2015年09月14日

鬼怒川水害をめぐるデマ・2

 こういう事件が起きると必ず出るのが差別デマ。今回も出るだろうなと予想してたら、やっぱり、こんなことをツイートしている奴がいた。

>@aki21st 日本を守る!んですよね 徐々に水が引き始めたら 見知らぬ輩が家の様子を伺って回ってるそうです
>そう 阪神・東日本の震災の時に横行した強姦や空き巣を生業としている在日系の暴力集団が既に出始めてるらしいですよ ぜひともSEALDsの組織力で防犯活動してください


>@mom_kafa 震災の時と一緒です 警察が手が回らないので 泥棒団が被災地にやってきます 女性一人で家の中にいることは極力避けてください 強姦も奴らの目的の一つですから
>古くは関東大震災の時からの手口です


 阪神淡路大震災の時に「強姦が多発した」という話が嘘であることは、以前、ASIOS編『検証 大震災の予言・陰謀論』(文芸社)という本で書いたので、そこから引用させていただく。
http://www.amazon.co.jp/dp/4286116778


-------------------------------------------
 2011年3月11日、東日本大震災発生の直後の午後3時頃から、ツイッターでこんな情報が拡散した。
「阪神淡路大震災のとき、地震で、朝鮮人によるレイプ多発の事実と、放火説があります。みなさん、どうか、どうか周知をお願い致します」
 同じ日の夜にはこんなメッセージも拡散した。
「【警告】これから夜になります。阪神大震災で最後に最大に悲惨に襲った災害は『治安悪化』による『人災』です。大切な人を守って下さい。一人でいる人は、知り合いと小さくても良いのでコミュニティを作ってください。大切な仲間をお互い守るときです。⇒東京は在日朝鮮人、中国人がウヨウヨいます」
 阪神淡路大震災の直後、レイプが多発したという話は、当時、地元の『神戸新聞』をはじめ、『朝日新聞』『日刊ゲンダイ』『報知』『日刊スポーツ』『週刊文春』『現代』『FLASH』など、多くの新聞・雑誌で取り上げられた。
 今回の東日本大震災でも、被災地でレイプが多発しているという話が流れている。仙台市の歓楽街では、「夜間外出する女性を狙ったレイプ集団がいる」という話がキャバクラ嬢などに信じられていた。

■真相
【「レイプ多発」の根拠は1人の女性】
 阪神淡路大震災での「レイプ多発」の記事を調べたライターの与那原恵氏は、おかしなことに気づいた。それらの記事にはどれも、被害者自身の談話がまったく載っていないのだ。被害者の診療にあたった医師も、事件を扱った弁護士も出てこない。この件について『週刊文春』に寄稿した女性ライターも、被害者に直接会ったことはなく、「知り合いの保健婦から聞いた」「知人の恋人が被害に遭った」という伝聞でしか知らなかった。
 さらに与那原氏は、「レイプ多発」の話の情報源がたった一人の人物であることに気づく。「女性のこころとからだ」という電話相談を主宰するHという女性だ。Hさんの話によれば、24時間電話を受けられるように、事務所にはカウンセリングのスタッフを9人置いたという。彼女がマスコミなどに提出したデータによれば、震災の翌月の2月17日から電話相談をはじめ、4ヶ月間で1635件の電話相談があり、うち37件がレイプやレイプ未遂に関するものだったという。
 しかし、奇妙なことに、同じような電話相談を受け付けている関西の他の団体には、そのような報告がまったくないのだ。「ウィメンズネット」「被災女性を支える女たちの会」「性暴力を許さない女の会」「みずグループ」といった女性団体、YMCAが中心となって開設した「犯罪被害者相談室」、兵庫県「こころのケアセンター・震災ストレスホットライン」、いずれも震災後にレイプに関する電話相談はゼロ。唯一、「兵庫県立女性センター」に1件だけあったが、それも相談者が途中で切ってしまったので内容は分からないという。それなのに「女性のこころとからだ」にだけ37件ものレイプに関する電話があったというのは、きわめて不自然だ。

【根拠がなかったレイプ件数】
 与那原氏はHさんに会い、いくつもの矛盾を問いただす。
 Hさんは電話相談をはじめる際、避難所などに3000枚のチラシを撒いたと言っている。だが、そのチラシの実物を見た者がいない。Hさんは「最初は百枚だったかな」と言う。
 また、Hさんは2月17日から電話相談をはじめたことになっているが、実際は震災直後から知り合いの家に避難していて、落ち着いたのは4月か5月だという証言がある。Hさんは「始めた時期はちょっとはっきりしないわ」と言葉を濁す。2月から電話相談をはじめたのではないなら、2月からのレイプ件数のデータもウソということになる。
 事務所にスタッフを9人置いていたというのもウソで、電話は1台しかなく、すべて自分1人で受けたとHさんは認めた。
「この相談件数もレイプ相談の内容もまったく根拠のないものだと、そういうことですね」と与那原氏が確認すると、Hさんは「あなたがそう思うなら自由に書いてもらっていいですよ」と答えた。
 また、Hさんは震災の日、自宅で家族とともに被災し、夫は本棚の下敷きになっていたと言っていた。だが、Hさんの夫の証言では、彼女は震災の時に家にはいなかったし、彼は本棚の下敷きになどなっていないという。
 つまり「4ヵ月で37件」の唯一の根拠である女性の証言は、きわめて信用ならないのである。

【統計が否定する「レイプ多発」】
 ただし、これははっきり言っておかなくてはならないが、阪神淡路大震災の直後にレイプ事件がまったくなかったわけではない。
 1995年、兵庫県警が認知した強姦事件は57件。これだけ見ると多いようだが、その前年の94年も57件だった。震災の被災地にある14の警察署に限っても、1月から11月の間に強姦の認知件数は15件、前年の同時期は19件。つまりレイプは確かにあったが、増えてはいないのだ。
 強姦事件は被害者が届け出ない例が多いので、実際の件数はこの数倍あると思われる。実際にはいつもの年より多かった可能性もないではない。しかし、統計上、震災後に強姦事件が増加したという証明がない以上、「震災直後にレイプが多発した」と主張するのは根拠のないデマである。
「犯人は朝鮮人」という話に至っては、まったく筋が通らない。顔つきで外国人と分かるならまだしも、犯人が在日コリアンかどうかは逮捕してみなければ分からないはずではないか。連続レイプ魔が逮捕されているなら、新聞にも載るだろうし、その犯行件数が兵庫県警の統計に反映されていなければおかしい。それとも犯人は「俺は朝鮮人だぞー」と言いながらレイプしたのだろうか?
 レイプ以外の犯罪はどうだろうか。被災地で大規模な治安悪化があったのなら、当然、警察の記録に残っているはずである。しかし、平成8年版の『警察白書』第7章には、前年の阪神淡路大震災の際に、警察が被災地をパトロールして「犯罪防止のための諸対策」を講じたとは書かれているが、治安の悪化についてはまったく触れられていない。同じ年の『犯罪白書』では、震災については、第1編第4章「オウム真理教関係者による犯罪」という項の冒頭に、たった1行の記述があるだけである。

【東日本大震災でもレイプの増加はなし】
 今回の東日本大震災の場合はどうだろうか。
 キャバクラ嬢の間に流れるレイプ魔のうわさについて、『週刊ポスト』誌が宮城県警広報課に問い合わせると、こんな回答が得られた。
「そういう話はウチでは把握していない。宮城県警の方からキャバクラ嬢に働きかけをしているということもないはず。確かに強制わいせつ事件は2件あり、1件は逮捕し、1件は継続捜査中ですが、震災に関係あるといえるのか……。震災後も重要事件の発生は少ない。皆さん流言飛語にまどわされず、冷静に行動してほしい」
 実際、宮城県警のデータを見ると、平成23年の1~6月の強姦事件は6件(前年の同期は12件)、強制わいせつは53件(前年の同期は70件)となっている。
 福島県警は月別のデータを発表している(なぜか平成23年4月のデータが欠落しているが)。それによると、平成23年3~6月の強姦事件と強制わいせつ事件の認知件数は次の通り。

   強姦       強制わいせつ
3月 0件(前年1件) 10件(前年12件)
5月 3件(前年4件) 17件(前年32件)
6月 5件(前年5件) 25件(前年48件)

 見ての通り、強姦事件の数は去年に比べ横ばい、強制わいせつはむしろ減少している。
 確かにレイプは起きている。だが、「レイプがあった」と「レイプが多発した」はまったく違う話なのだ。ネットでは個々の例だけを取り上げ、レイプや強制わいせつが多発しているかのように錯覚させようと企む者がいるので要注意である。
 なお、空き巣や出店荒らしに関しては、確かに前年同時期より数十パーセント増加している。阪神淡路大震災と違い、混乱に乗じて略奪を働く者が多かったのは事実だ。だが一方で、自転車盗、万引き、車上ねらい、自販機ねらい、振り込め詐欺が大幅に減少しており、刑法犯の総数自体は前年より低下しているのだ。

■参考文献
『物語の海、揺れる島』(与那原恵、小学館)
『河北新報』2011年3月20日「デマ横行『震災による不安心理が背景に』」
『読売新聞』2011年4月1日「震災絡みの悪質デマを公表…警察庁、立件も視野」
『週刊ポスト』2011年4月15日号「被災キャバクラ嬢が怯える『集団レイプ魔』の流言飛語」

Togetter「地震のどさくさに差別をたれ流す人々」
http://togetter.com/li/110468
警察白書 平成8年版
http://www.npa.go.jp/hakusyo/h08/h08index.html
平成8年版 犯罪白書
http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/37/nfm/mokuji.html
福島県警/刑法犯・性犯罪等の発生状況(3月)
http://www.police.pref.fukushima.jp/seianki/ph/bouhanjoho/k2303.pdf
福島県警/刑法犯・性犯罪等の発生状況(5月)
http://www.police.pref.fukushima.jp/seianki/ph/bouhanjoho/k2305.pdf
福島県警/刑法犯・性犯罪等の発生状況(6月)
http://www.police.pref.fukushima.jp/seianki/ph/bouhanjoho/k2306.pdf
宮城県警/刑事総務課/犯罪統計
http://www.police.pref.miyagi.jp/hp/keiso/toukei/toukei_index.html
----------------------------------------
 これは4年前の8月に書いた文章なので、その後の情報を補足しておく。

『平成23年の犯罪情勢』(警察庁)より、この年の東日本大震災被災地のデータを見てみる。
https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h23hanzaizyousei.pdf

>被災3県においては、発災直後、武装した犯罪グループによる略奪、性犯罪の多発等といった流言飛語が流布したが、特定の手口の窃盗を除き、いずれの罪種も前年同期に比べて減少している。強姦、強制わいせつについても、いずれも前年同期に比べて認知件数が減少し、震災に関連して発生したと思われる性的犯罪は数件にとどまっており、被災3県合計の検挙件数、検挙人員は、前年同期に比べそれぞれ減少しているが、検挙率は上昇している(図表2-2-(4))。

(12ページより)

 というわけで、「武装した犯罪グループによる略奪、性犯罪の多発」について、警察庁は「流言飛語」つまりデマと断言している。
 窃盗に関しては、福島県の空き巣と出店荒しのみ増加している。原発事故による長期間の避難の間に、無人の家やコンビニなどを狙ったものだ。当然、犯人は「武装」などする必要がなかっただろう。

 というようなことをツイッターで書いたら、ある人から非難された。要約すると、「過去に否定的データがあるから今回のはデマである」と主張するのは間違いだ、というのである。今回はデマじゃないかもしれないじゃないか、というのだ。
 冗談じゃない、「阪神・東日本の震災の時に横行した強姦や空き巣を生業としている在日系の暴力集団」というのは、まさに「今回」流れているデマなのに、この人はそれが分かっていない。
 その人はこうも書いていた。

>(ありえないと思いますが)「暴力集団が増えてそれ以外の暴行が減り、認知件数は一定」と仮定することも不可能ではない。すると「認知件数が増えていないデータ」と「暴力が横行」のデマが矛盾しなくなってしまう。データがデマへの有効打になってないのでは、と

 それに対する回答は、上に示したように、僕は4年前に書いている。〈しかし、統計上、震災後に強姦事件が増加したという証明がない以上、「震災直後にレイプが多発した」と主張するのは根拠のないデマである〉と。
 そもそも「仮定することも不可能ではない」というのは、あまりにも万能すぎて、うかつに使うのは危険な論法である。「警察庁のデータは何者かによって改竄されていると仮定することも不可能ではない」とか「山本弘は某国の工作員であると仮定することも不可能ではない」とか、何でも言えてしまうではないか。
 あるいは「宇宙人が地球に潜入していて、普通の人間に化けてそこらを歩き回っていると仮定することも不可能ではない」とか「この世界は高度な知性によって創られたコンピュータ・シミュレーションであると仮定することも不可能ではない」とかいったことだって言える。ええ、そうですよ。不可能じゃありませんよ。
 つまり「仮定することも不可能ではない」という論法を使えば、あるデマをいつまでたっても否定できないことになってしまう。「仮定」はいくらでもひねり出せるのだから。
 警察庁が「流言飛語」と断言していることを、「デマではないかも」と主張するのは、警察庁の結論を否定することである。そんなことを主張するからには、当然、警察庁のデータを上回る根拠がなくてはならないはずだ。「仮定することも不可能ではない」などという、あやふやな話では根拠にならない。
 このブログで、僕は前にこう書いた。

 だから、「噂は完全に否定されるまではデマではない」と考えてはいけない。「噂は事実だと証明されるまではデマ」と考えるのが正しい。

 僕を批判してきた人は、話してみて分かったのだが、べつにレイシストに肩入れしているわけではなく、可能な限りフェアであろうとしているらしい。もちろん主張はフェアであるべきだが、それが行き過ぎている。
「阪神・東日本の震災の時に横行した強姦や空き巣を生業としている在日系の暴力集団が既に出始めてるらしいですよ」というのは、今まさに多くの人を傷つける可能性のあるデマである。それに対して「仮定することも不可能ではない」という論法で擁護し、手をこまねいているのは正しいことではない。放っておけば、このデマを信じる人間がさらに増えるかもしれないのだから。
 たとえて言うなら、「暴力は絶対にいけない」という主義主張を貫くあまり、目の前で暴漢が暴れているのを力ずくで止めようとしないようなものだ。それは本末転倒であり、正義ではないと、僕は思う。
  


2015年07月13日

お前の行為はアイコンに恥じないものなのか?

 先日の新幹線放火自殺事件をめぐって、ひどいデマを流している連中がいたので、ツイッターでそれを晒して批判した。反響が大きかったので、Togetterにもまとめた。

新幹線放火自殺事件・「ネタ」だと言えば許されるわけではない
http://togetter.com/li/841431


 分からない方がおられるかもしれないので、ちょっと背景を補足。
「李田所」というのは、2012年に生まれたデマ。この年の6月3日、在特会の新宿でのデモで、「うるせえよお前ら」と言っただけの老人が取り囲まれて押し倒され、暴行を受けるという事件があった。
 その直後、「暴行された老人は総連幹部・李田所(イ・ジョンス)」というデマが流れ、いっぺんに在特会とその周辺で拡散した。朝鮮人が仕掛けたトラップだったのだ、というのである。(もちろん動画を見れば、在特会の側から一方的に暴行を仕掛けたことは明白なのだが)
「田所」というのは『真夏の夜の淫夢』というAVにひっかけた名前、いわゆる「淫夢ネタ」だったのだが、気がつかない者が大勢いたのだ。そもそも「李」「田所」と姓が二つあるのが変だろ。

http://matome.naver.jp/odai/2133888198824560101

 これがうまくいって味をしめたのか、その後も「李田所」という名はいくつものデマに登場している。今回のデマの中に出てくる「朴秀」「遠野」「清野」などというのも、やはりAVの登場人物にひっかけた名である。

 もうひとつの「唐貴洋」「ケレセウェ・チェケヒロ」というのは、実在の弁護士・唐澤貴洋氏を中傷するデマ。2ちゃんねるで誹謗中傷を繰り返していた人物に関する開示請求を行なうなど、ネット上での中傷行為に対処する活動をしていた人物なのだが、その結果、逆恨みを受けて猛烈な中傷攻撃を食らった。
 彼らは唐澤氏をオウム真理教になぞらえて「尊師」と呼び、法律事務所の名前(現・法律事務所クロス)にちなんで「恒心教」などと名乗って中傷を続けている。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%94%90%E6%BE%A4%E8%B2%B4%E6%B4%8B

 今年の4月、グーグルマップが改竄され、皇居が「オウム真理教皇居支部道場」、警視庁が「恒心教警視庁サティアン」、広島の原爆ドームが「核実験場」と表示される事件があった。これらもこうした一味のしわざではないかと思われる。

皇居や警視庁の地図表示が改竄 グーグルマップで被害
http://www.sankei.com/affairs/news/150420/afr1504200028-n1.html

 6月14日には、練馬区役所とともに、法律事務所クロスを爆破するという予告が掲示板に書きこまれ、警察が警備を強化するなど、大きな騒ぎになった(偽計業務妨害という立派な犯罪)。

練馬区役所に爆破予告 「無能警察は早く私を逮捕してみなさいよ」
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1506/14/news020.html

 今月4日に奈良で起きた小学6年生の女子児童の誘拐監禁事件でも、やはり唐澤氏の法律事務所に所属する弁護士が犯人だという、悪質なデマが流された。(犯人は無職の男だった)

伊藤優容疑者、奈良11歳少女連れ去り監禁事件 橿原市南八木町の無職
少女誘拐事件の犯人が法律事務所クロスの弁護士とデマ広がる
http://breaking-news.jp/2015/07/06/020490

 その両者が、新幹線放火自殺事件の発生に合わせ、同時多発的にデマを──それも在日コリアンへの偏見にまみれたデマを流したのである。
 デマの中に出てくる人名がばらばらだということは、彼らが互いに示し合わせていなかったことを意味している。何人もの人間が同時に、「この事件をネタにデマを流してやろう」と思いついたのだろう。

 こういうデマを批判すると、「ネタにマジレスwww」などと笑う奴がいる。
 でも、笑いごとで済まされるのか、これが?
「李田所」デマを流している奴は、レイシストをひっかける釣りのつもりだったのかもしれない。しかし、在日コリアンへの偏見を助長するデマであるのは間違いない。
 まして、放火自殺に巻きこまれて亡くなった女性を、犯人の恋人だとか「どうせ死ぬならチョッパリに迷惑をかけて死ぬ」と言っていたなどと中傷する行為も、「ネタにマジレスwww」と笑って済ませるのか?

 今回、こういうことを書いて攻撃を受けるかな……と思ったら、ぜんぜんなくて拍子抜け。「恒心親衛隊」を名乗るナチスアイコンの奴(分かりやすい!(笑))が、「作家って忙しいと思っていたが案外暇なんだな」と言ってきたのと、もう一人、「唐澤ザ凍結丸」という奴が、やはり「こんな朝早くなのに暇なんですね(笑)」と言ってきたぐらい。他にツッコミどころないのか(笑)。
 ハンドルから分かるけど、こいつらは唐澤弁護士を中傷するデマを流してた一味である。今回のデマのうちのいくつかも、彼ら、または彼らの同類のしわざだろう。
 もう一人、「心技体造」という奴が、関東大震災の時の朝鮮人虐殺を「悪質なデマ」とか書いてたんで、「うわー、やっぱり湧いて出たよ、「朝鮮人虐殺はなかった」デマを信じてる奴!」と書いたら、僕のことを「差別的な人だ」と怒り出した。どっちがだよ(笑)。そんなデマを広める方がよっぽど差別だろ。

 今回の反応を見て分かったのは、こういう誹謗中傷デマを流す人間や、それを見て喜ぶ人間もいることはいるが(僕の感覚では全体の数%程度)、やはり大多数の人は不快に思っているということだ。
 そりゃそうだ。それが正常な人間の感覚だよ。
 こういうことをやって喜ぶ人間の方が異常なんだよ。


 反応の中でも、僕がすごく共感したのは、アイコンにアイマスの絵を使い、IDにも「imas」という文字を使っていた「唐澤ザ凍結丸」に対し、「それからそこのクソ馬鹿。今すぐIDと名前からアイマスを外せ」と怒っていた人がいたこと。(現在、アイコンは変えたが、もちろんIDはそのままである)
 その感覚、すごくよく分かる! こんな奴にアイマスの絵使われるの、すげー嫌だわ。
 アイマスに限ったことじゃない。今回の悪辣なデマを流していた連中の中にも、アニメ絵をアイコンにしてる奴が何人もいる。その作品のファンが見たらどう思うんだろう。

 ちょっと前にもツイッターで、ひどい差別的なことを平気で書いていた奴が、白井黒子のアイコンを使っているのを見たことがある。僕は決して『とある』シリーズのファンというわけではないのだが、それでも不快な思いをしたものだ。
 お前のその言動は、そのアイコンに恥じないものなのか?
 もし美琴や黒子が現実にいたら、ジャッジメントされるのお前の方だよ?

 同じことは日の丸アイコンについても言える。
 もちろん、アイコンに日の丸を使うこと自体は、べつに悪いことじゃない。 日の丸を誇りに思うなら、胸を張って使えばいい。
 でも、日の丸アイコンの奴が汚い言葉を書き殴ってたり、差別的なデマを拡散したりしているのを見ると、すごく複雑な気分になる。

 お前の行為は日の丸に恥じないものなのか?
 日の丸を自分で汚してるんじゃないの?
  


2014年10月25日

ムー愛読者はと学会を経てネトウヨになる?

 ものすごくひどい文章を読んでしまった。

ムー愛読者はと学会を経てネトウヨになる?
http://togetter.com/li/721401

>最近は、ムー愛読者→と学会→ネトウヨというコースの中で、と学会の人気がないので、ムー愛読者→放射脳叩き→ネトウヨ がトレンド。

>ムー愛読者→と学会→ネトウヨが、保守本流。自民党でいえば、自由党系の宏池会と木曜倶楽部
>紺碧の艦隊とかの仮想戦記愛読者→陰謀論→ネトウヨ が、保守傍流。自民党でいえば、民主党系の清和会とか番町研

>昔からネトウヨと喧嘩しまくってたクラスタからは、3•11のあと、反原発になった人もいれば推進派も出た。しかし共通して、「放射脳を笑わない」「放射脳叩きにこそ警戒する」という立場だった。昔からネトウヨと喧嘩してた人が、「如何に、と学会がネトウヨインキュベーターか」を知ってたから。

>と学会系、スケプティック系、SF系オタクは視野が狭いのですぐ釣りに引っかかる。歴史問題でもある細かい事実が本当かどうかってことにしか関心がないから、すぐネトウヨ化する。

>山本弘や菊池誠や「と学会」の連中、Twitterその他に散在する反・反原発の連中にとっての反原発運動家というのは、たぶんネット右翼や在特会にとっての朝鮮人や中国人と全く同じような存在になっているんだろうね。「反原発運動家」が日本を支配しているとのトンデモ認識に陥っているんだろう。


 えー、ものすごくツッコミどころだらけで、いったいどこからツッコんでいいやら(笑)。でも、こういうデマはきっぱり否定しとかなきゃいけないだろうな。
 まず基本的なことから。僕はもう半年近く前、と学会辞めてます。まあ、そのへんは単なる情報不足だろうからいいとして。

「ムー愛読者→と学会」とか「と学会→ネトウヨ」なんて流れは聞いたことがない。いや、中には稀にそういう人もいるかもしれないけど、決して「トレンド」「本流」なんかじゃない。

・そもそも僕は『トンデモ本の世界R』で『戦争論』を批判したことで、2ちゃんねるとかではサヨクとみなされているのだが(笑)。(バランスを取るために、左翼系のトンデモ本『買ってはいけない』と並べたんだけど、そういう配慮には気がついてもらえなかった)

・これも前から何度も公言しているが、僕は反原発派である。原発はこれ以上増やすべきではないし、時間をかけて代替エネルギーに転換していかなくてはならないと思っている。

・しかし同時に、差別に対して強い嫌悪も抱いている。だから福島差別を助長し、福島の人たちに迷惑をかけている放射能デマは絶対に許せない。

「放射脳を笑わない」というのもおかしい。誰であれ、あまりにも間違ったことを主張したら、笑われるのは当たり前だ。間違ったことを擁護するのは間違いだ。繰り返すが、放射能デマというのは差別デマであることを認識すべきである。

・2013年の『タブーすぎるトンデモ本の世界』でも、僕は在特会を批判し、嫌韓レイシストたちのデマの数々をあげつらっている。その一方で、いわゆる「放射脳」の人たちのデマも取り上げて、「嫌韓と放射能は似ている」と論じている。

・僕以外の著者も同じで、個々の原稿は右寄りだったり左寄りだったりもするが、全体としてどっちの思想にも肩入れしていないはずである。だから「と学会→ネトウヨ」なんてのは事実無根だ。

・そもそもと学会というのは、本職の占い師も神主も科学者も朝日新聞の記者もいて、思想なんかばらばら。全体としてのイデオロギーなんかない。だから「と学会」とひとくくりにして論じること自体が間違いだ。

「ムー愛読者→放射脳叩き」というのは、もっと分からない。「放射脳」というのは科学や統計を無視して放射能を恐れる人たちであり、当然、それを批判しているのは科学や統計を重視する人たち。でも『ムー』愛読者って、まともな科学から最も遠いところにいるんじゃないのか?

「紺碧の艦隊とかの仮想戦記愛読者→陰謀論」というのも無理がある。確かに『紺碧の艦隊』は陰謀論だけど、仮想戦記のすべてがそうじゃないでしょ?

「「反原発運動家」が日本を支配しているとのトンデモ認識に陥っている」者なんてどこにいるんだろう? むしろ反原発運動は今の日本ではマイナーで肩身が狭くなっているというのは、多くの人の共通認識ではないのかな?

・なぜ肩身が狭くなったかというと、「放射脳」の人たちがあまりにもアホな主張をばらまきまくったせい、というのが僕の印象。だからこそ、反原発運動は「放射脳」を排除しなくてはいけないと思っている。放射能デマは福島の人を苦しめるだけでなく、反原発運動にとっても有害だから。

「と学会系、スケプティック系、SF系オタクは視野が狭い」というのも、ひどい差別意識だ。「細かい事実が本当かどうかってことにしか関心がないから、すぐネトウヨ化する」というのも、どういう論理なんだ? さっぱり分からん。

・これではまるで「細かい事実が本当かどうか」気にするのが悪いことのようである。もちろん、気にした方がいいに決まっている。むしろ事実がどうなのか確認しようとしない者こそ、嫌韓デマにひっかかるんじゃないのか?

 今回、このtogetterで僕がショックを受けたのは、「レイシストをしばき隊」を結成した野間易通氏がkdxだったと知ったことである。恥ずかしながら、これ読むまで知らなかったのだ。著書は読んだことあるのに。
 いやー、『「在日特権」の虚構』(河出書房新社)はけっこう面白い本だと思ったんだけどねえ。正体がkdxだと知って印象が変わっちゃったわ(笑)。

 kdxは2009年ごろにmixiの「懐疑論者の集い-反疑似科学同盟」コミュに現われた。しょっちゅう他人の揚げ足ばかり取っていて、すごくうざかったのを覚えている。本当にどうでもいいことに難癖つけたり嘲笑したりするのだ。僕も何度もからまれた。
 それも誰かが発言すると、数分とか十数分のタイムラグですかさずレスをつけてくるんである。昼も夜も。mixiに四六時中貼りついて、こまめに発言をチェックしているとしか思えない。本人は「自由業」だと主張してたけど、mixiに貼りついていられる自由業って何だよ(笑)。
 その後、僕は嫌になって、「懐疑論者の集い」コミュからしばらく離れていた。何か発言するたびにkdxがいちいちしょうもないいちゃもんをつけてくるのが、鬱陶しくてしかたなかったからだ。

 で、僕が何がいちばんショックだったかって、彼の「と学会系、スケプティック系、SF系オタクは視野が狭い」「すぐネトウヨ化する」という発言である。
 あれだけ「懐疑論者の集い」コミュで頻繁に発言していたのに、彼は結局、僕のことも、と学会のことも、懐疑主義という概念も、まったく理解していなかったのだ。 おそらく最初から懐疑論者やオタクに対して嫌悪を抱いていて、けなしたくて乗りこんできただけだったんだろう。
 彼の頭の中では、「放射能デマを叩く者=ネトウヨ」という単純な図式なんだろう。僕みたいに、反原発で反差別でありながら、放射能デマを叩くというスタンスが理解できないんだろう。
 彼は在特会と戦っていながら、自分自身が差別意識を持っていることを認識していないように思える。

 繰り返す。間違ったことを主張したら、批判されたり笑われたりするのは当たり前だ。右だろうと左だろうと。
 だから僕は、レイシストが流す嫌韓デマも叩くけど、こういうデマも叩くよ。これからも。
  


Posted by 山本弘 at 16:58Comments(60)トンデモ差別問題

2013年12月25日

まだある、嫌韓デマ

市民社会フォーラム第123回学習会
『ヘイトスピーチとレイシズム問題を考える ―ネットからリアルへ―』

http://www.theater-seven.com/2013/b1_131215.html

 行ってきました。
 こんな堅い企画、お客さんが来るのかな……と思ってたら、100人ぐらい入れる会場がほぼ満席だった。やはりヘイトスピーチに関心を持っている人が多いらしい。
 おかげで僕が会場に持ちこんだ本もけっこう売れた。『タブーすぎるトンデモ本の世界』が10冊完売。『詩羽のいる街』文庫版と新刊の『夏葉と宇宙へ三週間』が各4冊ずつ。
 こういういつもと場所で、少しでも違う客層にアピールしとかないとね。

 同じ日には、大阪でヘイトデモが3つも行なわれていたそうだ。あらためて、嫌な時代になったな、と痛感する。
 もっとも、見てきた人の話によると、いつものような「殺せ」「死ね」「鶴橋大虐殺」みたいな言動は少なく、明らかに自粛していたようだ。先日、警察庁が平成25年度版「治安の回顧と展望」の中で、在特会などの右派系市民グループについて、「反対勢力とのトラブル事案等、違法行為の発生が懸念される」などと、警戒を示したことが報道されたせいかもしれない。
 ちなみに、この報道を読んだ連中の反応はこんなの。

『「右派系市民団体」の違法行為懸念 警察庁、初めて言及』に対する「右派系(?)市民」の反応集
http://togetter.com/li/601894

「また朝日か」とか言ってる奴が多くて笑った。朝日新聞の記事だけ読んで、朝日が偏向報道をしてると思ってるのだ。産経も毎日も報道してますけど?

在特会などの過激化に懸念 25年版「治安の回顧と展望」(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131211/crm13121122310018-n1.htm

警察庁:2013年版「治安の回顧と展望」公表(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20131212k0000m040026000c.html

 かと思えば、「左派系は取り上げられてないの?/ソースを読む機内けど(原文ママ)」などと、とぼけたことを言っている連中も多数。左派系の活動が取り上げられていないと思っているのだ。ソース読めよ。北朝鮮や中国や核マルや共産党についてもちゃんと触れられてるから。つーか、そっちの方が多いから。

「治安の回顧と展望」(平成25年版)
http://www.npa.go.jp/keibi/biki/kaiko_to_tenbou/H25/honbun.pdf

 そうした、これまで警察が危険視していた勢力に、「右派系市民団体」もようやく加わったってことなんである(遅すぎたぐらいだけど)。
 それにしても、あいかわらずメディア・リテラシーのとことん低い連中だなあ。ググッてみるということをしないのか。

 安田浩一さん、初めてお会いしたけど、すごく話し上手な人だ。話の内容も面白くて、まったく退屈しなかった。
 当初の予定では2時間で、前半が安田さんの話、後半が僕と安田さんの対談だったんだけど、安田さんが1時間40分喋ったもんで(笑)、急遽、30分延長することに。いや、面白かったからいいんだけどね。
 ちなみに僕は主に、ネットに氾濫する嫌韓デマについて語った。

 この日、楽屋で安田さんに見せていただいたビラ。在特会とは別の団体がばらまいているものだそうだ。後でネットで検索してみたら、本気にして拡散している奴が何人もいて唖然となった。


>日本人差別をなくそう
>人口比わずか0.5%
>64万人の在日朝鮮人の内、46万人が無職で
>年計2兆3千億円が
>在日朝鮮人の生活保護費
>として使われているのをご存知ですか?

 ぜんぜんご存知じゃありませーん(笑)。
「2兆3千億円」という突拍子もない数字がどこから出てきたのかと、ビラを見つめて首をひねっていたら、46万×500万=2兆3000億だと気がついた。
 つまりこのビラを書いた奴は、「生活保護を受けている者が在日コリアンが46万人いて、1年に1人あたり500万円を受け取っている」と主張しているわけである。月41万7000円? 3人家族なら月125万円? それはまた豪勢だな(笑)。生活保護費って、月額最大で30万円ぐらいのはずだが。
 しかもその左下には「働かず年600万円貰って」と書いてある。計算合わねえ!
 まあ、こういうビラを真に受けるのは、いい年して掛け算割り算もできないバカだけだろう。

 まともに反論するのも空しいけど、とりあえず事実を書いておこう。
「46万人」というのは無職の人数である。無職=生活保護ではない。日本人だって半数以上が「無職」である。高齢者や子供や主婦がいるからだ。
 実際はどうなのか、政府の2011年の統計を見てみる。

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/GL08020103.do?_toGL08020103_&listID=000001107137&requestSender=search

 この年の被保護人員は147万2230世帯、202万4089人。
 このうち韓国朝鮮籍の者は、2万8796世帯。支給世帯全体の1.9%にすぎない。
 つまり、仮に韓国朝鮮籍の人への生活保護を停止しても、生活保護費は2%ぐらいしか減らないということだ。嫌韓レイシストがよく言う「在日の生活保護費が日本人の生活保護費を圧迫している!」などという主張は事実無根である。

 世帯数ではなく人数も計算してみよう。
 単身世帯が2万2241世帯、2人世帯が4764世帯、3人世帯が1165世帯、4人世帯が415世帯、5人世帯が144世帯、6人以上が67世帯。 「6人以上」というのを仮に7人として計算してみると、

22241+4764×2+1165×3+415×4+144×5+67×7=
=22241+9528+3495+1660+720+469
=38113

 約3万8000人。「46万人」という数字の12分の1だ。

 ただ、在日コリアンの生活保護受給率が平均的日本人より高いのは事実である。これは平均的日本人より貧しい家が多いのと、(会場でも安田浩一さんが言っていたけど)高齢の受給者が多いためである。
 この統計を見ると、在日コリアン受給者の中で最も多いのは単身世帯で、2万2241世帯。うち1万3301人が高齢者である。2人世帯では1612世帯、3人世帯では26世帯。高齢者世帯は需給世帯全体の52%を占める。
 それに対し、日本全体で見ると、147万2230世帯中、高齢者世帯は63万9760世帯、つまり43%。在日コリアンは高齢受給者の比率が高いことが分かる。
 在日外国人は1986年まで、国民年金に加入できなかった。そのため、高齢になっても年金を受け取れず、生活保護に頼るしかない者が多いのだ。
 これが嫌韓レイシストに言わせると「在日特権」なんだそうである。

 もっとも、今では在日外国人も年金に加入できるので、この先、高齢受給者は減ってゆくと予想される。
 と言うか、そもそも在日コリアン自体が急速に減っている。統計を見ると、1992年からの20年間で15万8000人、23%も減った。現在は年間1万人ぐらいのペースで急速に減少している。それだけ帰化する人がいるということだ。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1180.html

 上の差別ビラには「64万人の在日朝鮮人」と書いてあるけど、それは2000年頃の数字。2012年の時点で特別永住者は53万人にまで減っている。在日コリアンを蔑視する連中は、彼らが今何人いるかすら知らないのだ。
 在日四世とか五世とかになると、もう民族のアイデンティティにこだわる人が少なくなってきているかもしれない。このままだと、あと半世紀もすれば、日本から在日コリアンはいなくなる。
 上の差別ビラには「こんなに特権階級だから帰化出来るけどしません」と書いてある。これを論破するのは簡単だ。「どんどん帰化してますけど、何か?」と言えばいい。
  
タグ :デマ嫌韓


Posted by 山本弘 at 15:43Comments(33)差別問題

2013年11月13日

「インディアナポリス」問題:部落解放同盟の見解

 最後に、『差別用語の基礎知識'99』に収録された、「差別語問題についてのわれわれの見解」という文章を紹介しておこう。これは部落解放同盟中央本部が1975年9月に発表したものである。
 実はこの当時、日本共産党と部落解放同盟は「差別語」の扱いをめぐって対立していたらしい。
 この年の6月9日の『赤旗』は、マスコミ各社が「禁句集」「言い換え集」を作って差別語の使用を禁じているのは、部落解放同盟の糾弾のせいであると主張。それに対し、部落解放同盟は「わが同盟は被差別部落にかかわる差別語以外、糾弾したことはない」と反論している。

> われわれもまた、テレビ各局のおこなっている、このような、コッケイな「内部規制」には反対である。テレビ各局のおこなっている「内部規制」は、差別を生み出す社会そのものを問わず、ことばだけに問題をすりかえることである。そしてそれは、逆に問題の解決をおくらせるものである。なぜなら、この態度は、臭いものにフタという考えにほかならないからである。しかも、たとえば、タレントに十分納得させて、いいかえさせるのではなく、とにかく、いいかえろという強圧的であるところに重大な問題がある。

 また、「人権をふみにじり、差別し、差別を拡大させる文章や、文学作品も、世論でほうむらねばならない」と書いた後に、島崎藤村の『破戒』を例に挙げ、こう述べている。

> 差別助長の文学は、本来、人間の自由を求める、文学の行為そのものにも反しているからである。ただし、作品の一部分で、たとえ差別語を用いても、その作品全体が、真の自由を求めるものならば、われわれはそれを糾弾しないし、糾弾したこともない。
> 周知のとおり、『破戒』初版本は、「穢多」という差別語を用いている。しかしわれわれは、解説で、読者の十分な理解を求めることを条件に、出版に賛成している。各出版社の発行している文庫本や日本文学全集や、島崎藤村全集を参照すれば、ただちに了解のいくところである。
> したがって、歴史書や研究書においても、われわれは同様の態度をとってきた。ところが一部に、引用する古文書のなかの、「穢多」「非人」という文字すら、伏字にする動きのあることは、歴史学の専門家のなかにあっても、部落差別のなんたるかを知っていない人がいかに多いかを示していて、寒心にたえないところである。

 つまり差別語が使われていても、本全体として差別に反対する内容であれば出版に賛成するよ、というのが部落解放同盟のスタンスなのである。

> われわれは、「穢多」「非人」がいかに非人間的名称であり、差別語であろうと、それが用いられていた歴史的事実を消しさることはできないと考える。また消しさる意志もない。被差別部落への差別が、完全になくなるような時代がきても、このコトバを消しさってはならない。歴史的事実として、歴史書や辞書などに、厳然とのこすべきである(いわんや、今日の歴史書や辞書などから抹殺するなど論外である)。このことは、差別を根絶していくために、あるいは差別がよみがえらないためにも必要である。なぜなら、数百年の差別の事実、あるいは、差別根絶のための、苦難にみちた闘争が、このコトバには、こめられているからだ。

 被差別部落以外の差別問題についても触れている。

> したがって、ことばのいいかえでは問題は解決しない。「きちがい」を「精神障害者」、「びっこ」を「身体障害者」とか「肢体不自由者」とかよびかえても、「余計者」「厄介者」待遇が変らねば、いささかも事態は変らないことは、いうまでもない。とくに「めくら」を「盲人」におきかえたのは、全くの同義語を大和ことばから、漢語におきかえたにすぎない。マスコミや、テレビ局の、この種のいいかえは詐術に近く、差別語追求を、こうしたいいかえ、おきかえで満足していてはならない。
>「めくら」「びっこ」というコトバが、差別を生むのではなく、「めくら」「びっこ」が人権をうばわれ、差別される存在として、この社会におかれていることによって、これらのコトバが差別の色あいを持つのだということを、明確にしなければならないだろう。

 これは1975年に書かれた文章だが、今では「盲人」という言葉も自粛して、「目の不自由な人」と書くことが多い。現代小説ならまだしも、時代小説を書いてる人は困るだろうなあ。
 似たような言葉として、「土人」を言い換えた「原住民」を、さらに「先住民」に言い換えるという例がある。僕の場合、「インディアン」の場合とはちがい、「原住民」を「先住民」に変えても何の支障もないので、訂正要求には応じることにしている。でも、いつも疑問には思っている。

「原住民」と「先住民」の違いっていったい何?
 どう見ても意味は同じだよね?
 それなのに一方がNGワードに指定されてるってどういうこと?
 禁止語リストを作った人、そしてそれを守ってる人、ちゃんと自分の頭で考えてますか?

 最後にこの声明は、10項目の「基本的立場」を表明する。長くなるので、そのうちの2項目だけを紹介しよう。

>③ 現在、マスコミ・テレビ局ですすめられている、禁句集、いいかえ集などの内部規制は、差別の本質に迫ることなく、コトバだけをいじることによって問題を矮小化し、支配者の言論・表現の自由抑圧に手をかすものであって、われわれは断じて反対である。

>⑧ 差別語や、差別的比喩に対し、われわれは糾弾・抗議をおこなう。ただし、差別語が用いられたから糾弾するというのではなく、文脈全体のなかでその前後関係をよくみて、差別を助長するか、否か、その与える影響というものを判断しておこなうという、従来の方針を堅持する。

 この「差別語問題についてのわれわれの見解」の中に、マスコミの「差別語狩り」への反論が言い尽くされているのではあるまいか。
  


Posted by 山本弘 at 18:09Comments(6)差別問題

2013年11月13日

「インディアナポリス」問題:「差別語」はなぜ生まれたか

 そもそもなぜ「差別語規制」「禁句集」なんてものが生まれたのか。その歴史的経緯を知らない人が多いようなので、解説しておく。
 1970年代まで、マスコミには言葉の規制なんてなかった。
 僕がよく例に挙げるのは、『ウルトラマン』の第2話、これからバルタン星人との交渉に赴こうとするイデ隊員が言う。

「そりゃあ僕は宇宙語に関してはかなり気ちがいさ。でも、本当の宇宙人と喋った経験はないからね」

 この場合の「気ちがい」という言葉には侮蔑的ニュアンスはない。自分は宇宙語を熱心に勉強しているという肯定的なニュアンスで発せられている。
 僕が子供の頃、日本人はみんな「気ちがい」という言葉をごく普通に使っていた。差別的な意味なんかなかった。それどころか、イデ隊員のように、何かのジャンルのエキスパートが誇りをもって、自らを「気ちがい」と呼ぶこともあった。
 もちろん精神障害者を「気ちがい」と呼んで侮蔑する奴はいたが、それは侮蔑の感情をこめて使用していたからいけないのである。
 だいたい、よく見てほしい。「精神障害」とか「精神異常」という言葉に比べて、「気ちがい」って悪い言葉だろうか? 一方が「障害」「異常」と決めつけているのに対し、「ちがい」にすぎないと言っているのだ。
「障害」「異常」と「ちがい」――どっちがより穏やかな表現だろうか?

 あるいは「朝鮮人」という言葉を考えてみれば分かる。もちろん「朝鮮人」という言葉自体に差別的な意味なんかない。でも、差別主義者が侮蔑の感情をこめて「この朝鮮人め!」と言ったら差別になる。
「シナ」という言葉もそう。この言葉を使いたがる人間は必ず、「シナという言葉に差別的意味はない」と主張する。それは確かにそうなんだけど、問題は「中国」という言葉があるのにわざわざそれを使わず、「シナ、シナ」と連呼する奴は、たいてい中国嫌いだということ(笑)。つまり「シナ」が差別的なんじゃなく、それを差別的文脈で使うのが問題なんである。
 どんな言葉もそうなのだ。辞書に載っている定義だけではなく、その言葉が発せられた状況が重要なのである。

「バカ」という言葉も、恋人に対して優しく発すれば、愛の言葉になる。
「君は頭がいいねえ」という言葉も、皮肉っぽく発すれば侮蔑になる。

 単語単位ではなく、その前後を見て、どんなニュアンスで発せられたかを確認しないと、差別発言かどうかは判断できない――当たり前だけど。

 1960年代から70年代にかけて、テレビや出版物の中での差別発言に対して、人権団体が強硬に抗議するという例が何度もあった。
 ほんの一例を挙げるなら、1973年7月19日、フジテレビの『三時のあなた』にゲストとして出演した玉置宏氏が、「お子様がもし歌手になりたいといえば、どうしますか?」と質問され、こう答えた。

「大反対します。この世界には入れたくないですねえ」
「どうしてですか?」
「そりゃ、だってもっと、素晴らしい世界がありますよ。特殊部落ですよ。芸能界ってのは」

 この「特殊部落ですよ」という発言のせいで、玉置氏は部落解放同盟の糾弾を受けた。
 注意していただきたいのは、玉置氏が糾弾されたのは「特殊部落」という単語を使ったからではないということ。「素晴らしい世界」の反対語として「特殊部落」という比喩を用い、「入れたくない」と言ったからである。つまり単語の使用に対してではなく、それが差別的比喩として使用されたことに、解放同盟は抗議したのである。
 こうした例が相次いだことから、マスコミ各社は対策を余儀なくされた。
 しかし、ここで大きな間違いを犯した。

「差別発言をやめる」のではなく、「“差別語”を使わない」という選択をしたのだ。

 この場合の“差別語”とは、この時にマスコミ各社が作った禁止語リストに載っている言葉である。つまり「気ちがい」「部落」はもともと“差別語”ではなく、マスコミによってNGワードに指定されたことによって“差別語”になったのである。
 先にも述べたように、「“差別語”を使う」=「差別発言」ではない。「部落」とか「気ちがい」という言葉を使っていても差別ではない発言はいくらでもある。
 反対に、リストにある言葉をまったく使わなくても、その気になれば差別発言なんかいくらでもできる。

 有川浩『別冊 図書館戦争Ⅰ』(メディアワークス)に、木島ジンという作家が出てくる。こいつは過激なバイオレンス小説を書いていて、青少年にも影響を与えているのだが、メディア良化委員会はこいつを取り締まれない。なぜなら、メディア良化委員会の定めた「違反語」を一つも使っていないからである。

>このひまわり学級が!
>自営巡回ゴミ漁りはそれらしくゴミ箱で今日のメシでも食ってろ!
>識字率は九十九%以上の日本で貴重な残り〇・数%に出会うとは思ってもみなかった。

 木島ジンはこうした反社会的・差別的な小説を、メディア良化委員会への挑戦として書き続けている。すごく嫌な奴だと思うんだけど、言ってること自体は正論なんで、余計に苛立つ。
 しかし、「このひまわり学級が!」には恐れ入った。確かに「ひまわり学級」はNGワードに指定できないもんなあ。

 木島ジンの場合は自覚的にやってるわけだけど、それを無自覚にやってる奴も多い。
 ちょっと前、ネットで、差別発言を連発しているくせに「差別発言なんかしていない」とうそぶいている奴を見たことがある。「まるですぐウッキーってなるどっかの国の人みたいだ」という表現をやたら連発するんだけど、具体的に国名を書いていないから差別じゃないと言い張るのだ。
 ああ、よくいるよなあ。「キ××イ」とか伏字にさえすれば差別発言ではないと思いこんでる奴とか(笑)。


 ふざけんな。


 これはマスコミの「“差別語”狩り」が生み出した弊害のひとつと言えよう。NGワードさえ使わなければ、あるいは伏字にしたり「トーシツ」とかいう隠語を使えば差別にならないと思いこんでいる奴がいかに多いか。
「“差別語”を使う」=「差別発言」ではないということを、もう一度みんな、頭に叩きこんでほしい。それが差別発言かどうかは、単語単位じゃなく、文脈によって判断しなくてはならないということを。

「禁止語」「言い換え集」が生み出したもうひとつの重大な弊害は、それがすでに問題となった言葉だけじゃなく、まだ問題になってない言葉、どこからも抗議が来ていない言葉まで先回りして禁止してしまったということだ。
 もう一度言う。「盲船」や「片腕」にいちいち抗議する人なんてどこにいるの?
 いないよね?
 しかし、「禁止語」に加えられたことで、事情を知らない若い編集者の間に、「○○という言葉を使ったら100%抗議が来る」という迷信が生まれてしまっているのである。
 そう、これはまさに現代の迷信。「○○に触れたら祟りがある」と思いこんでいるのだ。
 そういう考え方こそ差別なんだけどね。
  


Posted by 山本弘 at 17:58Comments(12)差別問題

2013年11月13日

「インディアナポリス」問題:朝日新聞の言い換え集

 大手マスコミには必ず「言い換え集」「禁句集」というものが存在する。
 高木正幸『差別用語の基礎知識'99』(土曜美術社出版販売)という本には、「マスコミの言い換え」の例として、朝日新聞の「取り決め集」1994年版が収録されている。 内容を見てみると――

▽めくら→盲人、目が不自由な人
▽おし、つんぼ→ろう者、ろうあ者、口が不自由な人、耳が不自由な人
▽文盲は使わない。
(めくら判、つんぼ桟敷なども避ける)

 などなどは、まあよくある例だけど、

▽現地人→現地の人、○○国の人

 なんてのは首をかしげる。「現地人」と「現地の人」で、何がどう違うというんだろうか?
 他にも、

▽養老院→老人ホーム、老人養護施設
▽未亡人→故○○氏の妻
▽女流作家、女流画家(特に必要なとき以外は使わない)
▽女傑、女丈夫(使わない)
▽主人、亭主→夫(なるべく言い換える)

 などなど、「えっ、そんな言葉まで?」と驚く例がいくつも。
 犯罪関係の用語だと「強かん」は「乱暴、暴行」に言い換えるが、「ただし、刑法上の罪名は別」と書いてある。つまりレイプ犯の罪名を「強姦罪」と書くのはいいけど、それ以外では書いてはいけないと……。
 わけが分からないよ。
 他にも、「バレる」「ヤバい」「町のダニ」「賊」「しらみつぶし」「ずらかる」「いちゃもんをつける」「ケツをまくる」なども「不快感を与える」という理由で使わないことになっている。ええー? 「しらみつぶし」や「いちゃもんをつける」で不快感を覚える人なんているの?
 ちなみに、このリストに「インディアン」は含まれていない。1994年版なんで、今はどうなってるのか分からないけど。

 ただ、注意しなくてはならないのは、この「言い換え集」、絶対に遵守しなくてはならないものではない、ということ。
 前文では、「人権を擁護すること、差別を受ける人の身になって考えること」という基本的な姿勢が示され、「以下の用語例の中にあるものでも、文脈上、前に述べた基本的精神に反しないことが明らかであり、表現の上でぜひ必要な場合は、使ってよいケースもあり得る」と書かれている。 そりゃそうだわ。

 で、僕が疑問なのは、本当に創土社では「インディアン」は「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」なのか、ということ。
 もしかして、前文に「表現の上でぜひ必要な場合は、使ってよいケースもあり得る」と書かれていて、それを読み落としてるんじゃないのか、という気がひしひしとする。常識的に考えて、そういう前文入れるだろ、普通?
 そうでないと、ホラー小説なんて出版できないもの。
 もし本当に「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」だとしたら、創土社の基準は朝日新聞のそれよりはるかに厳しいってことになっちゃうんだが……。
  


Posted by 山本弘 at 17:22Comments(1)差別問題

2013年11月13日

「インディアナポリス」問題:クトゥルフ関係

 僕以外の例も挙げておこう。
 クトゥルフ関係の著作が何冊もある森瀬繚さんのツイッターより。『ゲームシナリオのためのクトゥルー神話事典』(ソフトバンククリエイティブ)の裏話。

http://togetter.com/li/588541

>インディアンについては、まあ先住民族で妥協するとして、最大の問題はアレですよアレ。「The Blind Idiot God」! こいつをどう扱えば良いのさ畜生め。あ、「畜生」は小説のセリフでは大丈夫かもですけれど、解説書の類の地の文ではNGかもですね。>SB社基準

>最初はシレッと「盲目にして白痴の神」と書いといたわけですが、ニッコリ笑った編集担当氏から「ダメに決まってんだろこのクソボケ、さっさと書き直せ」(大意)という返事が来るのは必定でした。この戦いは、実に3週間に及び--。

>最終的に、これもダメだろうなーと半ば思いつつ「痴愚」で出してみたところ、恐怖の校正チェックを何とか潜り抜けることができたとの報が。というわけで、『ゲークト』のアザトースは「目の見えぬ痴愚の神」になった次第。まあ、他にもいろいろあったのですけど、最後までひっぱったのはこれでした。

 ああ、「The Blind Idiot God」は確かに悩むよね。
 ちなみに僕は、『クトゥルフ・ハンドブック』(ホビージャパン)の39ページで、「白痴で盲目の絶対神アザトース」という言葉を堂々と使ってる。しかし編集者には何も言われなかったし、抗議もまったくなかった。まあ25年前の本だけど。

 他にも、知り合いの時代小説作家が、「編集者が“盲船”(めくらぶね)という言葉を使わせてくれない」と嘆いていたのを聞いたこともある。厚い板で囲った軍船のことで、視覚障害者とは何の関係もないのだが。
 この時はどうしても編集者が折れないので、しかたなく、存在しない言葉をでっち上げて使ったという。

 知り合いの編集者からもう15年ぐらい前に聞いた話だが、「こいつは俺の片腕だ」という表現は自粛して、「こいつは俺の右腕だ」と書くのだそうだ。左利きのキャラクターの場合はどうするんだろう。
 どうしても片腕とか片眼のキャラクターを出したい場合、「隻腕」「隻眼」と書けばいいのだそうである。何で「片」がだめで「隻」ならいいんだろうか。分からん。

 はっきり言えるのは「○○という言葉を使ったら抗議が来る」というマスコミ関係者の思いこみは、ほとんどの場合、被害妄想で根拠がないということ。
 そもそも誰が「盲船」や「片腕」にクレームつけてくるって言うの?
 ドスエフスキーや坂口安吾の『白痴』に抗議が来たなんて話は聞いたことがないよ。
  


Posted by 山本弘 at 17:19Comments(0)差別問題

2013年11月13日

「インディアナポリス」問題:『神は沈黙せず』の場合

 今回のような悶着が起きるのは、これが最初ではない。というか、小説家なんてやってると、しょっちゅうぶち当たる問題なんである。
 これまで体験したいちばん笑える例は、2006年10月、角川書店から『神は沈黙せず』の文庫版を出した時のことである。当時のmixi日記からそのまま引用する。

------------------------------------------------------

 角川より連絡。『神は沈黙せず』の文庫版のゲラにまたチェックが入ったので見てほしいという。
 はて、ゲラはもう返したはずだが……と思ったら、何でも『TVブロス』が抗議を受けたという事件があって、角川も差別問題に今まで以上に過敏になっているという。
 ちなみに『TVブロス』の差別問題というのは、あるライターがカンヌ映画祭についての記事の中で「エタヒニン」という言葉を使ったというものらしい。そんなことを書くライターもライターだが、通してしまった編集者もバカである。要するに差別問題に関する知識も関心も自覚もまるでなかったわけで、問題になるのは当たり前ではないか。
 それでこっちまでとばっちりを食うんだから、たまったもんじゃない。

 返ってきたゲラの量が、けっこう多い。例によってびっしりチェックが入っている。
 だが、チェック箇所を見て大笑いである。さあ、みなさんもいっしょに笑っていただきたい。

>ネットに流れた情報だけを盲信した人々が
>精神病院に入院させられているとか
>地球が狂いはじめているのではないだろうか
>まったく根拠のない盲信にとらわれていて
>狂信的な熱情にかられて行動した
>たちまち悪臭漂うスラムと化した
>自分の中にも狂気がひそんでいる可能性
>強いボスに盲従する猿たち
>いみじくもドーキンスが言ったように、「盲目の時計職人(ブラインド・ウォッチメイカー)」なのだ。
>兄は狂っているのだろうか。
>超能力者の言葉を盲信する
>宗教的盲信から信じたのでもない
>論理ではなく盲信で動いてるんじゃないか
>狂信的な集団
>よく発狂しなかったものだと
>悲しみのあまり狂乱したことも
>怒り狂った群集によって
>頭のおかしい人間が行なった未熟な犯行にすぎず
>狂信的な宗教独裁国家
>ポルターガイストの荒れ狂う施設
>兄の精神に問題があるかのように言うなんて!
>熱狂的な加古沢ファン
>熱狂的に受け入れられた
>その熱狂の蔭に隠れて
>精神錯乱が多発した
>結束と狂信性を強めた
>ファンの狂騒に踊らされることは決してなかった
>熱狂的な快哉
>狂気と正気の境界線をどこに置くか
>混沌となった感情が荒れ狂った
>狂気に蝕まれている自分に言い聞かせた

 ぜいぜい、書き写すだけでも大変だ。これでもチェック箇所の半分ぐらいなんである。
 つまり「狂」「盲」という字すべてにチェックが入ってるんである。たまらん。
 だいたい『ブラインド・ウォッチメイカー』を他にどう訳せと? つーか、「ブラインド」はOKで「盲目」はダメという根拠は何だ?
 いちばん笑ったのは、

>私はぽかんと口を開けた。盲点だった。

「盲点」にもチェックが!?(笑)そりゃ盲点だったわ。いやもうこれは床にひっくり返って笑ったよ。

>馬丁の娘
>老婆の横顔

 という部分にもチェックが入った。「馬丁」も差別語とは知らんかったよ。つーか、これをどう言い換えろというのだ?
 なぜ「老婆」が差別語認定されているのか、編集さんも首をひねっていた。おそらく、かつて「婆あ」という侮蔑的表現が問題になったことがあって、そこから拡大解釈して「婆」という漢字すべてを自粛することになったのではないかと想像するが、今となっては真相は分からない。

>電波系
>サイコキラー

 という単語にもチェックが入った。「サイコ」という言葉がまずいらしいのだ。冗談じゃねえよ! ヒッチコックの映画はどうなるんだよ!? つーか、「サイコキラー」なんて言葉、日常的に使ってるだろ。

>かなり節操のない日本的キリスト教徒だったようだ

 という部分にもチェック。「『日本のキリスト教徒は節操がない』と誤読されるおそれがあるのでは?」というのである。いねーよ、そんなひねくれた誤読する奴。お前だけだよ。

>日本各地の福祉施設に収容された何千人もの子供たち

 という部分にもチェックが入った。「収容」という言葉がいかんので「預けられた」に改めろという。なぜ? 分からん。

 さらに笑えたのが、アメリカ国内でイスラム原理主義者やキリスト教右翼によるテロが起きるというくだり。校正者の意見によれば、

「フィクションですが、偏見を助長するおそれがあるのでは?」

 アホかああああーっ!
 実在の集団による犯罪行為をフィクションの中で描いてはいかんというのなら、スパイ小説もポリティカル・フィクションも書けんようになるわーい!
 出版業界で生きる人間が、自分の首絞めてバラバラにして埋葬するようなことを言い出すんじゃねえええーっ!

> あるいは、ネットでベストセラーになったコミック『サンバーン』の作者、三崎純へのインタビューという話もあった。参考のために読んでみた私は、すぐに編集者に電話をかけ、「この仕事は別の人に回して」と依頼した。身障者の少女をレイプし、いじめ抜いた末に殺害する主人公の姿と、それをギャグを交えてあっけらかんと描く作者の姿勢は、私には反吐が出そうなほど不快だった。紙の本が出版物の主流で、出版業界のモラルが守られていた時代には、とうてい陽の目を見なかった作品だ。こんなものを描く人物がいることにも、それを夢中になって読む大衆がいることにも、やりきれなさを覚えた。

 という部分にもチェックが入った。だからさ、主人公は差別意識に対する激しい怒りを表明してるんだよ? あんたちゃんと文章の意味、理解してる?
 25章のこんなくだりにもチェックが、

> テキサス州アマリロの市庁舎では、玄関ホールの天井から長さ五メートルもある巨大な足がぬっと突き出した。職員や市民を驚かせただけで、すぐに消えてしまったものの、監視カメラには人間の一〇倍ぐらいのサイズがある白い素足がはっきり映っていた。明らかに黒人の足ではないことから、白人優越主義者はまたもや「神は白人であるという証明だ」と主張した。
> ところがその四日後の夕刻、今度はニューメキシコ州フォート・サムナー郊外の住宅街に、巨大な裸の黒人が出現した。それは一〇人以上の目撃者たちの前で、身長一・二メートルから六メートルまで大きさを自由に変えたという。今度は黒人たちが「神はやっぱり黒人だった」と主張する番だった。

 どこがまずいと思います?
 なんと、「黒人」という単語すべてにチェックが入ってるのである! ええー、「黒人」もNG用語!? んなアホな!

『神は沈黙せず』をお読みになった方ならお分かりのように、この小説には僕自身の、身障者差別・人種差別・民族差別に対する強い嫌悪が随所に反映されている。
 差別問題を扱うのだから当然、差別的発言をする登場人物も出てくるわけだが、それにすべてチェックが入った。「朝鮮の手先」「あつらは犯罪者ばっかりだ」とかである。
 だからさ、この小説は差別を糾弾してる内容なのに、何でびくびくして自粛しなきゃならんわけ? おかしいじゃん!

 最初は笑ってたが、だんだん腹が立ってきた。
 この校正者の野郎、自分では何も考えてない。機械的に「狂」「盲」という字を検索しているだけである。ある表現が差別に当たるかどうか自分で判断することを放棄して、著者に全責任を押しつけている。それはつまり、「私は差別問題なんか分かりませーん」「責任とりたくありませーん」と宣言しているようなもんではないか。
 そういう意識こそ差別なんだと、どうして気づかん!?

 でもって、これまで小説の中で差別問題を何度も描いてきた僕が、何で今さら糾弾を恐れなくちゃなんないんですかい!?
 こわくないよ、そんなの。万が一、同和団体に糾弾されたって、これまで自分が書いてきたものをずらっと並べて、「あなたの方こそ不勉強です。これを読んでください。僕はこういう作家です」と、逆に教育してやるよ。

 ちなみに、サーラ外伝「死者の村の少女」は、「名もなき狂気の神」の暗黒司祭に支配された村が登場する。こいつはもろに気ちがいである。だもんで「狂気」「発狂」「狂う」という表現がストレートに頻出する。
 先日、ゲラが返ってきたが、案の定、表現にはほとんどノーチェックである。そりゃそうだ。僕は差別表現にならないよう考えて書いてるもの。
 それを角川の編集さんに愚痴ったら、

「いや、ファンタジア文庫とは影響力が違いますから……」

 えー、でも部数だけ見たら、『サーラ』の方が『神は沈黙せず』より売れてるんですけど(笑)。

【追記】

 後で編集さんから電話。校正者のチェックの入ったゲラを1枚送るのを忘れてたんで、いちおう確認してくれという。
 どういう箇所かというと、

>カメラは群集にもみくちゃにされながら、感激して涙ぐむ中年女性、興奮して喋りまくっている黒人男性、大声で歌っている若い娘、狂ったように踊り回る少年、きょとんとしている幼児、複雑な表情で群集を整理している警官を映し出していた。

 はーい、みなさん、もうお分かりですね。「黒人男性」と「狂ったように踊り回る」にチェックが入ってたの(笑)。
 編集さんも笑って「これはもうスルーでいいですよね」と言う。スルーだスルー、みんなスルー!

---------------------------------------------------

 ちなみにこの時の体験は、短編「七パーセントのテンムー」(『シュレディンガーのチョコパフェ』に収録)に反映させている。今後も、僕を怒らせたら、即座に小説のネタにするからね(笑)。

 誤解されないように、二点注意しておく。
 角川書店の本でこんなにも厳しいチェックが入ったのは、後にも先にもこの時だけ。文中にもある『TVブロス』事件の影響で、角川書店全体が「また抗議が来るのでは」と過敏になってたらしい。いや、いくらなんでも「黒人」とか「サイコキラー」と書いたぐらいで抗議なんか来ませんってば。
 また、この時は担当編集者(『去年はいい年になるだろう』にもご登場いただいた主藤雅章氏)が大変に理解のある方で、校正者のばかげた指摘を「こんなのはみんな突っぱねましょう」と言ってくださったので、まったく直さずに済んだ。

 ただ、角川で差別表現が議論になったことがないわけではない。
『神は沈黙せず』の最初の単行本の時、ヒロインの台詞で一箇所、差別表現じゃないかと主藤氏に指摘され、議論した挙句、結局、僕の方が確かに差別表現だと認めて書き直したことがある。
『アイの物語』の時は、アンドロイドが「狂う」という表現が差別的ではないかという指摘が校正者からあり、主藤氏と二人で悩みまくって、結局、「機械であるアンドロイドの場合、時計が“狂う”のと同じであり、差別表現ではない」という結論に達し、校正者を納得させた。
 こんな風に、作家と編集者がいっしょになって「差別表現かどうか」を考えるのが正しい姿勢だと思う。

 ただ、すべての編集者が主藤氏のように理解があるわけじゃなく、中には作家の意志を無視して書き換えを要求してくる人もいるということは知っておいてもらいたい。
  


Posted by 山本弘 at 17:13Comments(4)差別問題

2013年11月13日

「インディアナポリス」問題:編集者の見解

 先日の「インディアナポリス」問題について、当の創土社の編集者からコメントが出ていた。

http://cthulhu8soudosha.blog.fc2.com/blog-entry-28.html

>ある博物館に入ろうとして受付で
>「インディアンについての展示がありますか?」と聞いたら
>入場を断られたという話もあります。


 アメリカには「The National Museum of the American Indian」という博物館があるのだが、ここで「インディアンについての展示がありますか?」と聞いたら入場を断られるのだろうか?
 つーか、「インディアンについての展示がありますか?」と訊ねただけで入場を断る博物館なんて本当にあるのか?
 ちなみに、この編集者の情報源は何かというと、

>上に揚げたことについて、私はほとんどネットで目にしているだけなので
>絶対本当か!と言われればなんとも言えません。


 ほとんどネットの噂かよ!?(笑)。
 さらにこの編集者はこうも書いている。

>「NGワード」というのは大手の出版社では厳密に決まっていて
>この手の読み物では担当レベルの意見をする余地がありません。
>「NGワード」とされているものは「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」。


 本当だろうか?
 試しに、AMAZONでざっと検索してみた。日本では過去10年間にこんな本が出ている。
『アメリカ・インディアン法研究〈1〉』(北樹出版・2012)、『インディアン・スピリット』(めるくまーる・2011)、『はみだしインディアンのホントにホントの物語』(小学館・2010)、『写真でみるアメリカ・インディアンの世界』(あすなろ書房・2007)、『インディアンは笑う―あなたの厳しい現実もひっくり返す、ネイティブ・アメリカンの聖なるジョーク!』(マーブルトロン・2007)、『太ったインディアンの警告』(日本放送出版協会・2006)、『オールド・マン・ハットの息子―あるナバホ・インディアンの回想』(新思索社・2006)、『ネイティブ・アメリカンの世界―歴史を糧に未来を拓くアメリカ・インディアン』(古今書院・2006)、『アメリカン・インディアンの歌』(松柏社・2005年)、『コヨーテ老人とともに―アメリカインディアンの旅物語』(福音館書店・2005)、『アメリカ・インディアンの心もからだもきれいになる教え』(扶桑社・2005)、『インディアンカントリーへ』(ワールドフォトプレス・2004)、『ターコイズ―大地の贈り物インディアンジュエリー』(ワールドフォトプレス・2004)、『American Indian Potter』(講談社インターナショナル・2004)、『アメリカ・インディアンの知恵』(PHP研究所・2003)……。
 なんだ、小学館もNHKも講談社も「インディアン」って言葉使ってるじゃん!
 創土社ではどうだか知らないが、小学館やNHKでは「理由の如何に拘らず弊社基準で使用不可」なんかではないということだ。
 海外でも同様で、『American Indians and Popular Culture』(Praeger・2012)、『The North American Indian』(Taschen・2007)、『Real Indians: Portraits of Contemporary Native Americans and America's Tribal Colleges』(Melcher Media・2003)、『George Catlin's Souvenir of the North American Indians: A Facsimile of the Original Album』(Thomas Gilcrease Museum Assn・2003)などなど、「Indian」という単語をタイトルに使っている本はいくらでもヒットした。
 もちろん、これらの本に抗議があったなんて話はまったく聞かない。「“インディアン”という言葉を使ったら100%抗議が来る」というのは妄想だと断定してよかろう。

 さらに、僕がいちばん驚いたのはここ。

>ましてや、人を楽しませようと思っている娯楽小説!
>なんでわざわざそんなリスク(人を傷つける)を冒す必要があるのか…。


 ちょっと待てえええええええ!

 あんた、自分とこの会社がラヴクラフトについての本出してるって自覚あるのか!?
 ラヴクラフトの書いた「娯楽小説」にどんだけたくさんの差別的表現があるか分かってて言ってるのか?
 ラヴクラフトはファシストを自認する保守主義者であり、KKKの活動を賞賛していた。彼は中国人街を訪れた際の印象を、友人への書簡の中でこう書いている。(出典は『幻想文学』6号「特集・ラヴクラフト症候群」だったと思うんだけど、現物が書庫から出てこないので、『クトゥルフ・ハンドブック』からの孫引きで済まさせていただく)

 あの奈落に棲息している確かに有機体にはちがいないもの――あのイタリア・ユダヤ・モンゴルもどきども――は、いくら想像を逞しゅうしても、とても人類の名に価するとは思えません。ピテカントロプスとアミーバのぞっとする、ねっとりした混成物です。汚染した大地の吐き出す臭穢な泥土をいい加減に捏ね回したあげくの泥人形――奴らは、あるいは屍体に湧く蛆虫の蠢動するごとく、あるいは深海に棲息する気味悪い生き物のごとく、建物の窓や戸口から、悪臭ふんぷんたる路上へ沁みだし、湧きこぼれているのです。(後略)
(森茂太郎訳)

 そう、ラヴクラフトは人種差別主義者であり、イタリア人、中国人、ユダヤ人、黒人などに対する強烈な嫌悪を隠さなかった。そして、彼の作品にしばしば登場する、人間と異生物との混血というモチーフ(「インスマウスの影」「ダンウィッチの怪」「アーサー・ジャーミン卿の秘密」など)は、彼の異人種への嫌悪と表裏一体なのだ。
 これはべつに秘密でもなんでもなく、ラヴクラフトについてちょっとでも調べたことのある人間なら誰でも知っている事実である。そして、彼の考え方は当時のアメリカの白人にはよくあるものだった。
 ラヴクラフト作品を容認するということは、彼の生きていた時代の考え方を理解するということ、彼が抱いていた人種偏見に対して「今では許されないけど、この時代の人だからしかたがない」と許容することを意味する。
 僕もラヴクラフトの抱いていた人種偏見には嫌悪を覚えるけど、彼の生きた時代を考慮して、しかたがないことだと思っている。
 もちろん、現代で同じことを言う奴がいたら許さないけどね。

「インディアン」という言葉は偏見? そうかもしれない。でも、1940年代の人間がそういう言葉を使うことは許容しなくちゃ。
 昔の人間の偏見を許容できないということは、ラヴクラフトを許容できないってことになっちゃわないか? それも「クトゥルー・ミュトス・ファイルズ」なんて本を作ってる編集者が?
 そのへんの葛藤がまるで感じられないんだよなあ、この文章からは。

 あと、結局、「インディアナポリス」はどうなるんですか?(笑)
  


Posted by 山本弘 at 17:06Comments(22)差別問題