2013年11月13日

「インディアナポリス」問題:編集者の見解

 先日の「インディアナポリス」問題について、当の創土社の編集者からコメントが出ていた。

http://cthulhu8soudosha.blog.fc2.com/blog-entry-28.html

>ある博物館に入ろうとして受付で
>「インディアンについての展示がありますか?」と聞いたら
>入場を断られたという話もあります。


 アメリカには「The National Museum of the American Indian」という博物館があるのだが、ここで「インディアンについての展示がありますか?」と聞いたら入場を断られるのだろうか?
 つーか、「インディアンについての展示がありますか?」と訊ねただけで入場を断る博物館なんて本当にあるのか?
 ちなみに、この編集者の情報源は何かというと、

>上に揚げたことについて、私はほとんどネットで目にしているだけなので
>絶対本当か!と言われればなんとも言えません。


 ほとんどネットの噂かよ!?(笑)。
 さらにこの編集者はこうも書いている。

>「NGワード」というのは大手の出版社では厳密に決まっていて
>この手の読み物では担当レベルの意見をする余地がありません。
>「NGワード」とされているものは「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」。


 本当だろうか?
 試しに、AMAZONでざっと検索してみた。日本では過去10年間にこんな本が出ている。
『アメリカ・インディアン法研究〈1〉』(北樹出版・2012)、『インディアン・スピリット』(めるくまーる・2011)、『はみだしインディアンのホントにホントの物語』(小学館・2010)、『写真でみるアメリカ・インディアンの世界』(あすなろ書房・2007)、『インディアンは笑う―あなたの厳しい現実もひっくり返す、ネイティブ・アメリカンの聖なるジョーク!』(マーブルトロン・2007)、『太ったインディアンの警告』(日本放送出版協会・2006)、『オールド・マン・ハットの息子―あるナバホ・インディアンの回想』(新思索社・2006)、『ネイティブ・アメリカンの世界―歴史を糧に未来を拓くアメリカ・インディアン』(古今書院・2006)、『アメリカン・インディアンの歌』(松柏社・2005年)、『コヨーテ老人とともに―アメリカインディアンの旅物語』(福音館書店・2005)、『アメリカ・インディアンの心もからだもきれいになる教え』(扶桑社・2005)、『インディアンカントリーへ』(ワールドフォトプレス・2004)、『ターコイズ―大地の贈り物インディアンジュエリー』(ワールドフォトプレス・2004)、『American Indian Potter』(講談社インターナショナル・2004)、『アメリカ・インディアンの知恵』(PHP研究所・2003)……。
 なんだ、小学館もNHKも講談社も「インディアン」って言葉使ってるじゃん!
 創土社ではどうだか知らないが、小学館やNHKでは「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」なんかではないということだ。
 海外でも同様で、『American Indians and Popular Culture』(Praeger・2012)、『The North American Indian』(Taschen・2007)、『Real Indians: Portraits of Contemporary Native Americans and America's Tribal Colleges』(Melcher Media・2003)、『George Catlin's Souvenir of the North American Indians: A Facsimile of the Original Album』(Thomas Gilcrease Museum Assn・2003)などなど、「Indian」という単語をタイトルに使っている本はいくらでもヒットした。
 もちろん、これらの本に抗議があったなんて話はまったく聞かない。「“インディアン”という言葉を使ったら100%抗議が来る」というのは妄想だと断定してよかろう。

 さらに、僕がいちばん驚いたのはここ。

>ましてや、人を楽しませようと思っている娯楽小説!
>なんでわざわざそんなリスク(人を傷つける)を冒す必要があるのか…。


 ちょっと待てえええええええ!

 あんた、自分とこの会社がラヴクラフトについての本出してるって自覚あるのか!?
 ラヴクラフトの書いた「娯楽小説」にどんだけたくさんの差別的表現があるか分かってて言ってるのか?
 ラヴクラフトはファシストを自認する保守主義者であり、KKKの活動を賞賛していた。彼は中国人街を訪れた際の印象を、友人への書簡の中でこう書いている。(出典は『幻想文学』6号「特集・ラヴクラフト症候群」だったと思うんだけど、現物が書庫から出てこないので、『クトゥルフ・ハンドブック』からの孫引きで済まさせていただく)

 あの奈落に棲息している確かに有機体にはちがいないもの――あのイタリア・ユダヤ・モンゴルもどきども――は、いくら想像を逞しゅうしても、とても人類の名に価するとは思えません。ピテカントロプスとアミーバのぞっとする、ねっとりした混成物です。汚染した大地の吐き出す臭穢な泥土をいい加減に捏ね回したあげくの泥人形――奴らは、あるいは屍体に湧く蛆虫の蠢動するごとく、あるいは深海に棲息する気味悪い生き物のごとく、建物の窓や戸口から、悪臭ふんぷんたる路上へ沁みだし、湧きこぼれているのです。(後略)
(森茂太郎訳)

 そう、ラヴクラフトは人種差別主義者であり、イタリア人、中国人、ユダヤ人、黒人などに対する強烈な嫌悪を隠さなかった。そして、彼の作品にしばしば登場する、人間と異生物との混血というモチーフ(「インスマウスの影」「ダンウィッチの怪」「アーサー・ジャーミン卿の秘密」など)は、彼の異人種への嫌悪と表裏一体なのだ。
 これはべつに秘密でもなんでもなく、ラヴクラフトについてちょっとでも調べたことのある人間なら誰でも知っている事実である。そして、彼の考え方は当時のアメリカの白人にはよくあるものだった。
 ラヴクラフト作品を容認するということは、彼の生きていた時代の考え方を理解するということ、彼が抱いていた人種偏見に対して「今では許されないけど、この時代の人だからしかたがない」と許容することを意味する。
 僕もラヴクラフトの抱いていた人種偏見には嫌悪を覚えるけど、彼の生きた時代を考慮して、しかたがないことだと思っている。
 もちろん、現代で同じことを言う奴がいたら許さないけどね。

「インディアン」という言葉は偏見? そうかもしれない。でも、1940年代の人間がそういう言葉を使うことは許容しなくちゃ。
 昔の人間の偏見を許容できないということは、ラヴクラフトを許容できないってことになっちゃわないか? それも「クトゥルー・ミュトス・ファイルズ」なんて本を作ってる編集者が?
 そのへんの葛藤がまるで感じられないんだよなあ、この文章からは。

 あと、結局、「インディアナポリス」はどうなるんですか?(笑)
  


Posted by 山本弘 at 17:06Comments(22)差別問題