う。たとえば「The Indifference Engine」は読んでるけど、「アイデアから構成からテッド・チャン「顔の美醜について」にそっくり」とは思わなかった。アイデアが同じでもストーリーが違えば別の作品だ、というのが僕の持論である。そうでなかったら、『地球移動作戦』なんて書くか(笑)。
(もっとも、「顔の美醜について」が「あなたの人生の物語」より優れているという点については同意する。「顔の美醜について」はもっと評価されるべきだと思う)

 第三に、確かに僕は現役の日本SF作家を批判することは避けている。問題が起きそうだから。
 でも故人、それも亡くなって何年にもなる人に対しては躊躇しない。以前からこのブログをお読みの方なら、僕が栗本薫氏についてどう書いていたか、ご記憶のはずだ。

フィクションにおける嘘はどこまで許される?(後編)
クリプトムネジアの恐怖・1

 だから僕がもし伊藤計劃氏を批判しようと思ったら、堂々と実名でやる。匿名になんかしない。

 そもそも僕はパソコン通信の時代から、ずっと「山本弘」というハンドルで通している。別ハンドル使ったことなんか一度もない。
 なぜかというと、僕は自分が信じられないから。
 人間は匿名になるとどんなおぞましい発言でも平気でやる。げんに今もネットにはそんな発言があふれている。僕は自分がそんな風に暴走しない自信がない。だから自分に枷をはめるため、決して匿名は使わないと決めている。

 まあ、これぐらいのデマだったら些細なことで、笑って許せた。僕は10月27日のツイッターでこう書いた。

https://twitter.com/hirorin0015/status/658912910110928896
>このブログの作者が僕じゃないかという憶測が流れてる。違いますよ! 僕は『ハーモニー』読んでないから。

 これでこの件は収まったと思っていた。ところが、後になって調べ直してみたら、笑いごとじゃないことが起きていたことが分かった。検索していたら、こんな意見が見つかったのである。

>これ、絶対に「山本弘の文章を模倣して書いた」というのが分かる極めて悪質な文章。読む人間が読めば、氏の使う文章の特徴的な言い回しがモロに出てて、あいた口がふさがらない。

 実は僕の書いた前述のツイッターにも、他の人からこんなリツイートが来ていたのだ。

>この記事、言葉使いや文章構成があまりにも山本先生っぽいんですよね…「僕はひっくり返った。」とか、と学会本で何度も目にした言い回しですし。これは誰かが「山本弘は人気作を匿名でしか批判できない卑怯な奴」という印象を広めるために意図的に似せてるんでしょうか?

 僕はすぐに「そんな陰謀論は唱えたくないです。このブログの作者に失礼だから」と答えたんだけど、どうも他にも陰謀論を唱えてた人がいたようなのだ。つまり、僕に関するデマは収束したけど、その代わり、ブログの作者に対するデマが生まれたらしいのである。
 僕一人がデマを流されるならともかく、無関係な人までとばっちりくらって「極めて悪質な文章」なんて書かれるとは、きわめて不愉快である。
 だいたいこの文章、本当に僕に似せて書いてるように見えるのか? 内容はともかく、文体が違うだろ。

 僕はこんな頻繁に段落を変えません!

 僕の文章を読んでいたら、1行のみの段落というのがほとんどないことに気づくはず。何行もある段落がいくつも続いていて、その合間に、ぽつっと1行のみの段落が入る(上の「なぜかというと、僕は自分が信じられないから」なんかがそれ)。
 これは僕は眉村卓氏の小説から学んだ技法で、長い段落の中に「だが」とか「しかし」とかいう短い段落が入ると、とても効果的なんである。僕の文章を真似するんなら、段落の長さなんていういちばん目立つ部分を真似しなきゃいかんだろ。つーか、何でわざわざ僕のふりをする必要がある?

 だから僕は、このブログの作者が、わざと僕の文章に似せたなんて思わない。「極めて悪質な文章」なんていうのは、それこそ悪質な誹謗中傷である。迷推理を披露した方々、反省してほしい。





   
タグ :デマSF


Posted by 山本弘 at 19:25Comments(9)作家の日常

2015年11月14日

ファンタジーじゃがいも警察の話

【定番議論】ファンタジーを描く時、食物や単位やマナーや言葉…の何を現実世界と共通させ、何を創造すべきか?
http://togetter.com/li/887490

 中世ヨーロッパ風のファンタジーで、新大陸原産の「じゃがいも」が出てくるっておかしいんじゃないの……という話から派生した議論。

 これを読んでて思い出した。もう30年近く前、『モンスター・コレクション』(富士見文庫)を書いた時に、「コウモリ」の項で、吸血コウモリは南アメリカにしかいないから、「普通は中世風のファンタジー世界には出てこない」って書いたことがある。
 後になって反省した。ドラゴンとかキマイラとかゴブリンとかがいる世界なら、べつに吸血コウモリいてもおかしくないよね(笑)。我々の世界の吸血コウモリとは違う、この世界独自に進化したコウモリがいるということにすればいいんだから。
 上の議論の中でも言及している人がいるけど、『グイン・サーガ』の世界では、当初、我々の世界の馬によく似た生物がいて、それを作中で「ウマ」と表記している……という設定になっていた。
 じゃがいもにしても、その世界にはじゃがいもによく似た作物があって、それを作中では「ジャガイモ」と表記している……と解釈すればいいだけだ。

 ただ、この手の問題、どこまで読者に親切にすればいいのか、よく悩む。
 子供の頃に観たTVシリーズの『スーパーマン』の中では、吹き替えで「7000万円」といった台詞がよく出てきた。当時は1ドル=360円だったから、実際には20万ドルなのを、日本の視聴者向けに分かりやすく円に置き換えたのだろう。
 でも、アメリカ人が「7000万円」と言うのは、やはり違和感を覚えたものだ。

 こうした単位の置き換えというのは、現代の洋画の翻訳でも頻繁に行なわれている。たとえば『スピード』では、バスが時速50マイル以下になると爆発するという設定だが、翻訳では「80キロ」と言っていた。温度の華氏を摂氏に置き換えている例もよくある。
 現代のライトノベルなどのヨーロッパ中世風ファンタジー世界の中で、「メートル」という単位が出てくるのも同じ。この世界の単位を日本人向けに訳してるんだろう。
 ……とは思うんだけど、やっぱりひっかかってしまう。
 もし、ファンタジー世界の人物が「このジャガイモは3個で100円だ」とか言ったら、違和感ばりばりだろう。やっぱりどこかに線を引く必要がありそうだ。

 そもそも、馬に似た生物を「ウマ」と表記したり、この世界の距離単位を「メートル」に換算したりするのは、はたして読者への親切になっているのだろうか。
 そういう表記をしないと、読者は作品の設定が理解できないものなのか?
 そんなことはない。そんな問題は100年も前にエドガー・ライス・バローズが通り過ぎている。

火星用語辞典
Dictionary of Barsoomian Language
http://www.princess.ne.jp/~erb/dic_mars.htm

ペルシダー用語辞典
Dictionary of Pellucidarian Language
http://www.princess.ne.jp/~erb/dic_pell.htm

金星用語辞典
Dictionary of Amtoran Language
http://www.princess.ne.jp/~erb/dic_vens.htm

 火星で用いられる8本足の乗用動物、地球における馬に相当する生物は、ソートと呼ばれている。わざわざ「ウマ」などと書き変えてはいない。
 火星や金星では、距離の単位や時間の単位も違う。ペルシダーなどは陽が沈まなくて昼夜の区別がない世界なんで、我々のような時間の単位すらない。それでも特に、読むのに支障は生じない。
 数十個の造語を設定するのは、作者にとってそんな大きな労力じゃないし、読者にとっても重荷じゃない。「バローズの小説は独自の造語がいっぱい出てきて難解だ」と批判する人なんて、見たことがない。

 馬に相当する生物を、「ソート」と呼んでも、作中では何の支障もない。
 だったら、じゃがいもに似た作物だって、たとえば「ボルート」とかいう名前で呼んでもいいんじゃないだろうか?
 けっこう安直に異世界感が出ると思うんだが、なぜみんなそうしない?

 どうも現代日本の異世界ファンタジーの多くは(もちろん例外もあるが)、「異世界」じゃなく、「なじみの世界」を描いてるんじゃないかという気がする。
 じゃがいもなどの、この世界に普通にあるものや、エルフやゴブリンやドラゴンなど、ファンタジーRPGでおなじみの要素ばかり使っている。それを読んだ読者も「異世界とはこういうものだ」という固定観念に縛られている。
「異世界」と呼んでいるが、実は読者が知っている要素だけで構成されている。
 想像力や創造力という点で、100年前のバローズより後退してるんじゃないだろうか。

 もう少しだけ異世界を異世界っぽく描いてもばちは当たらないと思うんだが。
  


Posted by 山本弘 at 18:27Comments(25)作家の日常