2017年05月19日

「思考盗聴」「集団ストーカー被害」を訴える人たち

 先日、このブログにこんな書きこみがあった。内容があまりにも問題なので、一部を伏字にさせていただいた。

××県××市××町×-××-××-×××に10年前に住んでいた××××の●●●、▲▲▲▲▲、■■■■■と××市××××病院に10年前に×××××科にいた看護婦とその家族に思考盗聴、集団ストーカー、ハイテク兵器で頭に強すぎる電流を流されて頭を締め付けられたり重くされていて苦しいです ■■■■■と同じ×××××の×号棟の×階に住んでいた●●●の妻の家族も共犯者です ▲▲▲▲▲の高校からの友達と彼女が思考盗聴したUSBを持っているらしいです ■■■■■はブレインマシンというので生体電流さえ分かれば誰でも遠隔から思考盗聴できるんやで人を遠隔から操るんやで××からお金をもらってるんやでと音声送信してきます ■■■■■は思考盗聴されないんでしょうか ●●●の今の住んでいる場所や人間関係を調べて下さいその家や車から思考盗聴電波が出ているはずです

 伏字にした箇所は、●●●、▲▲▲▲▲、■■■■■は人名(おそらく家族)、その他の××は地名や建物、会社の名前が入る。検索してみたら、どれも実在のものだった。
 僕が伏字にした理由はお分かりだろう。この文章は実在の人物を中傷しているうえ、その個人情報まで公表するものだったからだ。
 あきれたことに、この書きこみ主、あちこちの掲示板やブログに見境なしにこのコメントを書きこみ続けている。どうやらこの●●●さんとその家族は、この書きこみ主から「思考盗聴、集団ストーカー」とみなされ、もう長いことネットで執拗にいやがらせを受けていたようである。
 苦しみ続けてきたであろう●●●さんたちの心中を察すると、怒りさえこみ上げてくる。

 言うまでもなく、書きこみ主の主張はすべて妄想である。

実は存在しない?幻の集団ストーカーとは
http://tanteitalk.com/stalker/shudan/

>組織ぐるみの犯罪や陰謀などと言われるものが実際に存在することは事実ですし、そうした行いをする組織や団体は確実にあります。

>ただ、それはその相手が組織や集団にとって『重要なターゲット』な場合のみです。
>無作為に相手を選んだり、関係の無い人間にストーカー行為をすることはまずあり得ません。

「監視されている」「他人に心を読まれている」というのは、統合失調症による妄想の典型的な例だ。「電波で攻撃されている」という妄想にしても、ラジオ放送が開始されたころからすでにあったらしい。
 最近は何が違うかというと、そうした「思考盗聴」が科学的に可能だと主張する説が、ネットにはびこっているということである。
 無論、その根拠は、「心を読まれている」と訴えている人の証言だけなのだが。

 ちょっと前にも大阪環状線の天満駅の近くを歩いていたら、駅の近くでデモをやっている集団に遭遇し、こんなチラシを渡された。


 このNPOテクノロジー犯罪ネットワークという団体、作ったのは石橋輝勝という人。この人の著書『武器としての電波の悪用を糾弾する!』は、前に『トンデモ本の世界R』で取り上げたことがある。自分は「全人類の敵」から電波攻撃を受けていると主張する本だった。


 現実に今、科学はどれぐらい進歩しているのか。つい先日、こんなニュースが流れてきた。

思考とマシンをつなぐFacebookの挑戦--人間もアップグレードする時代へ
https://japan.cnet.com/article/35100170/

Facebookの研究部門が、人間とマシンをつなぎ、言葉によらずに意思を伝達する試みを研究しているというものだ。

>「以心伝心」という言葉も連想させるこの研究、ムーンショット(moonshot)の言葉通り、簡単にはうまくいかないけれども挑戦してみるだけの価値のある(技術の)研究ということで、うがった見方をすればFacebookにとってのある種の宣伝、あるいはMark Zuckerbergの道楽と解釈できないこともない。

>また「Building 8ではどのプロジェクトも2年の期限付きで取り組みを進めている」とのことで、この取り組みについても2018年末から2019年の初めころには何らかの成果が発表されるかもしれない。

>(前略)ただし、脳の中の信号を読み取るセンサ類を詰め込んだネットもしくは帽子のようなものは別途必要になるそうなので、そのあたりの実装をどうしてくるのかは気になるところである。

 つまり、脳の中の信号を読み取る技術はまだ研究中であり、可能だとしても、「センサ類を詰め込んだネットもしくは帽子」が必要だということだ。当然だろう。
 たとえば脳波を測定するだけでも、頭部にプローブを取り付ける必要がある。しかも脳波は思考の内容を含んでいないので、脳波だけ調べても心は読めない。脳の中のどの部位がどのように活動しているか知るためには、fMRIか何か、脳の活動状態を外部からモニターする装置が必要だ。
 だから遠く離れた場所にいる人間の思考を読み取ることはまだ無理だし、おそらく将来的にも不可能だと考えられる。

 無論、「集団ストーカー被害者」は、そんな事実を認めないだろう。彼らにとって、自分たちに降りかかっている攻撃はきわめてリアルに感じられ、本物としか思えないからだ。
 そして今、「集団ストーカー」とか「テクノロジー犯罪」で検索すると、彼らの妄想を補強するページが山ほどヒットする。それを読んだ者は「私と同じような攻撃を受けている人はいっぱいいる」「やっぱり妄想なんかじゃなかったんだ」と思いこんでしまうのだ。


 彼らが苦しみから救われる方法はひとつしかない。病院に行くことだ。
 統合失調症は直りにくい病気だが、新薬が次々に開発されていて、症状を抑えることがかなり可能になってきている(人によって効果にはかなり差があるらしいが)。病院に通いながら、薬を飲んで症状を抑え、健康な人と同じように働いている人も多い。
 しかし、ネット上に氾濫する「集団ストーカー」「テクノロジー犯罪」に関する情報は、彼らに「私は精神病ではない」と思いこませる。病院になんか行かなくても、「奴ら」に攻撃をやめさせさえすれば、苦しみから解放されるのだと。
 無論、「奴ら」など実在せず、病院で治療を受けなければ苦しみはいつまでも続くのだが。

 僕は「集団ストーカー被害者」の訴えはすべて妄想だと思う。
 その一方、先の●●●さんの一家のように、「集団ストーカー被害者」から被害者を受けている人は実在する。
 そうした被害は時として最悪の事態に発展することもある。2015年の淡路島5人殺害事件のように。

http://news.livedoor.com/article/detail/9882871/
http://www.sankei.com/west/news/170208/wst1702080034-n1.html

 こうした悲劇を阻止するには、「集団ストーカー被害」なる妄想が存在することを世間に周知することが一番だと思う。だが、マスコミは精神病に関する話題をタブーにしていて、めったに紹介しようとしない。
 問題が存在していることが世間に知れ渡らない限り、それを解決しようとする動きも起きない。「集団ストーカー被害者」はこれからも苦しみ続けるし、彼らによる殺傷事件もまた起きるに違い。
  


Posted by 山本弘 at 20:30Comments(12)社会問題作家の日常

2017年01月31日

最近のデマ・2017

 このブログではこれまで何度もデマの話題を取り上げてきたが、最近、続けていくつもの大きなデマが登場して話題になった。
 僕がこの2ヶ月ほどの間に見たデマを、ざっと並べてみる。

大量拡散の「韓国人による日本人女児強姦」はデマニュースか サイトは間違いだらけ
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/korean-news-xyz?utm_term=.ad52LJM536#.jmXg9lJBNL

「韓国、ソウル市日本人女児強姦事件に判決 一転無罪へ」という架空のニュースを流して大規模に拡散させた「大韓民国民間報道」を名乗る偽サイト。その運営者が取材に応じた。

韓国デマサイトは広告収入が目的 運営者が語った手法「ヘイト記事は拡散する」
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/korean-news-xyz-2?utm_term=.esL7QOBE4M#.uc5KGwZ5Nz

ハイスペックで、礼儀正しい若者がデマサイトを作る 就活の失敗からそれは始まった
https://www.buzzfeed.com/daichi/fakenews-about-korea-interview?utm_term=.swn47o1Jg0#.xg2Ewv29yl

 記事の内容を信じるなら、こいつは明らかに異常というわけではないし、そこそこ頭も良さそうだ。思想性や狂信性は感じられない(モラルは欠如しているが)。
 僕が驚き、感心したのは、これまで嫌韓デマでここまで手間をかけた奴はいなかったということだ。たいていのデマはソースへのリンクが貼られていないか、関係のない記事にリンクが貼られているというお粗末なもので、リンク先を見ただけで一発で見破れた。(それでもリンク先を読まず、あっさり騙される奴も大勢いたのだけど)
 しかし、こいつは違う。サイトに載せていた普通の記事までもすべてフェイクだったとか、わざわざ機械翻訳で作った韓国語のページも作成して、あたかもソースがあるかのように見せかけていたというのだからたいしたものだ。それでも韓国語ネイティブの人間には「自動翻訳を使っているのがバレバレ」だったそうだが、韓国語の分からない人間には、一目で見破るのは難しそうだ。僕もいきなりこの記事を読まされてたら、信じていたかもしれない。
 もちろん、こんな奴を擁護するつもりはまったくないが、彼の言い分のいくつかにはうなずかざるを得ない。

「それがフェイクであれ、韓国についてはどんな話題でも信じたいという思いの人、拡散してやろうという人がネット全体にいた。さらに、それを望んでいる人たちも。コンテンツを作りやすいですよね」

「釣られても仕方ないですよね。FacebookやTwitterが身近になった以上、シェアすることは、隣の席の人に『こんな話題があったんだ』というのと変わらない。そのときに、『ソースは正しいの?』と聞くことはないですよね。そういう軽い気持ちで広がっていったのでは」

「デマや噂なんてこの世にありふれている。それに踊らされるのは個人の問題ではないでしょうか。噂を流した側の責務ではない。これからもデマはでき続けるはず。収益化できるかは別ですが」

 そう。こいつが最後の一人ではありえない。きっと今後も、同様の偽サイトを作ってデマを拡散する人間は必ず出てくる。
 だから一人の人間だけを糾弾しても、あまり意味がない。デマは次から次に生まれてくる。次に現われるデマに対して警戒を怠らないことが大切だ。
 デマにひっかからないための心得については、前に書いたことがある。

http://hirorin.otaden.jp/e273766.html

 ある意味、今回の件は幸いだった。こいつは単独犯だったし、平均より頭はいいものの天才というほどではなかったから、賢い人がデマを見破ることができた。
 だが、もし、もっと頭のいい奴が現われ、もっと巧妙な手口でデマを生み出したら?
 あるいは単独ではなく、複数の人間が協力して、デマの信憑性を高めるような別のデマをいくつも流したら?
 そういうことが起きないという保証はない。

 もちろん、ネットに流れているのは嫌韓デマだけじゃない。

「日本のマスコミが捏造報道」が捏造 トランプ大統領の就任式でデマ
https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/inauguration-debunk?utm_term=.yf2xz6JrpB#.hebQxm5aYM

 驚いたのはこの記事に「この記事は残念ながら、もう少し整理しないと一読では内容が頭に入りません」「確かに何を言いたいのかすぐに把握できなかった。ひどい記事」というコメントがついていたこと。いや、確かにややこしいタイトルだけど、一読すれば内容は分かるはずなんだけど?

 他にもこんなにデマがあった。単なる誤解によるものから悪質な捏造まで、国際政治の問題から個人的な誹謗中傷、日本のものも海外のものも、右寄りも左寄りもいろいろだ。
「デマなんて自分には関係ない」と思わない方がいい。ネットをやっていたら、誰でも必ずこうしたデマに遭遇するはずだから。

シリア内戦:ホワイト・ヘルメットの人命救助を「ねつ造」とするプロパガンダのうそ
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kawakamiyasunori/20161230-00066068/

「トランプ抗議デモ参加者に2500ドル支給の広告」
http://www.washingtontimes.com/news/2017/jan/17/ads-two-dozen-cities-offer-protesters-2500-agitate/

「龍角散のど飴」がドーピング指定? 事実誤認によりデマが広がる
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1701/11/news072.html

「マクドナルドの肉の正体が明らかに」の根拠は そもそもの裁判がなかった?
https://www.buzzfeed.com/kantarosuzuki/mcdonalds-pinkslime-debunk?utm_term=.yg2z01M2D4#.wgD5Wo4Qql

アパホテル会長の「中国人の予約は受けない」発言、海外メディアの誤報だった
https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/apa-hotel-global-times?utm_term=.wgD5Wo4Qql#.loG5mLOGJx

宮城県の巨大カキが「原発事故の影響か」と中国で物議、日本大使館が中国版ツイッターで“真相”説明
http://www.recordchina.co.jp/a160818.html

ソニー・ミュージック乗っ取り、スピアーズさん死亡の偽ツイート
http://jp.reuters.com/article/sony-twitter-cyber-idJPKBN14F15A

「コミケでスリをしたオタクの顔と住所が特定される」とツイート→実際は無関係の別人
http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinoharashuji/20161230-00066084/

 あと、この虚報新聞さんのインタビュー記事も読んでおこう。

虚構新聞「ネットの良識を信頼する」 真実が大切にされない時代にジョークは成り立つか?
https://www.buzzfeed.com/takumiharimaya/kyoko-np?utm_term=.xi22XopE0b#.jsxb7JBK1D

「『ファクトチェックを参考にする』『聞いたこともないようなニュースサイトや変なURLの記事を安易にシェアしない』など、デマを拡散させないようできることはたくさんあります」

「ただ、いくら頑張ってもネットから完全にフェイクニュースを失くすことは不可能でしょう。結局のところ、真偽の最終判断は個々人に委ねるしかないです」

「そのファクトチェックですら、今後『フェイクファクトチェックサイト』という悪夢のような虚偽サイトが生まれる可能性もあるので、『ネットの集合知と良識を信頼しています』としか答えられません。ネットユーザーの良識に支えられたからこそ、続けられた13年なので」

  
タグ :デマ


2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・4

 僕はもう、と学会を辞めている。
 http://hirorin.otaden.jp/e312496.html

 理由はいろいろあるが、ひとつの理由は「つまらなくなった」ということだ。
 トンデモ本が少なくなったわけではない。今も多くのトンデモ本が出版され続けている。ただ、新しいものが少なくなってきた。
 日本トンデモ本大賞の候補作は、毎年、僕が選んでいたのだが、ノミネート作のリストを見ても、バラエティが豊富だったのは『人類の月面着陸は無かったろう論』が受賞した2005年の第14回あたりがピークだった。

http://kokorohaitsumo15sai.la.coocan.jp/tondemotop.htm

 以後は、『富を「引き寄せる」科学的法則』のような1世紀も前のトンデモ本や、『新・知ってはいけない!?』のように前に出た本の続編、『秘伝ノストラダムス・コード』のような時代遅れのノストラダムス本、『超不都合な科学的真実』『小説911』『本当かデマか 3・11[人工地震説の根拠]衝撃検証』のように著者本人が唱えているのではなく世間にあふれている陰謀説を寄せ集めた本など、独創的なものが明らかに減ってきている。2012年の第21回、2013年の第22回などは、と学会の会員に呼びかけてもトンデモ本が集まらず、かなり苦しんだ。大川隆法、苫米地英人、中丸薫らの本が何度もノミネートされているのも、ノミネート作が揃わないための苦肉の策だった。
 おそらく僕らは、乱獲によってトンデモ資源を枯渇させたんじゃないかと思う。トンデモってもっと奥が深いかと思っていたら、意外に浅かったんだなと。
 1950年代に書かれたガードナーの『奇妙な論理』を読めばわかるように、現代のトンデモ説の多くは昔から存在しているものか、その焼き直しにすぎない。だからこれから出るトンデモ本の多くも、すでにある説の焼き直しにすぎないんじゃないだろうか。
 だからと学会をはじめた頃と比べて、トンデモ本への関心はひどく薄れている。

 もっとも僕はまったく関心をなくしたわけじゃない。ニセ科学やデマ関連のウォッチングはASIOSの本で続けている。と学会の本と違って、積極的に笑いを取りに行くことは控えるようになったが、それでも多くの人に読んでほしいから、「面白い」と感じさせる文章にする努力は怠っていない。
 世の中には、放置しておくのは危険なニセ情報がまだまだたくさんあるからだ。
 ほんの一例を挙げるなら、「阪神淡路大震災の時に強姦が多発した」というのは悪質なデマで、信じる人が増えたら危険だから、データを挙げて否定している。

http://hirorin.otaden.jp/e427750.html

 ネットの普及により、デマの拡散速度も飛躍的に速くなった。特に、見ず知らずの多くの人を傷つけたり、新たな災厄のタネになるかもしれないデマに対しては、見つけしだい大急ぎで否定する必要がある。だからこのブログでもデマの否定を頻繁にやっている。
本人に直接言うなり手紙やメールを出すなり」などと、のんびりしたことを言っていては手遅れになるかもしれないから。

  


2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・3

 そもそも『トンデモ本の世界』が出版された1995年はどんな年だったか思い出してほしい。
 そう、地下鉄サリン事件のあった年だ。
 あの事件がどれほど日本を騒がせたか、ご記憶の方は多いはずだ。オウム真理教はオカルトや超能力、フリーメーソン陰謀説や、様々なニセ科学にハマっていた。それらは、マスメディアが無視していたか、あるいは逆に持ち上げていたものだった。(『超能力番組を10倍楽しむ本』でも書いたが、90年代前半まで、超能力を肯定的に扱う番組は実に多かったのだ)
 1995年のあの日まで、ほとんどの日本人はオカルトや超能力や陰謀論やニセ科学にさほど関心がなかったか、あっても「たいしたことじゃない」と侮っていたと思う。
 そこにあの事件が起きた。
 多くの人が存在に気がつかなかった、あるいは何もしないで見過ごしていたものが、気がついたら恐ろしい怪物に成長していた。
「あれはいったい何なんだ!?」と狼狽し、説明を求めていた人たちに、僕らがタイミングよく「トンデモ」という概念を提示した。だから『トンデモの世界』はベストセラーになったのだと思う。
 もちろん、オウム事件に便乗したわけじゃなく、出版予定は前から決まっていて、地下鉄サリン事件がたまたまそれに重なっただけなんだけど。

 これは『トンデモノストラダムスの世界』で書いたけど、僕は五島勉氏が『ノストラダムスの大予言』という本を書かなかったら、オウム事件は起こらなかったと思っている。
 無論、『ノストラダムスの大予言』を読んだ時点で、オウムの台頭を予想するのは誰にも無理だったろう。でも後知恵で見て、因果関係があるのは否定できない。
 言い換えれば、今はまだたいしたことがないように見えるトンデモ説でも、将来、怪物に成長する可能性があるということだ。
 今も日本には、多数のトンデモ説が乱れ飛んでいる。そのどれかが新たなオウム事件の萌芽になるのか、今の段階ではまったく予想できない。でも、常に誰かが目を光らせていなければいけないんじゃないだろうか?

 実際、僕も予想できなかったことがいくつもある。
 たとえば『トンデモ本の世界R』(2001)で、石橋輝勝『武器としての電波の悪用を糾弾する!』という本を紹介した。自分は世界を支配する組織から電波攻撃を受けていると主張する、典型的な関係妄想の本だった。だが、自費出版されたマイナーな本であり、大きな影響力などないと思っていた。
 まさか著者が2003年に民主党推薦で千葉県八街市議会議員選挙に立候補して当選したり、「テクノロジー犯罪被害ネットワーク」なんてものを結成したりするなんて、まったく予想していなかった。

 あるいは『トンデモ本1999』で取り上げた谷口裕司『宇宙からお母さんへのメッセージ』という本。著者は育児文化研究所という団体を主催しており、全国に10万人以上の会員がいるという。この本は、おなかの中の赤ちゃん、それどころかまだ妊娠さえしていない赤ちゃんがテレパシーで語りかけてくるという本だ。地球にはすでに大勢の宇宙人が来ていて、人類を指導しているとも書かれていた。
 僕は育児文化研究所という団体がUFOカルト化していることに漠然と不安は抱いた。
 だが、この時点で、すでに誤った指導のせいで犠牲者が出ていたなんて思いもしなかった。

http://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H12/000403.htm

『トンデモ本の世界R』(2001)では、谷口祐司氏の別の著書『緊急!マリア様からのメッセージ』を取り上げ、「しかし、笑ってばかりもいられない。この育児文化研究所をめぐって、実は悲惨な事件が起きていたことが明らかになったのだ」(89ページ)と書いて、事件に触れている。
 読み返していただければ、この文章の前後で、僕の文体ががらっと変わっていることに気づかれると思う。『緊急!マリア様からのメッセージ』は笑えるトンデモ本だが、両親が谷口氏の誤った指導を信じために赤ん坊が死んだという事実は、笑ってはいけないと思った。
 しかし、谷口氏の著書を「笑ってはいけない」とも言いたくなかった。むしろ、谷口氏の著書を読んだ人たちが、これがトンデモ本であることに気づかず、笑いもせずに信じこんでしまったことが、悲劇を招いたのだと思う。
 こんなのは笑い飛ばすべきだった!
 もっと早くみんながトンデモさに気がついて笑い飛ばしていれば、悲劇は阻止できたんじゃないだろうか。

 あるいは『トンデモ本の世界W』(2009)で取り上げた『胎内記憶』。胎内の赤ちゃんが母親のへそから外を見ているなどと主張するとびきりのトンデモ本だが、著者の池川明氏が当時よりさらに有名になって、各地で講演会を開いているばかりか、親学推進協会の特別委員や誕生学協会のサポーターをやっているという事実に、育児文化研究所の事件を連想し、軽く戦慄している。
 池川氏一人が信じているだけでなく、いい年した大人、しかも高い地位にある人たちまでもが大勢、「赤ちゃんが母親のへそから外を見ている」などという話を本気にしているらしいのだ。これは十分すぎるほど恐ろしいことではないだろうか?

 正直に言うと、僕もいつも笑っているわけではない。話があまりにもシリアスすぎて、矛先が鈍ることは何度もあった。
 たとえば『トンデモ本の世界U』(2007)で、小出エリーナ『アメリカのマインドコントロール・テクノロジーの進化』を紹介した時のこと。CIAの電波攻撃「マイクロウェーブ・ハラスメント」を受けている(と思いこんでいる)人たちについて、僕はこう書いた。


 どうやら苦しい体験をしている著者たちを支えているのは、自分と同じ体験をしている人が大勢いるという連帯感と安心感、そして巨大な悪と戦っているという怒りと使命感のようである。
(中略)
 だが、僕にはそれこそ「個人の一時的な解消でしかない」ようにしか見えない。ミもフタもないことを言わせてもらえば、「早く病院に行きなさい」と言いたい。現代では統合失調症に効く薬がいくつもある。それらで治癒できるか、症状が改善される可能性は高い。
 だが、マイハラ被害者同士の連帯は、適切な治療から彼らを遠ざけているように思われる。仲間の話を聴くことは、自分の体験が幻覚や妄想ではないと確信させてくれるし、中には「体内にインプラントを埋めこまれるから病院に行ってはいけない」とアドバイスする者もいるからだ。
 だから僕は、最初は笑って読んでいたものの、だんだん笑えなくなってきた。心の病気だからしかたがないとはいえ、治療を受ければ助かるかもしれない人が、自ら救いを拒否して苦しみ続ける姿は、胸が痛む。

 これは僕の嘘偽りない本音である。
 罪もない赤ん坊が愚かな指導のせいで死ぬなんてことはあってはいけない。
 病気に苦しんでいる人には、ぜひ良くなってほしい。
 そのためには、明らかに間違っていることに対して、誰かが「間違っている」と声を上げないといけないと思う。
本人に直接言うなり手紙やメールを出すなり」なんて甘っちょろいことを言っている間に、誰かが死ぬかもしれないのだ。

 最初の『トンデモ本の世界』を出した頃から、僕は『トンデモノストラダムスの世界』という本を必ず1998年に出そうと心に決めていて、ずっと資料の収集を続けていた。
 今の若い人にはピンとこないかもしれないけど、1990年代の日本人の中には、ノストラダムスの予言を信じこみ、「1999年に人類は滅亡する」と思っていた人間がかなり多かったのだ。彼らが1999年になったら、不安になってパニックを起こし、犯罪に走ったり自殺したりするかも……という懸念は、決して杞憂ではなく、当時としてはリアルな危機感があった。
 だから僕は、そうした事態を予防するために、1998年に『トンデモノストラダムスの世界』を出そうと決意した。
 その際、ベストセラーである五島勉『ノストラダムスの大予言』だけに絞りはしなかった。当時すでに氾濫していた大量のノストラダムス本(正確に言えば、ノストラダムスの詩から勝手に未来に起きることを予言する本)をかたっぱしから読んで笑い飛ばした。
 当然、中には五島氏ほど売れていない人、abさんの言う「弱い者」もいた。だが僕は、売れているかどうかで区別しなかった。
 起きるかもしれないパニックを防ぐために、ノストラダムス本はどれもデタラメで、著者たちの主張は信用できるものではないことをはっきり示す必要があったからだ。こんなのは笑い飛ばすべきものなのだと。
 幸い、『トンデモノストラダムスの世界』はよく売れた。1999年7月が近づくにつれ、大手のメディアも危機感を覚えたらしく、メジャーな雑誌や新聞でもノストラダムスの予言を否定する記事が増えた。テレビでもやはりノストラダムス批判の番組が増え、僕もいくつか出演した。マスメディアのウォッチングを続けながら、「ノストラダムスの予言なんて信じちゃいけない」というムードが世間に形成されてゆくのを、確かに感じていた。
 そうして1999年7月は何事もなく過ぎ去った。
 パラレルワールドのことなんか分からない。でも、もし僕が『トンデモノストラダムス本の世界』を書かなかったら──abさんが言うように、「本人に直接言うなり手紙やメールを出すなり」で済ませ、広く世間に警告しようとしなかったらどうなっていたか……それはいつも考える。
 少なくとも僕は、災厄を防ぐために、自分がやるべきことをやったと、今でも誇りを持って言える。
  


2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・2

 じゃあなぜ、単に間違いを指摘するだけでなく、笑い飛ばす必要があるのか?
 理由は簡単、その方がアピールするからだ。
 前にも書いたが、「どんなに栄養のある料理でも、不味ければ誰も食べない」というのが僕のポリシーである。
 ニセ科学やオカルトを批判している人は、と学会以前からいた。だが、大真面目な主張が多く、大衆にアピールしなかった。内容がいくら正しくても、読んで面白いものではなかったからだ。
 生涯をオカルトやニセ科学との戦いに捧げたアメリカのジャーナリスト、H・L・メンケンは、こんな言葉を残している。

「抱腹絶倒一回は三段論法千回に勝る」

 これは真理だと思う。
 数ヶ月前にもそんな体験をしたばかりだ。ある人が僕に「江戸しぐさ」について訊ねた。その人は「江戸しぐさ」がネットで話題になっていることや、問題のある内容であるらしいことは知っていたが、具体的に何が問題なのかはよく知らない様子だった。
 そこで僕は「江戸しぐさ」信者の主張の中で最も笑える箇所──「江戸っ子大虐殺」について説明した。その人は大笑いして、即座に「江戸しぐさ」は信じてはいけないものだと納得してくれた。
 これが「抱腹絶倒一回は三段論法千回に勝る」である。
 もちろん事実を論理的に説明して批判するのも大事だ。だが、「そんなの信じちゃだめだよ」とアピールするには、笑い飛ばすのが早道なのだ。実際、原田実氏はそうやっている。事実関係をきちんと調べたうえで、「江戸っ子大虐殺」のような笑える部分を指摘するのも忘れない。

 と学会の先輩とも言うべきマーチン・ガードナーの『奇妙な論理』(ハヤカワ文庫)にしても、バージェン・エヴァンズ『ナンセンスの博物誌』(大和書房)にしても、事実の羅列だけでなく、笑える部分にスポットを当てたり、随所に皮肉やウィットを混ぜたりして、読者を楽しませる工夫をしている。
 たとえば『ナンセンスの博物誌』は人種偏見に対する批判に多くのページを割いているのだが、その中で紹介されるレイシストたちの発言と、それに対するエヴァンズのツッコミがいちいち笑える。

(前略)ウェイン大学社会学科のA・M・リー教授が一九四三年のディトロイト人種暴動を調査した時、一人の証人は、映画館の灯がついて黒人の横にすわっていたことがわかった途端に気分が悪くなったと述べた。その男の説明では黒人は「常に悪臭を放つ」のだそうだが、彼の嗅覚は暗闇ではきかないものらしい。

 いかがだろう? こういう手法の方が、大真面目に「人種差別は良くない」と説くより効果的だと思わないか?

 もうひとつ、abさんが無視している(故意になのか、本当に気がついていないのかは不明だが)明白な事実がある。
 それは「トンデモの多くは危険」ということだ。
 たとえば、超能力、オカルト、UFO、予言などは、カルト宗教と親和性が高い。「うちの教団に入って修行すれば超能力が身につきます」とか「ノストラダムスはうちの教祖様のことを予言していた」とか「まもなく世界が滅亡するが、UFOに乗った異星人が私たちを助けに来てくださる」などと宣伝している団体は、いったいいくつあるか、多すぎて見当もつかない。
 そうした話に興味を持ち、真剣に耳を傾けていたら、いつのまにかカルト教団に入信していた……ということも、十分にある。
 ニセ科学も昔からよく詐欺の温床になっている。永久機関が本当にできると信じて出資し、金をどぶに捨てた人は大勢いる。トルマリン、タキオン、マイナスイオンなどのありもしない効果を信じて、どれだけの消費者が金を浪費したか。
 もちろんユダヤ陰謀論などは、特定の民族への憎悪を煽るヘイトスピーチだから、ストレートに危険である。
 だからこうした話題を笑って楽しむのはいいけど、真剣に聴かない方がいい。懐疑的に、笑いながら聴くのが一番である。

 abさんはこうも書いている。


単に書き手の無知や間違いを指摘したいだけなら、本人に直接言うなり手紙やメールを出すなりすれば済む事。

 abさんが本気でこんなことを信じておられるのだとしたら、「人がいい」「現実を見ていない」としか言いようがない。
 僕が『トンデモ本の世界』の、それも最初に紹介した矢追純一『ナチスがUFOを造っていた』の項で、こう書いていたのをお忘れなのだろうか。


 ベテランUFO研究家の高梨純一氏は、矢追スペシャルが放送されるたびに、内容の間違いを指摘した手紙をマスコミ各社に送りつけているという。その熱心さには頭が下がるが、効果があるようにはみえない。(後略)

 そう、どんなに間違いを指摘されても、矢追氏はデタラメな番組を作ることをやめはしなかった。
 矢追氏だけではない。『トンデモ本の世界』の「清家新一」「コンノケンイチ」などの項を読み直してほしい。彼らが批判に対して耳を傾けなかったことがお分かりだろう。僕も一度、清家新一氏に手紙を出し、間違いを指摘したことがあるが、無視された。小石泉氏に送った手紙は受け取り拒否されて戻ってきた。
 副島隆彦『人類の月面着陸は無かったろう論』という本もそうだ。僕は『人類の月面着陸はあったんだ論』の中で詳しく取り上げたし、他にも副島氏の説の間違いを指摘している人は大勢いた。だが、副島氏はそれらの膨大な反論をすべて無視した。
『人類の月面着陸は無かったろう論』の中にはこう書かれている。


 だからここではっきり書いておく。もし私の主張が明白に間違いで、アポロ11号の飛行士たちが月面に着陸していたことの明白な証拠が出てきたら、その時は私は筆を折る。もう二度と本を書いて出版することをしない。これだけの深い決意で私は本書を書いた。本当の人生の一本勝負である。(295ページ)

 しかし、副島氏は2016年現在、まだ本を出し続けている。してみると、いまだに自分の主張が間違いだとは認めていないのだろう。

 トンデモ本シリーズではないが、『“環境問題のウソ”のウソ』という本を書いたことがある。ベストセラーになった武田邦彦『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』の間違いを暴いた本である。武田氏が本に載せたグラフは捏造だった。本に書いてあるデータの多くも間違っているか、論理的におかしいものばかりだった。
 また武田氏は、1984年元旦の朝日新聞に「世界の平均気温が上昇すると南極や北極の氷が溶けて海水面が上昇する」という文章が載っていると主張し、「誤報」だと非難していた。だが実際にはそんな文章は存在しなかった。武田氏は僕とのメールのやり取りの中で、自分の間違いを認め、「ともかく修正の努力はします」と書いた。しかし、それから3ヶ月後に出た第10刷でも、依然として初版と同じく、「記事には『北極の氷が溶けて海水面が上がる』と書いてある」などというありもしないことが書かれていた。


 あすかあきお氏など、著書の中で批判した古関智也氏に対して訴訟を起こした。(でもって見事に敗訴)

http://www2.plala.or.jp/daisinjitu/
http://www2.plala.or.jp/daisinjitu/judg/index.html

 僕の知る限り、トンデモ本の著者で、間違いを指摘されて素直にそれを認め、自説を撤回した者は一人もいない。なぜなら──

①デタラメと知っていて商売で書いている。
②本人も完全に信じこんでいる。

 このどちらかだからだ。abさんが言うような、「本人に直接言うなり手紙やメールを出す」という行為は、無視されるだけ。まったく無駄なのである。
 もっときつい言葉で言わせてもらうなら、「本人に直接言うなり手紙やメールを出す」というのは、「間違った考えが世間に広まるのを知っていて、何もしないで見過ごす」のと同義語だ。
 著者だけに言うのではなく、もっと多くの人に、「これはおかしい」「信じちゃいけないぞ」と訴えなければいけないのだ。

 また、トンデモ説の中には、すでに害になっているものも多い。
 たとえば「東日本大震災は「ちきゅう」の起こした人工地震だ」という説は、「ちきゅう」で働いている真面目な研究者たちを「大量殺戮者だ」と言っているわけで、おぞましい誹謗中傷である。アポロ陰謀説だって、苦難を乗り越えて月着陸を達成した宇宙飛行士や、それを支えたNASAの人たちに対する中傷だ。また、「相対性理論は間違っている」という説は、素人でも気がつく間違いに科学者たちが気づいてないと主張している。つまり世界中の物理学者をマヌケだと中傷しているのだ。
 また『水からの伝言』や「江戸しぐさ」のように、教育の世界にまで食いこみ、子供たちに間違った知識を植えつけているものもある。最近では「胎内記憶」なども学校関係者の中に信奉者を広めており、不気味だ。
 abさんはこういう説に対しても、「本人に直接言うなり手紙やメールを出す」でいいと思っているのだろうか? 無辜の人に対する誹謗中傷が行なわれていても、学校で間違ったことが教えられていても、見て見ぬふりをするのが正しいと主張するのだろうか?

 また、僕は「言論弾圧をしてはいけない」と一貫して訴え続けている。たとえば『トンデモ本の世界』のあとがきではこう書いた。


 彼らの思想は間違いだらけだし、しばしば危険な内容を含んでいる。だが、決して彼らを弾圧すべきではない。弾圧は両刃の剣である。歴史を見ればわかるように、間違った思想が弾圧されるような時代では、正しい思想もまた弾圧されるのだ。言い換えれば、奇人たちがおおっぴらに活動できるということは、現代の日本がいかに自由な国であるかという証拠なのだ。

『トンデモ本の逆襲』(1996)のあとがきでは、

 トンデモ本が氾濫している状況に腹を立てる人もいる。だが、こうした本をやみくもに排斥しようとする態度は間違っている。弾圧などしてはならない。明白な実害のある場合を除いては、言論の自由は断固として保証されなければならない。
 無論、トンデモ本を批判する自由、好きな読み方で楽しむ自由もまた、保証されなければならない。それでこそ公平であり、真の言論の自曲である。

 あるいは『トンデモ本の世界T』(2004)のあとがき。

 僕は長いこと、トンデモ本の紹介を行なってきた。トンデモ本の著者の中には、ひどく間違ったことや不快なことを書く者が少なくない。しかし、僕は「彼らを世の中から排除しろ」とか「言論を規制しろ」とは言わない。たとえ自分にとって不快であっても、同じ世界に生きる以上、その存在は許容し合わないといけないと信じるからだ。「理解できない」「不快だ」というだけの理由で他人を排除し合っていたら、世界は滅びてしまう。
 例外は、人を殺したり、金を騙し取ったり、危険なデマをまき散らすなど、実際に他人に害を与えた場合である。そうした者が処罰されるのは当然だ。そうでないかぎり、彼らの言論の自由は保証されなければならない。
 もちろん、僕らが彼らを批判するのも言論の自由だし、たとえ彼らが僕らのことを不快に思ったとしても、それは許容してもらわねば困るのである。「俺は何を言ってもいいが、お前らが俺を批判するのは許さない」というのは公平ではない。
 本を書くという行為を軽く見てはいけない。僕はこうして文章を書きながらも、「間違ったことを書いて笑われるかも」という恐怖と常に背中合わせである(実際、マヌケなミスをやって笑われたことは何度もある)。冒頭の「僕はロリコンである」という文章にしてもそうで、笑われる覚悟をしたうえで、信念を持って書いている。批判されたり笑われたりするリスクを背負う覚悟のない者は、そもそも本を書くべきではない。

「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」という言葉は、まことに正しいと思う。何か間違ったことを書いておいて、撃ち返されたら「撃たれた撃たれた」と騒ぐのは情けない。
  


2016年11月22日

と学会がやっていたことは「弱い者いじめ」だったのか?・1

 先日、このブログのコメント欄に、こんな書きこみがあった。

http://hirorin.otaden.jp/e437829.html


山本さん、ツイッターで「僕はいじめ被害者だから、いじめる側の心理はわからないし、わかりたくもない」と言ってましたよね?
では、私が教えてあげましょう。あなたが「と学会」でやってた事、それ自体が「いじめ」です。

「こいつ、こんな変な本を書いてるんだぜ!」「こんな変な説を唱えてるんだぜ!」と、わざわざ商業出版本やイベントであげつらってましたよね。
単に書き手の無知や間違いを指摘したいだけなら、本人に直接言うなり手紙やメールを出すなりすれば済む事。
なのにあなたはそうせず、不特定多数が読む本で「バカらしい」「アホかほんま?」「無知としか言いようが無い」って何回書きましたっけ?

それどころか、大賞をくれた事を本心から感謝して礼状をくれた三上晃さんのことも、その文面を晒しものにして更なる笑いものにしてましたよね。

断わっておきますが、私もいじめの被害にあった事はあります。重度知能障害者の妹をネタにされてね。
靴にガムを入れられるなんて生易しいぐらいのいじめにあいました。
とはいえ、私は山本さんと違って諦めたりせず、罵倒を録音したり証拠を揃えたりしてマスコミに送りつけ、いじめっ子をきっちり叩き潰しましたけど。

そんな私から見て、あなたがと学会でやってきた事は、立派に「いじめ」です。
相手に反撃できないところから、仲間内で「あいつ変なこと言ってるぜ!みんなも見ろよ、面白いぜ!」と騒ぐのは、普通にいじめですな。
それをネタに本を出して金稼ぎに利用してた分、下手ないじめっ子よりタチが悪いです。
相手から直接金を奪ってない分、カツアゲをするいじめっ子よりはマシですけど。

「違う、僕がやったのはいじめじゃない」なんて言っても無駄ですよ、いじめっ子は皆そう言い訳するものですからね。

いじめってものは、「自分達と違うものを排除したい」「群れで生きていく以上、弱い者は邪魔になる」という本能から来るものです。
いじめは正当なものでも不当なものでもありません。
いつでもどこでも誰でも、加害者にも被害者にもなり得るものに過ぎないのです。
山本さんだって私だって、いつまた被害者になるかも、逆に加害者になるかもわからないのです。

いい加減に「自分はいじめの被害者」といつまでも言い続けるのはおやめになる事です。
あなただって、似たような事をやってたんですから。

 ちょっと前にもツイッターで同じようなことを言っている人を見かけた。どうも、僕やと学会について同様のイメージを抱いている人は多いらしい。いい機会なので、そういう人たちにまとめて反論しておきたい。

 実は、「弱い者いじめはよくない」という批判は、1995年、最初の『トンデモ本の世界』を出した時からすでにあった。それに対し、僕は翌年(今から20年も前である)の『トンデモ本の逆襲』のあとがきで、こう反論している。


 第一に、トンデモの勢力は決して「弱い者」などではない。『トンデモ本の世界』でも紹介したように、宇野正美、深野一幸、五島勉といった人たちの本は、いずれも大手の出版社から発売され、何万部、時には何十万部も売れているのだ。すなわち、「世界はユダヤ秘密結社に支配されている」とか、「太陽は熱くない」とか、「一九九九年に人類は滅びる」などと信じる人が、現代の日本に、何万、何十万という単位で存在しているということなのである。
 物理を知らない素人が「相対性理論は間違っている」と主張する本が、何万部も売れている。それに対し、まともな物理学者が相対性理論の正しい解説書を書いても、その五分の一も売れるか怪しい。万葉集は朝鮮語で読めるとか、日本人の先祖はユダヤ人だといった本もよく売れるが、まともな言語学や歴史学の本がそんなに売れることはない。常識的な説よりも、奇説を唱える本のほうがよく売れる傾向がある。多くの大衆は明らかにトンデモ本のほうを支持しているのだ。
 いったいどっちが「弱い者」なのか?
 無論、小さな出版社から細々と本を出している人もいる。しかし、彼らも決して孤立しているわけではない。その思想は多くの場合、長い歴史を持つほかのトンデモ思想と密接に関連しており、いわば大きなトンデモ勢力の裾野に位置しているのである。
 第二に、我々はこうした本を弾圧しようなどと思っているのではない。憎んでいるのなら、こんなに情熱をこめて本を収集できるわけがない。むしろ逆で、こうした奇妙な本を愛し、その奇想を楽しんでいる。そして、この楽しさをもっと多くの人に知ってもらいたいと思っているのだ。世の中には、学校では教えてくれないこと、教科書や百科事典には救っていないことがたくさんある。大きな影響力を持ちながら、これまで注目されたことのなかったそうしたサブカルチャーにスポットを当て、その面白さを天下に知らしめたい──それが本書の意図である。

 ちなみに『トンデモ本の世界』で取り上げた本の著者には、他にも矢追純一、関英雄、竹内久美子、糸川英夫、あすかあきお、ドクター中松、大槻義彦などの有名人がいる。宇野正美氏のユダヤ陰謀本や川尻徹氏のノストラダムス本が、よく売れていて版を重ねていたのも事実だ。まして、古代帝國軍総統・万師露観氏など、誰がどう見ても「弱い者」ではあるまい。
 abさんがこうしたメジャーな人たちをみんな無視し、僕がいじめたという「弱い者」として、三上晃氏の名前しか挙げていないのは興味深い。五島勉氏や矢追純一氏らの名前を挙げたら、自らの論旨が崩壊してしまうことに気づいているのだろう。
 基本的な知識を解説しておく。本が出版された時に著者に入る印税は、定価×発行部数の10%が普通。つまり1000円の本が増刷を重ねて10万部出版されれば、著者には1000万円が支払われるわけである。(厳密には源泉徴収されるので、これよりも少し少ない)
 五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』の公称発行部数は250万部、初版の定価は680円だったから、五島氏はこの1冊で約1億7000万円の収入を得たはずである。その後も『大予言』シリーズの続編やタイトルに『ノストラダムス』と書いている本を14冊も出していて、発行部数の総計は600万部を超えている。
 abさんは僕を「それをネタに本を出して金稼ぎに利用してた分、下手ないじめっ子よりタチが悪いです」と非難する。しかし、トンデモ本の著者たちがデタラメな内容の本を書いて大金を稼いでいることについては、なぜか目をそむけている。

「でも三上晃氏が弱者なのは事実だろう!?」と反論されるかもしれない。確かにその通り。しかし、僕らが弱者だけを狙って批判していたわけではないのも、明白な事実だ。
 僕は『トンデモ本』シリーズで取り上げる際、相手が有名人だろうと無名の人だろうと、金持ちだろうと貧乏だろうと区別しなかった。無名の人だから手を抜くなんてことはしたくなかった。
 また、abさんは僕がこういうことを書いていることは知らなかったようだ。『トンデモ本の逆襲』の「長いあとがき」である。(『逆襲』は読まなかったのかな?)


 どうか誤解なさらないように、催は三上氏が嫌いなわけではありません。それどころか、文章からにじみ出るお人柄にとても好感を抱いています。まだお会いしたことはありませんが、きっといい人に違いないと確信しています。実際、三上氏に会った人は口を揃えて「いい人だ」と言っておられます。
 三上氏を取材したある方の話によれば、三上氏はと学会が送った「日本トンデモ本大賞」の賞状をとても大事にされており、嬉しそうに見せびらかしておられたとのこと。お送りした甲斐があったと、僕は心の底から喜んでいます。
 ただ、「いい人」=「正しい人」とは限らないところが、世の中の悲しいところであり、面白いところでもあります。
 いくら三上氏がいい人であっても、「太陽黒点は大森林地帯だ」とか「原発から来た電気は放射能を帯びている」とかいう説に対しては、僕は「そりゃ違うよね」と言わざるを得ないのです。なぜなら、ここで「そのとおりです」と言ってしまったら、嘘をつくことになってしまうからです。三上氏がどれほど真剣に研究しようと、後援会のみなさんがいかに三上氏を崇拝しようと、太陽が熱いという事実は動かせないのです。
 三上氏の誤りを指摘することが三上氏に対する侮辱になるというのなら、「現代の天文学はすべて間違っている」と主張することは、まじめに研究している世界中の天文学者に対する侮辱になるということもお忘れなく。

 また、僕がトンデモさんたちに対してどんな感情を抱いているかも示しておく。『トンデモ本の世界V』(2007)のあとがきである。

 普通の人とトンデモさんの間に明確な境界線があるわけではない。人は誰でも(僕やあなたも)、根拠のないトンデモ説にハマってしまう可能性がある。僕自身、本やネットで勉強するうちに、これまで自分が信じていたことが間違いだと知らされて驚いた経験が何回もある。おそらくあなたも、気がつかないうちに、トンデモ説のひとつやふたつは信じてしまっているはずだ。
 言うならば、僕らはみなトンデモさん予備軍なのである。

 トンデモ本研究というのは、単に間違っている人を笑い飛ばすものではないと、僕は思っている。トンデモさんたちを自分とは違う人間だと思ってはいけない。自分も彼らと同じ人間であり、いつ同じような間違いを犯すかもしれないと常に警戒しなくてはいけない。
 他の人の間違いを参考にして、他山の石とすべきなのだ。

  
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2016年10月12日

弱者が常に正しいわけじゃない

 前の記事からの続き。
 なぜ僕がこの映画を純粋にアニメ映画として観てほしいかというと、2013年、原作の最初の読み切り版が『別冊少年マガジン』に載った時、Toggeterでこういう意見を目にしたからである。

求めていたのは和解ではなく拒絶~普通学校で虐められた聴覚障害者が読んだ聲の形~
http://togetter.com/li/459715

 僕もあの読み切り版の結末については不満があった。展開が唐突すぎて、安直に感じられたからだ。(そのへんは連載版や、今回の映画版でかなり改善されている)
 しかし、このマンガに不満を持つ人たちの意見を読んで、愕然となった。

>いっそ転校したあと、クラス全員がバス事故で死ぬくらいでないと納得行かない部分はあるよねw

>@kurage313 @ChromeTzahal もしくは少女がイジメのエスカレートで殺されるも、隠蔽されてしまう。残された両親はある男に依頼する。ってノリでクラス全員射殺されて「いじめ問題は日本において~」ってナレーションが流れてだな

>結局のところ、ひどい健常者と良い子な障害者という構図はお腹いっぱいなんですよ!ギャングスタみたいに惨殺するろうとかが俺はもっと見たいんです!です!

>唐突に宇宙からの怪音波が地球上に流れて、クラスメイト全員憤死してヒロインだけが生き残り、補聴器捨てられたおかげだ、主人公君ありがとう…ってラストがよかたよ

>おい、早くコラでコブラが現れていじめっ子やクソの担任をサイコガンでぶちのめす奴はよ


 いやいやいや、そりゃだめだろ!
 ギャグ作品ならともかく、あのリアルな世界観の話に、そんな現実離れした結末つけたら、話が台無しになっちゃうだろ!
 あの結末に不満があるのは分かる。でも、出てきた代案がどれも原作以上に現実離れしたものばかりってどういうこと? それこそまさに現実逃避じゃないの?
 僕はその時、思ったんである。「ああ、素人は創作という行為をこんなに安直に考えているのか」と。
 ストーリーのつじつまとか世界観とかテーマ性とかはどうでもよくて、とりあえず自分の個人的なうさが晴らせたら満足なのか。
 でも、そんなのは創作じゃないんだよ。

 あと、なぜか硝子を無抵抗で心優しいだけの天使のようなヒロインだと思いこんでいる人が多いのが不思議。
 硝子が将也に飛びかかって、取っ組み合いのすごい喧嘩をするシーンが、記憶から飛んでるんだろうか? 僕はあのシーンがいちばん印象に残ったんだけど。
 言葉が不自由なせいで、うまく自分の意思を表現できなかった硝子だけど、実は内に激情を秘めていたことが分かる──まさに「障碍者も普通の人間だ」ということが示された場面だったから。

 今回の映画でも、こんな意見を目にした。

『聲の形』はいじめっこ向け感動ポルノなのか
http://togetter.com/li/1027520

>「聲の形」観た。これは悪質な加害者救済物語。周囲にさまざまなクズを配置することによって相対的に主人公がマシにみえるようにしてるし、主人公を筆頭にさまざまなクズひとりひとりが最終的に救われる構図だし、聴覚障碍者の子はそのためだけに存在している。物語の道具であり健常者の道具でしかない

 同様のことを書いている人は多い。いじめの加害者である主人公が救われるのが許せない、というのだ。
 ……あのですね。
 僕も子供時代にいじめられてた一人だから言わせてもらうけど、そういう言い方はものすごく危険だよ?
 もちろん、自分をいじめた人間を「許さない」と思う心理は理解できる。僕もそうだから。
 でも、この場合は違う。主人公の将也は確かに最初は硝子をいじめていた。でも、その後でいじめられる側に転落した。そして自分のやったことを反省する一方、自殺を考えるところまで追い詰められてしまった。
 つまり、この物語を否定する人たちは、いじめに遭って自殺寸前まで追い詰められた少年を、「許してはいけない」「救われてはいけない」と主張しているわけである。
 それ、まさに「いじめ」じゃないの?

 他にもこの人、こんなことも書いている。

>あとこれ「君の名は。」もそうだったんだけど、ヒロインが内股。いらっとする。べつに内股の女にいらっとするってわけじゃない。ヒロインを内股にする男の作者の女性観に超絶いらっとするんだよねー。

『聲の形』は原作者も脚本家も監督も女性です!
 内股の女性の絵を見ただけで、「作者は男性」と思ってしまうのって、それこそ性差別意識じゃないのか?

 僕は前にこういう文章を書いた。

いじめ問題:やっぱりこんな事件が起きていた
http://hirorin.otaden.jp/e244973.html

世の中にはこんなにも異常者が多い、という話
http://hirorin.otaden.jp/e247570.html

 繰り返すが、僕はいじめ被害者である。
 だからこそ言うが、いじめ被害者たちの主張が常に正しいわけじゃない。
 理想を言えば、いじめなんてものが根絶されることがいちばんいい。いきなり根絶は無理にしても、少しでも被害者を減らすべく努力するべきなのだ。
 しかし、世の中には、いじめ加害者や事件の関係者を殺していいとか、事件と無関係な人に冤罪を着せ、いくら迷惑かけてもかまわないとか思っている人間がいる。被害を少なくするどころか、かえって被害を拡大しようと願っている。
 僕はそんな考えを絶対に容認しない。
 はっきり言うが、そんな思想は「悪」だ。 自分がいじめられていたからって、悪に加担してはいけない。

 ちなみに、『僕の光輝く世界』の第1話は、2012年のこの一件をヒントにしている。
 主人公をいじめ被害者と設定したうえで、いじめを憎む世間の人々の歪んだ正義が暴走し、悲劇を生む様を描いた。
 そんなことが起きてほしくないから。


https://www.amazon.co.jp/dp/4062188465   


Posted by 山本弘 at 19:25Comments(12)社会問題アニメ

2016年10月12日

映画『聲の形』

 公開直後に観てきました。

 これは声を大にして言いたい。「この作品は純粋にアニメ映画として評価してほしい」と。
 変な色眼鏡で観ないでほしいし、ましてや観もしないで悪評立てないでほしい。

 とにかく出来がいいんだよ!
『けいおん!』『たまこまーけっと』『中二病でも恋がしたい!』『響け! ユーフォニアム 』などを手がけてきた山田尚子の、現時点での最高到達点と呼びたい作品。
 全編、人と人の心理的距離を、画面上の距離で表現するという手法が駆使されていて感心する。観てて今この二人がどれぐらい心理的に近づいているか、あるいは離れているかが、サブリミナル的に観客に理解されるようになっているのだ。
 だから、その距離を無視して強引に接近してくる植野や永束の不快感が、ストレートな不快表現を用いることなく印象づけられる。特に、将也の自転車の荷台に乗ってくる植野! 顔も声もかわいいのに、すっごく不快なの!
 永束の場合も、悪い奴ではないんだけど、他人との正しい距離が理解できないせいでみんなから嫌われてるんだというのが、やはり説明なしでもよく分かる。つーか、こいつ、昔の自分を見るようですごく痛いんですけど(笑)。
 将也と結絃の傘越しの会話(この時点では、結絃は将也のことを許していない)とかも、傘が「心の壁」を表現している。
 あと、二人の人物が向かい合って話しているシーンでも、心がつながっていないと、一人称視点で相手の首から下しか描かない。相手の顔をまともに見ていないわけである。わざわざキャラクターの表情を描くまでもなく、心理が伝わるのだ。
 原作でも、将也が他人を拒絶している状態を、相手の顔の上に×を描いて表現していたけど、この映画でも同様に、キャラクターの心理を、台詞による説明や表情でストレートに描くんじゃなく、演出(特にレイアウト)で表現してるんである。
 なぜかというと、もちろん、主要キャラクターである硝子が言葉が不自由だから、台詞に頼ることなく心情を表現することに重点を置いているからだろう。
 個人的にすごく印象に残ったのは、硝子がベッドの上で足をばたばたさせるシーン。足しか描いてないのに、彼女の心理が伝わってきて、すごくかわいくて笑っちゃうの! 何この高等テクニック(笑)。

 他にも、「さすが京アニ」と感心するカットが多数。最初の方の、将也がただ歩くシーンの短いカットでも、「うわっ、すげっ」と驚いたし。
 何度も出てくる水中シーンなんかも、『Free!』のノウハウの蓄積を感じさせた。
 リアルな設定の作品だが、おそらく実写化したってこれほど面白くはなるまい。アニメならではの快感である。

 あと、硝子役の早見沙織さんの演技にも拍手を送りたい。難しい役なのに、よくぞこなした。かなり練習したんだろうなあ。

 無論、100点満点とは言わない。全体に話が偶然に頼りすぎているのが気になる。知っている人間と街でばったり出会うことが多いのだ。
 特に後半、将也が入院するくだり(ネタバレになるので理由は書かない)は、かなり展開に無理があって、このへんはもっと自然な展開はなかったのかなあと思ったりもする。
 でも、その後のクライマックス、学園祭のシーンが、やっぱり快感なんである。

「いじめ」や「身障者差別」を扱った物語だが、そうした限られた側面だけを見ないでほしい。どうか物語全体を見てほしい。
 小学校時代、いじめを受けていた少女と、その家族。いじめの加害者側から被害者側に転落した少年と、その家族。今もいじめを受けている者。かつて自分がやったいじめを反省していない者。いじめの自覚がない者。そんな過去があったことを知らない者……それぞれの視点で描かれる。
 どの視点が正しいか、ということはない。原作者も監督も、安直な結論を出してはいない。将也が結論めいたことを口にしたら、あっさり否定されたりする。
 現実に存在する問題に、安直な結論を出してはいけないからだ。

 個人的には、悪役である植野が罰せられていないことに、逆にリアリティを覚えた。
 彼女が何らかの罰を受けていたら、勧善懲悪の物語にはなってはいただろうが、リアルな話にはならなかっただろうから。

  


2016年03月16日

「保育園落ちた」陰謀論

 例の「保育園落ちた日本死ね!!!」ブログに対して陰謀論が起きている。政府を攻撃するために作られたニセのブログではないかというのだ。
 なんと、「誰が書いたんだよ」などとヤジを飛ばした平沢勝栄議員自身が、「これ、本当に女性が書いた文章なんですかね」と言いだした!

http://www.huffingtonpost.jp/2016/03/09/katsuei-hirasawa-hooted_n_9423292.html

 当たり前だけど、あの文章を女性が書いたものではないとする証拠なんかない。
 そんなことを言いだしたら、どんな歴史的文書だって、タイムマシンで過去に戻ってそれを本人が書いている現場を確認できない以上、「これ、本当に○○が書いた文章なんですかね」と疑うことが可能になる。
 証拠のない主張に、何の意味がある?

 mixiニュースのつぶやきでも、陰謀論を唱える者が多い。

「保育園落ちた」きっかけに2万7千署名 制度充実求め
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=3890657&media_id=168

>こっちにも張っとくか 日本共産党による『保育園落ちたの私だ』デモ なりすましの可能性 な ん と デモ後の打ち上げで韓国酒whttp://hosyusokuhou.jp/archives/47002172.html あ~やっぱり(棒

 焼肉食べながら韓国酒飲んだら韓国人である証拠らしいです(笑)。 だったら中華料理食べながら中国酒飲んだら中国人である証拠か? メキシコ料理食べてテキーラ飲んだらメキシコ人である証拠?

>こいつらみんな共産顔と朝鮮顔だなwww(感想はあくまで個人的なものであり、事実とは異なる場合があります)

「朝鮮顔」も変だけど「共産顔」って何(笑)。

>保育士が辞める原因“モンペ”ってのが、この一連の流れを見ててどれだけ恐ろしいのかがよく分かる。基本、モンペの人たちって在日だと思ってるが…。

 保育士が辞める主な原因は労働環境の劣悪さなんですけど? だいたい「モンペの人たちって在日」と思う根拠は?
 つーか、保育所不足の問題に在日コリアン、何の関係もないよね?

保育園落ちたブログ 「日本死ね!」とつぶやいた女性が現在の心境を明かす 「正直、反応の大きさに驚いている」とまどいも…
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=3890173&media_id=133

>日本死ね!なんて普通の主婦が言うか?憲法9条にノーベル平和賞の怪しげな主婦(プロ市民)と同じ臭いがするんだよ。

 なんで普通の女性が言わないと思うんだ? つーか、憲法9条も関係ないし。

>東京都内の30代の女性? 母親だかなんだか知らんが、日本中の朝鮮成分の三分の一はこの女に取憑いているな。

「朝鮮成分」(笑)。なんか「朝鮮」が悪霊扱いされてるぞ。

>保育園落ちた~ってつぶやきは毎年沢山あるのにこれだけが広まったってのは最初から裏があるんじゃないかという気がします。

 論理が逆だ! 毎年たくさんある中から、たまたま国会で取り上げられたから話題になったんでしょ?
 そもそも「保育園落ちた」というつぶやきが毎年たくさんあるということは、それをわざわざ新たに創作する必要なんかないってことなんだけど、そんな理屈も分からないのだろうか? 

>”共産党プロデュース”ということはネットで暴かれてますけど?

 ええっと、それって保守速報かどこかですか?(笑)

>氏素性も知れぬ上に、更に手際よく共産党が便乗しているのに、よく「市井の人」だと断言できるもんだwww自作自演サポーター乙www

 政府への抗議に共産党や反安倍主義者が便乗するのは、不自然でも何でもないですが? 便乗しなかったらそれこそ不自然でしょ?

>デモの打上で韓国料理で酒飲んでたらしいじゃないですか?母親が酒飲んでる間に子供は何処行ったニダ?そもそもガキなんて居るのか?

 先週号の『週刊文春』によれば、この女性はデモには参加していませんが?

>「日本死ね!」って書いてる時点で在日なんだろ?どうせ。

>朝鮮人でしょ?

>共産党が出てくる時点で察し。

>で、日本死んだら祖国チョーセンにでも子供を預ける気でしょうか?

>「日本死ね」って朝鮮人の口癖でしょ。働きもせずデモやってるヒマ人が保育園に受かってたまるもんか。、

>共産党の名前があるだけで胡散臭い。在日ならではの言葉だねぇ。

>「生粋の日本人」なら「日本死ね」なんて言わないよな。普通は。


 だから何でそう思っちゃうんですか?
 あと、陰謀論とは違うけど、この女性に対して「お前が死ね」と暴言吐いてる奴も多数。彼らのモラルでは、女性が「日本死ね」とは言っちゃいけないけど、女性に向かって「お前が死ね」と言うのはかまわないらしいぞ(笑)。

 ツイッターでも盛り上がっている。

待機児童工作に釣られてる人達
http://togetter.com/li/945887#c2537786

「保育園落ちたの私だデモ」を画像などから考えてみる
http://togetter.com/li/948103#c2551670

 僕はtogetterのコメント欄に、こう書いた。

>本物の陰謀と妄想の「陰謀論」の違いは、具体的な証拠があるかどうか。「俺はそう思った」というのは証拠じゃないからね?

 ところが、あきれたことに、そのすぐ下に、別の奴がこんなコメントを書いたのである。

>自治体やそこの担当者への不満でなくいきなり「日本死ね」になっちゃってるのも不自然なんですよね。どこが保育園担当なのか知らないのかと。こんな違和感だらけな行動で疑惑を持つなという方が無理だと思います。

 いやいやいや、僕はこの女性の激しい怒りが「日本死ね」という暴言になるのはまったく「不自然」とは思わなかったし、「違和感だらけ」とも思わなかったんですけど?
 確かに「日本死ね」は暴言である。それは僕も否定しない。しかし、この女性は保育園に落ち、激しく怒っていた。ものすごく腹が立った時に思わず「死ね」と言ってしまうことは、誰だってある。
 それに待機児童問題への不満は、「自治体やそこの担当者」にぶつけたってどうなるものでもない。いわば今の日本社会全体の構造が抱えている問題だ。まして首相は「一億総活躍社会」なんてスローガンを掲げてるんだから、「どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか」と愚痴りたくなるのも分かる。
 それが「日本死ね」という言葉になることの、どこが「不自然」なのだろう? むしろ自治体の担当者の名前を出して「〇〇死ね!!!」なんて書いたら、そっちの方がよっぽど問題じゃないか?
 つまり、「不自然」「違和感」というのは、そう言っている人の主観──「俺はそう思った」にすぎないんである。
 具体的な証拠ではなく、こうした主観を根拠に語るのが「陰謀論」だ。

 たとえば「アポロの飛行士の月面活動の映像は不自然だ! あれはやらせだ!」というのは、典型的な陰謀論。
「東日本大震災は不自然だ! あれは人工地震だ!」とかいうのもそう。
 反原発派の人が批判されると、相手を「御用学者」とか「原発推進派の工作員」とか決めつけたりするのもそう。

 もちろん、世の中には本物の陰謀もある。
 たとえばウォーターゲート事件。民主党本部に盗聴器を仕掛けようとした奴が逮捕されて、しかもニクソンが関与していたことが分かった。そうした証拠が出てきたからこそ、本物の「陰謀」であることが証明されたのだ。
 でももし、何の証拠なしに「誰かが私の生活を盗聴している。どこかに盗聴器が仕掛けてあるに違いない」と言いだす人がいたら、それは陰謀論──もっとストレートに言えば「頭がおかしい」。
 でもねえ、そういう妄想を抱いている人間って、けっこういるんだよね……。

 で、僕がいちばん腹が立ったのは、こんなこと書いてる奴。

>『疑うのは面倒だ、考えるのは面倒だ、誰かの言ったことを鵜呑みにするのは楽でいいーその心の隙に、トンデモは忍び込んでくるのだ。疑う心は、トンデモの予防策である」とトンデモ本の世界Rで「疑うことの大切さ」を説いた山本弘さんが『何でもかんでも陰謀に見えてしまう「陰謀脳」』とか言い出すとはなあ。

 いやいやいや何言ってんだよお前!
 僕が説いている「疑うことの大切さ」というのは懐疑論だよ。陰謀論っていうのはまさに、誰かが言ってることや、自分がふと思いついたことを、何も考えずに鵜呑みにしちゃうこと。懐疑論とは正反対なの。
 そんな基本的なことから説かなくちゃいけないのか……(ため息)。

 そもそもみんな忘れてるかもしれないけど、今回の騒ぎが何で拡大したかって言ったら、単に「保育園落ちた」ブログが国会で取り上げられただけじゃない。「誰が書いたんだよ」「ちゃんと本人を出せ」というヤジが飛んだからだ。
 それがきっかけで、保育園に子供を預けられなかった人たちの怒りが爆発し、ツイッターで「#保育園落ちたの私だ」というタグが炎上した。

「保育園に落ちたの誰だ?私だ!デモ」が起こりそうな雰囲気高まる #保育園落ちたの私だ
http://togetter.com/li/945691

 自民党の平沢勝栄議員のヤジがなかったら、こんな大騒ぎにはならなかった。
 つまり、これが陰謀だとしたら、そのシナリオには平沢議員も加わってることになる。
 その方がよっぽど「不自然」だろ?

 他にも、こんな意見も飛び出した。

「『保育園落ちた』の署名を渡したママはブランド品の抱っこ紐を使ってるからプロ市民」に対する反応
http://togetter.com/li/949308

 デモに参加した女性たちの写真が「プロ市民臭い」「全員がオサレママ()御用達の某海外ブランド品を使っている」と邪推する人が出現。
 しかし、その「海外ブランド品」とは、エルゴベビーという人気商品で、今はお母さん方がごく普通に使っているものだった。
 知っている人間にとってはごく普通のことなのに、知識のない人間にとっては「不自然」で陰謀の証拠に見える……これはアポロ陰謀論や神州7号陰謀論とまったく同じ構造である。

 結論。
 陰謀論というのは、自分の世界観と現実の世界が食い違うところに生じる。

 Aという勢力が好きな人が、Aを貶めるような情報を目にする。
 その逆に、Bという勢力を嫌っている人が、Bを貶める情報が少ないことに不満を抱いてる。

 そこで彼らは、自分の世界観と現実のギャップを、主観による陰謀論で埋めようとする。

「Aを貶める××という情報はBの流したデマだ」
 とか、
「Bを貶める情報は隠蔽されているのだ」
 とか。

 ぶっちゃけて言えば「現実逃避」だ。

 保育園が足りない。子供を預けたくても預けられない人が大勢いる。それが現実。
 陰謀論を唱える人間は、その現実から目をそらしたいだけだ。

  
タグ :陰謀論デマ


Posted by 山本弘 at 15:42Comments(39)社会問題ツイッター

2015年03月30日

近頃はやりのお手軽・ニセ歴史

 ニセ科学ならぬニセ歴史というものがある。
 ちょっと前まで、超古代文明がどうこういう話を信じている人が多かったけど(今ももちろんいる)、最近、それが変わってきているように思える。古代ではなく、資料もたくさんある近代の歴史について、嘘やデタラメを書き、歴史を書き換えようとしているものが目立つのだ。
 いわゆる「歴史修正主義」というやつだけど、「主義」など呼べる大層なものじゃない。単なる「素人の思いつき」程度のものを書き殴っただけのものが多い。当然。初歩的な間違いだらけなので、歴史にそれほど詳しくない人間でもツッコめる。
 今回はそういうのをいつくか並べてみた。

●例1・江戸しぐさ

 これなんかまさに、ニセ歴史の典型。前に書いたので、今回は省略する。

http://hirorin.otaden.jp/e362859.html

●例2・「関東大震災時の朝鮮人虐殺はなかった」

『翼を持つ少女』でも取り上げたけど、実際、近年になってこういうアホな説が唱えられ、それを信じる者が出てきている。
 ちなみにこの珍説を最初に唱えた『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』という本、産経新聞が出版している。AMAZONのレビューを見ると、やはり騙されている人間が多いことがよく分かる。

http://www.amazon.co.jp/dp/4819110837

 ネット上ではきちんと反論ページを作ってくれている方がいる。

「朝鮮人虐殺はなかった」はなぜデタラメか
http://01sep1923.tokyo/

 要するに、震災直後に流れた「朝鮮人暴動」のデマを本気にする一方、虐殺に関する大量の記録や証言をすべてなかったことにするという、まことに単純な手法なのだ。
 一方、『九月、東京の路上で』の方には、上の『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』に騙されたと思われる者たちが、大量の低評価をつけている。トホホ。

http://www.amazon.co.jp/dp/490723905X/

●例3・「少年犯罪は凶悪化している」

 これなんかも一種の歴史修正主義だろう。「昔の少年犯罪は今ほど凶悪じゃなかった」というニセ歴史を唱えてるわけだから。

稲田朋美政調会長「少年犯罪が凶悪化~」→根拠はあるの? Twitterの議論まとめ
http://togetter.com/li/789102

 竹田恒泰も「特に最近は、少年の凶悪犯罪が非常に増えてて」などと、テレビで堂々とデタラメを言っている。 しかも例に挙げてるのが「女子高生コンクリート詰め殺人事件」! いや、それ最近の事件じゃねーし。27年も前の事件だし。

https://youtu.be/AQLIy8gt3kE
(10分50秒のあたり)

 戦前や戦後すぐの少年犯罪がどれほど凶悪だったかは、少年犯罪データベースを見ればすぐに分かる。最近の傾向を見ても、特に凶悪化しているようには見えない。
 要するに、過去にたくさんあった凶悪事件を忘れているので、「犯罪が凶悪化している」という錯覚が生じるのだ。

少年犯罪データベース
http://kangaeru.s59.xrea.com/

●例4・「インパール作戦は成功したのである」

 太平洋戦争の中でも特に無謀で無計画、大勢の犠牲者を出して失敗に終わったことで名高いインパール作戦。それをまさか賛美する人間が現われるとは夢にも思わなかった。

日本会議のインパール作戦の記述に牟田口廉也中将がツッコム
http://togetter.com/li/792328

インパール作戦はどれほど無謀な作戦だったのか?
http://togetter.com/li/792801

 これほど見事に失敗して何万人もの兵士を無駄死にさせた作戦を肯定的に評価できるんだったら、もう何でもありだぞ!

●例5・「古代の昔から、日本という国は穏やかな民主主義精神に富んだ国家であった」

神話や建国記述「間違ってない」「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励
http://www.sankei.com/life/news/150222/lif1502220014-n1.html

 仁徳天皇の「民のかまどは賑わいにけり」という話は、僕も子供の頃に何かで読んだ。理想的な支配者のあるべき姿を示したいい話だと思うし、フィクションだと説明すれば、べつに子供に教えてもかまわないと思う。
 でも、仁徳天皇と昭和天皇、たった2例(しかも一方は伝説というか神話)を元に、こんな結論を導いちゃだめだろ。

> このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

> 日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。
> 古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

 えー(笑)。
 そもそも日本の歴史の中で、天皇がずっと政治の実権を握ってたわけじゃない。
 天皇や将軍が世襲制で、もちろん選挙なんかなく、身分の差もあった時代が「民主主義精神に富んだ国家」ってどういうことだ? この人の「民主主義」の定義って何だ?
 あと、明治維新は日本人同士が殺し合ったんじゃないのか?
 これは完全なニセ歴史。「水伝」や「江戸しぐさ」と同じぐらいデタラメだ。中学の校長ともあろう者が、こんなの子供に教えちゃだめだろ。

 こうしたお気軽・ニセ歴史、どれも基本的な歴史の知識があるか、知識がなくてもちょっと調べればすぐ論破できるものばかり。
 問題は、歴史に関する知識がなく、検索しようともしない人間が多いということ。そういう人間はころころひっかかる。「真実を初めて知った!」と感動するのだ。
 しかも、日本会議とか産経新聞とか、影響力のある組織やメディアが、こうしたニセ歴史を擁護しているという事実。
 彼らもやはり歴史に無知で、ニセ歴史に騙されているのか、それともニセ歴史と知りつつ広めているのか?
 どっちにしてもダメだろ。
  
タグ :ニセ歴史


Posted by 山本弘 at 18:22Comments(30)社会問題