2017年09月06日

『ビーバップ!ハイヒール』出演裏話

 番組の放映から1週間が経ったので、番組の裏側をお話ししましょう。

https://www.asahi.co.jp/be-bop/

「常識を超越している。科学的に説明不可能。そんな言葉に騙されてはいけません」
「超常現象の多くには、調べてみると意外な真相が隠されています」

 これは僕が考えたんじゃなく、台本に書いてあった台詞です。当たり前ですけど、こういう「かっこつけた台詞」は、あらかじめ台本で決められていて、出演者はその通りに喋ることを要求されるんです。もちろん、あまりにも自分の意図と違う場合は改変させてもらいますけど。
 この場合も、言い回しがなんか僕の言いたいことと違うので、何箇所か修正をお願いしましたが、だいたい台本通りに喋ってます。
 もっとも、トチって何度もリテイクしましたけどね(笑)。台本通りに喋るのってすごく苦手。あと、自分の演技力のなさにがっくりきます。まったく棒読みです。

 このシーンで画面にちらっと映る本の一冊は、ポピュラサイエンス臨時増刊、ジェラルド・ハードの『地球は狙われている』(講談社・1951)。〈BISビブリオバトル部〉の2巻『幽霊なんて怖くない』に出したので、ご存知の方も多いのでは?

 あと、パソコンのキーを叩いているシーンが映りますけど、実はあそこはテレビ局の会議室で撮影されています。ノートパソコンも僕のじゃなく、スタッフの私物。おまけにロックがかかっていて、キーを叩いても画面に文字は出ません(笑)。叩いてるふりをしてるだけです。
 小説家がこんな風にバラエティ番組に出演する時には、必ずと言っていいほど、パソコンで何かを打っているふりをさせられるんです。僕なんかもう何回やらされたことか。小説家の仕事風景のつもりなんでしょうが、当たり前ですけど、すべてヤラセです。TV局の取材が来てるのに、その前で仕事する小説家なんていません(笑)。
 学者の方の場合、分厚い本を読んでいるカットがよく映りますよね。こんな映像に何の意味があるのかなと、いつも疑問に思うんですが。

 たむらけんじがスペインで撮影したUFOの話。放映ではカットされてますけど、実は彼はかなりしつこかった!
 僕が「手ぶれでしょ?」と言うと、僕の席まで来て、スマホの画面を見せつけるんですよ。「これは絶対に手ぶれじゃありません」と、力強く。でも、僕は相手にしませんでした。
 というのも、その直前、「(手ぶれしないように)がっつりと脇を締めて」と撮影の模様を実演しているまさにその瞬間、彼の手が動いているのを目にしちゃったからです(笑)。でも、彼は自分の手が動いていたことにまったく気がついていませんでした。
 だからUFOを目撃した瞬間もそうだったんでしょう。本人は「スマホを固定していた」と思いこんでるけど、実際は興奮して揺れてたんじゃないかと。

 UFOの正体については、「凧じゃないですか」と推理を口にしました。海外にはLEDのついた凧があって、日本でも2011年に荒川で、それがUFOと誤認されて騒ぎになってるんです。それに似てるなと。でも、そこもカットです
https://www.youtube.com/watch?v=8754uaV_h_c
 あと、大晦日のカウントダウンの最中に撮影されたというのもひっかかります。カウントダウンの時には、他にも住民がいろんなものを飛ばしてるんじゃないでしょうか? 凧が飛んでいてもおかしくない気がします。
 まあ、正体が分からないという点では、まさにUFO(未確認飛行物体)ではあるんですが。

 お分かりでしょうけど、番組中で紹介されている謎解きは、ほとんど僕がやったものじゃありません。海外のニュースから拾ってきたネタや、ASIOSのメンバーが解明したやつばかりです。
 例外は最初から2番目の「トワイライト・フェノメノン」。あれはフジテレビの『ザ・ベストハウス123』で放映されたネタなんですが、当時、番組が終わった直後にすぐにインターネットで検索かけたら、2時間ほどで、日時や場所、原因から、なんというロケットかまで、すっかり特定できました。
 テレビでは「謎」と呼ばれていても、実はその程度の調査で真相が判明することが多いんです。ほとんどの人は、そんな調査をやらないだけで。

 三田光一の念写した「月の裏側」。
 僕はこの時、写真の背景の星空を指差して、江川達也氏に「これランダムじゃなく、手で打ってますよね?」と話を振りました。マンガでは星空を描く場合、黒いバックにブラシにつけたホワイトを散らすのが普通です。マンガ家さんならこの星の分布の不自然さにすぐ気がつくだろうと。
 実際、江川さんも「手で描いてますよね」と同意してくださったんですが、そこもカットされました。


 ノストラダムスの話だけは、僕の方からスタッフに、「このネタは受けるんじゃないんですか」と提案したもの。案の定、「五島勉」という人名は具体的に出せませんでしたし、構成は向こうにおまかせしたので、再現ドラマの考証がいろいろおかしいんですが、「実はインチキでした」というのは視聴者に伝わったと思います。
 オイルショックやトイレットペーパー騒ぎなんてものがあったことは、今の若い人は知らないでしょうし。

 ちなみに今発売中の『RikaTan(理科の探検)』という雑誌の10月号に、『ノストラダムスの大予言』という本のインチキを解説した記事を載せています。興味のある方はお読みいただければ幸いです。

 というわけで、どうにか本番は乗り切れた……思ってたんですが、最後の最後でハプニングが。「奥様は超常現象というのを信じておられるんですか」という質問を振られて、嘘をつくわけにもいかず、「我が家のトイレにドイツの幽霊がいる」という話をするはめになっちゃいました(笑)。
 前にも本に書きましたけど、妻は実は霊媒体質なんですよ。幽霊は見えないけど感じられるんだそうで。新婚直後、妻は友人たちとドイツに観光にいったんですが、帰ってからしばらくして「トイレに幽霊がいる」という話をしだしたんですよ。たぶん古城観光に行ったんで、その時についてきたらしいと。
 ドイツの古城の幽霊! それはかなり由緒正しい奴なんでは?
 妻の話によれば、特に悪い霊ではなかったらしく、お祓いをすることもなく、気がつくとどっかに行ったらしいんですけどね。

 その後、さらに放送ではカットされた部分があります。
「お子さんはどう思ってらっしゃるんですか?」と問われて、またも「娘も小さい頃は妖精さんや幽霊さんが見える子で……」という話をしちゃいました。
 いや、ほんと。小学校に入る前までは、当たり前のように妖精が見えてたり、亡くなったお祖父ちゃんが見えたりする子だったんですよ。今はもう大人になって、見えなくなってますけど。
 たぶん子供というのは誰でも、小さい頃は「見えない友達」がいるんじゃないかと思うんですよ。大きくなるにつれて見えなくなって、忘れてゆくだけで。

 というわけで、僕は家ではオカルトに関しては寛容なスタンスを貫いています。「そんなの見えたってたいしたことないよね」と。
 ですから我が家は、結婚以来20年以上、とても平和です。

  


2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・4

 僕はもう、と学会を辞めている。
 http://hirorin.otaden.jp/e312496.html

 理由はいろいろあるが、ひとつの理由は「つまらなくなった」ということだ。
 トンデモ本が少なくなったわけではない。今も多くのトンデモ本が出版され続けている。ただ、新しいものが少なくなってきた。
 日本トンデモ本大賞の候補作は、毎年、僕が選んでいたのだが、ノミネート作のリストを見ても、バラエティが豊富だったのは『人類の月面着陸は無かったろう論』が受賞した2005年の第14回あたりがピークだった。

http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/tondemotop.htm

 以後は、『富を「引き寄せる」科学的法則』のような1世紀も前のトンデモ本や、『新・知ってはいけない!?』のように前に出た本の続編、『秘伝ノストラダムス・コード』のような時代遅れのノストラダムス本、『超不都合な科学的真実』『小説911』『本当かデマか 3・11[人工地震説の根拠]衝撃検証』のように著者本人が唱えているのではなく世間にあふれている陰謀説を寄せ集めた本など、独創的なものが明らかに減ってきている。2012年の第21回、2013年の第22回などは、と学会の会員に呼びかけてもトンデモ本が集まらず、かなり苦しんだ。大川隆法、苫米地英人、中丸薫らの本が何度もノミネートされているのも、ノミネート作が揃わないための苦肉の策だった。
 おそらく僕らは、乱獲によってトンデモ資源を枯渇させたんじゃないかと思う。トンデモってもっと奥が深いかと思っていたら、意外に浅かったんだなと。
 1950年代に書かれたガードナーの『奇妙な論理』を読めばわかるように、現代のトンデモ説の多くは昔から存在しているものか、その焼き直しにすぎない。だからこれから出るトンデモ本の多くも、すでにある説の焼き直しにすぎないんじゃないだろうか。
 だからと学会をはじめた頃と比べて、トンデモ本への関心はひどく薄れている。

 もっとも僕はまったく関心をなくしたわけじゃない。ニセ科学やデマ関連のウォッチングはASIOSの本で続けている。と学会の本と違って、積極的に笑いを取りに行くことは控えるようになったが、それでも多くの人に読んでほしいから、「面白い」と感じさせる文章にする努力は怠っていない。
 世の中には、放置しておくのは危険なニセ情報がまだまだたくさんあるからだ。
 ほんの一例を挙げるなら、「阪神淡路大震災の時に強姦が多発した」というのは悪質なデマで、信じる人が増えたら危険だから、データを挙げて否定している。

http://hirorin.otaden.jp/e427750.html

 ネットの普及により、デマの拡散速度も飛躍的に速くなった。特に、見ず知らずの多くの人を傷つけたり、新たな災厄のタネになるかもしれないデマに対しては、見つけしだい大急ぎで否定する必要がある。だからこのブログでもデマの否定を頻繁にやっている。
本人に直接言うなり手紙やメールを出すなり」などと、のんびりしたことを言っていては手遅れになるかもしれないから。

  


2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・3

 そもそも『トンデモ本の世界』が出版された1995年はどんな年だったか思い出してほしい。
 そう、地下鉄サリン事件のあった年だ。
 あの事件がどれほど日本を騒がせたか、ご記憶の方は多いはずだ。オウム真理教はオカルトや超能力、フリーメーソン陰謀説や、様々なニセ科学にハマっていた。それらは、マスメディアが無視していたか、あるいは逆に持ち上げていたものだった。(『超能力番組を10倍楽しむ本』でも書いたが、90年代前半まで、超能力を肯定的に扱う番組は実に多かったのだ)
 1995年のあの日まで、ほとんどの日本人はオカルトや超能力や陰謀論やニセ科学にさほど関心がなかったか、あっても「たいしたことじゃない」と侮っていたと思う。
 そこにあの事件が起きた。
 多くの人が存在に気がつかなかった、あるいは何もしないで見過ごしていたものが、気がついたら恐ろしい怪物に成長していた。
「あれはいったい何なんだ!?」と狼狽し、説明を求めていた人たちに、僕らがタイミングよく「トンデモ」という概念を提示した。だから『トンデモの世界』はベストセラーになったのだと思う。
 もちろん、オウム事件に便乗したわけじゃなく、出版予定は前から決まっていて、地下鉄サリン事件がたまたまそれに重なっただけなんだけど。

 これは『トンデモノストラダムスの世界』で書いたけど、僕は五島勉氏が『ノストラダムスの大予言』という本を書かなかったら、オウム事件は起こらなかったと思っている。
 無論、『ノストラダムスの大予言』を読んだ時点で、オウムの台頭を予想するのは誰にも無理だったろう。でも後知恵で見て、因果関係があるのは否定できない。
 言い換えれば、今はまだたいしたことがないように見えるトンデモ説でも、将来、怪物に成長する可能性があるということだ。
 今も日本には、多数のトンデモ説が乱れ飛んでいる。そのどれかが新たなオウム事件の萌芽になるのか、今の段階ではまったく予想できない。でも、常に誰かが目を光らせていなければいけないんじゃないだろうか?

 実際、僕も予想できなかったことがいくつもある。
 たとえば『トンデモ本の世界R』(2001)で、石橋輝勝『武器としての電波の悪用を糾弾する!』という本を紹介した。自分は世界を支配する組織から電波攻撃を受けていると主張する、典型的な関係妄想の本だった。だが、自費出版されたマイナーな本であり、大きな影響力などないと思っていた。
 まさか著者が2003年に民主党推薦で千葉県八街市議会議員選挙に立候補して当選したり、「テクノロジー犯罪被害ネットワーク」なんてものを結成したりするなんて、まったく予想していなかった。

 あるいは『トンデモ本1999』で取り上げた谷口裕司『宇宙からお母さんへのメッセージ』という本。著者は育児文化研究所という団体を主催しており、全国に10万人以上の会員がいるという。この本は、おなかの中の赤ちゃん、それどころかまだ妊娠さえしていない赤ちゃんがテレパシーで語りかけてくるという本だ。地球にはすでに大勢の宇宙人が来ていて、人類を指導しているとも書かれていた。
 僕は育児文化研究所という団体がUFOカルト化していることに漠然と不安は抱いた。
 だが、この時点で、すでに誤った指導のせいで犠牲者が出ていたなんて思いもしなかった。

http://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H12/000403.htm

『トンデモ本の世界R』(2001)では、谷口祐司氏の別の著書『緊急!マリア様からのメッセージ』を取り上げ、「しかし、笑ってばかりもいられない。この育児文化研究所をめぐって、実は悲惨な事件が起きていたことが明らかになったのだ」(89ページ)と書いて、事件に触れている。
 読み返していただければ、この文章の前後で、僕の文体ががらっと変わっていることに気づかれると思う。『緊急!マリア様からのメッセージ』は笑えるトンデモ本だが、両親が谷口氏の誤った指導を信じために赤ん坊が死んだという事実は、笑ってはいけないと思った。
 しかし、谷口氏の著書を「笑ってはいけない」とも言いたくなかった。むしろ、谷口氏の著書を読んだ人たちが、これがトンデモ本であることに気づかず、笑いもせずに信じこんでしまったことが、悲劇を招いたのだと思う。
 こんなのは笑い飛ばすべきだった!
 もっと早くみんながトンデモさに気がついて笑い飛ばしていれば、悲劇は阻止できたんじゃないだろうか。

 あるいは『トンデモ本の世界W』(2009)で取り上げた『胎内記憶』。胎内の赤ちゃんが母親のへそから外を見ているなどと主張するとびきりのトンデモ本だが、著者の池川明氏が当時よりさらに有名になって、各地で講演会を開いているばかりか、親学推進協会の特別委員や誕生学協会のサポーターをやっているという事実に、育児文化研究所の事件を連想し、軽く戦慄している。
 池川氏一人が信じているだけでなく、いい年した大人、しかも高い地位にある人たちまでもが大勢、「赤ちゃんが母親のへそから外を見ている」などという話を本気にしているらしいのだ。これは十分すぎるほど恐ろしいことではないだろうか?

 正直に言うと、僕もいつも笑っているわけではない。話があまりにもシリアスすぎて、矛先が鈍ることは何度もあった。
 たとえば『トンデモ本の世界U』(2007)で、小出エリーナ『アメリカのマインドコントロール・テクノロジーの進化』を紹介した時のこと。CIAの電波攻撃「マイクロウェーブ・ハラスメント」を受けている(と思いこんでいる)人たちについて、僕はこう書いた。


 どうやら苦しい体験をしている著者たちを支えているのは、自分と同じ体験をしている人が大勢いるという連帯感と安心感、そして巨大な悪と戦っているという怒りと使命感のようである。
(中略)
 だが、僕にはそれこそ「個人の一時的な解消でしかない」ようにしか見えない。ミもフタもないことを言わせてもらえば、「早く病院に行きなさい」と言いたい。現代では統合失調症に効く薬がいくつもある。それらで治癒できるか、症状が改善される可能性は高い。
 だが、マイハラ被害者同士の連帯は、適切な治療から彼らを遠ざけているように思われる。仲間の話を聴くことは、自分の体験が幻覚や妄想ではないと確信させてくれるし、中には「体内にインプラントを埋めこまれるから病院に行ってはいけない」とアドバイスする者もいるからだ。
 だから僕は、最初は笑って読んでいたものの、だんだん笑えなくなってきた。心の病気だからしかたがないとはいえ、治療を受ければ助かるかもしれない人が、自ら救いを拒否して苦しみ続ける姿は、胸が痛む。

 これは僕の嘘偽りない本音である。
 罪もない赤ん坊が愚かな指導のせいで死ぬなんてことはあってはいけない。
 病気に苦しんでいる人には、ぜひ良くなってほしい。
 そのためには、明らかに間違っていることに対して、誰かが「間違っている」と声を上げないといけないと思う。
本人に直接言うなり手紙やメールを出すなり」なんて甘っちょろいことを言っている間に、誰かが死ぬかもしれないのだ。

 最初の『トンデモ本の世界』を出した頃から、僕は『トンデモノストラダムスの世界』という本を必ず1998年に出そうと心に決めていて、ずっと資料の収集を続けていた。
 今の若い人にはピンとこないかもしれないけど、1990年代の日本人の中には、ノストラダムスの予言を信じこみ、「1999年に人類は滅亡する」と思っていた人間がかなり多かったのだ。彼らが1999年になったら、不安になってパニックを起こし、犯罪に走ったり自殺したりするかも……という懸念は、決して杞憂ではなく、当時としてはリアルな危機感があった。
 だから僕は、そうした事態を予防するために、1998年に『トンデモノストラダムスの世界』を出そうと決意した。
 その際、ベストセラーである五島勉『ノストラダムスの大予言』だけに絞りはしなかった。当時すでに氾濫していた大量のノストラダムス本(正確に言えば、ノストラダムスの詩から勝手に未来に起きることを予言する本)をかたっぱしから読んで笑い飛ばした。
 当然、中には五島氏ほど売れていない人、abさんの言う「弱い者」もいた。だが僕は、売れているかどうかで区別しなかった。
 起きるかもしれないパニックを防ぐために、ノストラダムス本はどれもデタラメで、著者たちの主張は信用できるものではないことをはっきり示す必要があったからだ。こんなのは笑い飛ばすべきものなのだと。
 幸い、『トンデモノストラダムスの世界』はよく売れた。1999年7月が近づくにつれ、大手のメディアも危機感を覚えたらしく、メジャーな雑誌や新聞でもノストラダムスの予言を否定する記事が増えた。テレビでもやはりノストラダムス批判の番組が増え、僕もいくつか出演した。マスメディアのウォッチングを続けながら、「ノストラダムスの予言なんて信じちゃいけない」というムードが世間に形成されてゆくのを、確かに感じていた。
 そうして1999年7月は何事もなく過ぎ去った。
 パラレルワールドのことなんか分からない。でも、もし僕が『トンデモノストラダムス本の世界』を書かなかったら──abさんが言うように、「本人に直接言うなり手紙やメールを出すなり」で済ませ、広く世間に警告しようとしなかったらどうなっていたか……それはいつも考える。
 少なくとも僕は、災厄を防ぐために、自分がやるべきことをやったと、今でも誇りを持って言える。
  


2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・2

 じゃあなぜ、単に間違いを指摘するだけでなく、笑い飛ばす必要があるのか?
 理由は簡単、その方がアピールするからだ。
 前にも書いたが、「どんなに栄養のある料理でも、不味ければ誰も食べない」というのが僕のポリシーである。
 ニセ科学やオカルトを批判している人は、と学会以前からいた。だが、大真面目な主張が多く、大衆にアピールしなかった。内容がいくら正しくても、読んで面白いものではなかったからだ。
 生涯をオカルトやニセ科学との戦いに捧げたアメリカのジャーナリスト、H・L・メンケンは、こんな言葉を残している。

「抱腹絶倒一回は三段論法千回に勝る」

 これは真理だと思う。
 数ヶ月前にもそんな体験をしたばかりだ。ある人が僕に「江戸しぐさ」について訊ねた。その人は「江戸しぐさ」がネットで話題になっていることや、問題のある内容であるらしいことは知っていたが、具体的に何が問題なのかはよく知らない様子だった。
 そこで僕は「江戸しぐさ」信者の主張の中で最も笑える箇所──「江戸っ子大虐殺」について説明した。その人は大笑いして、即座に「江戸しぐさ」は信じてはいけないものだと納得してくれた。
 これが「抱腹絶倒一回は三段論法千回に勝る」である。
 もちろん事実を論理的に説明して批判するのも大事だ。だが、「そんなの信じちゃだめだよ」とアピールするには、笑い飛ばすのが早道なのだ。実際、原田実氏はそうやっている。事実関係をきちんと調べたうえで、「江戸っ子大虐殺」のような笑える部分を指摘するのも忘れない。

 と学会の先輩とも言うべきマーチン・ガードナーの『奇妙な論理』(ハヤカワ文庫)にしても、バージェン・エヴァンズ『ナンセンスの博物誌』(大和書房)にしても、事実の羅列だけでなく、笑える部分にスポットを当てたり、随所に皮肉やウィットを混ぜたりして、読者を楽しませる工夫をしている。
 たとえば『ナンセンスの博物誌』は人種偏見に対する批判に多くのページを割いているのだが、その中で紹介されるレイシストたちの発言と、それに対するエヴァンズのツッコミがいちいち笑える。

(前略)ウェイン大学社会学科のA・M・リー教授が一九四三年のディトロイト人種暴動を調査した時、一人の証人は、映画館の灯がついて黒人の横にすわっていたことがわかった途端に気分が悪くなったと述べた。その男の説明では黒人は「常に悪臭を放つ」のだそうだが、彼の嗅覚は暗闇ではきかないものらしい。

 いかがだろう? こういう手法の方が、大真面目に「人種差別は良くない」と説くより効果的だと思わないか?

 もうひとつ、abさんが無視している(故意になのか、本当に気がついていないのかは不明だが)明白な事実がある。
 それは「トンデモの多くは危険」ということだ。
 たとえば、超能力、オカルト、UFO、予言などは、カルト宗教と親和性が高い。「うちの教団に入って修行すれば超能力が身につきます」とか「ノストラダムスはうちの教祖様のことを予言していた」とか「まもなく世界が滅亡するが、UFOに乗った異星人が私たちを助けに来てくださる」などと宣伝している団体は、いったいいくつあるか、多すぎて見当もつかない。
 そうした話に興味を持ち、真剣に耳を傾けていたら、いつのまにかカルト教団に入信していた……ということも、十分にある。
 ニセ科学も昔からよく詐欺の温床になっている。永久機関が本当にできると信じて出資し、金をどぶに捨てた人は大勢いる。トルマリン、タキオン、マイナスイオンなどのありもしない効果を信じて、どれだけの消費者が金を浪費したか。
 もちろんユダヤ陰謀論などは、特定の民族への憎悪を煽るヘイトスピーチだから、ストレートに危険である。
 だからこうした話題を笑って楽しむのはいいけど、真剣に聴かない方がいい。懐疑的に、笑いながら聴くのが一番である。

 abさんはこうも書いている。


単に書き手の無知や間違いを指摘したいだけなら、本人に直接言うなり手紙やメールを出すなりすれば済む事。

 abさんが本気でこんなことを信じておられるのだとしたら、「人がいい」「現実を見ていない」としか言いようがない。
 僕が『トンデモ本の世界』の、それも最初に紹介した矢追純一『ナチスがUFOを造っていた』の項で、こう書いていたのをお忘れなのだろうか。


 ベテランUFO研究家の高梨純一氏は、矢追スペシャルが放送されるたびに、内容の間違いを指摘した手紙をマスコミ各社に送りつけているという。その熱心さには頭が下がるが、効果があるようにはみえない。(後略)

 そう、どんなに間違いを指摘されても、矢追氏はデタラメな番組を作ることをやめはしなかった。
 矢追氏だけではない。『トンデモ本の世界』の「清家新一」「コンノケンイチ」などの項を読み直してほしい。彼らが批判に対して耳を傾けなかったことがお分かりだろう。僕も一度、清家新一氏に手紙を出し、間違いを指摘したことがあるが、無視された。小石泉氏に送った手紙は受け取り拒否されて戻ってきた。
 副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』という本もそうだ。僕は『人類の月面着陸はあったんだ論』の中で詳しく取り上げたし、他にも副島氏の説の間違いを指摘している人は大勢いた。だが、副島氏はそれらの膨大な反論をすべて無視した。
『人類の月面着陸は無かったろう論』の中にはこう書かれている。


 だからここではっきり書いておく。もし私の主張が明白に間違いで、アポロ11号の飛行士たちが月面に着陸していたことの明白な証拠が出てきたら、その時は私は筆を折る。もう二度と本を書いて出版することをしない。これだけの深い決意で私は本書を書いた。本当の人生の一本勝負である。(295ページ)

 しかし、副島氏は2016年現在、まだ本を出し続けている。してみると、いまだに自分の主張が間違いだとは認めていないのだろう。

 トンデモ本シリーズではないが、『“環境問題のウソ”のウソ』という本を書いたことがある。ベストセラーになった武田邦彦『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の間違いを暴いた本である。武田氏が本に載せたグラフは捏造だった。本に書いてあるデータの多くも間違っているか、論理的におかしいものばかりだった。
 また武田氏は、1984年元旦の朝日新聞に「世界の平均気温が上昇すると南極や北極の氷が溶けて海水面が上昇する」という文章が載っていると主張し、「誤報」だと非難していた。だが実際にはそんな文章は存在しなかった。武田氏は僕とのメールのやり取りの中で、自分の間違いを認め、「ともかく修正の努力はします」と書いた。しかし、それから3ヶ月後に出た第10刷でも、依然として初版と同じく、「記事には『北極の氷が溶けて海水面が上がる』と書いてある」などというありもしないことが書かれていた。


 あすかあきお氏など、著書の中で批判した古関智也氏に対して訴訟を起こした。(でもって見事に敗訴)

http://www2.plala.or.jp/daisinjitu/
http://www2.plala.or.jp/daisinjitu/judg/index.html

 僕の知る限り、トンデモ本の著者で、間違いを指摘されて素直にそれを認め、自説を撤回した者は一人もいない。なぜなら──

①デタラメと知っていて商売で書いている。
②本人も完全に信じこんでいる。

 このどちらかだからだ。abさんが言うような、「本人に直接言うなり手紙やメールを出す」という行為は、無視されるだけ。まったく無駄なのである。
 もっときつい言葉で言わせてもらうなら、「本人に直接言うなり手紙やメールを出す」というのは、「間違った考えが世間に広まるのを知っていて、何もしないで見過ごす」のと同義語だ。
 著者だけに言うのではなく、もっと多くの人に、「これはおかしい」「信じちゃいけないぞ」と訴えなければいけないのだ。

 また、トンデモ説の中には、すでに害になっているものも多い。
 たとえば「東日本大震災は「ちきゅう」の起こした人工地震だ」という説は、「ちきゅう」で働いている真面目な研究者たちを「大量殺戮者だ」と言っているわけで、おぞましい誹謗中傷である。アポロ陰謀説だって、苦難を乗り越えて月着陸を達成した宇宙飛行士や、それを支えたNASAの人たちに対する中傷だ。また、「相対性理論は間違っている」という説は、素人でも気がつく間違いに科学者たちが気づいてないと主張している。つまり世界中の物理学者をマヌケだと中傷しているのだ。
 また『水からの伝言』や「江戸しぐさ」のように、教育の世界にまで食いこみ、子供たちに間違った知識を植えつけているものもある。最近では「胎内記憶」なども学校関係者の中に信奉者を広めており、不気味だ。
 abさんはこういう説に対しても、「本人に直接言うなり手紙やメールを出す」でいいと思っているのだろうか? 無辜の人に対する誹謗中傷が行なわれていても、学校で間違ったことが教えられていても、見て見ぬふりをするのが正しいと主張するのだろうか?

 また、僕は「言論弾圧をしてはいけない」と一貫して訴え続けている。たとえば『トンデモ本の世界』のあとがきではこう書いた。


 彼らの思想は間違いだらけだし、しばしば危険な内容を含んでいる。だが、決して彼らを弾圧すべきではない。弾圧は両刃の剣である。歴史を見ればわかるように、間違った思想が弾圧されるような時代では、正しい思想もまた弾圧されるのだ。言い換えれば、奇人たちがおおっぴらに活動できるということは、現代の日本がいかに自由な国であるかという証拠なのだ。

『トンデモ本の逆襲』(1996)のあとがきでは、

 トンデモ本が氾濫している状況に腹を立てる人もいる。だが、こうした本をやみくもに排斥しようとする態度は間違っている。弾圧などしてはならない。明白な実害のある場合を除いては、言論の自由は断固として保証されなければならない。
 無論、トンデモ本を批判する自由、好きな読み方で楽しむ自由もまた、保証されなければならない。それでこそ公平であり、真の言論の自曲である。

 あるいは『トンデモ本の世界T』(2004)のあとがき。

 僕は長いこと、トンデモ本の紹介を行なってきた。トンデモ本の著者の中には、ひどく間違ったことや不快なことを書く者が少なくない。しかし、僕は「彼らを世の中から排除しろ」とか「言論を規制しろ」とは言わない。たとえ自分にとって不快であっても、同じ世界に生きる以上、その存在は許容し合わないといけないと信じるからだ。「理解できない」「不快だ」というだけの理由で他人を排除し合っていたら、世界は滅びてしまう。
 例外は、人を殺したり、金を騙し取ったり、危険なデマをまき散らすなど、実際に他人に害を与えた場合である。そうした者が処罰されるのは当然だ。そうでないかぎり、彼らの言論の自由は保証されなければならない。
 もちろん、僕らが彼らを批判するのも言論の自由だし、たとえ彼らが僕らのことを不快に思ったとしても、それは許容してもらわねば困るのである。「俺は何を言ってもいいが、お前らが俺を批判するのは許さない」というのは公平ではない。
 本を書くという行為を軽く見てはいけない。僕はこうして文章を書きながらも、「間違ったことを書いて笑われるかも」という恐怖と常に背中合わせである(実際、マヌケなミスをやって笑われたことは何度もある)。冒頭の「僕はロリコンである」という文章にしてもそうで、笑われる覚悟をしたうえで、信念を持って書いている。批判されたり笑われたりするリスクを背負う覚悟のない者は、そもそも本を書くべきではない。

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」という言葉は、まことに正しいと思う。何か間違ったことを書いておいて、撃ち返されたら「撃たれた撃たれた」と騒ぐのは情けない。
  


2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・1

 先日、このブログのコメント欄に、こんな書きこみがあった。

http://hirorin.otaden.jp/e437829.html


山本さん、ツイッターで「僕はいじめ被害者だから、いじめる側の心理はわからないし、わかりたくもない」と言ってましたよね?
では、私が教えてあげましょう。あなたが「と学会」でやってた事、それ自体が「いじめ」です。

「こいつ、こんな変な本を書いてるんだぜ!」「こんな変な説を唱えてるんだぜ!」と、わざわざ商業出版本やイベントであげつらってましたよね。
単に書き手の無知や間違いを指摘したいだけなら、本人に直接言うなり手紙やメールを出すなりすれば済む事。
なのにあなたはそうせず、不特定多数が読む本で「バカらしい」「アホかほんま?」「無知としか言いようが無い」って何回書きましたっけ?

それどころか、大賞をくれた事を本心から感謝して礼状をくれた三上晃さんのことも、その文面を晒しものにして更なる笑いものにしてましたよね。

断わっておきますが、私もいじめの被害にあった事はあります。重度知能障害者の妹をネタにされてね。
靴にガムを入れられるなんて生易しいぐらいのいじめにあいました。
とはいえ、私は山本さんと違って諦めたりせず、罵倒を録音したり証拠を揃えたりしてマスコミに送りつけ、いじめっ子をきっちり叩き潰しましたけど。

そんな私から見て、あなたがと学会でやってきた事は、立派に「いじめ」です。
相手に反撃できないところから、仲間内で「あいつ変なこと言ってるぜ!みんなも見ろよ、面白いぜ!」と騒ぐのは、普通にいじめですな。
それをネタに本を出して金稼ぎに利用してた分、下手ないじめっ子よりタチが悪いです。
相手から直接金を奪ってない分、カツアゲをするいじめっ子よりはマシですけど。

「違う、僕がやったのはいじめじゃない」なんて言っても無駄ですよ、いじめっ子は皆そう言い訳するものですからね。

いじめってものは、「自分達と違うものを排除したい」「群れで生きていく以上、弱い者は邪魔になる」という本能から来るものです。
いじめは正当なものでも不当なものでもありません。
いつでもどこでも誰でも、加害者にも被害者にもなり得るものに過ぎないのです。
山本さんだって私だって、いつまた被害者になるかも、逆に加害者になるかもわからないのです。

いい加減に「自分はいじめの被害者」といつまでも言い続けるのはおやめになる事です。
あなただって、似たような事をやってたんですから。

 ちょっと前にもツイッターで同じようなことを言っている人を見かけた。どうも、僕やと学会について同様のイメージを抱いている人は多いらしい。いい機会なので、そういう人たちにまとめて反論しておきたい。

 実は、「弱い者いじめはよくない」という批判は、1995年、最初の『トンデモ本の世界』を出した時からすでにあった。それに対し、僕は翌年(今から20年も前である)の『トンデモ本の逆襲』のあとがきで、こう反論している。


 第一に、トンデモの勢力は決して「弱い者」などではない。『トンデモ本の世界』でも紹介したように、宇野正美、深野一幸、五島勉といった人たちの本は、いずれも大手の出版社から発売され、何万部、時には何十万部も売れているのだ。すなわち、「世界はユダヤ秘密結社に支配されている」とか、「太陽は熱くない」とか、「一九九九年に人類は滅びる」などと信じる人が、現代の日本に、何万、何十万という単位で存在しているということなのである。
 物理を知らない素人が「相対性理論は間違っている」と主張する本が、何万部も売れている。それに対し、まともな物理学者が相対性理論の正しい解説書を書いても、その五分の一も売れるか怪しい。万葉集は朝鮮語で読めるとか、日本人の先祖はユダヤ人だといった本もよく売れるが、まともな言語学や歴史学の本がそんなに売れることはない。常識的な説よりも、奇説を唱える本のほうがよく売れる傾向がある。多くの大衆は明らかにトンデモ本のほうを支持しているのだ。
 いったいどっちが「弱い者」なのか?
 無論、小さな出版社から細々と本を出している人もいる。しかし、彼らも決して孤立しているわけではない。その思想は多くの場合、長い歴史を持つほかのトンデモ思想と密接に関連しており、いわば大きなトンデモ勢力の裾野に位置しているのである。
 第二に、我々はこうした本を弾圧しようなどと思っているのではない。憎んでいるのなら、こんなに情熱をこめて本を収集できるわけがない。むしろ逆で、こうした奇妙な本を愛し、その奇想を楽しんでいる。そして、この楽しさをもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているのだ。世の中には、学校では教えてくれないこと、教科書や百科事典には救っていないことがたくさんある。大きな影響力を持ちながら、これまで注目されたことのなかったそうしたサブカルチャーにスポットを当て、その面白さを天下に知らしめたい──それが本書の意図である。

 ちなみに『トンデモ本の世界』で取り上げた本の著者には、他にも矢追純一、関英雄、竹内久美子、糸川英夫、あすかあきお、ドクター中松、大槻義彦などの有名人がいる。宇野正美氏のユダヤ陰謀本や川尻徹氏のノストラダムス本が、よく売れていて版を重ねていたのも事実だ。まして、古代帝國軍総統・万師露観氏など、誰がどう見ても「弱い者」ではあるまい。
 abさんがこうしたメジャーな人たちをみんな無視し、僕がいじめたという「弱い者」として、三上晃氏の名前しか挙げていないのは興味深い。五島勉氏や矢追純一氏らの名前を挙げたら、自らの論旨が崩壊してしまうことに気づいているのだろう。
 基本的な知識を解説しておく。本が出版された時に著者に入る印税は、定価×発行部数の10%が普通。つまり1000円の本が増刷を重ねて10万部出版されれば、著者には1000万円が支払われるわけである。(厳密には源泉徴収されるので、これよりも少し少ない)
 五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』の公称発行部数は250万部、初版の定価は680円だったから、五島氏はこの1冊で約1億7000万円の収入を得たはずである。その後も『大予言』シリーズの続編やタイトルに『ノストラダムス』と書いている本を14冊も出していて、発行部数の総計は600万部を超えている。
 abさんは僕を「それをネタに本を出して金稼ぎに利用してた分、下手ないじめっ子よりタチが悪いです」と非難する。しかし、トンデモ本の著者たちがデタラメな内容の本を書いて大金を稼いでいることについては、なぜか目をそむけている。

「でも三上晃氏が弱者なのは事実だろう!?」と反論されるかもしれない。確かにその通り。しかし、僕らが弱者だけを狙って批判していたわけではないのも、明白な事実だ。
 僕は『トンデモ本』シリーズで取り上げる際、相手が有名人だろうと無名の人だろうと、金持ちだろうと貧乏だろうと区別しなかった。無名の人だから手を抜くなんてことはしたくなかった。
 また、abさんは僕がこういうことを書いていることは知らなかったようだ。『トンデモ本の逆襲』の「長いあとがき」である。(『逆襲』は読まなかったのかな?)


 どうか誤解なさらないように、催は三上氏が嫌いなわけではありません。それどころか、文章からにじみ出るお人柄にとても好感を抱いています。まだお会いしたことはありませんが、きっといい人に違いないと確信しています。実際、三上氏に会った人は口を揃えて「いい人だ」と言っておられます。
 三上氏を取材したある方の話によれば、三上氏はと学会が送った「日本トンデモ本大賞」の賞状をとても大事にされており、嬉しそうに見せびらかしておられたとのこと。お送りした甲斐があったと、僕は心の底から喜んでいます。
 ただ、「いい人」=「正しい人」とは限らないところが、世の中の悲しいところであり、面白いところでもあります。
 いくら三上氏がいい人であっても、「太陽黒点は大森林地帯だ」とか「原発から来た電気は放射能を帯びている」とかいう説に対しては、僕は「そりゃ違うよね」と言わざるを得ないのです。なぜなら、ここで「そのとおりです」と言ってしまったら、嘘をつくことになってしまうからです。三上氏がどれほど真剣に研究しようと、後援会のみなさんがいかに三上氏を崇拝しようと、太陽が熱いという事実は動かせないのです。
 三上氏の誤りを指摘することが三上氏に対する侮辱になるというのなら、「現代の天文学はすべて間違っている」と主張することは、まじめに研究している世界中の天文学者に対する侮辱になるということもお忘れなく。

 また、僕がトンデモさんたちに対してどんな感情を抱いているかも示しておく。『トンデモ本の世界V』(2007)のあとがきである。

 普通の人とトンデモさんの間に明確な境界線があるわけではない。人は誰でも(僕やあなたも)、根拠のないトンデモ説にハマってしまう可能性がある。僕自身、本やネットで勉強するうちに、これまで自分が信じていたことが間違いだと知らされて驚いた経験が何回もある。おそらくあなたも、気がつかないうちに、トンデモ説のひとつやふたつは信じてしまっているはずだ。
 言うならば、僕らはみなトンデモさん予備軍なのである。

 トンデモ本研究というのは、単に間違っている人を笑い飛ばすものではないと、僕は思っている。トンデモさんたちを自分とは違う人間だと思ってはいけない。自分も彼らと同じ人間であり、いつ同じような間違いを犯すかもしれないと常に警戒しなくてはいけない。
 他の人の間違いを参考にして、他山の石とすべきなのだ。

  
タグ :トンデモ本


2015年06月12日

「山本弘が血液型性格判断を否定するのは儒教の影響だったんだよ!」(笑)

 いやあ、笑った笑った。
 この ABO FANという人物、血液型性格判断を信奉していて、以前からニセ科学批判に対してあれこれいちゃもんをつけてたんだけど、まさかここまでトンデモだとは思わなかった。

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山本弘さん ニセ科学を10倍楽しむ本《続》 [新刊情報]
http://abofan.blog.so-net.ne.jp/2015-04-21

ではなぜ、ここまで事実をねじ曲げても“血液型性格判断”を否定する必要があるのか?
その理由は、いくら科学で分析してもわかりません。
納得できる理由が見当たらず、超不思議だったのですが、最近になってやっと気が付きました。
それは、儒教の影響だったのです!

もっとも、儒教にもいろいろな学派があります。
多くの日本人の行動規範となっているのは、現在放送中のNHK大河ドラマ[TV]で吉田松陰が信奉している「陽明学」です。

ここでは、池田信夫さんの解説がわかりやすいので引用しておきましょう。

日本に輸入された官学は朱子学だったが、大きな影響を与えたのは陽明学だった。そのコアは「心即理」すなわち純粋な動機による行動は正しいという原理だ。これが日本に古事記からみられるキヨキココロの倫理と一致するのは、おそらく人類に普遍的な利他的感情を刺激するからだろう。
[http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51904631.html]

山本弘さんは、純粋な動機から「科学」を信奉しているわけで、キヨキココロを持っていると自己規定しています(私も彼の“善意”自体は否定しません)。だから、「心即理」すなわち純粋な動機によるニセ科学批判の行動――ここでは「血液型性格診」の否定――は絶対善で正しいということなのです。

逆に、「血液型性格診」を信じているような疑似科学人間は“ケガレ”に汚染されており、「差別的」で「絶対悪」なのだとなります。(笑…いや、本当は笑えないのですが)
ということなので、統計が…なんてことはゴチャゴチャ言わないで、さっさと自分の間違いを認めるべきだ、と上から目線で説教することになるのでしょう。
#統計データなんかは、「純粋な動機」に比べればごくごく些細なことです…。

こう考えると、多くの「ニセ科学批判」の行動原理が驚くほど簡単に(!)説明できます。
「ブラッドタイプ・ハラスメント」を、これでもかこれでもかと“一心不乱”に強調するように感じられるのも、そういう理由だからでしょう。彼(女)らは、“血液型性格判断”を信じているような人間は「穢れ」ており「差別的」で「絶対悪」だということを主張したいのです。極端な話、統計データや科学的な話はどうでもよく、問題なのはあくまでその人間の人格なのだ、ということになります。

我ながら、なぜこんな簡単なことに今まで気が付かなかったのでしょうか…。

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 そんなアホなことに「気が付」くのはあんただけだよ!(笑)
 儒教とニセ科学批判なんて、まったく何の関係もないだろう。もちろん僕は儒教の信奉者なんかじゃない。
 まあ、こんな風に、まったく無関係のものを「関係がある」と思いこんでしまうのが、ニセ科学信奉者の思考なんだろうな。

 ABO FAN氏は自分の文章がブーメランであることに気がついていないらしい。こんなふうに書き換えてみよう。

>ではなぜ、ここまで事実をねじ曲げても“血液型性格判断”を肯定する必要があるのか?
>その理由は、いくら科学で分析してもわかりません。
>納得できる理由が見当たらず、超不思議だったのですが、最近になってやっと気が付きました。
>それは、儒教の影響だったのです!

>ABO FANさんは、純粋な動機から「血液型性格判断」を信奉しているわけで、キヨキココロを持っていると自己規定しています(私も彼の“善意”自体は否定しません)。だから、「心即理」すなわち純粋な動機によるニセ科学批判批判の行動――ここでは「血液型性格診断」の否定の否定――は絶対善で正しいということなのです。

>こう考えると、多くの「ニセ科学信者」の行動原理が驚くほど簡単に(!)説明できます。
>「血液型性格判断」を、これでもかこれでもかと“一心不乱”に強調するように感じられるのも、そういう理由だからでしょう。彼(女)らは、“血液型性格判断”を信じていないような人間は「穢れ」ており「絶対悪」だということを主張したいのです。極端な話、統計データや科学的な話はどうでもよく、問題なのはあくまでその人間の人格なのだ、ということになります。


 そう、ABO FANによるニセ科学擁護こそ、まさに儒教の影響である! と結論することも可能なのである。(もちろん僕はそんなこと信じてませんよ。念のため)


 前半部分の彼の主張にも反論しておこう。彼は『ニセ科学を10倍楽しむ本』を読んだと主張しているが、内容を大幅に歪曲して紹介し、ブログの読者を騙している。

>彼は、否定の根拠として、心理学者である松井豊さんの研究結果を紹介していて、4年間で1万人のデータでも「差がない」ことが有力な理由としています。しかし、面白いことに、データに「差がある」という真逆の結果が出た(!)論文も読んでいるのです。

 ちっとも「真逆の結果」なんかではない。確かに有意な結果は出たが、4年続けて有意な結果が出たのは24項目中1項目だけであることを、5ページもかけてちゃんと説明している。(文庫版193-197ページ)
 さらに血液型性格判断信奉者の青葉ちゃんに、「少なくとも、差はあるってことじゃない」とも言わせている。(198ページ)
 また、松井豊氏のこんな言葉も引用している。

> 松井さんは言う。
>「血液型と性格・気質に関連があるとする考えは根拠が薄い。もし関連があったとしてもそれは極めて弱くて、『何とか型の人はこうだ』などと個人に当てはめることは不可能なレベルのものです」(199-200ページ)

 また、松井氏の研究で項目の一つに有意な結果が出たことについても、このように説明している。

>夕帆「そうか。松井さんの研究で、『物事にこだわらない』という項目に『はい』と答えたA型の人が少なかったのは、もしかして、回答者の中に血液型性格判断を信じていた人が何パーセントかまじっていたから?」
>パパ「その可能性はあるよね。何にしても、血液型と性格の間には関係はないか、あったとしても、すごく微妙な差だってことだよ」

 そう、血液型と性格の関係は、あったとしてもとても小さいもので、松井氏が言うように、「『何とか型の人はこうだ』などと個人に当てはめることは不可能なレベル」なのだ……というのが僕の主張である。
 ABO FAN氏はこんなことも書いている。

>200ページには『お茶の水女子大の講師坂元章さんも同じような研究をしていて「血液型と性格には、世間で考えれるほどの関係はなく、人間関係をスムーズにするといった実用的な応用に使える素材ではありません」とコメントしている。』とあります。
>さっと読み流してしまうと何も感じませんが、実はこの研究報告には「血液型と性格の自己報告との間の相関は、弱いが認められた」と書かれています。
>つまり、弱いが「関係はある」という結果が出ているのです!


「相関は、弱いが認められた」という部分を鬼の首でも取ったかのように自慢しているが、もちろん、賢明な読者の方なら、彼がひどい誤読(または歪曲)をしていることがお分かりだろう。
 坂元氏の言う「世間で考えられているほどの関係」「人間関係をスムーズにするといった実用的な応用に使える素材」というのは、まさに血液型性格判断のことなのである。
 つまり血液型性格判断を支持するどころか、真っ向から否定する内容なのだ。

>しかし、山本さんは、
>1) 坂元章さんのサンプルは3万人であり、松井豊さんの1万人の3倍である
>2) 坂元章さんは「差が出る」と言っている
>といった事実は全く無視するといった、意図的な“隠蔽工作”をしているのです。


 いったい意図的な“隠蔽工作”をしているのはどっちなのか。
 ABO FAN氏は、松井氏や坂元氏の研究が血液型性格判断の正しさを証明しているかのように偽っている。
 僕が長谷川芳典氏(岡山大助教授)や、原野広太郎氏(筑波大助教授)、大村政男氏(日本大学文理学部教授)らの研究を紹介していることを隠している。(200-201ページ)
 また、彼ら全員が血液型性格判断を否定する結論を出していることも隠している。
 さらに僕が血液型と性格の関係を全面否定しているかのように偽っている。
 これが“隠蔽工作”以外の何だというのだ?


 もう20年ぐらい前、パソコン通信で、血液型性格判断の信奉者と議論したことがあるが、その時も相手の頑固さに手を焼いた。
 そいつは前述の松井氏の研究に「こんなアンケート調査では不正確な結果しか出ない」といちゃもんをつける一方、能見氏の本のアンケートを元にした調査(『ニセ科学を10倍楽しむ本』210-211ページ)を、「これでも正確な結果が出るはず」と擁護していた。
 彼にとっての「正確な結果」とは「血液型性格判断を支持する結果」、「不正確な結果」とは「血液型性格判断を支持しない結果」であるらしい。

 僕はこの時、こんなことを言ったと記憶している。

 将来、宇宙人が地球を訪れ、地球外知性体の実在が証明されたとしても、ジョージ・アダムスキーが正しかったことにはならない。
 同様に、将来、血液型と性格の間に何らかの関係があると証明されたとしても、能見正比古が正しかったことにはならない。

 この「アダムスキーの比喩」は、おそらくABO FAN氏にはまったく理解できないだろう。
  


2014年10月25日

ムー愛読者はと学会を経てネトウヨになる?

 ものすごくひどい文章を読んでしまった。

ムー愛読者はと学会を経てネトウヨになる?
http://togetter.com/li/721401

>最近は、ムー愛読者→と学会→ネトウヨというコースの中で、と学会の人気がないので、ムー愛読者→放射脳叩き→ネトウヨ がトレンド。

>ムー愛読者→と学会→ネトウヨが、保守本流。自民党でいえば、自由党系の宏池会と木曜倶楽部
>紺碧の艦隊とかの仮想戦記愛読者→陰謀論→ネトウヨ が、保守傍流。自民党でいえば、民主党系の清和会とか番町研

>昔からネトウヨと喧嘩しまくってたクラスタからは、3•11のあと、反原発になった人もいれば推進派も出た。しかし共通して、「放射脳を笑わない」「放射脳叩きにこそ警戒する」という立場だった。昔からネトウヨと喧嘩してた人が、「如何に、と学会がネトウヨインキュベーターか」を知ってたから。

>と学会系、スケプティック系、SF系オタクは視野が狭いのですぐ釣りに引っかかる。歴史問題でもある細かい事実が本当かどうかってことにしか関心がないから、すぐネトウヨ化する。

>山本弘や菊池誠や「と学会」の連中、Twitterその他に散在する反・反原発の連中にとっての反原発運動家というのは、たぶんネット右翼や在特会にとっての朝鮮人や中国人と全く同じような存在になっているんだろうね。「反原発運動家」が日本を支配しているとのトンデモ認識に陥っているんだろう。


 えー、ものすごくツッコミどころだらけで、いったいどこからツッコんでいいやら(笑)。でも、こういうデマはきっぱり否定しとかなきゃいけないだろうな。
 まず基本的なことから。僕はもう半年近く前、と学会辞めてます。まあ、そのへんは単なる情報不足だろうからいいとして。

「ムー愛読者→と学会」とか「と学会→ネトウヨ」なんて流れは聞いたことがない。いや、中には稀にそういう人もいるかもしれないけど、決して「トレンド」「本流」なんかじゃない。

・そもそも僕は『トンデモ本の世界R』で『戦争論』を批判したことで、2ちゃんねるとかではサヨクとみなされているのだが(笑)。(バランスを取るために、左翼系のトンデモ本『買ってはいけない』と並べたんだけど、そういう配慮には気がついてもらえなかった)

・これも前から何度も公言しているが、僕は反原発派である。原発はこれ以上増やすべきではないし、時間をかけて代替エネルギーに転換していかなくてはならないと思っている。

・しかし同時に、差別に対して強い嫌悪も抱いている。だから福島差別を助長し、福島の人たちに迷惑をかけている放射能デマは絶対に許せない。

「放射脳を笑わない」というのもおかしい。誰であれ、あまりにも間違ったことを主張したら、笑われるのは当たり前だ。間違ったことを擁護するのは間違いだ。繰り返すが、放射能デマというのは差別デマであることを認識すべきである。

・2013年の『タブーすぎるトンデモ本の世界』でも、僕は在特会を批判し、嫌韓レイシストたちのデマの数々をあげつらっている。その一方で、いわゆる「放射脳」の人たちのデマも取り上げて、「嫌韓と放射能は似ている」と論じている。

・僕以外の著者も同じで、個々の原稿は右寄りだったり左寄りだったりもするが、全体としてどっちの思想にも肩入れしていないはずである。だから「と学会→ネトウヨ」なんてのは事実無根だ。

・そもそもと学会というのは、本職の占い師も神主も科学者も朝日新聞の記者もいて、思想なんかばらばら。全体としてのイデオロギーなんかない。だから「と学会」とひとくくりにして論じること自体が間違いだ。

「ムー愛読者→放射脳叩き」というのは、もっと分からない。「放射脳」というのは科学や統計を無視して放射能を恐れる人たちであり、当然、それを批判しているのは科学や統計を重視する人たち。でも『ムー』愛読者って、まともな科学から最も遠いところにいるんじゃないのか?

「紺碧の艦隊とかの仮想戦記愛読者→陰謀論」というのも無理がある。確かに『紺碧の艦隊』は陰謀論だけど、仮想戦記のすべてがそうじゃないでしょ?

「「反原発運動家」が日本を支配しているとのトンデモ認識に陥っている」者なんてどこにいるんだろう? むしろ反原発運動は今の日本ではマイナーで肩身が狭くなっているというのは、多くの人の共通認識ではないのかな?

・なぜ肩身が狭くなったかというと、「放射脳」の人たちがあまりにもアホな主張をばらまきまくったせい、というのが僕の印象。だからこそ、反原発運動は「放射脳」を排除しなくてはいけないと思っている。放射能デマは福島の人を苦しめるだけでなく、反原発運動にとっても有害だから。

「と学会系、スケプティック系、SF系オタクは視野が狭い」というのも、ひどい差別意識だ。「細かい事実が本当かどうかってことにしか関心がないから、すぐネトウヨ化する」というのも、どういう論理なんだ? さっぱり分からん。

・これではまるで「細かい事実が本当かどうか」気にするのが悪いことのようである。もちろん、気にした方がいいに決まっている。むしろ事実がどうなのか確認しようとしない者こそ、嫌韓デマにひっかかるんじゃないのか?

 今回、このtogetterで僕がショックを受けたのは、「レイシストをしばき隊」を結成した野間易通氏がkdxだったと知ったことである。恥ずかしながら、これ読むまで知らなかったのだ。著書は読んだことあるのに。
 いやー、『「在日特権」の虚構』(河出書房新社)はけっこう面白い本だと思ったんだけどねえ。正体がkdxだと知って印象が変わっちゃったわ(笑)。

 kdxは2009年ごろにmixiの「懐疑論者の集い-反疑似科学同盟」コミュに現われた。しょっちゅう他人の揚げ足ばかり取っていて、すごくうざかったのを覚えている。本当にどうでもいいことに難癖つけたり嘲笑したりするのだ。僕も何度もからまれた。
 それも誰かが発言すると、数分とか十数分のタイムラグですかさずレスをつけてくるんである。昼も夜も。mixiに四六時中貼りついて、こまめに発言をチェックしているとしか思えない。本人は「自由業」だと主張してたけど、mixiに貼りついていられる自由業って何だよ(笑)。
 その後、僕は嫌になって、「懐疑論者の集い」コミュからしばらく離れていた。何か発言するたびにkdxがいちいちしょうもないいちゃもんをつけてくるのが、鬱陶しくてしかたなかったからだ。

 で、僕が何がいちばんショックだったかって、彼の「と学会系、スケプティック系、SF系オタクは視野が狭い」「すぐネトウヨ化する」という発言である。
 あれだけ「懐疑論者の集い」コミュで頻繁に発言していたのに、彼は結局、僕のことも、と学会のことも、懐疑主義という概念も、まったく理解していなかったのだ。 おそらく最初から懐疑論者やオタクに対して嫌悪を抱いていて、けなしたくて乗りこんできただけだったんだろう。
 彼の頭の中では、「放射能デマを叩く者=ネトウヨ」という単純な図式なんだろう。僕みたいに、反原発で反差別でありながら、放射能デマを叩くというスタンスが理解できないんだろう。
 彼は在特会と戦っていながら、自分自身が差別意識を持っていることを認識していないように思える。

 繰り返す。間違ったことを主張したら、批判されたり笑われたりするのは当たり前だ。右だろうと左だろうと。
 だから僕は、レイシストが流す嫌韓デマも叩くけど、こういうデマも叩くよ。これからも。
  


Posted by 山本弘 at 16:58Comments(61)トンデモ差別問題

2014年10月06日

原田実『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』(星海社新書)



 これも著者の原田氏よりの献本。ありがとうございます。

 公共広告機構のCMで使われ、最近では学校教育や社員研修でも使われるようになっている「江戸しぐさ」。 原田氏はそれがいかに歴史的にデタラメかというだけでなく、それがどうして生まれ、拡散していったかを検証している。
「江戸しぐさ」の中には、ちょっと考えるだけで「おかしい」と分かるものがある。電話のなかった時代なのにアポなし訪問がマナー違反だとされていたり(どうやってアポ取るんだ)、腕時計のなかった時代に約束の時間の5分前に到着するのがマナーだったとか(どうやって知るんだ、その「5分前」を)。
 他にも、江戸の庶民がかき氷やバナナやチョコレート入りパンを食べていたという、歴史に詳しくない人間でも「そりゃありえないだろ!」とツッコミたくなる記述が多数。
 しかも、それがなぜ後世に伝わらなかったかというと、明治政府が「江戸っ子狩り」を行なって江戸っ子を大虐殺したからだという(笑)。

 こんなバカ話でも、少数の人間が信じているだけなら実害はない。しかし、教師の中にも信じる者がいて、事実として学校で子供たちに教えられているというのだから、笑いごとでは済まされない。

【実例】
http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/10653
http://www.tos-land.net/teaching_plan/contents/16668

 知れば知るほど、水伝(『水からの伝言』)との共通点を感じる。あれも、どう考えてもありえない話が、「いい話だから」という理由で教育者に信じられ、一部の学校で道徳教育に取り入れられたのだった。
 個々のマナー自体は、確かにいいことを言っている。でも、だったら普通に「傘のしずくが横の人にかからないように気をつけましょう」とか「電車では席を詰めましょう」とか、マナーを教えればいいだけのことではないか。歴史的にデタラメなことを子供に教える必然性がどこにあるのだろう。
 僕は以前、『ニセ科学を10倍楽しむ本』の中で、水伝についてこう書いた。


パパ「道徳も大事ですけど、学校の先生の仕事は、子供に正しいことを教えることではないのですか? 事実ではないことを事実のように子供に教えるなんてことが、あっていいはずがありません。
 たとえばイソップ童話の『ウサギとカメ』のお話をして、『なまけているとほかの人に追い抜かれるかもしれませんよ』とか、『たとえ歩みはのろくても、努力を続ければ最後には勝つんですよ』と教えるのはかまいません。童話というのはただのお話で、事実じゃないことは、子供でもわかりますからね。
 でも、『ウサギとカメが競走したらカメが勝ちます。これは科学的事実です』と教えたらだめでしょう? だって、本当に競走したら、カメは絶対にウサギに勝てませんよ(笑)」
先生「それはたしかに……」
パパ「道徳を教えるなら、それこそ童話や小説でもいいじゃないですか。事実ではないものを事実だと言う必要が、どこにあるんですか? 『道徳のためならウソを教えてもいい』なんて考え方は、それこそ道徳的じゃないでしょう?(後略)

 この文章はそっくりそのまま、「江戸しぐさ」にも当てはまる。
  


Posted by 山本弘 at 10:54Comments(40)トンデモ最近読んだ本

2013年06月11日

第22回日本トンデモ本大賞決定!

 遅くなりましたが、6月8日(土)、お台場カルチャー・カルチャーで開かれた「2013年度日本トンデモ本大賞」の結果を発表します。
 以前、SF大会の企画としてやっていた頃を別にすれば、今回はこれまでのトンデモ本大賞では最も収容人員の少ない会場でした。反面、お台場のおしゃれなお店ということで、ゆったりと楽しめて、参加者の評判は良かったようです。
 ユーストで中継されていて、当初はネットからの投票を1%=1票として計算する予定だったのですが、ネットでの投票者の数が100人に満たず(笑)、急遽、1票を1票として計算することになりました。
 結果は以下の通り。

●アセンション連合編『エナジーバンパイア撃退ハンドブック』(ヒカルランド)
(会場9票+ネット2票=11票)
●飯島秀行『ぜんぶ実験で確かめた 宇宙にたった1つの神様の仕組み』(ヒカルランド)
(会場29票+ネット11票=40票)
●苫米地英人・本橋信宏『ドクター苫米地が真犯人を追う! 11大未解決事件』(宝島社文庫)
(会場12票+ネット2票=14票)
●ポストメディア編集部編『お城でBL』(一迅社)
(会場55票+ネット19票=74票)

 というわけで、第22回のトンデモ本大賞は『お城でBL』に決定しました。
 俗に「歴女」と呼ばれる歴史好きの女性向けのBLものは、同人誌などでけっこうあるのですが、これは歴史上の「城攻め」を題材にしたBL小説(+イラスト)のアンソロジー。城を擬人化、それを攻める(責める)武将との濡れ場が描かれます。
 表紙の帯のコピーは、

 どうした?
 お前の城門から、大事な
 天守閣が丸見えだぞ?


 これ考えた人、天才だと思います。
 中身もすごくて、
「ほら見ろ、お前の身体は俺の指を覚えているようだ。こんなにもやすやすと反応して、いやらしい城だな」(徳川家康×大阪城)
「滑らかな曲線。何者をも寄せ付けないお前の武者返しが、今、俺の手中に……」(島津義弘×熊本城)
「言葉では嫌がっていても、身体は素直だな。お前は、見た目ばかりで誰にでも体を開くような淫らな城なんだ」(明智光秀×安土城)
 といった、しびれる台詞が頻出します。
 その他にも、島津義弘×熊本城、豊臣秀吉×小田原城、板垣退助×会津若松城、武田勝頼×長篠城、織田信長×一乗谷城、小早川秀秋×伏見城、北条治時×千早城、黒田清隆×五稜郭などなど、カップリングはいろいろ。石田三成による忍城の水攻めは、昨年、映画にもなりましたね。
 いちおう史実にはけっこう忠実で、それぞれの城の図なども入っており、歴史の勉強にもなる……かもしれません。
「作者の意図通りに楽しめるのだからトンデモ本とは言えないのでは?」という声もあったのですが、発想のぶっ飛び度や、それを手を抜くことなく大真面目に一冊の本に仕上げた努力、それに何よりBL趣味のない人でも楽しめるという点で、立派にトンデモ本大賞の資格はあると思います。
 これから高校2年で日本史を学んでいるBL好きの娘に読ませて、感想を聞いてみようと思ってます。



 他のノミネート作もご紹介します。

『エナジーバンパイア撃退ハンドブック』を作ったアセンション連合は、「地球の内外を問わず、地球のアセンションを推進するメンバーで構成されている」そうです。
 本書はタイトル通り、人間の姿をして他人のエネルギーを吸い取るバンパイアの行動や、それにどう対処すべきかをレクチャーする本。電車の中で、職場で、街中で、家で、エナジーバンパイアはあなたに接近し、体に触ってきたり、見えない触角を伸ばしてきたり、はたまた長時間の愚痴を聞かせたりして、エネルギーを吸い取るのです。
 エナジーバンパイアに狙われやすい人は、奉仕関係の仕事をしている人、自己犠牲の精神が旺盛な人、同情心が強い人、母性の強い人など。逆に狙われにくいのは、自分本位な人だそうです。また、足の不自由な人の中には健康な人間のエネルギーを吸い取ろうとするバンパイアがいるとか、身体が不自由になるのは前世のカルマによるもので、それを肩代わりしようとするのは善行ではない、といったことも書かれています。
 ……この本の指示通りにする人間ばかりになったら、世の中はすごく住みにくくなる気がします。


『ぜんぶ実験で確かめた宇宙にたった1つの神様の仕組み』はフリーエネルギー研究家の方が書いた本。
 いきなり第1章の最初のページから、「発酵とは宇宙の物質すべてのことを示します」「放射性セシウムも発酵させると簡単に変化します」という記述に仰天します。この方の主張によると、発酵とはプラスとマイナスの物質を混ぜて圧力をかけ、空気を送りこむことであり、洗濯も発酵だし、「食事の後の食器洗い、掃除、鉛筆で紙に字を書く、絵を描く」といった行為も発酵なのだそうです。僕らの知っている発酵とはずいぶん違います。
 他にも「空気ですら、湿度という水がなければ、存在できません」「エンジンは生命である『気』が動かしている」「癌とは酸欠の状態なのです」「水素と酸素を別名、電子と原子と呼びます」「人間は鼻で空気を吸い、圧を上げ、皮膚呼吸で生きています」などなど、科学の基本原理を真っ向から否定する主張が次々に飛び出します。飛行機が飛ぶのは翼の揚力ではなく振動によるものだとか、鉄板も微生物でできているとか。
 タイトルにもあるように、いちおう実験もやっておられます。私の発明した水循環システムを使ったら緑色に濁った水がきれいになった……と、カラー写真で実験の様子が示されてるんですが、水を送りこむ時に空気もいっしょに吹きこんでますね。このへんに理由があるのかもしれません。


『ドクター苫米地が真犯人を追う!』は2009年に出た『「洗脳」プロファイリング』(宝島社)の文庫化。認知科学者(自称)の苫米地英人氏が、未解決事件の犯人をプロファイリングするというもの。しかし、以前にエヴァンゲリオンになって洗脳から身を守る本(『洗脳護身術』)を書いた人ですから、ただのプロファイリングとはわけが違います。
 釈迦になるのです。
 自我を無くして釈迦のようになることで、普通の人間には見えないものが見えて来るんだそうです。
 これでもまだ苫米地氏のプロファイリングが当たっているなら評価もできるんですが、明らかに変です。
 たとえば平成12年の亀戸女流漫画家殺人事件。「漫画家」といっても同人漫画家なんですが、苫米地氏はこの被害者の顔写真を見て「M女ですね」と断定します。顔を見ただけでSかMか分かるらしいです。そのうえ、被害者がBL漫画を描いていたことから、同性愛者だと断定します。
 いや、BLの好きな女性って、基本的にヘテロですよ?
 苫米地氏は「やおい」という言葉も知らないほど、このジャンルに無知。それでまともなプロファイリングなんかできるはずもありません。
 そればかりか、被害者が漫画を描いていたというだけの理由で、統合失調症だと決めつけます! おいおいおい! 漫画家は全員、統合失調症かい!
 この他にも、容疑者や被害者の顔だけ見て決めつけたり、現場を訪れて分かるはずのない犯人の心理を長々と述べたりします。もちろん、どの事件も未解決なので、当たってるかどうか不明。『FBI超能力捜査官』や『TVのチカラ』に出てきた霊能者のやってることと変わりません。


 他にも、昨年の受賞者ということでノミネートからはずしたのが、泉パウロ『地球ファシズムへの策謀 3・11人工地震でなぜ日本は狙われたか[IV] すべてを暴露する「イルミナティカード450枚」の人工予言+完全解析』(ヒカルランド)。長いよ!(笑)
 タイトル通り、今回は「イルミナティカード」を取り上げてるんですが、泉氏はいまだに『Illuminati: New World Order』のルールも知らないもんで、カードに書かれている説明の意味が理解できず、とんちんかんな解釈をしています。また「1995年に発売されてすぐ発売禁止になった」などと、ベンジャミン・フルフォードの間違った解説をいまだに信じてたりします。せめてスティーブ・ジャクソン・ゲームズのサイトぐらい読めよ……と思ったんですが、もしかしたらこのゲームを作っている会社の名前すら知らないのかもしれません。
 他にも基本的な無知がいろいろ。Science Fiction Fansを「科学フィクションファン」などと訳す人は久しぶりに見ました。今どき言わないよなー、「科学フィクション」なんて。
 ちなみにニーヴン&パーネルの『悪魔のハンマー(LUCIFER'S HAMMER )』は、タイトルだけを見て「まったく読む気がしません」が、「きっとメーソン作家が御用学者の教理に基づいて書いたものなのでしょう」と妄想しています(笑)。まあ、原発を支持する内容ではありましたけどね。
 他にも、宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』は人工噴火や人工降雨を予言していてフリーメーソンの犯行予告だとか、小松左京『首都消失』も陰謀だとか、『銀河鉄道999』はひっくり返すと666になるとか、「嵐」のメンバーの5人(松本潤、相葉雅紀、櫻井翔、大野智、二宮和也)の頭文字を並べるとMASONになるとか、いろんな陰謀論が紹介されています。この世にフリーメーソンの陰謀でないものは何もなさそうです。
 いちばん笑えたのは、272~274ページ、泉氏がフリーメーソンだと確信している『ワンピース』の作者の尾田栄一郎氏へのインタビューを敢行するくだり。とは言っても、実際に行ったわけじゃなく、すべて妄想です。ここはぜひ、書店で立ち読みでもいいから読んでください。悶絶しますから。
 他にも著者の若い頃の話もいろいろ書いてあるんですが、神社で賽銭泥棒をやったとか、右翼のバスに放火したとか、フィリピンでマリファナをやってバッドトリップしたとか、昔はかなり無茶苦茶やってたみたいですね。
 19歳で改心してクリスチャンになるんですが、いきなり実家にあった神棚と仏壇をばらばらにして燃やしてしまい、お父さんに怒られたとか。やることが極端です。

  


Posted by 山本弘 at 18:54Comments(20)トンデモ

2012年08月16日

コミケにトンデモさん襲来

 コミケ最終日。ブースに来ていただいたみなさま、ありがとうございました。

 唐沢俊一氏のブースで偽札が見つかったとかで騒ぎになっていた。カラープリンタで作ったらしい偽1000円札で700円の本を買っていった奴がいたんだそうだ。
「『低額紙幣で偽札を作っても割に合わない』という常識の裏をかいた犯罪」(笑)という説もあるけど、たった300円のお釣りと同人誌1冊を騙し取るために、無期又は3年以上の懲役(刑法第148条)の危険を冒すって、あまりにもバカすぎる。
 たぶん愉快犯だと思うけど、「軽いいたずらだから捕まっても軽い刑で済む」と勘違いしてたんだろうという解釈に一票。何にしてもバカ。

 僕のところにも変な奴が来た。閉会まで1時間を切ったあたりで、売れ残りを家に送り返そうと箱に詰めてたら、「山本さんですか」と話しかけてきた男がいたのである。
 話を聞いて、すぐに思い出した。彼のことは昨年、『トンデモ本の世界X』(楽工社)のあとがきで取り上げたことがある。

 二〇一一年四月、僕のブログに長文のメッセージが書きこまれた。ひどい内容なので速攻で削除したのだが、あまりにバカバカしくて笑えたので保存しておいた。
 その人は『まどか☆マギカ』の四話と五話だけ(ちょうどストーリーの山場の間の、やや中だるみしていた時期だ)を見て駄作だと決めつけ、こんな作品がヒットするなんてあるわけがない、これは製作会社のシャフトの陰謀だと主張していた。本当はヒットなどしておらず、ネットの評判はみんなシャフトの工作員が書きこんだもので、DVDの売り上げの数字なども操作されているというのだ。
 もちろん、ネット上にあふれかえっている賞賛の声を見れば、実際に『まどか☆マギカ』に多くのファンがいるのは歴然としているのだが。
 その人は「もちろん、確実な証拠もないので推測の域を出ませんが、自分的には確実にシャフトの工作があると思っています」と書いていた。確実な証拠がないのに確実だと信じるというのは、まさに妄想である。
 この人と同一人物かどうかは分からないが、以前にも似たようなメールが来たことがある。そちらは『こち亀』陰謀論。秋本治『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の連載がいつまでも終わらないのはおかしい。あれは連載を終わらせないため、作者が自分で単行本を買い占めて、売れているように見せかけているに違いない……と真剣に主張していた。
 作者が自分で本を買い占め(笑)。そんなバカなこと、誰がやるものか。一冊出すたびに何千万円という赤字になるではないか。
 ははあ、陰謀論というのはこうやって生まれてくるのだな……と僕は大笑いしつつも納得したものである。


 やって来たのは、その『まどマギ』陰謀論を唱える人物(以下、Bという仮名で表記する)だった。1年以上前に僕のブログに書きこんだコメントが削除されたのを、ずっと恨みに思っていたらしい。僕に直接、抗議に来たのだ。「あなたは卑怯だ」「あなたは卑怯だ」と何度も繰り返す。コメントに反論せずに削除したのが卑怯だ、というのだ。
 いや、明らかにトンデモなうえに、特定の団体を誹謗中傷するデマを書きこまれたら、削除するでしょ、普通?
 あまりにしつこいので、売り子をしてくれていた友人のN君が語気を強くして、「いいかげんにしなさい」と注意すると、Bは驚いた様子で、

「あのヤクザみたいな人は何ですか!? 私を脅しましたよ!」

 いやいや、彼は堅気のゲーマーだから(笑)。
 荷造りを終えて、ダンボール2箱をカートに載せ、ゆうパックの受付に向かう。ところがBはしつこく後ろについてきながら自説を喋りまくる。『まどマギ』みたいな駄作がヒットするはずがない。あの作品に人気があるなんて嘘だ。あれはみんなシャフトの工作なんだ、と力説する。
 ……思い出していただきたいのだが、ここはコミケ会場である。カタログを見ると、1日目だけでも、『まどマギ』系のサークルが160以上あることが分かる。3日目もあちこちで同人誌を売っていたし、まどかやさやかやマミのコスプレをしている人とも何度もすれ違った。昨年よりは少なくなっているものの、番組終了して1年以上経つのに、まだ人気が持続していることが如実に分かる場所なのだ。
 しかしBには、自分の周りにあるその現実が見えていないらしい。
 Bは、僕がブログで『まどマギ』を絶賛したのがどうしても許せないようだ。どうも僕がシャフトから金を貰って宣伝工作をしていると疑っているらしいのだ。

「あのねえ。『まどマギ』を褒めてる作家って僕だけじゃないんですよ。あの作品は日本SF大賞の候補になったの。授賞は逸したけど、宮部みゆきさんたちが絶賛してたんですよ」
「それはそう言わないと危険な状況に追いこまれてたんですよ!」

 何だよ危険な状況って!?(笑)
 ちなみに日本SF大賞の選評は『読楽』(徳間書店)2012年2月号に掲載されている。そこから選考委員が『まどマギ』に言及した部分を抜粋してくださっている方がいるので、参考にしてほしい。

人気作家たちによる、「魔法少女まどか☆マギカ」の感想色々
http://alfalfalfa.com/archives/5127491.html

 中でも特に、宮部みゆきさんが熱く語っているので抜粋しよう。

 十二話で構成されているアニメーション『魔法少女まどか☆マギカ』は、お預かりしたときには戸惑いました。少女だった時期は遥かに昔、五十路に入って、しかもアニメ作品には疎いこの私が、今さら魔法少女についていかれるものだろうか。
 いざDVDを観始めたら、そんな戸惑いは吹っ飛んでしまいました。映像のクオリティに驚き、一話目で早々と登場する〈魔法の結界〉のイメージの奇抜さと美しさに目を瞠り、二話、三話と観続けるうちに、健気な魔法少女たちに魅了されてしまいました。これから観る方のために細部を記せませんが、この作品はよき企みがあるミステリーとして幕を開け、それぞれに自己実現を希う少女たちの友情物語として進行し、終盤でミステリーの謎解きのために用意されていたSF的思考が披露されるという、実に贅沢な造りになっています。
 選考会でも記者会見でも、私は「十一話と十二話でだだ泣きしました」と申し上げたのですが、後でチェックしてみたら、最初に泣けてしまったのは第七話でした。それは別に、私がかつて不器用な少女であったからではありません。「誰かの幸せを願った分、別の誰かを呪わずにいられない」。作中で繰り返されるこの言葉は、見事に人間の業を言い当てています。それが、年齢性別を問わず、観る者の心を揺さぶるのです。今回、小説の方に桁違いの傑作があったことで損をしてしまいましたが、私には忘れがたい作品でした。


 このように、みなさん高く評価している。ただ、冲方氏や豊田氏や堀氏が指摘するように、SFとしての部分が弱かったのが、受賞作(上田早夕里『華竜の宮』)に及ばなかったところだろう。
 ところがBによれば、こうしたコメントはすべて選考委員が「危険な状況に追いこまれてた」からだという。つまりシャフトから脅迫を受けて、心にもないことを無理に言わされたというのだ。
 そりゃまたすげえ影響力あるもんだなシャフト(笑)。なんかイルミナティみたいな闇の秘密結社をイメージしてんじゃないのか。
 さらにBは、『化物語』の人気も工作だと主張する。「あんなひどいアニメがヒットするなんておかしい」と言うのだ。

「だって、ぜんぜん動かない紙芝居みたいなエピソードがあったんですよ!」

 いやそれ、演出だから(笑)。
 言うまでもないことだけど、『化物語』の原作はほとんどが会話で成り立っているので、アニメにしても「紙芝居」にしかなりようがない。むしろ少ない枚数でいかに面白く見せるかが演出家の腕の見せどころだ。
 僕がその「シャフト美学」とでも言うべきもののすごさを痛感したのは、『ef - a tale of memories.』の7話の留守電のくだりである。ただ画面を文字が埋めてゆくだけなのに、下手にキャラを動かすよりもはるかに強烈な緊張感と戦慄を生み出している。それまでも『ぱにぽにだっしゅ!』とか『ネギま!?』とか見てたんたけど、『ef』の衝撃は桁違いだった。「アニメってべつに動かさなくてもいいんだ」というのを思い知らされた。
 こういうのはアニメをちょっと知ってる人間なら誰でも分かる程度のことのはずなんだけど、Bには理解できないらしい。

 いいかげん嫌になって、「言いたいことがあれば自分のブログででも書けばいいでしょ」とか「そんなに僕が嫌いなら僕に近づかなきゃいいでしょ」と言うのだが、Bは「あなたは卑怯だ」としつこく繰り返し続け、ぴったりくっついてくる。
 ようやくゆうパックの搬出場所に到着したが、僕が送り状に住所を書こうとしているのに、Bは僕のすぐ近く、字が読めそうな距離に突っ立っている。これはさすがに気持ちが悪い。
「あのねえ、あなたに僕の住所を知られるわけにいかないから。どっか離れて。遠くに行って」
 そう言ったのだが、彼は「あなたは卑怯だ」と言い続け、離れようとしない。
 そこに心配して駆けつけてきたN君が、「いいかげんにしろ」と胸を軽く小突いた。とたんにBがわめきだす。

「暴力をふるわれた! ヤクザみたいな男が私に暴力をふるった! 私が何もしていないのに先に手を出してきた!」

 すぐにN君が「悪かった」と謝り、さらにBをひきずっていってくれたので、ようやく僕は送り状を書くことができた。

 もちろんその時はひどくむかついたのだが、時間が経ってみると、だんだんBのことが哀れになってきた。1年以上前のことを蒸し返すためにわざわざコミケに来るより、嫌いな『まどマギ』のことなんか忘れて、そのエネルギーをもっと別のことに使えば、はるかに有意義だろうに。
 しかし、僕の声は決して彼には届かないだろう。彼が生きているのは現実の世界ではなく、パラレルワールドだからだ。彼の目に映る世界では、『まどか☆マギカ』はヒットしておらず、宮部みゆきさんたちがシャフトから脅迫を受けていて、N君はヤクザなのだ。
『トンデモ本の世界X』のあとがきのつづきを引用しておこう。

 食べ物だろうとアニメだろうと、はたまた芸術作品だろうと政治思想だろうと、すべての人間に支持されることは決してない。必ずそれを好きな人間と嫌いな人間がいる。それは当たり前のことである。絶対的に正しい評価というものはない。
 しかし、それが理解できない種類の人間がいる。自分が好きなものは絶対的に素晴らしいものだとか、自分が嫌いなものは絶対的にダメなのだとか思ってしまう人間が。その信念を否定する情報が入ってくると、彼らは「その情報は間違っている」と考える。
 僕は小説『アイの物語』の中で、ゲドシールドという造語を使った。「ゲド」というのは特に意味のない言葉で、語感を優先して作った。哲学か認知心理学の分野で似たような概念はあるのかもしれないが、個人的には「ゲドシールド」という語感が気に入っているので使っている。
 僕たちは世界をじかに認識しているのではない。世界はあまりにも巨大で複雑すぎて、人間の頭脳では処理できないからだ。そこで人間は、世界を大幅に簡略化してイメージする。自分の周囲の壁に、自らが作ったシミュレーションモデルを投影し、それを見て「これが現実だ」と思いこんでいる。その壁がゲドシールドだ。
(中略)
 先の例で言うなら、「『まどか☆マギカ』は駄作である」「ヒットするはずがない」というのが、この人の脳内のシミュレーションモデルだったわけである。ところが現実にヒットしている。にもかかわらず、この人はモデルの修正を認めず、「ヒットしているなんて嘘だ」という幻想を新たに構築し、ゲドシールドに投影しているのである。
 陰謀論やトンデモ説が生まれる背景には、人がゲドシールドの存在を意識していないことがある。自分の脳が創造したモデルを仮想現実だと認識できず、生の現実だと信じているのだ。もちろん、そうした傾向は誰にでもあるのだが、特に陰謀論者やトンデモ説の提唱者はそれが強い。ゲドシールドのモデルと外にある本物の現実に矛盾が生じると、彼らは「誰かが事実を隠している」とか「陰謀が行われている」とかいう新たな幻想を構築して、現実の方を修正し、モデルを守ろうとする
(中略)
 僕は『アイの物語』の中でDIMBという言葉も創作した。ドリーマー・イン・ミラー・ボトル(鏡の瓶の中で夢見る者)――鏡でできた瓶の中に閉じこもり、周囲に映る自分自身の姿を外界だと思いこんでいる者、という意味である。
 DIMBにならないためには、「僕らが見ているものは現実そのままではない。脳が構築した仮想現実なのだ」ということを認識する必要がある。「私の考えに間違いがあるはずがない」とか「私は世界の真理を知っている」なんて、絶対に思わないことだ。
 言い換えれば、本物の世界の巨大さに対し、謙虚になるべきなのだ。世界は一人の人間の脳ではとうてい理解できないほど大きい。僕たちはちっぽけで不完全であり、この世界のことを一万分の一も認識できない――その事実を素直に認めるべきなのだ。
 それは絶望や敗北主義ではない。世界を――脳内の仮想現実ではなく、ゲドシールドの外にある本物の現実に敬意を払おうということなのである。


 最後に、ちょっとだけ宣伝。今度、『メフィスト』で連載を開始する作品(SFではなく、SF的な設定を用いたミステリ)は、「僕らが見ているものはすべて、脳が構築した仮想現実だ」というのがテーマである。
  


Posted by 山本弘 at 12:21Comments(76)トンデモ