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2010年03月18日

「非実在青少年」規制:目に見える形で反論を提示する

「確かに。マンガ家にとっては死活問題ですよね」私はうなずいた。「『ドラえもん』、どうすんですかね。しずかちゃんの入浴シーンのある話、みんな欠番にするんですか?」
「修正してパンツ穿かせるとか?」
「『エスパー魔美』も発禁ですよね」
「それは悲しい! 悲しすぎる」
 笑い事ではない。手塚治虫、石ノ森章太郎、永井豪、竹宮惠子といった巨匠の有名な作品でも、少年や少女の全裸のシーンやセクシャルなシーンなんていくらでもあるのだ。それらがすべて違法ということになったら、マンガ界は壊滅的な打撃を受ける。表現規制を唱えている人たちは、そうした事実を認識していないとしか思えない。これだけマンガが日本の文化に深く浸透しているというのに、いまだに「たかがマンガ」と軽んじているのだろうか。
「でも、こわいですよね。日本の文化を揺るがす大問題のはずなのに、マスコミでもほとんど取り上げられないじゃないですか。一部の議員の扇動であっさり通過しちゃいそうで、やばいですよ」
「『マンガなんて自分には関係ない』と思ってる人が多いんですよ」とアオさん。「まず、一般人とマニアの意識のギャップを埋めなきゃだめですね」
――山本弘『詩羽のいる街』第4話より

 昨日、mixi日記に「目に見える形で反論を提示する」という文章を書いたら、けっこう評判が良くて、何人もの方に転載していただいた。
 だから少し書き直して、こちらのブログにも転載することにした。トラックバック、転載はご自由に。

--------------------
 しつこくこの関連の話題を書かせてもらう。
 規制賛成派の意見を見ていて思ったのは、彼らは「表現の自由なんて踏みにじってかまわない」と思っているらしいことだ。

 だって「自由」は目に見えないから。

「自由」は空気みたいなものだ。そこらじゅうに存在しているのに、漠然としていて、目に見えない。人はそれに支えられて生きているにもかかわらず、普段、そんなものの存在を意識していない。だから「ちょっとぐらい減っても生きていけるでしょ?」と勘違いする人間もいる。
 空気と同じく、「自由」も欠乏したら窒息するということが、彼らには理解できていない。

 だから「表現の自由」を錦の御旗として振りかざしても、その大切さが分からない人には、アピールしないんじゃないかと思うのである。
 彼らにはもっと目に見えるものを突きつけなくちゃだめだ。
 そこで、こんなアピールの方法を考えた。

 日本の少年マンガの中で、性的描写や暴力描写が頻出するようになったのは、1960年代末からである。その牽引役が永井豪氏であることは言うまでもない。もちろん他にもエロいマンガやバイオレンス・マンガを描いていたマンガ家は何人もいたのだが、最も有名で、当時の子供たちに最も影響力があったのは、この人だと思って間違いなかろう。

 主要作品   連載期間
『ハレンチ学園』1968~72
『あばしり一家』1969~73
『デビルマン』1972~73
『マジンガーZ』1972~74
『キューティーハニー』1973~74
『バイオレンスジャック』(週刊少年マガジン版)1973~74
『イヤハヤ南友』1974~76
『けっこう仮面』1974~78
『へんちんポコイダー』1976~77

 永井氏の人気の絶頂期が60年代末から70年代後半であったことが分かる。
 この時代を生きた人なら、『ハレンチ学園』が巻き起こした一大センセーションをご記憶のはずである。これらの作品のどれも、未成年の全裸、セクハラ、下品なギャグ、暴力描写、残酷描写などがてんこ盛りだった。『けっこう仮面』なんか全裸で「おっぴろげジャンプ」をやるのだ。正直、今の少年マンガのエロ(『To LOVEる』とか)なんて、永井豪作品に比べれば生ぬるいぐらいである。もちろん当時、PTAなどに「有害だ」とさんざん叩かれた。
 規制推進派によれば、こうした作品は「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺若しくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」ということになろう。つまり永井豪作品のような不健全なマンガが増えることによって、青少年の性犯罪、自殺、殺人などが増加していたはずである。
 実際はどうだったか。青少年によるレイプ、自殺、殺人の推移を見てみよう。

強姦被害者数
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-youjyoRape.htm#G-youjyoR1-2

 60年代後半から急降下している。

各年齢層10万人当たりの若者自殺率
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Jisatu.htm

 1965年からほぼ横ばい。

未成年の殺人犯検挙人数
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-Satujin.htm

 60年代後半から、すごい勢いで急降下!

 無論、大勢のレイプ犯の中には、永井豪作品に刺激されて犯行に走った者が何人かいた可能性は否定できない。だが、それは実証できない。
 たとえ何人かそういう奴がいたとしても、この時代の急激な犯罪率低下の波に飲みこまれ、データからは見えなくなっている。
 3番目のグラフから分かるように、日本で少年による殺人が最も多かったのは、戦後の混乱期を除けば、1961年である。マンガは『鉄腕アトム』や『鉄人28号』の時代。少年や少女の読むマンガにエロい描写や残酷描写などまったくなかった。エロゲやエロアニメどころか、TVゲームやTVアニメというものすら無かった時代である。

 さらに、規制推進派の主張からすると、青少年向けマンガの表現規制が日本よりはるかにきびしいアメリカやイギリスやカナダや韓国に比べ、日本の犯罪率は高いはずである。
 現実はこうだ。

人口1000人当たりのレイプの件数
http://www.nationmaster.com/graph/cri_rap_percap-crime-rapes-per-capita
 日本は65ヶ国中54位。韓国16位、イギリス13位、アメリカ9位、カナダ5位。

人口1000人当たりの殺人
http://www.nationmaster.com/graph/cri_mur_percap-crime-murders-per-capita
 日本は62ヶ国中60位。イギリス46位、カナダ44位、韓国38位、アメリカ24位。

人口1000人当たりの若者による殺人
http://www.nationmaster.com/graph/cri_mur_com_by_you_per_cap-murders-committed-youths-per-capita
 日本は57ヵ国中57位! イギリス52位、カナダ&韓国39位(同率)アメリカ14位。

 少ねー! 日本の犯罪、少ねー!
(ちなみにこの統計には、中国や北朝鮮、アフリカの多くの国が入っていない。それらを入れれば、たぶん日本の順位はもっと下がる)
 これは世界に誇るべきだ。日本はこれだけエロマンガやエロゲーが氾濫しているにもかかわらず、世界の中でも、とてつもなく犯罪の少ない国なんである。

 さらにアメリカのデータを見てみよう。
 アメコミ・ファンならご存知だろうが、アメリカでは1949年ごろから、精神科医フレドリック・ワーサム博士が、コミックスが青少年に与える害を説きはじめた。当時のコミックスには、残酷なシーンやセクシャルなシーン(斧で切断された首、目をナイフでえぐられようとしている女性、ムチで打たれている女性、きわどい衣裳で踊る女性、下着姿で縛られた女性などなど)が多かったのだ。こうしたコミックスは青少年を堕落させ、犯罪に走らせると考えられた。
 全米で激しい反コミックス運動が起きた。出版社やニューススタンドには「俗悪なコミックスを売るな」という抗議が殺到。一部の地方では、大量のコミックスが学校の校庭などに集められて燃やされた。
 1954年、合衆国議会の少年非行対策小委員会は「コミックブックと非行」と題するレポートを発表、青少年に悪影響を与える可能性のある表現を規制するよう、コミックス出版界に勧告した。
 これを受け、全米コミック雑誌協会は「あらゆるコミュニケーション・メディアの中でもっとも堅苦しい」と彼ら自身によって評されたコミックス・コードを制定した。1954年8月26日のことである。
 その内容は次のようなものだった。

Wikipedia「コミックス倫理規定委員会」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%80%AB%E7%90%86%E8%A6%8F%E5%AE%9A%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

「犯罪者を魅力的に描いたり、模倣する願望を抱かせるような地位を占めさせるような表現を行うべきではない」
「いかなる場合においても、善が悪を打ち負かし、犯罪者はその罪を罰せられるべきである」
「残忍な拷問、過激かつ不必要なナイフや銃による決闘、肉体的苦痛、残虐かつ不気味な犯罪の場面は排除しなければならない」
「いかなるコミック雑誌も、そのタイトルに『horror』や『terror』といった言葉を使用してはならない」
「あらゆる、恐怖、過剰な流血、残虐あるいは不気味な犯罪、堕落、肉欲、サディズム、マゾヒズムの場面は許可すべきではない」
「あらゆる戦慄を催させたり、不快であったり、不気味なイラストは排除されるものとする」
「歩く死者、拷問、吸血鬼および吸血行為、食屍鬼、カニバリズム、人狼化を扱った場面、または連想させる手法は禁止する」
「冒涜的、猥褻、卑猥、下品、または望ましくない意味を帯びた言葉やシンボルは禁止する」
「いかなる姿勢においても全裸は禁止とする。また猥褻であったり過剰な露出も禁止する」
「劣情を催させる挑発的なイラストや、挑発的な姿勢は容認しない」
「不倫な性的関係はほのめかされても描写されてもならない。暴力的なラブシーンや同様に変態性欲の描写も容認してはならない」
「誘惑や強姦は描写されてもほのめかされてもならない」

 などなど、まさにがんじがらめの規制。今の日本のマンガ雑誌、軒並みアウトですな。(笑)

 暴力表現や性的な表現にきびしい規制が設けられた結果、コミックス界全体から活力が失われた。ニューススタンドがコミックスを置かなくなったこともあり、読者の多くがコミックスを買わなくなった。
 コミックス・コード制定前、コミックス誌は650タイトルもあり、毎月1億5000万部も発行されていたのだが、ほんの数年で半減してしまった。多くの出版社がコミックスから撤退した。フィクション・ハウス社やベター社など、倒産した出版社もいくつもある。
 その結果、アメリカの犯罪は減っただろうか?
 これを見ていただきたい。アメリカの指標犯罪(凶悪犯罪や窃盗犯)の件数をグラフにしたものだ。




 まさに一目瞭然! コミックス・コードが施行された54年以降、アメリカの犯罪は減るどころか、急カーブを描いて上昇しており、1980年には3倍にもなっている!
 Wikipediaの解説にもあるように、80年代頃からコミックス・コードを破る作品(『ウォッチメン』や『バットマン/キリング・ジョーク』など)が次々に出てきて、現在ではほとんどコードは形骸化している。

 ちなみにこのアメリカの指標犯罪のグラフは、前田雅英『少年犯罪』(東京大学出版会)という本から引用したものである。
 そしてこの前田雅英氏こそ、今回の「東京都青少年の健全な育成に関する条例」の改正案を出した東京都青少年問題協議会の専門部会長なのである。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/KONDAN/2010/01/40k1e101.htm
 どうなってるんだろうか。前田氏は自分の本に載せたグラフの意味を理解していないのか。
 つまり、マンガの表現と青少年の犯罪の間には、規制推進派が主張するような正の相関関係ではなく、負の相関関係(表現が過激になれば犯罪が減る)があるのだ。
 無論、相関関係があるからといって因果関係があるとは断言できない。相関関係はあっても因果関係のない事例はいくらでもある。
 だが、少なくとも、相関関係が存在しないところに因果関係を求めるのは無茶だということは、子供でも分かるだろう。
 それに、もしかしたら本当に因果関係があるのかもしれない。海外では「ポルノが性犯罪を抑制している」という研究があることもつけ加えておく。

Porn: Good for us?
http://www.the-scientist.com/article/display/57169/

 規制推進派の人たちはこうしたことを知らないのだろうか?
 そんなことはない。彼らは知っている。第28期東京都青少年問題協議会議事録(第10回専門部会)には、こんなくだりがある。

http://www.seisyounen-chian.metro.tokyo.jp/seisyounen/09_28ki_menu.html

>○吉川委員 (中略)特に、答申案の46ページに、そうした図書が自由に流通していることによって、子どもたちがこのような性交をしても構わないという認識を青少年が持って、健全な性的判断能力が大きくゆがめられることになると言い切っていますが、ここについて、その根拠はどこかと言われたら、それあくまで我々としては、たぶんそうだろうという認識であるとしか言えなくて、私自身、別に過激な漫画、子どもポルノについて容認する立場では全くないのですが、こうした指摘に対しての見解案としては、少しピントがずれていると言われても仕方がないのかなと危惧しております。

「たぶんそうだろう」というのが根拠なのだそうだ。

>○吉川委員 私としては、性犯罪の減少も目的の一つであると言ってしまって、ただ、そうした創作物が性犯罪の発生と密接な因果関係があるかどうかを、必ずしも統計を示してまで立証する必要はなくて、逆に、関係がないという根拠もないわけなので、だから、統計的なデータがないから犯罪との因果関係がないとは別に言い切れないと突っぱねたらいいと思います。

 立証する必要はないし、データがなくても「突っぱねたらいい」のだそうだ。
 ふざけるな。
 お分かりだろう。彼らは自分たちの主張を支持する根拠がないことを知っている。にもかかわらず、規制を主張するのだ。これはもう、「データなんかどうでもいい。俺たちは規制したいからするんだ」と自白しているようなものである。

 まとめよう。

【規制によるメリット】
・表現を規制すれば青少年への悪影響が少なくなって犯罪が減る。(ただし証明されていない。データは正反対の相関を示している)

【規制によるデメリット】
・表現を規制すれば逆に犯罪が増える可能性がある。(因果関係は証明されていないが、相関関係はある)
・出版業界、アニメ業界、ゲーム業界が打撃を受け、多大な経済的損失が生じる可能性が高い。
・冤罪事件や言論弾圧に悪用される危険がある。

 グラフを提示するとともに、「このメリットとデメリットを比較してください。あなたなら規制に賛成しますか?」と問いかけてみるというのはどうだろうか。
「表現の自由」という抽象的な概念に頼らなくても、これぐらい具体的に、目に見える形で提示すれば、理解してくれる人は増えると思うのだが。

--------------------

「なあなあ、日本ってすっごく治安いいんだって? 街中でホールドアップされたりしないって本当? タクシーに仕切り板がないってのも? 道端にコインの詰まった自動販売機が置いてあっても、誰にも壊されないって?」
「ええ」
「すげえなあ。夢みたい」アリッサは信じられない様子で、何度も頭を振った。「地球上にそんな国、あるんだなあ」
――山本弘『妖魔夜行/戦慄のミレニアム』より

  

Posted by 山本弘 at 18:40Comments(9)TrackBack(10)社会問題

2010年03月17日

「非実在青少年」規制:反対集会に行ってきた

(頭がおかしいとは言った。でも、「悪い」なんて言ってない)
(え……?)
(他人と違うこと、変わったことを考えるのは、おかしいことだけど、悪いことじゃない。そうだろ? 頭がおかしくなった奴が悪いことをすれば、それは悪いことだ。でも、悪いことをしなければ悪くない。サユルはコバルトに対して、ちょっと「いやらしい」ことを考えた。それは確かにおかしい。でも、何も悪いことをしてないじゃないか。そんな簡単なことが何で分からない?)
(いやらしいことを考えるだけで悪いことなんだよ)
(あきれた! びっくりだ! カロハ・ジャジャはそんな風に考えるのか!?)コバルトは頭をぶるぶると振った。(それこそ頭がおかしい!)
――山本弘『ダイノコンチネント 滅亡の星、来たる』より

 3月15日、東京都議会議事堂で開かれた「東京都による青少年健全育成条例改正案と「非実在青少年」を考える」という集会に参加してきた。
 それにしても「非実在青少年」とは、何ともキャッチーなフレーズを提唱していただいたものよ。これまで関心の薄かった層まで、いっぺんに食いついてきたもんなあ。
 まだ「非実在青少年」問題についてよく知らない方のために解説。まずは、以下のリンクを参照していただきたい。

漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/09/news103.html

東京都青少年保護条例改正案全文の転載
http://fr-toen.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-cbc1.html

「非実在青少年」とは、マンガやアニメやゲームに登場する少年少女のこと。そうした実在しない青少年であっても、18歳未満の者の性的表現を規制しようというのである。
 しかし、マンガやアニメやゲームのキャラクターの場合、少女のように見えるけど設定年齢が数百才(神様とか異星人とかエルフとか)という場合はザラにある。その場合、「18歳未満」をどう定義するのかと思ったら……。

>年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの

 なのだそうだ。
「年齢又は」となっていることに注意。設定上は300歳であっても、見かけが18歳未満である場合は「非実在青少年」と呼ぶ……と定義したわけである。
 無論、18歳未満に見えるかどうかを誰が判定するのか分からない。
 たとえば『らき☆すた』のこなたは高校3年で誕生日を迎えたから、設定上は18歳のはずである。しかし、『らき☆すた』のエロ同人誌(もちろん、たくさんあるのだが)を見て、あの絵柄だけから、キャラクターが何歳に見えるかなんて、どうやって判断するというのか?
『とある魔術の禁書目録』の小萌先生は?
『ひだまりスケッチ』は?
『まなびストレート』は?(僕は最初、みんな小学生だと思ってたよ(笑))
 しかも視覚だけじゃなく「音声」も含まれていることに注意。これも「及び」ではなく「又は」だから、姿は別にして声だけが18歳未満に聞こえる場合も該当することになってしまう。
 どうすんだよ、金田朋子。「歩く非実在青少年」だよ(笑)。

 これだけでも、かなりバカっぽい案――マンガとかアニメとかいうものを何も知らない人間が考えたものであることが分かる。
 僕も最初、この改正案について知った時には、「何それ? ネタ?」と疑ったもんである。冗談としか思えなかったのだ。しかし、冗談でもパロディでもなさそうで、それどころか成立する可能性が高そうだと知り、危機感が一挙に高まった。

 ちなみに、うちの13歳の娘に、この条例改正案について話すと、最初は「ばっかでー!」と大笑い。そうだよな。中学生でもバカだって分かるよな。
 でも、それが成立しそうだと言うと、顔色を変えて、

「『ヘタリア』は!? 『ヘタリア』はどうなるの!?」

 いや、本家『ヘタリア』はだいじょうぶ。でも、コミケに氾濫する膨大な数の18禁同人誌はどうなるか分からん。

 この条例改正案がどのように問題か。要点をまとめたサイトがこちら。

弁護士・山口貴士氏のブログ
http://yama-ben.cocolog-nifty.com/ooinikataru/2010/03/post-b89f.html

東京都青少年健全育成条例改正問題のまとめサイト
http://mitb.bufsiz.jp/

たけくまメモ
精華大学による「東京都青少年健全育成条例改正案」に対する意見書
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-d9eb.html#more

 ちなみに僕の場合、『魔境のシャナナ』の原作を描いている。シャナナは15歳、チイコは12歳。立派に「非実在青少年」である(笑)。しかもエロいシーンが山ほど。小説家で、なおかつ大阪に住んでいても、十分に影響を受ける。


 3月15日、午後2時。東京都議会議事堂2F第二会議室。

 ごらんのように、定員100名の会場に2倍以上の人(おそらく250~300人ぐらい)が詰めかけ、まさに立錐の余地もない状態。
 それでも混乱がまったくなく、みんなおとなしく整然と会議室に入っていったのに感心した。みんなコミケで慣れてるからね(笑)。
 女性参加者が「思ったより男性が多いね」と言っていたのが印象的。「非実在青少年」というから、BLだけが規制対象のようにイメージしていたのかもしれない。そんなことないよ。これは男女関係なく大問題なんだから。
 内容については、こちらのニュースと速報が詳しいので、お読みいただきたい。(手抜きでごめん)

「文化が滅びる」――都条例「非実在青少年」にちばてつやさん、永井豪さんら危機感
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/15/news074.html

非実在青少年規制反対集会速報
http://blog.livedoor.jp/nob_kodera/archives/2487793.html

 何といっても、ちばてつや、竹宮惠子、里中満智子、永井豪といった大物が、この問題のために立ち上がってくれたことが心強い。
 竹宮惠子さん――今の若いファンは『地球へ…』ぐらいしか知らんのかも? でも若い頃に読んだ『風と木の詩』には大感動したもんでありますよ。BLものの元祖とも言うべき、名作にして傑作。でも、少年の全裸シーンやベッドシーン(男同士の)が何度もあるので、まず確実に今度の「非実在青少年」条例にひっかかる。

 エロい要素はないけど、『私を月まで連れてって!』も好きだったなあ。宇宙飛行士ダン(26歳)とエスパー少女ニナ(9歳)の恋を描くSFコメディ。最初はニナにつきまとわれるのを嫌がっていたダンだけど、途中からすっかりラブラブになって、ニナのことを「恋人です」と公言したり、ディープキスしたり、いっしょのベッドで寝たりするんだよ。今で言うなら「ニナは俺の嫁」状態。
 2005年に完全版が出たんで買ったけど、今読んでもけっこう萌え萌え。ニナ、かわいいよニナ。

 しかし、この時代(70年代末から80年代前半)は、ロリコンという概念をここまであっけらかんと描けたんだよなあ。

 そして永井豪。『ハレンチ学園』『けっこう仮面』『イヤハヤ南友』『キューティーハニー』などなど、少女のオッパイやパンツや全裸が氾濫する、まさにハレンチな作品をたくさん描いてきた人だ。もちろん当時から有害図書とみなされていて、PTAなどからさんざん攻撃を受けてきたもんだけど。
 でも、本人も言っているように、『ハレンチ学園』があったからこそ『マジンガーZ』も生まれたわけなんだよね。
 集会でいちばん印象的だったのは、明治大学の森川嘉一郎准教授のスライドショーによる説明。

「一般人(規制推進派の議員も含む)にとって、アニメ・マンガというと、『ポケモン』『ドラえもん』『トトロ』」
「彼らは“良いマンガ”と“悪いマンガ”を分けられると思いこんでいる」

 つまり一般人の頭の中では、“良いマンガ”が良い影響を与えて健全な国民を生み、“悪いマンガ”が悪い影響を与えて不健全な国民を生むという図式がある。だから“悪いマンガ”だけを取り除けば良い影響だけが残って、日本のマンガはより発展する……と信じている、というのである。なるほど。
 森川准教授は、文化庁メディア芸術祭受賞作(つまりお上が「良いマンガ」と認めた作品)を描いたマンガ家を何人か例に挙げ、彼らが同人誌で『エヴァンゲリオン』のエロパロを描いていたり、エロマンガを描いたことがあると指摘する。

 ここでスクリーンに映ったのが『シベール』。

 思わず「うわ、懐かし!」と声に出しちゃいましたよ。もはや伝説と化したロリコン同人誌。ネットから拾ってきた画像かと思いきや、中身もスキャンしたっぽい……もしかして、森川准教授の私物ですか!?
 で、その『シベール』に参加していたのが、第34回日本漫画家協会賞大賞、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞の三冠を獲得した、あのお方であるわけだ。
 そうだよね! 吾妻ひでおは僕らの世代のカリスマだったんだよ。この人の描く美少女マンガ(エロいのもけっこう多かった)はむさぼり読んだもんである。その影響はとてつもなく大きい。永井豪がいなかったら今のロボット・アニメがなかったのと同じように、吾妻ひでおがいなかったら、ロリコン・マンガ、美少女マンガというジャンルも、今ほど興隆していなかったと思う。
『やけくそ天使』なくして『失踪日記』はありえなかった。同様に、『風と木の詩』なくして『地球へ…』はなかったし、『ハレンチ学園』がなかったら『マジンガーZ』もなかった。
 神様・手塚治虫だって、エロいマンガや残酷なマンガをいっぱい描いている。現代の人気マンガ家の中にも、アマチュア時代に同人誌でエロパロを描いていたという人は多い。
 ベストセラー作家を頂点とする、マンガ界という大ピラミッド。その底辺に存在する膨大な量のエロマンガ。だが、それを取り除いたらピラミッド全体が瓦解する……と森川准教授は警告するのである。“悪いマンガ”だけ取り除けると思うのは幻想だ、と。
 まったくその通りだと思う。

 そもそも、そういうシーンがあることが、本当に“悪い”のか。

 たとえば僕の場合、「若い頃、『サーラの冒険』3巻のデルの輪姦シーンに衝撃を受けた」というファンが大勢いる。(厳密にはそういうシーンをストレートに書いたわけじゃなく、父親の口から、過去にこういうことがあった……と語らせただけなんだけど)
 でも、不健全だからって、そのくだりをカットしたら、『サーラの冒険』は今よりも健全で良い作品になったのか……ってことなんである。

 なるわけねーだろ。

 不健全でも描かなくてはならないこともある。『風と木の詩』からヌードとベッドシーンを削除したら、良い作品になるのか?

 何よりも恐ろしいのは、日本の歴史の流れを変えかねないこの条例案に関するニュースが、新聞でもテレビでもほとんど流れないということ。記事が載っても、扱いはごく小さい。だから一般人の多くはこのことを知らない。
 たとえ知っていても、この問題を甘く見ている人が多くいる。

「違反しても即座に逮捕されるわけじゃないんでしょ?」

 この条例の危険性は逮捕されることにあるのではない。たとえ罰則がなくても、東京都から「条例違反」「有害図書」と判定されるだけで、出版社にとって大きなダメージとなるのだ。
 東京には出版社の多くが集中している。当然、有害図書扱いされることを恐れて、自主規制に入る出版社が増えるであろうことも、十分に予想される。そうなれば、マンガ家・作家・ゲーム製作者の多くが多大な影響をこうむる。
 他にも、都内の各種施設が、条例違反になることを恐れ、イベント会場を貸さなくなることも考えられる。
 つまり、コミケが終わる。

「俺はオタクじゃないから関係ないし」
「困るのはアキバのキモオタだけだろ」

 そう思う人には「ニーメラーで検索」と言いたい。

 一方、マンガ・ファン、アニメ・ファンの間では危機感は高い。先のITメディアのニュースはmixiに転載されたのだが、それに対して2700件以上の日記が書かれている。タイトルと最初の数行だけざっと読んでみたが、そのほとんど(99%以上)が規制に反対の意見だった。
「リアル『図書館戦争』」というフレーズ使っている人も多い。言うまでもないが、現実が『図書館戦争』を模倣しているのではなく、『図書館戦争』が現実を模倣しているのである。「良識」ある人々による表現規制が暴走したパラレルワールドの日本が舞台で、業界の人間にしてみればものすごく切実な問題を扱っている。
 他にも『アウターゾーン』の「禁書」というエピソードを連想した人も多いようだ。

 マンガやアニメは現実逃避のように思われがちだが、『図書館戦争』や『アウターゾーン』を知っている人の方が、この問題の危険性に敏感なんじゃないだろうか。むしろ「マンガやアニメを規制すれば世の中は良くなる」と思っている人の方が、現実と空想の区別がついていないように思える。
 

  

Posted by 山本弘 at 21:23Comments(6)TrackBack(0)社会問題

2009年05月17日

「オーケン伝説」はやっぱり都市伝説だった!

 その大槻ケンヂ氏の最新のエッセイ集『人として軸がブレている』(ぴあ)を読んでいたら、「オーケン伝説」に関する記述があった。

 Googleで「オーケン」を検索すると一発で出てくる。「大槻ケンヂが自分のエッセイで自作歌詞を載せたところ、JASRACから使用料を払えと連絡があり、払ったが大槻には印税は還元されず、問い合わせてもなしのつぶてだったと大槻が憤った」というもの。
 それをライブで言葉として言った、という書き込みもあれば、エッセイで書いていた、というものもあった。ぴあのエッセイだった、という説もあるが、「オーケンの、私は変な映画を観た!!」という本にあったようだ、という人もいる。楽曲については、筋肉少女帯の「高円寺心中」であるとの説があるそう。「オーケン事件」を事実としてJASRACに怒りを爆発させているかの書き込みもあった。逆に、ソースがはっきりしないので、都市伝説のたぐいなのではないか? と事件の存在自体に疑問を投げかける書き込みもあった。
 当事者たるオーケンから真相を告げるなら、おそらく後者である。都市伝説だと思う。
 僕は自作詞を著作に多数引用している。どころか、自作詞を中心に集めた二冊の詩集も発売しているが、それらについてもJASRACから徴収義務をうったえてきたという話は覚えがない。「私は変な映画を観た!!」にJASRACについてボヤいた記述はない。オーケン事件自体、ネットで初めて知った。
「高円寺心中」は「大槻ケンヂのお蔵出し」というエッセイ集でも引用している。確認したところ、なるほど前出の二詩集にはなかった日本著作権協会の許諾を示す番号が、こちらには奥付に記載されている。ただこれはおそらく「高円寺心中」とは別に同著の中で引用した、郷五郎さんの歌詞に対してのものではないかと思う。

 そうだったのかー!
 ごめんなさい、僕もそれ、都市伝説だとは気づかずに広めちゃってました!
『史上最強のオタク座談会② 回収』(音楽専科社・2000)の123ページで、「有名な話で、大槻ケンヂが自分のエッセイの中で、自分の作詞した歌の歌詞書いたら、JASRACに金取られた」と言っちゃってるんである。
 その後、気になって調べ直してみたがどうしてもソースが見つからず、僕自身、どこでその話を読んだか思い出せず、「あれは都市伝説だったのかしらん?」と疑っていたのである。今回、大槻氏自身によって、明快に否定されたのである。
 僕はジャン・ハロルド・ブルンヴァンの『消えるヒッチハイカー』(新宿書房・1988)が出た直後に読んでハマった、いわば古株の都市伝説ファンである。『妖魔夜行』シリーズも、僕の都市伝説趣味が反映されている。
 だから都市伝説のたいていのパターンは知っているし、ソース不明の怪しげな話は「都市伝説じゃないの?」と疑うことにしているのだが、この時ばかりはコロッとひっかかってしまった。やっぱり「JASRACならやりそうだ」という偏見が心の中にあったのだろうな。人間は信じたいものを信じるものである。

『オタク座談会』シリーズはとっくに増刷はストップしてるし、文庫化の予定もないので、もはや訂正は不可能な状態。 だからこの場で謝罪しておく。
 大槻さん、そしてJASRACのみなさん、間違った話を広めてしまって申し訳ありません!

 JASRACについてはいろいろ批判したいことはあるけど、今後、「オーケン事件」を根拠として持ち出すのは不当である、ということははっきりさせておくべきだろう。

  

Posted by 山本弘 at 18:26Comments(1)TrackBack(0)社会問題

2008年12月10日

毬江がテレビに出なかったわけ

『活字倶楽部』2008年秋号の有川浩ロングインタビューの中で、アニメ版『図書館戦争』のこんな裏話が披露されていた。

有川 (中略)例えばアニメで、小牧と毬江のエピソードが地上波で放送されなかったのは、毬江が聴覚障害者だという設定だったからなんです。毬江のエピソードはTVではできません、ということがアニメ化の大前提だったんです。それを了承してもらわないと『図書館戦争』はアニメ化できません、と真っ先に言われたことがとても衝撃的でした。(後略)


 やはり。原作では印象的なキャラクターである毬江がテレビに出てこなかったのは、そういう裏があるのではないかと思っていたのだが。
 ちなみに、DVDの3巻には毬江の登場するテレビ未放映話「恋ノ障害」が収録されているのだそうだ。
 これがアニメ版の毬江の設定。声は植田佳奈か。うーん、テレビで見たかった。

 原作を読まずにテレビ版しか見ていない人は、そもそもメディア良化委員会が何のためにどんな基準で本を狩っているのか、よく分からなかったのではないだろうか。単純に体制に批判的な本だけを弾圧していると思っていたのではないか。
 原作で重要な役割を果たすのが、『レインツリーの国』という小説である。主人公の笠原郁は高校時代、この本を書店で買おうとして、良化隊に取り上げられそうになった。そこを堂上に助けられたことが、彼女に図書隊への入隊を決意させるきっっかけになったのだ。
『レインツリーの国』は『図書館戦争』のスピンオフ作品として、作者自身によって執筆された。お読みになればお分かりだろうが、美しい恋愛小説である。しかし、ヒロインが聴覚障害者であり、「違反語」が使われているという理由で、『図書館戦争』の世界ではこの本が狩られているのである。

『図書館戦争』の世界は絵空事ではない。現実に起きていることだ。この話をリアリティがないと思うのは、出版界や放送界の実状を知らない人だろう。
『図書館戦争』の世界と違うのは、「違反語」リストを作り、それに従って言葉を狩っているのが、政府が作った良化委員会ではなく、出版界や放送界自身だということ。「メディア良化委員会」とは、実はメディアそのものなのである。
 僕自身の体験を書こう。
 2006年10月、 『TVブロス』のカンヌ映画祭についての記事の中で、ライターが露骨な差別表現を使ったという事件があった。ライターもライターだが、通してしまった編集者も不注意である。要するに差別問題に関する知識も関心も自覚もまるでなかったわけで、問題になるのは当たり前だ。
 ところがその一件で、大手出版社がいっせいに過剰反応した。それまでOKだった、どうということはない表現にまで、過敏にチェックが入るようになったのだ。
 そのとばっちりが僕にも来た。ちょうど『神は沈黙せず』の文庫版のゲラチェックをやっていたのだが、いったん戻したゲラに、校閲者による膨大な数のチェックが入って戻ってきたのである。どれも単行本ではまったく問題にならなかった箇所だ。修正しろという命令ではないが、あらためて表現に一考をお願いする……というのである。
 どんな表現にチェックが入ったか、実例を挙げよう。

>ネットに流れた情報だけを盲信した人々が
>精神病院に入院させられているとか
>地球が狂いはじめているのではないだろうか
>狂信的な熱情にかられて行動した
>たちまち悪臭漂うスラムと化した
>自分の中にも狂気がひそんでいる可能性
>強いボスに盲従する猿たち
>いみじくもドーキンスが言ったように、「盲目の時計職人(ブラインド・ウォッチメイカー)」なのだ。
>兄は狂っているのだろうか。
>よく発狂しなかったものだと
>悲しみのあまり狂乱したことも
>怒り狂った群集によって
>頭のおかしい人間が行なった未熟な犯行にすぎず
>ポルターガイストの荒れ狂う施設 !
>熱狂的な加古沢ファン
>精神錯乱が多発した
>ファンの狂騒に踊らされることは決してなかった
>狂気と正気の境界線をどこに置くか
>狂気に蝕まれている自分に言い聞かせた

 これでもチェック箇所のごく一部にすぎない。 つまり「狂」「盲」という字すべてにチェックが入っているのだ。たまらん。
 だいたい『ブラインド・ウォッチメイカー』を他にどう訳せと? つーか、「ブラインド」はOKで「盲目」はダメという根拠は何だ?
 いちばん笑ったのは、

>私はぽかんと口を開けた。盲点だった。

「盲点」にもチェックが!?(笑)そりゃ盲点だったわ。いやもうこれは床にひっくり返って笑ったよ。 のちに「七パーセントのテンムー」を書いた時に、ギャグのネタにさせていただいた。

>馬丁の娘
>老婆の横顔

 という部分にもチェックが入った。「馬丁」も差別語とは知らなかった。つーか、これをどう言い換えろというのだ?
 なぜ「老婆」が差別語認定されているのか、編集さんも首をひねっていた。おそらく、かつて「婆あ」という侮蔑的表現が問題になったことがあって、そこから拡大解釈して「婆」という漢字すべてを自粛することになったのではないかと想像するが、今となっては真相は分からない。

>電波系
>サイコキラー

 という単語にもチェックが入った。「サイコ」という言葉がまずいらしいのだ。冗談じゃない! ヒッチコックの映画はどうなるんだ!? だいたい、「サイコキラー」なんて言葉、日常的に使ってるだろ。

>かなり節操のない日本的キリスト教徒だったようだ

 という部分にもチェック。「『日本のキリスト教徒は節操がない』と誤読されるおそれがあるのでは?」というのである。いねーよ、そんなひねくれた誤読する奴。お前だけだよ。

>日本各地の福祉施設に収容された何千人もの子供たち

 という部分にもチェックが入った。「収容」という言葉がいかんので「預けられた」に改めろと指示された。なぜ? 分からん。
 さらに笑えたのが、アメリカ国内でイスラム原理主義者やキリスト教右翼によるテロが起きるというくだり。校正者の意見によれば、

「フィクションですが、偏見を助長するおそれがあるのでは?」

 アホかああああーっ!
 実在の集団による犯罪行為をフィクションの中で描いてはいかんというのなら、スパイ小説もポリティカル・フィクションも書けんようになるわーい!
 出版業界で生きる人間が、自分の首絞めてバラバラにして埋葬するようなことを言い出すんじゃねえええーっ!
 こんな箇所にもチェックが入った。

 あるいは、ネットでベストセラーになったコミック『サンバーン』の作者、三崎純へのインタビューという話もあった。参考のために読んでみた私は、すぐに編集者に電話をかけ、「この仕事は別の人に回して」と依頼した。身障者の少女をレイプし、いじめ抜いた末に殺害する主人公の姿と、それをギャグを交えてあっけらかんと描く作者の姿勢は、私には反吐が出そうなほど不快だった。紙の本が出版物の主流で、出版業界のモラルが守られていた時代には、とうてい陽の目を見なかった作品だ。こんなものを描く人物がいることにも、それを夢中になって読む大衆がいることにも、やりきれなさを覚えた。

 だからさ、主人公は差別意識に対する激しい怒りを表明してるんだよ? あんたちゃんと文章の意味、理解してる?
 25章のこんなくだりにもチェックが、

 テキサス州アマリロの市庁舎では、玄関ホールの天井から長さ五メートルもある巨大な足がぬっと突き出した。職員や市民を驚かせただけで、すぐに消えてしまったものの、監視カメラには人間の一〇倍ぐらいのサイズがある白い素足がはっきり映っていた。明らかに黒人の足ではないことから、白人優越主義者はまたもや「神は白人であるという証明だ」と主張した。
 ところがその四日後の夕刻、今度はニューメキシコ州フォート・サムナー郊外の住宅街に、巨大な裸の黒人が出現した。それは一〇人以上の目撃者たちの前で、身長一・二メートルから六メートルまで大きさを自由に変えたという。今度は黒人たちが「神はやっぱり黒人だった」と主張する番だった。

 どこがまずいと思います?
 なんと、「黒人」という単語すべてにチェックが入ってるのである! ええー、「黒人」もNG用語!? んなアホな!
『神は沈黙せず』をお読みになった方ならお分かりのように、この小説には僕自身の、身障者差別・人種差別・民族差別に対する強い嫌悪が随所に反映されている。
 差別問題を扱うのだから当然、差別的発言をする人物も出てくるわけだが、それにすべてチェックが入った。「朝鮮の手先」「あつらは犯罪者ばっかりだ」とかである。
 だからさ、この小説は差別を糾弾してる内容なのに、何でびくびして自粛しなきゃならんわけ? おかしいじゃん!

 最初は笑ってたが、だんだん腹が立ってきた。
 この校閲者、自分では何も考えてない。機械的に「狂」「盲」という字を検索して鉛筆でチェックを入れているだけである。ある表現が差別に当たるかどうか自分で判断することを放棄し、著者に全責任を押しつけている。それはつまり、「私は差別問題なんか分かりませーん」「責任とりたくありませーん」と宣言しているようなもんではないか。
 そういう意識こそ差別なんだと、どうして気づかん!?
 でもって、これまで小説の中で何度も差別問題を描いてきた僕が、何で今さら糾弾を恐れなくちゃなんないんですかい!?
 こわくないよ、そんなの。万が一、人権団体に糾弾されたって、これまで自分が書いてきたものをずらっと並べて、「あなたの方こそ不勉強です。これを読んでください。僕はこういう作家です」と、逆に教育してやるよ。

 こうした「違反語狩り」が本当に差別をなくす目的ならいいことだろう。だが、現実は正反対だ。違反語リストを作って自主規制をしている人たちは、単純に言葉の言い替えで済ませているだけで、差別問題の本質など考えようとはしない。それどころか、障害者の抱える問題をリアルに描く作品や、差別を批判する内容の作品すら規制しようとする。
 違反語狩りは差別問題への真摯な取り組みなどではなく、正反対である。現実に存在する問題から目をそむけ、口をつぐむことで、被差別者についての正しい理解が広まるのを妨げ、間接的に差別を助長しているのだ。

『別冊 図書館戦争I』には木島ジンという作家が登場する。彼は反社会的、暴力的な作品ばかりを書いているが、婉曲表現ばかりで違反語をひとつも使っていないため、メディア良化法では取り締まることができない。彼は良化法に対する批判として、意図的にそうした小説を書き、社会に挑戦しているのである。
 木島ジンというのは嫌な奴だと思う。しかし、言っていることは正論だ。違反語さえ使われていなければいいという問題ではない。それは『レインツリーの国』を読めばよく分かる。
『レインツリーの国』と木島ジンの作品は正反対だが、同じことを訴えている。前者は違反語を使ってはいる差別的ではなく、後者は違反語を使っていないが差別的である。
 ある表現が差別的かどうかは文脈から判断するしかない。単語だけ取り出しても意味がない。こんな単純なことを理解できない――いや、理解しようとしない人間が大勢いる。

 繰り返す。『図書館戦争』はリアルな話である。銃撃戦こそないものの、僕らはすでに『図書館戦争』の世界で生きているのだ。

  

Posted by 山本弘 at 15:12Comments(10)TrackBack(2)社会問題